GS新掲示板 過去発言[59](No.4201〜4300)

ここにはBBSの過去発言(発言No.4201〜4300)が収録されています。


[4300] 99艦爆とSBDの攻撃距離 投稿者:流星号 投稿日:2004/12/02(Thu) 11:47  
発売延期にガックリ着ているファンです。年末は「戦記2三昧」の予定だったもので・・・・

ところで古い話しを蒸し返してすみませんが
SBDと99艦爆が、同じ航続距離という今回の設定が???

あの固定脚タイプの広〜い主翼内に、大きな燃料タンクを持ちゼロ戦と同じ燃費の良い栄エンジンで250キロ爆弾搭載の99艦爆と
小さな翼に引き込み脚、450キロ爆弾搭載のSBDが、まったく同じというのは腑に落ちないのですが・・・今回はどんなデータが基になったのでしょう?
それって、爆装していない状態でのスペックでは?

「99艦爆でアウトレンジ出来るのならば、珊瑚海でもミッドウエーでも日本が圧勝してたはず」と書かれてましたが
99艦爆の低速・脆弱さゆえの墜とされやすさや、索敵の稚拙さなどもあったわけですし
マリアナなどは、はるかに先に敵を発見して、彗星でアウトレンジ成功していたのに惨敗してますよね。

それに日本がアウトレンジを言い出したのは、彗星や天山が登場してから」とありましたが
日本は戦前の「艦隊決戦・漸減作戦構想」の時から、航空機のアウトレンジ攻撃を前提にプランを練っていたはずです。

まあ、設定された機体データを変更できるエディター機能もあれば良いのですが・・・・
(故障率とかのデータも変更したいですし。誉エンジンが完璧だったら、疾風や紫電改・流星や銀河がどれだけ活躍できたか見たいですね。)

[4299] Re[4294][4293]: ひとつ思い出したのですが・・・ 投稿者:hiro 投稿日:2004/12/01(Wed) 22:02  
> 確か日本の試験は実戦を基本にしていたため、機銃、銃弾その他を装備して試験をしてたのではなかったでしょうか?
>  諸外国は全て取り外した状態で試験していたので両者をカタログスペックで比較できないですよ。

なるほど・・・勉強になります。
では太平洋戦記2の航空機の機動力はどんなデータをもとにしているのでしょうか?カタログスペックそのままなら日本不利な設定になってしまうということですよね?

[4298] 速力の不思議 投稿者:K−2 投稿日:2004/11/30(Tue) 21:19  
>戦闘機の速力
>機銃、銃弾その他を装備して試験をしてたのではなかったでしょうか?
月光なんかは20mm機銃と銃弾を全部降ろして、胴体に10人くらい乗っけて
飛んだなんていう話もあるくらいですから相当な差がでるのでしょう。
あと、戦争後期の米英機の最高速度は高度1万mくらいのものが多いですから、
高度三千〜六千あたりで最高速度の出る日本機とは比較しづらいですね。
P-47もP-51も高度六千では捕獲した疾風よりも遅かったって話ですし。
あとはP−38は高度三千以下では零戦より遅いとかいう話もありますしね。
逆を言えば大戦末期はB−29迎撃に高々度に上がっているので日本機は
ますます不利な訳ですが。
また、最高速度が速くても加速が悪ければ実践では意味がありませんし、
上昇力が悪いのも実戦では嫌われたようです。
零戦よりもマスタングやスピットファイアの方がカタログスペックでは
上昇力が良いはずなのに、米軍は零戦の上昇力を「悪魔が爪を立ててよじ登るような」
などと例えています。これは、英米の戦闘機に比べて零戦が急角度で上昇できたことが
原因のようです。浅い角度で高速で上昇すれば、実際には目標高度まで速く到達できても、
急角度で上昇できる方が、上昇力があるように見えるという事ですね。
で、以前零戦乗りの本でF6Fと遭遇して、「こんな上昇力のある戦闘機は初めてだ」
と思った事が書かれてありましたが、あの重量級のF6Fに何故それほどの
上昇力があるのか不思議です。(確かにカタログスペック的にも抜群)

[4297] Re[4291]: 軽戦車について 投稿者:阿部隆史 投稿日:2004/11/30(Tue) 21:00  
まず「幾ら数があっても95式軽戦車でJS3を撃破できるか?」について。
95式軽戦車の37o砲でJS3の装甲を貫徹するのはどうしたって無理だろう。
でもキャタピラを切断する事はできる。
そうなれば太平洋戦記2は戦略規模のゲームなんで「きっと近くにいる歩兵が梱爆か何かでとどめをさすだろう。」といった考えでデザインした。
「歩兵なしで戦ったんだけど。」と言われた場合は...
まあゲームのアラだと思って御勘弁願いたい。
それでは「JS3はどれだけの95式軽戦車の撃破できるか?」について考えてみよう。
これは「29両以上はどうしたって無理」って話になる。
だってJS3は28発しか砲弾を積んでいないんだもの。
よって全砲手が百発百中の命中率だったとしても1対29の戦力比じゃ勝てない。
まあここら辺も含めて「6倍の敵に囲まれたら負けても仕方ない。」と考えている。

6倍か...
4倍だったらどうなるか考えてみよう。
なんと7回目の交戦で95式軽戦車は全滅しJS3は過半数が生き残る。
つまり95式軽戦車の人海戦術(車両だから人海戦術はおかしいな。やっぱり飽和攻撃とでも呼ぶべきか?)は5倍でイーブン、6倍以上で有効なのだ。
それに戦車兵の損耗や生産力の負担も考えなければね。
(ゲーム中で戦車の乗員はデータ化されてないが)
だって6倍で勝ったとしてもソ連戦車兵の損耗400名(JS3の乗員は4名)に対して日本戦車兵の損耗約900名(95式軽戦車の乗員は3名)は痛いよ。
まあどの様にプレイしどう感ずるかは個人の趣味の問題ではあるが...

でも実際に日本陸軍が「質より量」で軽戦車の量産に励んだのは事実なんだから95式軽戦車をモリモリ生産するのは「史実に忠実」と言えるのかも知れないな。
95式軽戦車の群がJS3をやっつけるのはなんとなく想像しずらいが。

[4296] Re[4291]: 軽戦車について 投稿者:うらマッハ 投稿日:2004/11/30(Tue) 11:29  
>  「軽戦車は有効である」 
>  6倍という数の優勢のために、JS3に36倍の戦力比を強い、対戦車火力6,0倍、耐久力4,5倍、戦力27倍に過ぎなかったJS3は次第に数に圧倒されてしまったためです。
> 数の優位は、制御しうる限り、攻防の両面に寄与するということが実感できます。

おお!軽戦車でも数が優勢だと勝てるんですね。しかも、鉄の効率が良いというわけですか。
ということは、本土防衛戦の時の機動戦に有効だと思います。上陸したばかりの敵部隊は数もそれほど多くないし、退路もないでしょうから、ワザと上陸させてから軽戦車の大群で攻撃すれば良い戦果が得られそうです。

ただ、やっぱり大陸方面の攻勢において軽戦車は、戦力にはなりづらいと思います。こちらが根拠地に大量の軽戦車をおけば、敵も隣接根拠地に陸上部隊を同じくらい集めてしまいます。同数では軽戦車では勝てませんし、仮にこちらが数で優勢になれても退路があれば敵は逃げます。
攻勢において重要なのは戦力の集中ですから、一両あたりの戦力が小さい軽戦車は沢山集めても戦力が集中したことにはなりません。コストも戦力も大きい中戦車や自走砲は、効率が悪くとも、攻勢時には必要になります。
一度に戦場に投入できる数に限りがあることが、軽戦車の価値を下げているのだと思います。

[4295] Re[4289]: 旋回性能と燃費について 投稿者:プラモ派 投稿日:2004/11/29(Mon) 23:11  
こんな質問にとても丁寧に答えていただき感激です!
だいたい零戦の燃費のイメージがつかめました。
飛行機といってもあまり燃費はわるくないんですね。
意外でした。

[4294] Re[4293]: ひとつ思い出したのですが・・・ 投稿者:さんしきせん 投稿日:2004/11/29(Mon) 21:48  
> 戦闘機の速力に関して。
>
> どなたか詳しくわかる方はいらっしゃいませんか?

確か日本の試験は実戦を基本にしていたため、機銃、銃弾その他を装備して試験をしてたのではなかったでしょうか?
 諸外国は全て取り外した状態で試験していたので両者をカタログスペックで比較できないですよ。

[4293] ひとつ思い出したのですが・・・ 投稿者:hiro 投稿日:2004/11/29(Mon) 21:26  
戦闘機の速力に関して。

「日本の速力試験は世界一厳しかったため、カタログスペック上で518km/hの零戦21型が566km/hのP40Bに追いついてしまう」
という話をどこかで読んだのを思い出しました。確か小林たけし氏の戦記漫画の中だったと思いますが・・・
どなたか詳しくわかる方はいらっしゃいませんか?

[4292] Re[4289]: 旋回性能と燃費について 投稿者:ひよっこパイロット 投稿日:2004/11/29(Mon) 20:56  
> 旋回性能について:
> つまりこれまで機動力と言う単一のデータであった物を速力と旋回能力と言うデータに二分したのは「対戦闘機用戦闘機」と「対爆撃機様戦闘機」の性格付けを明確にする為である。
> また空母戦記2ではこれまでの弊社ゲームと異なりイニシアチブ決定が機種毎(もしくは編隊毎)ではなく1機単位となる。
> これにより練度差が大きくクローズアップされると共に総合能力が近い場合には一方的な空戦となりにくくなる。

 私の質問に対し丁寧な返答をいただきまして有難うございました。今までより踏み込んだ内容に読んでてワクワクしました。それではゲームの発売を気長に待つことにします。

[4291] 軽戦車について 投稿者:シムス 投稿日:2004/11/29(Mon) 20:12  
 はじめまして。 
 私は一年ほど前から太平洋戦記2をプレーしている者です。 今回ゲーム内容について皆さんの意見をうかがいたく思い、書き込みをすることにしました。
 
 「軽戦車は有効である」 
 色々なサイトを見てみましたが、純粋に戦力として評価する方は、見る限りでは居られませんでした。 しかし私は軽戦車は使えるのではないかと考えており、以下その理由を述べたいと思います。

 95式軽戦車は、対部隊火力1.0 対戦車火力1.5 耐久力10 鉄7t 工数1。
 確かに、一両あたりの戦力は登場する全戦車中最低ですが、しかし生産に必要な鉄の量や工数もまた最小です。
 ここで仮想戦をして見ましょう。
 相手は連合軍の戦車、JS3。
 JS3は、対部隊火力6,0 対戦車火力9,0 耐久力80 鉄46t 工数4。 
 もちろん同数では圧敗してしまいますから、鉄の量にあわせて補正して…JS3 100両(4,600t)、95式軽戦車 600両(4200t)、両者とも通常攻撃のみ、どちらかが殲滅されるまで行う、とします。
 第一撃目; 両者とも打撃数90で損害はJS3が18両、95式軽戦車が81両
 第二撃目; JS3へ77打撃、95式軽戦車へ73打撃、損害はJS3が15,4両、95式軽戦車が65,7両………(後略)
 最終的にJS3は全滅、95式軽戦車はちょうど半数の300両残ります。 鉄の量では4600t、2100tで倍以上の開きがあります。

 このようなことが起こったのは、95式軽戦車は一両あたりの戦力ではJS3にまったく勝ち目はありませんが、6倍という数の優勢のために、JS3に36倍の戦力比を強い、対戦車火力6,0倍、耐久力4,5倍、戦力27倍に過ぎなかったJS3は次第に数に圧倒されてしまったためです。 陸戦について阿部さんが過去ログの[3051]で詳しく解説でなさっておられますので、ご存知でない方はご覧になると良いでしょう。
 
 では今度は日本軍の中で、鉄効率が最良となる戦車を考えて見ましょう。
 簡単のため、95式軽戦車を「単位戦車」として考えます。 つまり95式軽戦車の火力、防御力、鉄を1として考え、何倍であるかを表記します。 また、火力は対戦車火力と対部隊火力に分かれるので、その平均(95式軽戦車の場合、1,25)をとります。 タ弾により火力が増加する場合、直下に書いてあります。

         火力   防御力  戦力   鉄(2乗)  
 3式中戦車   3,20 1,80 5,76 7,37 
 4式中戦車   3,80 2,57 9,77 18,4
 1式砲戦車   2,80 1,80 5,04 5,22
 4式自走砲   2,80 1,29 3,61 5,22
         3,60      4,64 
 ナト車     3,40 1,00 3,40 4,00
 ホリ車     5,00 3,60 18,0 32,7
 特二式内火艇  1,00 1,00 1,00 1,71
 2式軽戦車   1,00 1,13 1,13 1,00
 3式軽戦車   1,36 1,00 1,36 1,31
         1,80      1,80


 (特二式内火艇の鉄のみ2乗していません。 またここに書かれていない89式中戦車などは、効率が悪いことが感覚的にわかりますので表記していません。 鉄(2乗)<戦力の場合、95式軽戦車より効率が良いことを表します。)

 鉄効率順位
 第一位  3式軽戦車(タ弾あり)
 第二位  2式軽戦車
 第三位  3式軽戦車(タ弾なし)
 第四位  95式軽戦車
 第五位  一式砲戦車

 全て軽量級の戦車ですが、開戦時生産できるのは95式軽戦車だけです。 戦車の生産は、航空機の生産や陸上部隊の動員には直接的に影響せず、鉄さえあればできますが、工数には限りがあるので、生産を絶やすべきではないでしょう。 後継の2式軽戦車と3式軽戦車が開発されれば、無論そちらにシフトしますが、それまでは95式軽戦車を生産し、序盤攻勢の原動力とすべきでしょう。 
数の優位は、制御しうる限り、攻防の両面に寄与するということが実感できます。
 まさに太平洋戦争をシミュレートしている、と言えるのではないでしょうか。

[4290] 潜水空母 投稿者:晴嵐 投稿日:2004/11/28(Sun) 02:44  
空母戦記ということで、潜水空母イ400型+戦闘攻撃機 晴嵐 の登場を期待していたのですが残念です。

[4289] 旋回性能と燃費について 投稿者:阿部隆史 投稿日:2004/11/27(Sat) 19:32  
旋回性能について:
空母戦記2で空戦に於いてキーとなる能力には航空機の速力、旋回能力、固定銃火力、旋回銃火力、防御力と搭乗員の練度、疲労度がある。
また空戦には戦闘機VS戦闘機と戦闘機VS爆撃機(雷撃機、偵察機を含む)の2種類があり爆撃機VS爆撃機の空戦はない。
さて戦闘機だが基本的に前方へ向けた固定銃を装備し目標の後背から接近して攻撃する。
正面同士で接敵しすれ違いながら攻撃しあう事もない訳ではないが殆ど効果はない。
時速600q/hの戦闘機同士がすれ違うのなら相対速度は1200q/hになろう。
つまり1秒につき333mである。
次に戦闘機がどれだけ機銃を発射できるか考えてみよう。
零戦21型の場合、20o機銃2門と7.7o機銃2門を装備しているが20o機銃は前方約200mで弾道が交差する様に装備されているので有効射撃距離は約100〜300mの「200m間」となる。
1秒333mですれ違うのだから撃てるのは僅か0.6秒。
20o機銃の発射速度は毎分520発だから1門あたり5.1発しか射撃できない。
2門で10発だ。
機体をブレさせずに直進させ目標に対し正対していればこの10発は命中が期待できる。
0.6秒の発射タイミングを間違えなければ。
だが「こちらが射撃できる事」は「敵もまたこちらを射撃できる事」を意味しうまく当てられたとしてもこちらも当てられてしまう可能性がある。
よって正面同士で接敵する空戦は戦闘機にとって不合理であり後背から接近して攻撃するのが常道となる。
どちらも敵の後背に回りたい。
どの様にして?
ここで旋回能力が重要な役割を果たす。
速力だって同じだ。
速力が優っていれば優位な位置から接敵する事も振り切って逃げる事も可能なのだから。
かくして戦闘機VS戦闘機の空戦では速力と旋回能力に優る側がイニシアティブを握る。
一方、戦闘機に対し爆撃機は空戦を望まない。
よって逃げるだけであり接敵行動してくる敵戦闘機に旋回機銃で反撃するだけである。
すなわち戦闘機VS爆撃機の空戦に於いて旋回性能は意味をなさない。
爆撃機は戦闘機の後背に回り込もうとしないのだから。
(中には戦闘機に格闘戦を挑み固定銃で撃墜した艦爆も存在したが例外と言えよう。)
目標となる爆撃機を補足した戦闘機は射撃を開始するが「敵を補足した時」は同時に「爆撃機の旋回機銃の射程に入った事」を意味し反撃を受ける。
ただし爆撃機は全ての旋回機銃を戦闘機に指向できる訳ではない。
さてゲーム中での旋回能力の反映だけど空戦のイニシアティブ決定時、旋回能力は速力と共に判定される。
ついで捕捉判定時、目標が戦闘機であれば双方の旋回能力が速力と共に判定される。
また全てに於いて搭乗員の練度と疲労度も判定対象となる。
具体的に言うと零戦21型の速力は518km/hなので10となる。
算定基準は300km/h未満を1とし以降、25km単位で+1だからである。
(デザイナーといえどもこの数値はさわれない。)
旋回能力は1〜5の5段階評価で零戦21型の場合は4となる。
(ここはデザイナーの評価である。)
一方、P40B型の場合、速力は566km/hなので12、旋回能力は2としてデータ化している。
つまり速力ではP40B型の方が2優位であるが零戦21型の方が旋回能力が高いので総合的にはイニシアティブ決定時に互角となる。
しかし捕捉判定時、戦闘機対戦闘機の戦いでは旋回能力を1.5倍(現在の所の暫定値)するので零戦21型は総合で16、P40B型は15となり差が生ずる。
よって零戦21型とP40B型の空戦では零戦の方が敵機を落としやすくかつ落とされにくくなる。
だが対爆撃機戦では速力に優れたP40B型の方が敵を捕捉しやすいと言えよう。
つまりこれまで機動力と言う単一のデータであった物を速力と旋回能力と言うデータに二分したのは「対戦闘機用戦闘機」と「対爆撃機様戦闘機」の性格付けを明確にする為である。
また空母戦記2ではこれまでの弊社ゲームと異なりイニシアチブ決定が機種毎(もしくは編隊毎)ではなく1機単位となる。
これにより練度差が大きくクローズアップされると共に総合能力が近い場合には一方的な空戦となりにくくなる。
つまり零戦21型とP40B型は機体の性能としてはイニシアティブ決定時に同等なのだが練度5が8機、練度1が10機の零戦21型と練度3のP40B型20機が空戦した場合、練度5の零戦21型8機に「先制攻撃の機会」が与えられ練度3のP40B20機がこれに続く。
練度が低かったり疲労度が蓄積していたりすれば航空機の性能が優っていても充分な戦果が挙げられないのである。
また総合的に同じ能力の航空機が空戦した場合、練度や疲労度だけではなく乱数も加算されるので「ちょっとの差が絶対的結果」にはならなくなる。

燃費について:
前述した様に零戦21型の燃費は搭乗員の練度によって大きく変動する。
まず燃料搭載量だが機内槽と増槽で518+330リットル(以下L)とする資料(航空機総集のメーカーデータ、丸エキストラ版5号、ミリタリークラシック「零戦事典2003」など)や525+330Lとする資料(丸メカニック「零戦」)、540+330Lとする資料(航空機総集の海軍データ、航空情報別冊「太平洋戦争日本海軍機」など)がある。
とりあえず848Lとしておこう。
巡航速力も各資料で差があり140〜180ノットとしているがここは戦史叢書「ハワイ作戦」や戦史叢書「ミッドウェー海戦」などに記述されている180ノットとする。
航続距離をどうするか?
これも資料によってまちまちだ。
なにしろ搭乗員の能力によって航続距離の基本となる燃費が変わるんだから。
でもまあ一番多く使用されている1891浬(約3500q)としておくか。
1891浬÷848L=2.22浬(4.1q)が零戦21型のリッター燃費である。
ここでちょっと搭乗員練度と飛行時間について考えてみよう。
1891浬÷180ノット=10.5時間だとするならば1時間当たりの燃費は80Lとなる。
最高記録の坂井上飛曹が67L、ベテランで80〜85Lなんだからおかしな数値ではないのかもしれない。
だがデータ算出時の搭乗員が坂井上飛曹ほどの練度だとしたら848L÷67=12.6時間飛行し巡航速力は1891浬÷12.6時間=150ノットとなってしまう。
1時間80Lで巡航180ノットなんだろうか?
それとも1時間67Lで巡航150ノットなんだろうか?
そもそも最初から最後まで同じ巡航速力で飛行するのであろうか?
経済的な巡航は速力の制御ではなくエンジン回転数の制御が重要であろう。
だとすれば燃料を消費すると機体重量が軽くなるので相対的に巡航速度は向上する。
これに「増槽使用時は空気抵抗で速力が20%低下」が加わってくる。
それだけではない。
燃料を全て巡航飛行で使用できる訳ではないのだ。
離陸時と巡航高度までの上昇にだって燃料を食う。
どれくらいだろう。
零戦21型の上昇力は高度6000mまで7分半だ。
離陸と上昇では全力でエンジンを回すとして全力時の燃料消費量は?
坂井上飛曹は「大空のサムライ」で全力時の燃料消費を巡航時の4倍と記述している。
機種は違うが烈風の場合3.6倍だ。
とりあえず4倍としておこう。
だがどの巡航の4倍?
巡航の燃費は練度、高度で変化する。
坂井上飛曹の67Lを基準とするなら7分半の全力飛行で消費する燃料は33Lだ。
848L−33=815L
815÷67=12.1時間
1891浬÷12.1=156ノット
う〜ん?
離陸や上昇で消費する燃料はそれほど多く無い様だし巡航180ノット、航続1891浬、1時間当たりの燃費80Lで割り切っちゃった方が良さそうである。
ちなみに戦前や大戦前半に開発された日本海軍航空機では航続力が距離で明記されているが大戦後半に開発された航空機や試作機、計画機では距離でなく全力0.5時間+巡航2時間などの形式で航続力が記述されているケースが多い。
全力時の燃料消費は概ね巡航時の3.5〜4倍なので上記の表記に巡航速力が併記されていればおよその航続距離は算出できる。
さてこれらの記述では全力がいつも0.5時間なのだがどうやら日本海軍では戦闘行動に要する時間をほぼ0.5時間(30分)と見積もっていたらしい。
開戦前、3空飛行長の柴田中佐は第11航空艦隊に意見具申(森史朗著「日本海軍戦闘機隊1」197頁参照)したがこの時、「空戦全力20分間以内で引き上げる事に計画すれば帰投の航続距離を約100浬延長する事ができる」としている。
全力飛行で10分の短縮は巡航40分に相当する。
巡航速力を180ノットとした場合で120浬、157ノットとした場合で104浬なので「なるほどなあ」と思う。
攻撃距離の算出を[4283]では航続距離から搭乗員練度の修正をし「往きで1/3、攻撃で1/3、帰りで1/3燃料を消費」し10%のマージンを取らせるとした。
だが攻撃での燃料消費を抑えれば往復の巡航に燃料が使えるので攻撃距離は伸びる。
マリアナ沖海戦で米海軍が「予定外の長距離攻撃」を敢行し多くの損害を出しながらも空母に帰り着く航空機があり得たのも「攻撃で予定より燃料を消費しなかった機体」と考えられよう。
(練度の相違により燃費が大きく変わったせいでもあると思うが。)
いずれにせよ「どの様な戦いが繰り広げられるか」は出撃前には判らないので「攻撃に使う燃料は少なくて良いから攻撃距離を伸ばそう。」と言うのは「ありえない話」ではないがかなり危険な発想だと言える。

なお攻撃距離の算出を航続距離−>練度による修正÷3(これに10%のマージン)ではなく(燃料搭載量−攻撃時燃料消費)÷巡航時燃料消費÷2でデータ化しようと思った事もあった。
でも燃料搭載量と巡航速力が不明な機体(外国の物)が多かったので今回は止めた。

ちなみに零戦21型の燃費はリッター4.1kmだがM4A3E8(シャーマン)中戦車の燃費はリッター0.1km、戦艦大和は約0.002kmである。
大和の燃料搭載量は6300t、重油が比重を0.9なので7000kリットルとなる。
航続距離が7200浬なので13334km。
13334000÷7000000=0.19(切り上げて2m)
1リットルの重油で大和を2m動かせる事を「すげえなあ」と思うか「大食らいだなあ」と思うかは人それぞれである。

[4288] ちょっと改訂 投稿者:阿部隆史 投稿日:2004/11/23(Tue) 18:53  
マリアナ沖海戦研究家の川崎氏より「1944年6月19日の第1航空戦隊第1次攻撃隊では攻撃隊発艦時刻=1番機発艦時刻」との御指摘を受けた。
となると空中集合に必要な時間は僕の計算(攻撃隊発艦時刻=最終機発艦時刻:空中集合に使用した時間を20分と推定)よりだいぶ短くなる。
よって空中集合のロスは当初、考えていた80、60、40浬の3段階切替より少なく改訂する事にした。
もともと空中集合は大戦末期の日本軍を基準にしていたので大戦前半期に適用するときつめだったから今度は40、30、20浬にしてみようと考えている。

[4287] Re[4283]: 空中集合 投稿者:プラモ派 投稿日:2004/11/20(Sat) 11:45  
> また台南空では更に燃費が向上して80〜85L/hとなり最高記録では67L/h(坂井三郎上飛曹)に達した。
> 恐らく一般的な搭乗員の場合、100L前後となろう。

とっても面白い話で興味シンシンです。飛行機と言ってもクルマとあまり変わらないんですね。
昔、僕と友人は同じセリカに乗ってましたが同じ時に満タンにしても結構、ガソリンの減り方が違いました。
ひとつお願いなんですが零戦の燃費を1時間あたりじゃなくリッター当たりで教えてもらえませんか?そうじゃないとピンとこないものでして。

[4286] Re[4285]: 改善要望 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2004/11/19(Fri) 15:37  
> 太平洋戦記2についての改善要望はこちらに書いてもいいのですか?

当掲示板では要望は受け付けておりません。
要望は弊社宛にメールにて御送付下さい。

[4285] 改善要望 投稿者:FFF 投稿日:2004/11/19(Fri) 14:17  
太平洋戦記2についての改善要望はこちらに書いてもいいのですか?

[4284] 旋回能力とは 投稿者:ひよっこパイロット 投稿日:2004/11/19(Fri) 07:59  
初めてメールいたします。「ひよっこパイロット」といいます。
皆さんほど戦史・ゲームには詳しくありませんが宜しくお願いします。
さて空母戦記2では航空機の性能に初めて旋回能力が追加されましたが、具体的に空中戦でどのような効果があるのでしょうか。計算方法等教えていただけませんでしょうか。

[4283] 空中集合 投稿者:阿部隆史 投稿日:2004/11/18(Thu) 22:14  
それでは空中集合について述べよう。

編隊を組む必要性:
単機で行動するのであれば迷子になる機体(洋上航法のできない単座機であればなおさらである。)が続出する。
しかしあまりにも編隊が大きくなるとこれまた迷子が多発(当時の航空機は通信能力が低く場合によっては編隊内通信を有視界の黒板通信や手旗に頼っていた。)してしまう。
よって編隊には適正サイズがある。
また空中集合は意外と困難をきたす。
マリアナ沖海戦に際し日本海軍第2航空戦隊(隼鷹、飛鷹、龍鳳)から発進した第1次攻撃隊の場合、当初予定していた艦戦17、爆戦25、天山7:合計49機の空中集合に失敗し艦戦4、爆戦16:合計20機は別行動をとっている。

空中集合のロス:
戦史叢書「ミッドウェー」348頁をみると飛龍の第1次攻撃隊(24機)の発艦所要時間は4分である。
よって1機あたり10秒となる。
また同書では最終機発艦時刻をもって「攻撃隊発艦時刻」としている。
よって恐らく日本海軍では最終機発艦時刻=攻撃隊発艦時刻なのであろう。
それでは空中集合した場合、どれだけのロスが生じるのであろうか?
これには攻撃隊の攻撃隊発艦時刻と攻撃隊進撃開始時刻の差を見れば良い。
戦史叢書によれば大規模な空中集合をした真珠湾奇襲の第1次攻撃隊と第2次攻撃隊、ミッドウェー海戦のミッドウェー島攻撃隊の空中集合所要時間は全て15分だ。
一方、横谷英暁著「マリアナ沖海戦」だと1航戦の第1次攻撃隊が20分、2航戦の第1次攻撃隊は15分(失敗して機数の40%が分離行動)となっている。
よってベテラン揃いの開戦時ならともかく20分以上は必要だと考えられる。
マリアナ沖海戦で主力となった彗星11型の巡航速力(海軍航空教範)は230ノット。
よって20分のロスは76浬に相当する。
僕が空母戦記2で空中集合のロスを80浬とした根拠はここにある。
でも開戦時を基準とするなら99式艦爆の巡航速力は150ノット(戦史叢書「ミッドウェー海戦」)だし集合時間も1/4時間だから37.5浬で良い。
つまり今回導入される空中集合3段階の「40浬」だ。
まあ切り替え式なのでお好きな状況でプレイして頂きたい。
また集合編隊規模も3段階の切り替えとなっている。

航続距離:
さて航続距離によって最大攻撃距離が決まるのは簡単に御理解頂けよう。
そこで「航続距離とは如何なる数値か?」を考えて見なければならない。
航空機は燃料を消費して飛行するので当然の事だが航続距離は燃料搭載量と燃費と巡航速度で決定される。
これら3要素のうち燃料搭載量は一定(資料によって多少の差はある)だが燃費は搭乗員の技量によって大きく変化する。
例えば零戦21型だが森史朗著「海軍戦闘機隊1」によれば中国戦線では125L/hだった燃費が1ヶ月の訓練によって115L/hに向上されている。
また台南空では更に燃費が向上して80〜85L/hとなり最高記録では67L/h(坂井三郎上飛曹)に達した。
恐らく一般的な搭乗員の場合、100L前後となろう。
よって最高記録を基準とした場合、台南空のベテラン達で航続力は83〜78%、一般的搭乗員では67%に航続距離は減少する。
もうひとつ例を挙げよう。
海軍航空教範60頁では97式艦攻の航続距離を1231浬としている。
だがこれはどうやら偵察時らしく80頁では実用実験値1080浬となっており、しかもそれは「技量特に優秀なる者の成績」で「技量優秀なる者」だと700浬、「艦隊一般搭乗員」になると650浬、「技量未熟なる者」では600浬としている。
1/3の燃料で往き1/3の燃料で戦い1/3の燃料で帰るのなら最大攻撃距離は技量優秀で230浬、未熟で200浬だ。
でもこれは「帰投時に燃料タンクがカラッケツ」の状態を前提としているのであまり実際的とは言えない。
10%程度のマージンを考えると最大攻撃距離は一般搭乗員で約200浬となる。
よって空母戦記2では航続距離1080浬の97式艦攻の最大攻撃距離を200浬としてデータ化しその他の航空機も一般搭乗員の航続距離/3(すなわちカタログ値の航続距離の19%前後)を最大攻撃距離の基準とした。
航続距離1000浬未満の機体については若干多く、1500浬以上の機体に少なく設定しておりゲームバランス上、問題となる機体についてはもっと多くの修正をかけているがだいたいの目安として頂きたい。

攻撃距離:
空母からの攻撃距離を戦史叢書「ハワイ作戦」181頁では260浬としているが戦史叢書「ミッドウェー海戦」145頁では250浬としており戦史叢書「海軍航空概史」201頁では大略200浬としている。
つまり200〜260浬位であり「はっきりとは決まっていない」のが実状の様だ。
米軍の場合はどうであろうか?
マリアナ沖海戦で日本海軍が大鳳、翔鶴を失った翌日、米艦隊は薄暮攻撃を敢行したが当初、攻撃距離220浬の情報によって攻撃隊を発進させた。
これは当時の米海軍にとって「ギリギリの距離」(ディクソン海戦史)らしい。
しかし攻撃隊発進後、日本艦隊は「更に60浬遠方」である事が判明する。
にも関わらず攻撃中止命令は発せられなかった。
しかもディクソン海戦史だと「実際の距離は300浬」だったらしい。
かなり無茶な話である。
第58機動部隊を率いるミッチャー提督もかなりヤバイと思ったらしく攻撃隊の帰路を短縮する為、全艦隊を日本艦隊方面へ進撃させたがそれでも攻撃隊の帰路は240〜298浬に及んだ。
帰路に差がでたのは攻撃隊各機の攻撃時刻がまちまちだったので帰投時刻もバラバラになり母艦の位置が随時変化した為である。
もっと長く飛行した機体は往復で約600浬飛行した事になる。
SB2C1型の航続距離は爆弾満載時で964浬(1786km)、SBD5型は969浬(1795km)だから理論的には攻撃可能と言えよう。
ちなみにこの攻撃にはF6F艦戦85機、TBF艦攻54機、SB2C艦爆51機、SBD艦爆26機の合計216機が投入された。
そして結果としては戦闘で20機が失われたのに対し帰投時の不時着/事故が80機(横谷著「マリアナ沖海戦」の数値:「太平洋戦争海戦ガイド」では70機、「アメリカ海軍機動部隊」では73機)にものぼったのである。
すなわち出撃機数の37%(搭乗員の大部分は救助されたが)だ。
この攻撃は「これまで220浬が最大攻撃圏内」と思われていた「米海軍の常識」を覆した作戦でありマリアナ沖海戦は米海軍にとっても「長距離航空攻撃の限界」に挑戦する戦いとなった事が窺える。

と言った上記の事由により空母戦記2の攻撃距離はデータ化された。
実際の攻撃距離と若干、相違が見られるが「日米とも平等に相違」しているのでほぼ大丈夫だと考えている。

[4282] 大修理について 投稿者:C物品 投稿日:2004/11/14(Sun) 19:12  
 前回お話のあった海軍艦艇の修理につきましては、乗員が日常的に行う修理と工廠等が行う大修理があり、海軍の場合特定修理(大修理)では8500t〜10000tの巡洋艦で事前準備から工事後の諸検査完了までほぼ1年(入渠期間は2回、約2.5ヶ月)が工事期間の標準となっておりますが、大戦中に修理を理由として一年間戦列を離れた巡洋艦以上の大型艦艇がないと記憶しておりますので、実際にはこの標準は使われいなかったのではないかと考えられますので、ゲームを作る上において入渠を伴う大修理を想定していないことは正しいと考えます。ほかにご存知の方はご指導ください。

[4281] Re[4280]: 空中集合 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2004/11/14(Sun) 09:38  
> そうそう、GS公式サイトのトップ頁訪問者カウンタの調子が悪いようです。

アクセスカウンタを一時停止いたしました。
お知らせいただき、ありがとうございます。

[4280] 空中集合 投稿者:パエッタ提督 投稿日:2004/11/14(Sun) 01:31  
横から失礼します。

そもそも日本海軍だって大規模な空中集合を実施した海戦なんて殆どないですよね。
手元にゴードン・W・プランゲの『トラトラトラ』があったので見てみましたが、6隻の空母から二派合わせて350機を吐き出すのに約1時間半かかったそうです。
全機まとめる為には最初に飛び立った機体は一時間半も母艦の周りをウロウロしていなければならず、これは時間と燃料の浪費に見えます。だからこそ攻撃隊を二派に分けたのでしょうけど。

また、編隊長が掌握できる機数にも限界があるのではないでしょうか。
真珠湾では各隊は概ね50〜40機程度(第二派の急降下爆撃隊のみ78機)の集団を構成しており、大体この辺が限界だったのかなあと思っています。根拠は無いですが(笑

空中で編隊を組むのだってそれなりの手間や技量が要りますし、真珠湾作戦より多数の航空機を擁したマリアナ沖海戦では真珠湾より小規模な集団を多数編制していたように記憶しています。
もっとも、マリアナ戦の場合、取敢えず発見した目標全てに攻撃隊を割り振る必要があったので同一条件とは言い難いですが。

阿部社長もこの辺りのことを総合的に勘案して「空中集合は50機まで」というルールを設定したのだと思います。
例外は幾らでも有るでしょうが、何処かで割り切って数値化しないときりが無いでしょうから。


という訳でダラダラと纏まりの無い文章を書き込んでしまいました。
確かに発売延期は残念ですが、待つのもまた楽しみと考え、まったりと年を越そうと思います(笑
そうそう、GS公式サイトのトップ頁訪問者カウンタの調子が悪いようです。一回のアクセスで数十から百以上のカウントをしているように見えます。

http://www.geocities.jp/adm_paetta/


[4279] Re[4278]: 空母戦記2 (要望じゃないですよ。) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2004/11/13(Sat) 22:19  
>  以前にも空中集合の可否の質問したものですが、今作では出来るようになるとのことですが、航続距離等の制限(機数はゲーム上やむ
> をえないとは思いますが)がきついように感じました。

心配しなくても大丈夫。
航続距離の減少量はオプションで3段階の切り替え式にしてあるから。
デフォルトは80海里の減少だけど60海里や40海里にもできる。

>実際のとこはどうだったんでしょうか?史実では日本は複数の空母からの攻撃が多かったはずですが編隊組むための航続距離減少を見込んで攻撃距離をとるというような艦隊行動してたんでしょうか?

そりゃしてただろう。
だって集合編隊を組むのには時間がかかるし時間がかかれば燃料は消費しちゃうもの。

>ついでに米海軍は?とか。だんだん広がりすぎてすみません。)

米軍は空母毎どころか場合によっては飛行隊単位で出撃させてた。
ミッドウェー海戦なんかでね。

僕が空中集合のデメリットについて思うのは前に源田氏と面談した時、「なんで戦艦に将旗を置かなかったんですか?」と聞いたら「実際に掌握できるのは自分が乗っている空母の搭乗員だけだ。」と答えられた事が大きい。
通信機能で優位にあった米海軍ですら大戦末期まで空中集合させてないし。

[4278] 空母戦記2 (要望じゃないですよ。) 投稿者:GS大ファン 投稿日:2004/11/13(Sat) 09:32  
発売延期は残念ですが、もちろん完成度が高い方がいいのはいうま
でもないので、あせらずがんばって下さい。その上で質問(要望じゃ
ないですよ、念のため)というかお考えを聞きたいのですが。
 以前にも空中集合の可否の質問したものですが、今作では出来るようになるとのことですが、航続距離等の制限(機数はゲーム上やむ
をえないとは思いますが)がきついように感じました。(この掲示板に載ったルールのことです)阿部さんは空中集合には否定的?って感じが。実際のとこはどうだったんでしょうか?史実では日本は複数の空母からの攻撃が多かったはずですが編隊組むための航続距離減少を見込んで攻撃距離をとるというような艦隊行動してたんでしょうか?
(そもそも攻撃距離ってどう計算?してたんでしょうか、後半はアウトレンジになっていくからかなり重要な要素思えるんですが)
ちょっとうまくまとまりませんでしたが、そのあたりの情報等あれば
余裕あるときにでも教えて下さい。(ついでに米海軍は?とか。だんだん広がりすぎてすみません。)

[4277] Re[4276]: 南方遅滞の占領方法について 投稿者:ハルトマン 投稿日:2004/11/12(Fri) 23:54  
> 皆さんはそれ以外に多数点在する南方拠点(西はジャワ、スマトラ島〜東はチモール島のクーパン、北はレイテ島〜バリクパパン当り)につき、どのような攻略法をとられているのでしょうか。

こんにちは、ひろサン。私の場合、作戦コマンド40回で初期設定していましたが、開戦劈頭は、戦闘・部隊移動とかなり綿密に計画を立て、プレーした記憶があります。
 グランドマップに記した、当初の進攻計画によれば、海軍では、呉の戦艦群(伊勢・日向・扶桑・山城)は香港・シンガポールの攻撃支援、そして内地帰還の際にバターン・ミンドロの砲撃支援 。(長門・陸奥)は残存艦隊と大阪からの多分16師団?90部隊の輸送船団と共にレスカピ・レイテを目指しました。呉からの艦隊の次の終結地は、パラオから攻め落としたダバオです。
 その他の2・3艦隊は所期作戦完了後一応広東に集結・38師団?90部隊を後詰に次期作戦準備(ジャワかリンガ又はアンボン)となります。第一航空艦隊はウエークを空襲、史実通り内地帰還後ラバウル方面から時計廻りに、リンガまで支援攻撃でした(ラバウル攻略は1月中がポイントかと)。
 陸軍は兎に角、シンガポール攻略の後、ビルマへ転進何とかマンダレー以北まで5月前に進攻することが重要かと、15軍(ビルマ戦線)の増強は、上海からの33師団90部隊。福岡の師団90部隊はフィリピンへ。朝鮮の2個師団180部隊はブルネイ経由のパグりパパン。北海道7師団1個旅団と東京1個旅団で120部隊はトラック経由南洋諸島進攻。仙台第2師団と名古屋の師団180部隊はダバオ経由セレべス島進攻へと計画しました。セレベス島とチモール島は出来るだけ早く攻略することをお勧めします(連合軍の空軍展開が早いから)。
 
 反省は、クチン・ブルネイを航空制圧した後は、セレベス島とチモール島に早く進攻して飛行場を確保するべきでした。特にこの場合空挺部隊が活躍出来たと思います(3次元の戦争に頭がついていかなかった)。

 史実の開戦劈頭の日本軍の進攻速度は、まさに戦争芸術です。戦争の職人が何人もいたとしか思えません。これを「戦記2」で追体験なかなか難易度高いです。頑張ってください。 

[4276] 南方遅滞の占領方法について 投稿者:ひろ 投稿日:2004/11/11(Thu) 22:27  
現在キャンペーン標準でプレイしております。何度かやっていますが、第2.3艦隊や朝鮮半島の二個師団でルソン島を占領。また北京や本土の師団をタイへ輸送してシンガポールを占領するよう侵攻中です。ところで、皆さんはそれ以外に多数点在する南方拠点(西はジャワ、スマトラ島〜東はチモール島のクーパン、北はレイテ島〜バリクパパン当り)につき、どのような攻略法をとられているのでしょうか。因みに私はハワイ空襲後にウエーキ、タラワ、ガダルカナル占領支援を行った南雲機動部隊に随時艦爆を補充しつつ、陣地破壊等の支援を行っていますが、なんとも時間がかかってしまい、また三月からは天候が極端に悪化することから攻略がなかなか進まず…。なお呉に停泊していた戦艦部隊を陣地破壊に用いたこともありましたが、燃料弾薬の消費が激しく、虎の子の機動部隊の燃料にも影響が出る状態です。

[4275] 二回目キャンペーンプレイ中です 投稿者:うらマッハ 投稿日:2004/11/11(Thu) 21:16  
「太平洋戦記2」二回目プレイ中です。1ターンプレイするのに10分以上かかるので、まだ当分楽しめます。
今、1942年5月ころです。タラワにニューカレドニア発の戦艦部隊がしょっちゅう砲撃にやってきます。メジュロから97式艦攻がとどくのですが、一度の攻撃で100機くらい撃墜されるので、いまのところ数をそろえるために空襲は見合わしています。すでに海軍爆撃機の練度は60ほどに減っています。

今回は、対艦水平爆撃命中率0.6倍、未発見ルールON、迎撃機の空中退避ON、機動力変動OFF、魚雷の不発OFF、日本潜水艦の騒音OFF、タイ陸軍編入ON、でプレイしています。

エディタもちょっとだけ使いました。新潟のボーキサイト産出量を1にしました。印蘭のボーキサイトを急いで確保したくなりました。
それと旭川の人造石油の生産力を999にしました。これでドイツから技術援助されたとき嬉しくなります。ただちょっとズルイ気がしたので、銚子と鹿児島にある原油を0にしました。とにかく、燃料は印蘭から手に入れないといけないようです。

今回はキ91の重点開発はやめておくつもりです。空母の数をそろえて太平洋の敵根拠地の航空隊と消耗戦をやろうと思います。1944年3月ころまでに蒼龍型を24隻ほど用意する予定です。雲龍のほうがリアルな気もしますが。前回は蒼龍型18隻を用意できたので、24隻くらいならいけそうです。
それと大陸打通作戦を実行することにしています。上海あたりが軍港として賑わいそうで楽しみです。

[4274] 発言削除のお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2004/11/11(Thu) 11:28  
発言[4271]は当掲示板の注意事項(5)
「暴言や卑猥な表現等、公序良俗に反すると判断される発言」
に該当するため削除いたしました。

[4273] Re[4272]: 二式艦偵 投稿者:阿部隆史 投稿日:2004/11/11(Thu) 11:14  
> 二式艦偵と彗星ではどこら辺が違い、どれくらい生産の
> 手間がちがったのでしょうか?

後に彗星となった13試艦爆は1940年11月に完成した。
しかし5機製造された試作機は様々な問題を抱えており中でも5号機は強度不足から空中分解してしまった。
でも速力だけはめっぽう速かった。
そこで試作3,4号機がミッドウェー海戦で偵察機として使用された。
強度が不足してるから急降下爆撃はできないけど高速でまっすぐ飛ぶだけなら「これでも充分」と考えられたからである。
これが1942年7月に制式化された2式艦偵だ。
つまり2式艦偵は「欠陥機の廃物利用」なのである。
その後、13試艦爆は色々と改良され1943年12月に彗星として制式化された訳だ。
彗星と2式艦偵で構造がどう違うかと言うと機体強度以外では2式艦偵は爆弾を積まないから本来、爆弾倉であった所に偵察機材を付け燃料を増載しているだけだ。
僕としても「同じ水冷エンジンを装備している彗星や3式戦が工数3なんだから2式艦偵も3かな」と思ったんだけど「機体強度が充分でない欠陥機なんだから2でいいかな」と思って2にしてしまった。
よって「2式艦偵も3が妥当じゃないか?」と問われると「それもそうだ。」とも思う。
はっきり言って自信がない。
よって「欠陥機とは言え生産にそれだけ手間がかかるはずだ。重要なのは機体の生産じゃなくエンジンなんだから。」と思われる方はエディターを使用してデータを書き替える事をお勧めする。

[4272] 二式艦偵 投稿者:K−2 投稿日:2004/11/10(Wed) 22:07  
今日、太平洋戦記2をプレイしていて気になったのですが
(と言うか、今日初めて気が付いたのですが)
二式艦偵は生産に必要な工数が2なんですが、
二式艦偵を艦爆化した彗星11型は工数が3なんですね。
二式艦偵と彗星ではどこら辺が違い、どれくらい生産の
手間がちがったのでしょうか?

[4270] Re[4266][4265]: なかなか進まなくて・・・。 投稿者:シン 投稿日:2004/11/10(Wed) 12:24  
ご教授ありがとうございます。

50〜60ヶ月も整備をしないなんて、ちっとも知りませんでした。
勉強になり、また『太平洋戦記2』でも整備期間の縛りが要らない
ので、これから半年間は大暴れさせていただきます。

また、バルチック艦隊の過載積も原因の一つだったというお話も、
全く知らなかったので、目からウロコでした。

ありがとうございました。これからも、よろしくお願いします。


[4269] 沖縄奪回作戦 投稿者:洛陽不覚 投稿日:2004/11/09(Tue) 22:53  
 皆様、こんばんは。洛陽不覚です。
「空母戦記2」の開発難航は残念ですが、「太平洋戦記2」もまだまだ遊べるので楽しみにさせていただきます。

>まつかぜさん
 おひさしぶりです。私も最初はリロードしまくりプレイでした(笑)。
 そのおかげで、今はノーリロードに挑戦しようという気になったので意味はあったかな、と勝手に納得しています。

 さて、私のプレイするマリアナ海戦後の1944年10月、海上兵力については残存戦艦はドック入りしている大和と武蔵を残すのみとなりました。
 空母は健在ですが、相変わらす瑞鶴と翔鶴に航空機に補充するのがやっとです。9月末に待望のボーキサイト輸送船団が新潟に入港し、アルミの生産が始まったのですが、それに続く第2次ボーキサイト輸送船団は補給のため佐世保に入港しようとしたところで潜水艦の待ち伏せにあい、護衛の海防艦数隻とともに約6万トンのボーキサイトが失われました(一緒に輸送していた原油2万トンも失われました)。
 大陸方面では4式重爆の活躍でなんとか中国軍を和平交渉の席に着かせることに成功しました。資源確保をめざして継戦するか、それともビルマ、太平洋、満州方面の防衛強化の兵力確保のために中国戦線を整理すべきか悩みましたが、ここは和平を選択し、中国各所に展開する日本軍は、ビルマへ、満州へと移動することになりました。
 その結果、増援を受けたビルマ戦線は安定してきたのですが、中国方面に戦力が集中している間に中部太平洋方面はトラックが陥落、B29はサイパン、硫黄島方面にも跳梁跋扈し、飛行場はことごとく爆撃を受ける状態となりました。
 これに加え航空機生産が停滞していたため哨戒機が十分に確保できず、その哨戒圏の隙をついて米上陸部隊が沖縄に奇襲上陸を敢行してきました。
 本来なら3個歩兵師団がいた沖縄ですが、ビルマとサイパンの防衛に転用していたのでこのときには1個連隊しか駐留しておらず、またあまりの出来事に指揮系統も混乱(要するにコマンド入力ミス)したため日本軍は抵抗することなく降伏してしまいました。ノーリロードだとこういうとき辛いです(苦笑)。
 現在、中国方面から佐世保に撤収した4式重爆と、釜山まで移動してきた3個歩兵師団に本土に貯まっていた新型戦車(4式中戦車約80両)を加え、沖縄奪回作戦を敢行すべく準備中です(ただし部隊輸送のため資源輸送用の商船が不足してこれまた悩みのタネです)。
 また背に腹は代えられないので、再建中の空母機動部隊の中核である瑞鶴・翔鶴の2隻も沖縄近海に展開し、現在、沖縄の米陸上部隊への空襲も敢行しています。
 史実ならレイテ沖海戦の頃ですが、なかなか厳しい戦いが続いています。
 しかし、また同時にこの困難な状況をどう乗り越えるか、知恵を絞るというのが「太平洋戦記2」のおもしろさなのかなぁ、とも思います。
 せめて1945年8月第5ターン前の降伏だけは避けたいのでがんばります。
 対米講和成立直前、あるいは日本帝国降伏寸前など、皆様プレイしている戦況はいろいろでしょうけどお互いにがんばりましょう!

 洛陽不覚 拝

[4268] 待ちます。 投稿者:koki2600 投稿日:2004/11/09(Tue) 21:42  
太平洋戦記2で、まだ十分楽しんでいます。
リロード繰り返しで、最後までやったら今度は、リロードなしでショートシナリオに挑戦したいです。

それに、あの日露戦争も実際よくやってませんので。
3日間ぐらい仕事休んでじっくりやりたいです。

[4266] Re[4265]: なかなか進まなくて・・・。 投稿者:阿部隆史 投稿日:2004/11/09(Tue) 15:05  
> ふと思ったのですが、艦艇には修理期間が無いのですね。

これって損傷に対する「修理」じゃなくて特に損傷がなくても行う
「定期検査」とか「整備」の事だよね?
うん、太平洋戦記2じゃ導入してない。
聞いた話によると某国のGA隊じゃ1年毎、米海軍だと戦艦で50〜60ヶ月毎だそうな。
GA隊のスパンが短いのは平時を中心に考えているので年度単位で予算化(よって1回の整備時間は短い)している為だそうな。
日本海軍は米軍と同じく「戦時中心」だったんじゃないかと思う。
50ヶ月といえば4年以上だ。
と、なれば「整備」は導入しなくても良いんじゃないかと考えた次第だ。

PS.バルチック艦隊が船体の蛎殻で速力低下をきたしたのはとみに有名だが速力低下の要因には過積載も大きな影響をなした。
ボロジノ型戦艦アリヨールの場合、常備排水量は13516tだが回航中の1905年3月9日に計測した時は16800tに達していた。
これじゃ速力もでなくなる。

[4265] なかなか進まなくて・・・。 投稿者:シン 投稿日:2004/11/09(Tue) 13:00  
太平洋戦記2も、やっと12月第7ターンになりました。

ふと思ったのですが、艦艇には修理期間が無いのですね。
(過去ログを調べたのですが、見落とし既出の話題だったら、
ごめんなさい)

実際には、どうのような運用をされていたのかは不勉強でよく
はわかりませんが、日露戦争時にバルチック艦隊が(艦底等の)
整備ができずに日本海海戦になってしまい速度が出ずに負けた
というのはお話は聞いた事があります。
今も昔も整備は、必要ですよね。
(自分だけの整備期間ルールを導入しようかと思っています。)

また、阿部提督の発売に関しての葛藤のお気持ちが、すっごく
わかります。
新製品が待ち遠しいのは事実ですが、延期をされて太平洋戦記2
を越える最高の作品にされて、世に送りだしていただくほうが
1ファンとしてうれしいです。
ずっとお待ちしています。

[4263] ごぶさたしてます 投稿者:hakjun 投稿日:2004/11/09(Tue) 12:24  
何か大変なようですね。打開策を提案します。
「グロス・ドイッチュラント2」です

ゲーム内容はほとんどそのままでWin版を出しましょう。
そのまま出してもグラフィックがしょぼいと言われそうなので、そこで********を********にするんです。
********を********にすればとりあえず売れますし、コアなユーザーも別に困ることはありません。

資金的な余力を付けてから「グロス・ドイッチュラント3」を出せば世界中に売れます。

[4262] 冬将軍到来 投稿者:阿部隆史 投稿日:2004/11/09(Tue) 09:46  
実の所、ある事情により2004年の発売は無理となった。
正直に言うと「事情」とは「開発の難航」である。
(なぜ難航したかについてはここでは記述しない。)
そして僕は少々、手が空く様になった。
デザイナーはプロジェクトの初期段階(計画立案、設計)と終期段階(デバッグ、バランス調整、校正)では大忙しだがその中間では補助戦力に過ぎないからである。
だから色々な文章を掲示板で書く事ができた訳だ。

僕だって早く発売日を発表したい。
でも目鼻がつかなきゃ発売日を決定できないし決定できなきゃ発表できないのである。
さて、、、いつになるか。
せめて「今冬」は守りたいしそれがダメでも「2004年度」までにはなんとかしたい所だ。

ps.雑誌の記事は「発刊日の2ヶ月前の情報」である。
その時点では「年内には間に合うだろう。」と考えていた。
「開発が難航する」とは予測できなかったからね。
やはりメーカーとして決定した発売日は極力守りたいと思う。
でもバグ騒ぎはもうコリゴリだ。
だったら取材に対しても「さあ?いつになる事やら?」と言い続けていれば良さそうな物だがそれだと向こうが困る。
告知ってのは意外と難しい。

[4261] 発売日 投稿者:ルーク 投稿日:2004/11/09(Tue) 00:40  
空母戦記の「ゲーム概要」に発売日が2004年となっているのが気になっている今日この頃です(笑)
今年も残り少なくなってきましたが、年内の発売となると発売日発表や予約などがもう行われているでしょうから、越年ということになりましょうか。となるとGS社の皆様が正月休みを取れるのかという余計な心配をしてしまいます。

ところで、久しぶりに鋼鉄の対戦をやりたくなってきました。ハンガリーのシナリオをソ連でやってみようかな。車両変更や練度でバランス取れば面白くなるんじゃないかなぁ・・・

[4260] そういえば・・・ 投稿者:さんしきせん 投稿日:2004/11/08(Mon) 22:53  
 歴史群像に今冬発売予定と広告が掲載されてました。

[4259] 気持ちはわかるけど・・・。 投稿者:忍者 投稿日:2004/11/08(Mon) 21:50  
Hさんが言われている気持ちはわかりますが、阿部提督が投稿に時間を割いてもゲーム開発スケジュールは変わらないと思いますよ。
人間同じ仕事ばかりやっていても効率は上がらないし、たまには気分転換も必要。自分もいくつかの仕事を並行して進める時がありますが、一つの仕事で詰まったときには別の時間に余裕のある仕事にちょっと手をだして、気分転換をしつつ効率が落ちないようにしています。

ここは、空母戦記2の発売を待ちつつ、阿部提督の投稿を楽しく読む、という感じでいいと思いますよ。

[4258] Re[4257]: このような投稿に時間をかければ 投稿者:阿部隆史 投稿日:2004/11/08(Mon) 21:44  
うん、確かにべらぼうに時間がかかった。
文章を書いてる時間はともかくリサーチがね...
でもその分、書いた物がプレイヤー諸氏のお役に立てれば幸いと思う。
とりあえず御心配ありがとう。

[4257] このような投稿に時間をかければ 投稿者: 投稿日:2004/11/08(Mon) 20:09  
スタッフがこのような投稿に時間をかければ、その分だけ
ゲームの開発に振り向けられる時間や労力が減ってしまうのではないですか?

特に「4255」など余ほど時間がかかっているはずです。

[4256] 無題 投稿者:ハイホー 投稿日:2004/11/08(Mon) 15:21  
 初めまして。
戦記2を7月に購入して以来、のめり込みっぱなしになっているハイホーと申します。
 現在は大東亜戦争の標準でやってます。(リロードしまくりのヘタレですが)
現在45年の10月で、敵輸送船団ホイホイ用のナウルを除き全拠点制圧しました。
講和はいつでも出来そうな段階まで着ましたが、引き分けの長期戦を狙って
ハワイとダッチハーバーにキ91重爆を計700機、またハワイに呂500を120隻と伊400を
20隻集結させました。
 また、内地では対B36用に各拠点に攻撃部隊約200と震電改200機&夜戦300機
沿岸部には御蔵型を10隻ずつ配備と、考えられる限りの対策を練ったつもりですが、
これだけやっても、引き分けまでもつかが心配です。
 この作戦で、最大のネックはすでに艦隊決戦なんぞないので戦艦やら巡洋艦をどんどんばらして
弾薬工場送りにしているのですが、おそらく絶対的に足りないことかと…。
 それでは、全力を尽くしてきます。

[4255] 英海軍の艦戦(まとめ) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2004/11/06(Sat) 21:28  
英海軍の艦上戦闘機は大きく3系統に区分される。
それは艦載機として開発された複座戦闘機、陸上機を艦載化した単座戦闘機、援英機の米国製単座戦闘機である。
第2次世界大戦に際し空母を保有した国は日英米仏の4カ国であったが複座艦上戦闘機を開発し大規模に運用したのは英海軍のみであった。
ちなみにスキュアは艦爆であったが実質的には複座艦上戦闘機でありフルマー、ファイアフライへと続く複座戦闘機の先駆的存在に位置づけられる。
さて、複座戦闘機が単座戦闘機に比べ決定的に空戦能力が低い事は明白であるが英海軍が他国と異なり複座戦闘機を求めた理由としては以下の3点が考えられる。

1.洋上航法が可能なので攻撃隊の護衛戦闘機として有効である事。
2.上記と同じ理由により偵察機として使用できる事。
3.戦闘爆撃機として有効である事。

ただし1については爆撃機と同行する場合、戦闘機自体に洋上航法能力は必要無いし2についても偵察に回せるだけ充分な数の爆撃機があれば戦闘機を複座化する必要は無い。
3にしても別段、戦闘爆撃機が複座機でなければならない必然性はなく「単に英海軍の複座戦闘機の爆弾搭載力が大きかった」と言うだけだ。
それよりも英海軍が空母機動部隊の防空を戦闘機ではなく高角砲と装甲空母に委ねた事が重要である。
英海軍は6隻の艦隊型空母を保有して第2次世界大戦の勃発を迎え1943年末までに4隻の艦隊型空母を増加させたが同時点までの期間にダイドー型防空巡15隻を竣工(ダイドー型は16隻だが最終艦ダイアデムの竣工は1944年であった)させD型軽巡1隻、C型軽巡8隻を防空巡に改装した。
全ての防空巡が空母機動部隊の護衛に随伴した訳ではないが艦隊型空母10隻に対し防空巡24隻は大変多い。
米海軍の場合、開戦時の保有数7隻に1943年末までの増加数16隻で合計23隻の艦隊型空母に対し同時期の防空巡は6隻に過ぎなかった。
もっとも「新造駆逐艦の全てが防空駆逐艦」であった米海軍に対し英海軍はO型のうち4隻とL型のうち4隻及びP型8隻しか防空駆逐艦を建造しなかったので「英海軍の方が対空火力が強かった」とは言えないのであるが。
いずれにせよ第2次世界大戦勃発時、英海軍の空母が保有する単座戦闘機はシーグラジエーター12機だけであった。
果たして「複座戦闘機では充分な防空力足り得ないから装甲と高角砲を強化したのか?」それとも「装甲と高角砲で充分な防空力になりうるから戦闘機の複座化に進んだのか?」
卵と鶏の先を問うのと同じだが初の装甲空母イラストリアスが1936年度計画によって建造されておりスキュアの開発が試作発注1935年4月、初飛行1937年2月である事を考えると「理論の先行による同時進行形」の様にも見える。
(それを裏付けるかの如くスキュアは試作機の完成前から量産指示が出されている。)

空母は「艦隊の目」であり「一つでも多くの目が欲しい」と言う理屈は判る。
しかし機動力の低下を忍んでまで戦闘機を複座化し搭載機数の低下を忍んでまで空母の飛行甲板を装甲化する意味はどこにあるのであろうか?
私は「単座戦闘機と言えども複座機に随伴すれば洋上飛行できる」と言う「当たり前の事」を英海軍では「当たり前の事」だと考えていなかったのだと思う。

さてそれでは英海軍艦上戦闘機の変遷について解説しよう。
1939年1月の第2次世界大戦勃発時、英海軍は42機の艦上戦闘機を保有していたがそのうちの30機(ロック4、スキュア26)が複座機(全体の71%)であった。
そして1年後の1940年9月には艦上戦闘機78機中、複座機は63機(スキュア33、フルマー30で全体の80%)となる。
しかし複座機の全盛期はここで終わった。
1941年9月には艦上戦闘機129機中、複座機は58機(全機フルマー、44%)となり1942年9月には艦上戦闘機253機中、複座機は64機(全機フルマー、25%)にまで低下した。
更に1943年9月には艦上戦闘機339機中、複座機はたった3機(全機フルマー0.8%)となってしまいもはや複座戦闘機の系列そのものが消滅するかに見えたが翌年はフルマーの後継機ファイアフライの登場によって艦上戦闘機645機中、複座機は38機(全機ファイアフライ5.8%)に盛り返す。
まあ盛り返したと言っても微々たる数で「メーカーに対する申し訳程度」に過ぎない。
最終局面の1945年5月に至ってもこの兆候は変わらず艦上戦闘機826機中、複座機は61機(全てファイアフライ、7%)だけであった。
すなわち「複座機が英海軍艦戦の主力」であったのは1941年までであり以降、急速に単座戦闘機が増えて行く。
ただし単純に複座機が単座機に代わったのではない。
前述の数値を見て頂ければお判りと思うが第2次世界大戦勃発から始まって30機、63機、58機、64機、3機、38機、61機と推移している。
つまり機材更新の過渡期であった1943年から1944年の減少を除けば総数としての変動は少ない。
よって「複座機が減ってその分だけ単座機が増えた」とするのは当たらない。
「空母の数が増えたからその分だけ増えた」と考える事もできる。
だがそれだけでは説明がつかない程、単座戦闘機の増加は顕著だ。
単座戦闘機に取って代わられたのは実は艦攻なのである。
英海軍では元々、艦戦が少なく艦攻が多い。
第2次世界大戦勃発時に保有していた艦上機189機中、艦戦は8.4%、艦爆は13.6%なのに対し艦攻は78%にも及ぶ。
(艦上機数を232機とする資料もあるがこちらだと艦戦7.7%、艦爆7.8%、艦攻84.5%となる。いずれにしてもこれはスキュアを艦爆として見た場合の数値であり艦爆を0%として計算し艦戦に繰り込んだ方が良いかも知れない。)
これを日米海軍と比べて見よう。
日本海軍の場合、開戦時の飛龍が艦戦36%、艦爆31%、艦攻31%、翔鶴が艦戦25%、艦爆37%、艦攻37%で3機種がほぼ均衡している。
その後、若干変動し艦戦が増えて行ったが米英に比べれば均衡が続いた。
一方、米海軍の場合、開戦時のヨークタウンが艦戦23%、艦爆51%、艦攻18%、その他6%で艦爆偏重であったが以降は艦戦の増加が進み南太平洋海戦時のエンタープライズでは艦戦41%、艦爆43%、艦攻15%と極端な艦攻軽視になっていった。
当然ではあるが艦爆の主敵は空母、艦攻の主敵は戦艦である。
ただし空母と言えど装甲空母であれば艦爆より艦攻の方が有効であろう。
つまり装甲空母に主軸を置く英海軍にとっては艦攻が大敵であり装甲空母でない米海軍にとっては艦爆が大敵となる。
米英いずれも「自分にとって大敵となる機種」を主力とした事は興味深い。
この両国が交戦するケースは殆どありえないが両国海軍は仮想敵(つまり日独伊、場合よってはこれに仏)の空母建造方針をどう考えていたのだろうか?
「自分と同じ様に敵も考える」と信じていたのだろうか?
もし日本が翔鶴型から空母の装甲化をはじめていたとしたら?
米海軍の艦爆は無力化していたであろう。
日本が装甲空母を建造しなかったら?
艦攻中心に編制された英海軍艦上機部隊は立つ瀬がなくなる。
(英海軍艦上機部隊が日本海軍の装甲空母を攻撃する事例は存在しなかったが)
まあ「艦爆主体で編制された米空母」と「艦攻主体で編制された英空母」の双方を仮想敵として意識せねばならなかった訳だから日本海軍が均衡思想に落ち着いた理由もなんだか判る様な気がする。
ありえそうな話ではないが米英の空母機動部隊が戦ったらどうなるのだろう?
米海軍が用意した艦爆の大群は英海軍の装甲空母に有効な打撃を与えられずさりとて艦攻はほんの少ししかない。
英海軍だってせっかく用意した艦攻の相手が装甲の無い空母では...
恐らく双方とも有効打を浴びせられず空母はその真価を発揮できないだろう。
米海軍が艦攻、英海軍が艦爆を主力とすればブラッディな戦いになると考えられるが。

さて、話を戻そう。
英海軍の空母搭載機は異様に艦攻が多く次第にこれが単座戦闘機に代えられていった。
理由は艦隊の上空直衛能力を増す為である。
その理由は何か?
地中海とバレンツ海で枢軸側航空機による艦船被害が激増した為だ。
ソ連に向かう船団にとってノルウェーのドイツ空軍は脅威でありマルタへ向かう船団にとっても地中海沿岸の枢軸側空軍は恐るべき相手であった。
つまり英海軍にとって艦隊直衛能力の増強が焦眉の急となったのは地中海での戦いが激化(クレタの陥落によって焦点がマルタに移る)し独ソ戦が勃発した1941年6月以降と言う事になる。
これを裏付けるかの様に開戦後、2年間に渡って英海軍は単座艦戦を増勢させていない。
当初、戦闘機を搭載していなかったイーグルにシーグラジエーターを搭載(たった3機だけ。それも搭乗員は艦攻乗り。)したりバレンツ海にCAM船を投入したりしてお茶を濁している。
だが1941年に装甲空母のイラストリアスやフォーミタブルがドイツ空軍機によって大破した事がよほどつらかったのだろう。
打開策が「一刻も早く高性能の単座艦戦を開発する事」と「空母の新造を急ぐ事」ならびに「空母の単座戦闘機搭載数を増やす事」に尽きるのは明白である。
よって3年目の1942年9月時では単座艦戦が激増するに至った。
もっともいきなり単座艦戦を増やそうとしてもそう簡単に問屋は卸さない。
もはや戦時中なのだから「高性能の単座艦戦」を独自に開発するのは無理だ。
やむなく当座は英空軍の陸上機を改造した暫定的単座艦戦か米国製の輸入品(援英機)に頼る事になる。
(英海軍が「独自の単座艦戦開発」を諦めた訳ではない。後述する。)
かくして英海軍の単座艦戦はシーグラジエーターからシーハリケーン、シーファイアへと続く「英空軍改造機の系列」とマートレット(F4F)、コルセア(F4U)、ガネット(F6F)からなる「援英機の系列」に分化した。
これらのうちもっとも大きな影響をなしたのはコルセアであろう。
1940年に試作機が初飛行したコルセアは1941年6月に制式化されたものの特異な形態から実用化に遅れ量産型が完成は1942年6月まで遅れた。
しかも同年9月に行われた米空母の着艦テストでは艦戦としては不適と判断され海兵隊の陸上機として配備されたのである。
だが英海軍は性能の高いコルセアを艦戦として運用する事を諦めず1943年6月からはイラストリアスへ搭載されるに至った。
英海軍のコルセア艦載化に影響された米海軍もこれを追随したが米空母のコルセア搭載は1945年(艦載の再テストは1944年4月に実施)まで遅れた。
なおコルセアは単に高性能な戦闘機であっただけではなく爆弾搭載量が大きかったので戦闘爆撃機としても有力であった。
コルセアの登場まで英海軍空母の攻撃力は艦攻と複座艦戦に委ねられていたが以降は単座艦戦でも大きな攻撃力となったのである。
かくしてコルセアは単座艦戦の福音であると共に複座艦戦衰退及び艦攻減少の引き金ともなった。
ただしコルセアにも欠点があった。
巨大な解放式格納庫の米空母を対象として設計されていた為、主翼を折畳むと翼端が天井につかえてしまうのである。
よって英海軍向けのコルセアでは翼端を若干、短縮せねばならずそれでもまだ天井の低いインプラカブルとインディファティガブルには搭載できなかった。
またインドミタブルの場合は下段格納庫にしか搭載できない。

さてここで英海軍に於ける単座艦戦と複座艦戦をもう一度比較して見よう。
まず当初の考えだが単座艦戦は防御的兵器、複座艦戦は攻撃的兵器であった。
艦隊の上空直衛専任の単座艦戦に対し複座艦戦は洋上航法できるので攻撃隊の護衛に使用できたからである。
それでは交戦対象について考えて見よう。
空母機動部隊同士の艦隊戦で直接、艦船に攻撃を加えるのは艦攻、艦爆(もしくは爆弾を搭載した戦闘機、以降で艦爆と表記する場合は戦闘爆撃機も含める)である。
よって直衛戦闘機が敵の艦攻、艦爆を撃滅したならばいくら敵の戦闘機が襲ってこようとさして問題にはならない。
すなわち直衛戦闘機は攻撃隊の艦攻、艦爆を撃退するのが主任務(敵の護衛戦闘機と戦うのは副次的任務に過ぎない)であり攻撃隊の護衛戦闘機は直衛戦闘機から艦攻、艦爆を守るのが主任務(目標となる敵艦隊上空に敵の艦攻、艦爆が存在するケースはあまりない。)となる。
戦闘機と戦闘機が戦うには機動力の優劣が重要な要素となるのは明白だ。
つまり直衛戦闘機と戦う護衛戦闘機には機動力が要求されるのだが複座艦戦は機動力で単座艦戦に優るのであろうか?
答えは否である。
優るどころか極端に劣ってると言えよう。
結論として「複座艦戦は護衛戦闘機として不適」となる。
それでもなお英海軍が複座艦戦に執着した理由は何処にあるのだろう。
複座艦戦でなければ護衛任務をこなせないと誤解しつづけたのであろうか?
はたまた偵察機に空戦能力を持たせたかったのであろうか?
いずれにしても艦爆や艦攻と同一行動を取るのなら単座艦戦で充分な護衛任務が果たせる事を零戦やF4Fが実証し単座艦戦が戦闘爆撃機として優秀な事をコルセアが実証した。
やむなく英海軍もこれに追随し多数の単座艦戦を空母へ搭載するに至ったが「英海軍独自の単座艦戦」を開発する計画は無かったのであろうか?
ある。
複座艦戦を量産した世界唯一(と言っても空母保有国自体、他に日米仏しかないが)の英海軍であったが「まったく単座艦戦を無視」していた訳ではなかった。
1940年に開発着手されながら第2次世界大戦に間に合わなかったファイアブランドは英海軍初にして最後の「英海軍独自の単座艦戦」であった。
なおファイアブランドは当初、直衛専用の単座艦戦として開発(1940年なのだから当然である)されていたが1942年2月27日の試作機発飛行後、同年夏から攻撃にも使用できる単座艦戦に方針が変更された。
だが護衛任務に従事する艦戦としてではない。
なんと自機が魚雷を搭載する「雷撃戦闘機」としてである。
この雷撃戦闘機型(2型)は1943年3月に初飛行したが装備している水冷エンジンが供給不足に陥った為、急遽空冷エンジン装備の3型が開発(1943年12月初飛行)され更にダイブブレーキを装備し急降下爆撃が可能な4型がこれに続いた。
ただし4型が初飛行を迎えたのは1945年5月であり最初の部隊配備が編制されたのは太平洋戦争が終結した同年9月であった。
雷撃と急降下爆撃の双方が可能で20o機銃4門を装備しているのは結構だがファイアブランドの速力は560kmに過ぎずこの時点では世界最弱の艦戦に過ぎなかった。
だがひとつ見方を変えてみよう。
「20o機銃4門を装備し雷撃と急降下爆撃が可能な単座の航空機」と言えば...
驚くべき事に米海軍のモーラーやスカイレーダーがこれに相当するではないか。
スキュアが「限りなく艦戦に近い艦爆」であったと同じくファイアブランドは「限りなく艦攻に近い艦戦」と考えられよう。
もっともモーラーの爆弾/魚雷搭載力はファイアブランドの3倍で航続力は2.5倍、速力だって30q以上高かったが。
いずれにしても低性能な万能機であるファイアブランドは220機しか生産されずより高性能なターボプロップ艦攻ワイバーンと交代させられてしまった。

結論づけると英海軍艦戦の変遷は複座艦戦から単座艦戦への移行であり以下の要因がキーワードとなる。
1.地中海及びバレンツ海の戦闘で直衛戦闘機不足を痛感した。
2.単座艦戦でも護衛任務に充当できる事が判明した。
3.充分な爆撃能力を持つコルセアが単座艦戦として登場した。

「第二次大戦中の英国の標準的な艦載戦闘機は何か?」と尋ねられ「最初はフルマー、次は英空軍機の改造機と米海軍の援英機とファイアフライのごたまぜ」と答えるのは簡単だ。
これが日本海軍の場合だったら「零戦」と即答すりゃ良いし米海軍でも「F4Fと後継のF6F。F4Uは艦戦不足から海兵隊の戦闘機部隊を空母へ搭載したケースが大部分。」と答えれば説明しなくても大体納得して貰える。
だが英海軍の場合は「なぜごたまぜになったのか?」を説明すると結構、骨が折れる。

かくして8月末から始まった英海軍艦戦の話も足かけ4ヶ月を経てこれでおしまい。

[4254] Re[4251][4248][4247][4246][4245]: すでに既出かも知れませんが・・ 投稿者:紺碧七 投稿日:2004/11/04(Thu) 22:37  
現役海上自衛隊下士官さま、まつかぜさま、阿部さん
ご教示いただきありがとうございました!

陸軍作戦は、とりわけ疎いもので(苦笑)
じゃあ、海軍について詳しいのかと言われれば、それもいまいちではありますが・・まあ「太平洋戦記2」は楽しんでおります
詳細はブログをご覧ください(イマイチ見にくい点は、ご勘弁を!)

http://blog.livedoor.jp/konpeki7/


[4253] 発言削除のお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2004/11/04(Thu) 09:23  
発言[4252]は当掲示板の注意事項(5)
「 暴言や卑猥な表現等、公序良俗に反すると判断される発言」
に該当するため削除いたしました。

[4251] Re[4248][4247][4246][4245]: すでに既出かも知れませんが・・ 投稿者:阿部隆史 投稿日:2004/11/03(Wed) 11:49  
> と・こ・ろ・で、キャンペーン中に3回と阿部さんが仰っているのが気になります

もう一度仕様書を読み直したら実は4回だった。
(バージョンアップするとまた変えるかも知れない。)

> 史実で、連合軍の空挺部隊が太平洋戦線および印度戦線で活躍したことってありましたっけ?(不勉強でスミマセン)

あるよ。
米第503空挺連隊がヌンホル島に降下したりコレヒドールに降下したり...
マイナー中のマイナーとしてはソ連軍が1945年8月19日に新京と奉天、22日には旅順へ降下している。
(ちなみに日ソ戦勃発時、極東ソ連軍はザバイカル方面軍の第53軍の第18親衛狙撃兵軍団に第1親衛空挺師団を所属させていた。しかし奉天で満州国皇帝をとっつかまえ関東軍司令部をビックリさせたのはこの部隊ではない。第6親衛戦車軍に所属する小部隊だそうである。はてさてどの部隊なんだろうか?僕は第275独立特別任務大隊じゃないかと思うんだが?知ってる方は御教示の程、是非宜しく。)
どれもあまり大規模な空挺作戦じゃないけどね。
米軍は欧州には第13,17,82,101空挺師団を派遣したが太平洋戦域には第11空挺師団しか派遣しなかった。
この師団はルソンでそれなりに戦ったけど基本的には「通常の歩兵師団」として運用されている。
それよりビルマ戦線で1943年2月に英軍が発動した第1次チンディット作戦と1944年3月に発動した第2次チンディット作戦の方が重要だろう。
両方ともウィンゲート将軍(彼はたった3年で大尉から将軍にまで昇進している。41歳で早世したが。)の発案による作戦だけど第1次には1個旅団(第77)、第2次には3個旅団(第16,77,111:ただし増援用に西アフリカ3,14、23の3個旅団も準備されていた。これらの部隊はウィンゲート兵団ともインド第3師団とも呼ばれている。)が投入されている。
第1次は陸路で進入し空挺運用は補給と増援に限られたが第2次では2個旅団が空挺進入、1個旅団が陸路進入となり太平洋戦域最大の空挺作戦となった。
と、言う訳なので1943年に入ると1個旅団(英軍の1個旅団は規模が小さくゲーム上だと30個空挺部隊。つまり連隊と変わらない。)、1944年になると2個旅団の空挺部隊がインド方面からワラワラと...
その他の連合軍空挺部隊についてはヒ・ミ・ツ♪

追記
チンディット作戦が日本軍にどの様な影響を与えたかと言うと第1次では「峻険なビルマの山地を強行踏破するのは日本軍にだって無理。ましてや英軍などには到底無理。」と思いこんでいた日本陸軍第15軍司令部に「なんだ。英軍にもできるのか。だったらこっちがやるのも簡単だ。」と思わせインパール作戦を踏み切らせてしまった事(偶発的な結果だが)と第2次ではそのインパール作戦を後方から牽制し日本軍敗北の遠因を作った事にある。

[4250] Re[4249][4248]他いろいろと 投稿者:まつかぜ 投稿日:2004/11/03(Wed) 00:06  
 太平洋戦記2での奮戦を続けておられる皆様の存在に、励まされつつ(あせりつつ?(笑))リロードとやり直しを続けているヘタレでございます。
 一方で、阿部さんの空母についてのあれこれを楽しみにしている毎日です。

>アルフレッド様
御無沙汰致しております。しぶとく戦争継続に取り組んでおられる御様子に遠方から励まされる思いであります。
リロードだらけでも、とにかく1回、自力完遂を、とのんびり戦う所存です。
戦争遂行には国内平和(家庭内平和とも、対ソ静謐ともいう)が大前提ですので、今後もなんとか折り合いをつけてゆきたいところですね。

>洛陽不覚様
蘭印他からの資源還送については、自分は潜水艦が怖いので航路設定をしてないです。時化とか雨とかで、かなり痛い目に遭っておられるのでは、と思います。もちろん、その痛みも、戦記2の楽しみ(?)のひとつではあるでしょうが。輸送船1隻喪失の重みに耐えられないヘタレプレイヤーもここに1名おります(笑)

>現役海上自衛隊下士官様
> ビルマに進攻した英軍ウィンゲート空挺旅団や
> ニューギニア、フィリピン(大戦末期)で戦った
> 米軍第503空挺連隊等、いろいろとあった筈です。

阿部さんはじめ諸賢各位には僭越極まりないと思いつつ。。。
うろ覚えですが、ウィンゲートについての概説めいた話を読んだ事があります。
それによると彼の作戦は、大隊規模の潜入作戦で、空輸による補給を受けながらの、日本軍支配下地域での攪乱活動だったそうです。ウインゲート自身が現場で指揮を取ったらしい、ただ者ではない、と思います。
正規の部隊をこれだけの規模で使って、かなりな損害を出しながらも一応の目的を達した、とあったような。。
結果的には、ビルマの日本陸軍をかなり悩ませ、インパール作戦実施の遠因のひとつ、というか、呼び水的な役割を果たしたらしいです。
あ、おそらくいろいろと間違えてるので、諸兄の鋭い突っ込み歓迎でございます。(笑)
長文失礼。

[4249] Re[4248][4247][4246][4245]: すでに既出かも知れませんが・・ 投稿者:現役海上自衛隊下士官 投稿日:2004/11/02(Tue) 22:50  
確か・・・
ビルマに進攻した英軍ウィンゲート空挺旅団や
ニューギニア、フィリピン(大戦末期)で戦った
米軍第503空挺連隊等、いろいろとあった筈です。
全部思い出すのは無理ですが。
かなり昔、ニューギニアに降下した米軍空挺部隊の
写真を見て関心した記憶があります。
密林地帯での空挺作戦はかなりリスクを伴いますから・・・。
現在のようにヘリが実用化されていれば問題ないですが。

[4248] Re[4247][4246][4245]: すでに既出かも知れませんが・・ 投稿者:紺碧七 投稿日:2004/11/02(Tue) 22:06  
と・こ・ろ・で、キャンペーン中に3回と阿部さんが仰っているのが気になります

史実で、連合軍の空挺部隊が太平洋戦線および印度戦線で活躍したことってありましたっけ?(不勉強でスミマセン)

http://blog.livedoor.jp/konpeki7/


[4247] Re[4246][4245]: すでに既出かも知れませんが・・ 投稿者:紺碧七 投稿日:2004/11/02(Tue) 18:24  
了解です
イベント増援でしたか

http://blog.livedoor.jp/konpeki7/


[4246] Re[4245]: すでに既出かも知れませんが・・ 投稿者:阿部隆史 投稿日:2004/11/02(Tue) 09:35  
> これって仕様なのでしょうか?

残念ながら仕様なのだ。
通常の連合軍航空機増援は天候や飛行場能力をチェックしてるけど「空挺部隊と輸送機の増援」ではやってない。
これは以下の2点の理由による。
1.陸上部隊が絡むので通常の航空機移動が使えない。
2.「空挺部隊と輸送機の増援」はキャンペーン全体で3回しか発生しない。
なにしろ「決められたターンに発生するイベント扱いで内部処理してるので。
よって天候や飛行場能力で「今回はパス」となると「一度も連合軍空挺部隊をみた事のないプレイヤー」が続出する。
社内では「それでもいいじゃないか」と言う意見もでたんだが「滅多に通しでやる事のないキャンペーンでそれはないんじゃないか?」と言う意見もあり現状となった。
そういう訳なので御容赦!

[4245] すでに既出かも知れませんが・・ 投稿者:紺碧七 投稿日:2004/11/02(Tue) 08:15  
もしそうだったらごめんなさい

現在、インドのデリーを猛爆中で、飛行場能力も30まで低下させました
で、翌月の第1ターンにデリーを偵察してみると、輸送機がデリーにいます
どうやら後方から空挺部隊を空輸してきたようなのですが・・

これって仕様なのでしょうか?

http://blog.livedoor.jp/konpeki7/


[4244] 太平洋戦記2の次は 投稿者:らとむーん 投稿日:2004/11/01(Mon) 23:12  
日露戦争をやっとります。

太平洋戦記2と違って、ストーリー性があること(テーブルトークみたい)、
戦闘の単位が細かいことなど、この作品も名作だと思います。

というか、日露戦争の方が面白いきがします。
ネームバリューにはかけるけど・・・。

[4243] 1945年 投稿者:阿部隆史 投稿日:2004/10/30(Sat) 19:57  
いよいよ英海軍艦上戦闘機物語も最終局面に入る。
まずは1945年に於ける英空母の行動をかいつまんで見よう。
年初の時点で主力の装甲空母6隻は4隻が太平洋(インドミタブル、ビクトリアス、インディファティガブル、イラストリアス)、2隻が大西洋(フォーミタブル、インプラカブル)に展開していた。
大西洋方面に於ける英空母の動勢は1945年1月に護衛空母セインがU482の雷撃によって大破した以外、大きな変化はない。
一方、太平洋方面であるが1月4日にインドミタブル、ビクトリアス、インディファティガブルの3隻を主力とするローリングス中将指揮下の第113部隊(ちなみにフィッシャー少将指揮下の第112部隊は護衛空母を中心とした補給部隊)がベラワンデリを空襲、ついで1月24日には上記兵力にイラストリアスを加えた4隻から発進した144機がパレンバンを襲った。
パレンバン空襲は1月29日にも繰り返され同地の精油所が大打撃を蒙っている。
そして3月23日、この装甲空母4隻はアイスバーグ作戦(沖縄攻略)に参加する為、英第57機動部隊(ローリングス中将)としてウルシー泊地を出撃した。
この時の搭載機は総計223機とされておりイラストリアスが50機、インディファティガブルが69機を搭載していた。
よってインドミタブルとビクトリアスの2隻は104機を搭載していた事になる。
さて沖縄戦であるがここで英空母は絶え間ない特攻の猛襲を受ける。
まず4月1日にインディファティガブルとインドミタブルが損傷し6日にはイラストリアスも損傷した。
その後、14日にイラストリアスが新着のフォーミタブルと交代(イラストリアスは本国に帰投)し20日に先島群島を空襲した後、英第57機動部隊は一旦、レイテへ帰投する。
(1944年1月に回航されたイラストリアスは太平洋戦域で最古参の英装甲空母であり最も船体疲労が激しかった。)
5月になると英第57機動部隊は再び前線に戻ったが4日にインドミタブルとフォーミタブル、9日はビクトリアスとフォーミタブルが特攻によって損傷した。
沖縄戦に於ける英第57機動部隊の損害は搭載機160機(事故を含む)、搭乗員85名に及ぶが装甲空母であった事が幸いし船体に重大な損傷を受けた艦はなかった。
なお1945年前半期に英海軍空母が活躍したのは沖縄戦だけではない。
5月15日には英第61機動部隊(ウォーカー少将)の第21空母戦隊(護衛空母ハンター、シャー、エンペラー、ケーディブ)がインド洋で日本海軍の重巡羽黒追撃戦に参加(英駆逐艦が撃沈)した。
更に6月、インプラカブルが太平洋へ回航され10日には同艦と護衛空母ルーラーを主力とする英第111部隊(ブリンド少将)がトラックを空襲している。
そして6月28日、英第37機動部隊(ローリングス中将)に再編された英空母部隊はシドニーを出港し日本本土へ向かった。
所属空母は後日、マヌスで合流した艦などを含めインディファティガブル、インプラカブル、フォーミタブル、ビクトリアスの4隻(インドミタブルは修理の為、残留。同艦もまたイラストリアスについで太平洋戦域では戦歴が古かった)、搭載機は255機(270機とする資料もある)であった。
英第37機動部隊の英空母は7月18日の日立空襲を皮切りに8月上旬まで日本本土を空襲して廻ったが8月11日には作戦を終えシドニーへ帰還している。
ただしインディファティガブルのみは以後も米艦隊と行動し日本近海に残留した。
なお7月25日には英第63機動部隊(ウォーカ−中将)がプーケット上陸作戦を敢行し護衛空母アミーアとエンプレスがこれに加わった。
この作戦中の7月26日、アミーアが特攻によって損傷している。
英海軍は更に太平洋艦隊の空母戦力を増強する為、最新鋭の艦隊型軽空母4隻(コロッサス、グローリー、ベネラブル、ベンジャンス)からなる第11空母戦隊をシドニーへ回航したが到着したのは終戦当日であった。
よってこれらの軽空母は戦後、香港やラバウルの接収に従事しただけであり実戦には参加していない。
もし早くに到着していれば大きな攻撃力を発揮したと思われるが装甲のないコロッサス型は損害もまた大きかったであろう。

さて1945年4月時点での英海軍艦戦だがシーファイア193、ファイアフライ61、マートレット73、ヘルキャット224、コルセア275の総計826機であった。
前年9月の総計が645機なので増加分は181機となる。
かたや空母の増加は搭載機数48機のコロッサス型4隻だけなので額面上は48×4=192機。
とすれば192−181=11なのだからコロッサス型4隻で艦攻はたった11機?
そんな事はあるまい。
恐らく英空母全体の戦爆比が変動したのであろう。
ちなみに開戦時に英空母が搭載していた艦上機はソードフィッシュ147、スキュア26、ロック4、Sグラジエーター12の合計189機であった。
すなわち戦爆比は8.4%(スキュアを戦闘機として数えるなら22%)となる。
また開戦時の英海軍艦上戦闘機をシーグラジエーター12、スキュア18、ロック6の総数36とする資料(総数232)もある。
この場合、戦爆比は7.7%(スキュアを戦闘機として数えるなら15.5%)だ。
それに対し1945年時、イラストリアスはF4U35機、TBF15機を搭載しており戦爆比70%、同時期のインディファティガブルはシーファイア40機、TBF20機、ファイアフライ9機を搭載して71%であった。
すなわち開戦時に比べ戦爆比が大幅に増大した事が判る。
また総計826機の戦闘機中67%の560機が戦闘爆撃機である事に注意せられたい。
ちなみにヘルキャット(英名ガネット)は英海軍へ1262機送られたがそのうち930機が戦闘爆撃機の5型であった。
よってこの時期に英海軍が使用していたヘルキャットは大部分が戦闘爆撃機であったと推測される。
戦闘機の機種についてはやはり1位のコルセアは33%だけだったが前年2位だったシーファイアが3位へ転落し援英機が全体の69%を占めるに至った。
次回は英海軍艦上戦闘機について総括して見たいと思う。
(続く)

[4242] Re[4241][4190][4185]: 1944年 投稿者:いそしち 投稿日:2004/10/29(Fri) 08:04  
詳細に解説していただき感謝の念に堪えません。
まさかここまでこちらの要望を聞いていただけるとは思っていませんでした。
もしも開発の妨げになっていたとしたらお詫びいたします。
それはさておき開戦後1年の間には米軍が僕の予想以上に苦況に立たされていたのですね。
ミッドウェー海戦で勝てないまでも米軍空母と刺しちがえれば日本は新造空母だけで一時的にせよ優勢に立てたのではないでしょうか。
そう思うと早くやりたくて仕方ありません。
ますます空母戦記2への期待が高まりました。

[4241] Re[4190][4185]: 1944年 投稿者:阿部隆史 投稿日:2004/10/26(Tue) 21:30  
> 私としては英海軍の空母より日米海軍の空母に関心があり是非とも書いていただきたい所存です。

それでは日米海軍の空母増勢推移について少々。
まずお断りして置くが今回は両国の護衛空母(隼鷹型とコロッサス型を除く商船改装空母)については触れない。
「護衛空母の存在によって艦隊型空母の負担が軽減される事」や「状況によっては艦隊型空母の代わりに作戦行動できる事」を考えると護衛空母の存在は非常に重要なのだが何しろ米海軍の護衛空母は数が多いので書き出すと大変だからである。
なお空母の建造推移を年度計画単位で記述する事も出来るが今回は竣工期日と起工期日を基準に解説した。
その理由は米海軍の場合、戦前の1940年度計画(両洋艦隊計画)で予算成立したCV14(タイコンデロガ:エセックス型)やCV15(ランドルフ:エセックス型)の起工が1943年まで遅れたりしているので年度計画単位だと実相にそぐわないからである。
さて艦隊型空母だが開戦時、両国海軍の保有数は日本が9隻(鳳翔、赤城、加賀、龍驤、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴、瑞鳳)、米国が7隻(レキシントン、サラトガ、レンジャー、ヨークタウン、エンタープライズ、ワスプ、ホーネット)、建造中もしくは他艦種からの改装中である艦隊型空母は日本が4隻(祥鳳、隼鷹、飛鷹、大鳳)、米国が5隻(エセックス及びCV10、11、16、17:全てエセックス型である。これらの艦の艦名は戦没艦を踏襲した例が多く紛らわしいのでとりあえず1番艦を除きCVナンバーで記す)であった。
当然の事だが太平洋戦争は「日本海軍の真珠湾奇襲によって幕を開けた戦争」なので日本海軍にとっては「計画的な戦争」である反面、米国にとっては「不測の戦争」となる。
よって日本海軍は開戦前から1942年内の竣工を目指して空母の建造(既存艦船からの改装)を押し進めており開戦から1年以内に艦隊型空母4隻(改装中であった祥鳳、隼鷹、飛鷹に加え開戦後に改装着手した龍鳳)を増勢させた。
一方、「不測の戦争」であった米海軍は開戦から1年以内に1隻も増勢させられなかった。
とは言え開戦時の「真珠湾奇襲ショック」によって米海軍が空母の大量建造に踏み切った事は論を待たない。
それでは米海軍の空母増勢状況を概括して見よう。
まずは日本海軍であるが米海軍にとっての「真珠湾奇襲ショック」に匹敵するのが日本海軍にとっての「ミッドウェーショック」であった。
主力空母4隻の喪失は改装空母4隻で埋められる穴ではない。
いや、これからは空母の損失が激増するであろうし空母が有効な兵器である事は周知の事実である。
かくして日本海軍は戦艦3隻、巡洋戦艦2隻、空母3隻を主体とするD計画を改訂し空母の量産に主眼を置いた改D計画を策定するに至った。
先の戦時急造計画で建造が決定された雲龍に続き改D計画で建造を予定した艦隊型空母は雲龍型15隻(後に13隻に削減)、改大鳳型5隻の20隻に及ぶ。
更に改装艦として信濃、千歳、千代田の3隻(護衛空母については省略)が加わった。
ただしこれらの空母が同時に建造できる訳ではない。
造船所や海軍工廠の能力には限界がある。
20隻の空母を新造すると豪語しても開戦から1年以内に起工(もしくは改装着手)できたのは僅かに雲龍、天城、信濃、千歳の4隻だけに過ぎなかった。
ちなみに改D計画の最終艦(改大鳳型5番艦)の竣工予定は1948年9月である。
すなわち空母20隻の新造と言っても1942年10月起工の天城から1948年9月竣工の最終艦まで6年かかるのであって1年あたりでは3隻ちょっとに過ぎない。
かたや開戦後1年以内に起工(もしくは改装着手)された米海軍の艦隊型空母はエセックス型3隻とインデペンデンス型9隻の合計12隻に及ぶがこれらは開戦時の「真珠湾奇襲ショック」による産物で開戦時、既に建造中だったエセックス型5隻と合わせると17隻にもなった。
ただし「開戦から1年以内」には1隻も竣工していない。
かくして「開戦から1年以内」に日本海軍は6隻(祥鳳、赤城、加賀、龍驤、蒼龍、飛龍)を失ったものの7隻を保有した状態で「1年目」を迎えたのに対し米海軍は4隻を失い保有数は3隻(3隻のうちレンジャーは大西洋に派遣されていたので実質的には2隻)となってしまった。
2倍以上の隻数なのだから日本海軍は圧倒的に有利であったと言えよう。
しかし日本海軍が優勢を誇ったのはこの時点までである。
開戦から1年少々過ぎた1942年の大晦日に竣工したエセックスを皮切りに米海軍は続々と艦隊型空母を竣工させていった。
その数は開戦から2年目の1943年12月8日まででエセックス型7隻、インデペンデンス型8隻に達する。
まさに1943年は「米海軍の艦隊型空母が増強された年」であった。
これに対し日本海軍が開戦後1年目以降2年目までに竣工させた艦隊型空母は千歳と千代田の2隻だけに過ぎない。
1943年に戦没した日米海軍の艦隊型空母は0なので開戦後2年目を迎えた時点で日米海軍の艦隊型空母保有数は日本海軍9隻、米海軍18隻になる。
1年の間に二倍の優勢から戦わずして二分の一の劣勢に転落したのだ。
米新鋭空母の第一陣であるエセックスが竣工した1942年12月31日は記憶に値する日だと言えよう。
更に「全くの新米兵力」だった米空母機動部隊は度重なる機動空襲作戦で着実に練度を向上させていった事も忘れてはならない。
そして開戦後3年目の1944年6月、日米空母機動部隊はマリアナ沖海戦で激突する。
それまでに日本海軍は大鳳、米海軍はエセックス型3隻、インデペンデンス型1隻を竣工させているので保有数は10対22となった。
ただし日本海軍のうち鳳翔は練習空母となっていたので海戦に投入されたのは9隻、米海軍は諸処の理由(レンジャーは練習空母、数隻が慣熟訓練中)により15隻であった。
この戦いで日本海軍は3隻(大鳳、翔鶴、飛鷹)を失い更に劣勢を余儀なくされる。
かくして7対22、兵力比は三分の一となった。
「ミッドウェーショック」によって建造された日本側艦隊空母のうちマリアナ沖海戦に間に合ったのは千歳、千代田の2隻でしかない。
ついで3年目の後半期には雲龍、天城、葛城、信濃など「ミッドウェーショック」による4隻が加わったもののレイテ海戦と潜水艦の雷撃で5隻(信濃、瑞鶴、千歳、千代田、瑞鳳)を喪失し日本海軍は艦隊型空母6隻で4年目を迎えた。
後半期に於ける米海軍の増加はエセックス型4隻である。
喪失はレイテ海戦でインデペンデンス型が1隻。
よって6対25で兵力比四分の一。
四年目の1945年8月15日に終戦を迎えるが以降はもはや日本海軍に追加はない。
終戦までに雲龍が潜水艦によって沈められ5隻(鳳翔、隼鷹、龍鳳、天城、葛城)が残ったが鳳翔を除く4隻は損傷しており戦力的価値(鳳翔は練習空母なのでもとより戦力とは言い難い)は零に近かった。
4年目から終戦までに米海軍が竣工させた艦隊型空母はエセックス型3隻である。
かくして5対28の兵力比五分の一(実質的にはそれどころの比率ではない)で日米海軍の艦隊型空母建造競争はその幕を閉じた。
ここでひとつ考えてみよう。
果たして日米海軍は最後まで全力で艦隊型空母を建造し続けたのであろうか?
大戦末期の日本海軍は本土決戦に備えるのが関の山であったからもはや艦隊型空母どころではなかった。
1944年11月には建造中であった雲龍型2隻(阿蘇、生駒)の工事を中止している。
一方、米海軍は終戦後もエセックス型やらミッドウェー型やらサイパン型やら艦隊型空母を竣工させ続けた。
だが実の所、終戦前の時点で既に米海軍は艦隊型空母の建造を控え始めていた。
1945年3月には当初、32隻建造される予定だったエセックス型の中からCV50〜55の6隻が計画中止されミッドウェー型2隻(CVB56、57)も計画中止とされた。
更に終戦を目前に控えた1945年8月12日には既に建造中であったエセックス型2隻(CV35、46)の建造も中止(この時はコメンスメントベイ型護衛空母16隻の建造もキャンセル)されている。
(ちなみに1943年1月にもCVB44が計画中止となっているがこれは空母増勢の縮小とは関係ない。CVBを当初、3隻とするか4隻とするかで混乱が生じたと思われる。)
既に建造中の艦の工事を中止するくらいだから4年目に起工された米海軍の艦隊型空母は至って少なくエセックス型1隻(イオージマ:起工はされたが終戦直前に工事中止された。前述のCV46である。)だけであった。
4年目に起工された日米海軍の艦隊型空母は日本海軍側0、米海軍側1ではからずも「両海軍とも艦隊型空母増勢の意志なし」であるが「空母を起工しようにもできなかった日本海軍」と「もはや戦勢は明らかであり更なる増勢を求めなかった米海軍」では全く方向性が異なる。
果たして両海軍は「どの時点でもっとも艦隊型空母の建造に熱心」であり「どの時点で空母増勢の縮小」を決意したのであろうか?
それでは日米海軍の艦隊型空母建造状況を起工時期から考察してみよう。
これまでは「流れ」を知る為、竣工時期を中心に論述してきたが「両海軍の意図」を考えると起工時期もまた重要なのだ。
起工艦を対象としているのだから下の表では未成艦も含む事に注意して頂きたい。

起工艦リスト(未成艦)
     日     米
開戦   9     7
建造中  4     5
1年目  4    12    米空母はCV3隻、CVL9隻
2年目  5(4) 13    米空母はCV11隻、CVB2隻
3年目  0     9(1) 米空母はCV6隻、CVL2隻、CVB1隻
4年目  0     1(1) 米空母はCV1隻(イオージマ)
合計  22(4) 47(2) 米空母はCV26隻、CVL11隻、CVB3隻
    18    45


CVはエセックス型、CVBはミッドウェー型、CVLはインデペンデンス型もしくはサイパン型である。

一瞥してお判り頂ける様に日本海軍が2年目に起工した空母のうち竣工したのは1隻(これは2年目の初日である1942年12月8日に起工した葛城)に過ぎず改D計画は早くも破綻している。
これに比べ米海軍の空母増勢は1年目の「ミッドウェーショック」(インデペンデンス型軽空母が主体)より2年目(エセックス型空母が主体)の方が拡大しており3年目でやや縮小傾向を辿り4年目で激減した。

日米海軍の空母増勢推移を決定した重大事を列挙してみよう。
1.1941年12月:真珠湾奇襲−>米海軍の空母急造決定
2.1942年6月:ミッドウェー海戦−>日本海軍の空母急造決定
3.1942年12月:エセックス竣工−>米海軍の空母増勢実現化
4.1944年6月:マリアナ沖海戦−>両海軍空母機動部隊の決戦
5.1944年11月:雲龍型2隻の工事中止−>日本海軍空母増勢の破綻
6.1945年3月:エセックス型6隻の計画中止−>米海軍空母増勢の終了
1943年には何も重大事が発生していないが「何もなかった1943年に形勢が逆転している事」が重要ではなかろうか?
言い方を変えると「1943年に何も起きなかった事」が敗北につながったのである。
「真珠湾奇襲ショック」によって増勢された米海軍空母群はマリアナ沖海戦に間に合い「ミッドウェーショック」によって建造された日本海軍空母群は殆ど戦力とならないままついえ去った。
両海軍の艦隊型空母が総力を挙げて激突したマリアナ沖海戦が1944年であった意味は大きいと考えられよう。

追記:
なお本稿から外れるが英海軍と比べ米海軍は大戦末期でも護衛空母の建造を続けている事にも注目していただきたい。
この点から米海軍にとって護衛空母は艦隊型空母の代用品では無い事が窺われる。

[4240] 輸送船団 投稿者:神崎川 投稿日:2004/10/26(Tue) 14:26  
初期の輸送船団は、水雷艇や旧式駆逐艦を改造した護衛艦と山汐丸のセットで十分かと思います。
水雷艇は上海(釜山)−福岡等の短距離、旧式対空駆逐艦はリンガ等の遠距離。
注意するのは、入出港する時は<晴れ>になるまで待ちました。
山汐丸は補助空母なので、晴れだと潜水艦の奇襲攻撃はなくなり、命中率が向上しますので。

御蔵や丙型海防艦を生産できるようになったら、旧式駆逐艦を解体して資産しました。

拠点等に置く、迎撃艦隊には航空巡洋艦を配備するようにしました。
私のやり方だと、初期に重巡洋艦が数隻損害を受けるので、ついでに改造をしました。
水上爆撃機を搭載していると、潜水艦に対して有利になりますからね。

・・・後半、B29等の重爆の航続距離内の港に入港する場合は、別の方法を考えないといけないかと思います。。。。


あと、兵器生産なのですが、私は陸海軍航空工場だけでなく、
各海軍工廠も生産力アップさせました。
修理や改造を沢山する必要があったり、巨大戦艦を開戦初期から生産し始めましたので全然たりませんでした(w
ある意味、モンタナ型は化け物ですから、ある程度落ち着いたら、大和型をドックで駿河型に改造して、前線で工作艦でコツコツと修理していきました。

[4239] 二律背反 投稿者:洛陽不覚 投稿日:2004/10/25(Mon) 23:03  
 皆様、こんばんは。私の場合、輸送船団航路は下記の通りです。
 ユエ←→佐世保←→新潟(原油・ボーキサイト)
 リンガ←→シンガポール(原油・ボーキサイト)
 シンガポールからユエまでは陸送しています。これがメインのルートですね。
 あと、比島ルートとして佐世保〜マニラの鉄鉱石輸送ルートがあります。

 1944年秋ともなると、日本近海にまで潜水艦が出没しています。
 福岡〜釜山航路さえ油断して護衛なしの船団で鉄鉱石を輸送して資源ごとかなりの被害を受けました。
 上海〜佐世保航路も護衛なしではおちおち輸送もできません。
 ブルネイはすでにB29の爆撃圏内となっており、入港できそうにありません。
 とりあえず、潜水艦対策としては護衛の丙型海防艦を大量生産するのみです。
 それがだめなら悪天候をついて出港・入港するしかないのでしょうね。

 現在、マリアナ海戦後キャンペーンではボーキサイトの本土への輸送がままならず、アルミの生産が滞り、結果として航空機の生産が停滞しています。
 機動艦隊はかろうじて翔鶴・瑞鶴が航空機に補充ができただけです。機動艦隊再建の道は遠いです。
 中国方面は四川方面まで進出しました。しかし太平洋方面のことを考えると、中国軍と早期講和し陸上兵力を本土防衛、そしてビルマ方面と満州防衛に転用すべきか、それとも資源確保のため戦い続けるか悩むところです。

[4238] 無題 投稿者:シン 投稿日:2004/10/25(Mon) 13:01  
皆さん ほんとに『太平洋戦記2』は、すっごく考えさせられる
ゲームですね。(皆さんが熱くなるのが、よくわかりました。

>K−2さん
全然、気が付きませんでした。 数少ない物資、さっそく有効に
利用しないとダメですね。(今の状況では、すっごくありがたい
お話です)

>うらマッハさん 嵐さん
ご忠告をいただいていたのですが、この掲示板を読む前に進めて
しまい、さっそく被害を受けてしまいました。
呉より高雄へ弾薬を積んだ輸送船を出港させたのですが、まだま
だ緒戦、独行艦でOKなんて甘い考えでした。

皆様のアドバイス、この経験を生かして、リセットをこらえつつ
頑張ってみます。 ありがとうございます。
また、ご報告します。

[4237] 輸送船団 投稿者: 投稿日:2004/10/24(Sun) 12:40  
そうですねぇ
輸送船団に護衛艦は必須です。
リンガ−サンジャック−佐世保・呉航路が生命線でありアキレス腱。
輸送船は低速・中速を別々に運用しています。
輸送船団が貨車,護衛艦が機関車の感じで運用していますが,護衛艦が呉や物資集積地にきたら,あらかじめ積み込みの終わっている輸送船のみが出港です。

例 呉→サンジャック(護衛艦+低速輸送船)
 サンジャックに到着した次のフェイズで
  サンジャック→呉(中速輸送船)出航(仮称ヒ1船団)

 で,ヒ1船団が入港する直前に呉から護衛艦+輸送船団を出港。

これで護衛艦をけちっています。
たまに沖縄本島付近に潜水艦がいてるので
輸送船のみの船団を通過させるときは要注意です

いっぺん 悲惨な目にあいまいした。

[4236] 潜水艦にご注意! 投稿者:うらマッハ 投稿日:2004/10/22(Fri) 22:14  
>シンさん
「太平洋戦記2」は楽しいですよ。
弾薬のような大切な物資を積んだ輸送船を潜水艦が襲ってきます。
なぜか、敵潜水艦は手加減して撃ってくれますが、一発当たると輸送船は撃沈ですからね。
物資を無事に前線に届けるためには、海防艦が沢山必要です。ところが開戦時には、海防艦がほとんどいません。駆逐艦は沢山いるので、これでなんとかしないといけません。駆逐艦を鉄にして海防艦を量産するか、駆逐艦を対空型に改装するかは、プレイヤーしだいです。
対潜部隊で敵潜水艦隊を全滅させても、しばらくたつとまた現れます。対潜部隊は常に活躍できます。沢山作ってください。
とにかく、輸送を考えるのが楽しいゲームです。

<大戦後半の米軍の物量に前に翻弄されるのを体験したくて50回
で設定したのですが・・・。

物資、歩兵、戦車、小型艦、輸送船、潜水艦、航空機などは、尽きることなく出現するみたいです。これらが活躍できるようにしておくと(とくに航空機のための飛行場)、物量に翻弄されるプレイが楽しめると思います。
陸上部隊を積んだ輸送船と護衛の駆逐艦(時々護衛空母も)がしょっちゅう太平洋に現れます。これらは全滅させても、すぐに新手が現れるので安心して沈めてください。
要注意は、大型艦です。ターンの最初に完成の報告がある艦です。これらには「限り」があるみたいです。時々こちらの根拠地を爆撃したり砲撃したりしますが、沈めてしまうと二度と会えなくなります。大破させて追い返すとしばらくの修理期間(日本の六倍でしたっけ?)の後、再会することができます。あまり、沈めすぎると後半戦でさみしい思いをすることになりますのでご注意です。といっても、戦艦を沈めるには沢山の雷撃機を配備しないといけないので、沢山の雷撃機を配備しなければ、戦艦がいなくなることはないでしょう。

[4235] 余計な事かも知れませんが・・・ 投稿者:K−2 投稿日:2004/10/22(Fri) 20:03  
>シンさん
はじめてやった時は気が付かなかったのですが、船も部隊もない
大連に、弾薬だけ1000tナゼかあります。
転用してもどこからも文句は出ないので是非有効活用して下さい。

[4234] 無題 投稿者:シン 投稿日:2004/10/22(Fri) 13:13  
洛陽不覚@昼休み様 K-2様 
お忙しい中、早速のアドバイス ありがとうございます。

このような設定でも、いろいろな楽しみができるのがこのゲー
ムの人気の秘密なんですね。
では、このまま50回の設定のまま、途中で米英にくじけない
ように頑張ってプレイしていこうと思います。

K-2さん アドバイスをありがとうございます。
了解しました。 高雄、サンジャックの弾薬補給をできるだけ
早くに手配したいと思います。
さぁ〜て、どこから工面しようかな(ワクワク)

[4233] 不安な俺 投稿者:K−2 投稿日:2004/10/21(Thu) 18:30  
>シンさん
初めまして。自分はケチ且つ心配性なので50回に設定しています。
戦線が安定してくると20回くらい余ることも度々ですが、
一つの戦線が片づいて再編成を行うときや、予想外の攻撃に
対処しなければならない様な時には「50回あってよかった」
と思うことも結構あります。
まあ、最大の理由はキャンペーン開始直後の数ターンの間に
そこら中の部隊や物資を南方へ送るのに沢山のコマンド回数が
欲しいからなんですが。

最後にひとつアドバイスを。高雄やサンジャックの弾薬はすぐに
なくなるので、極力早めに輸送する準備を!

[4232] Re[4231]: 作戦コマンドの回数 投稿者:洛陽不覚@昼休み 投稿日:2004/10/21(Thu) 13:20  
>シンさま
 こんにちは。初めまして。洛陽不覚と申します。
 初心者の方でも利用上のルールさえ守れば、どんどん書き込んで良いと思いますよ(笑)。
 私も結構、勝手にいろいろ書き込んでいますし。

> 質問というのは、キャンペーンの場合、皆さんは作戦コマンドを
> 何回の設定でプレイされてるのでしょうか?
> どなたかご教授くださいましたら、幸いです。

 私の場合、コマンド回数は30回としています(1ターンが3日なので、1日10コマンドと勝手に脳内変換しています(笑))。
 シナリオ開始当初は各地に分散している戦力の再編でそれなりにコマンドを発しますが、戦線が安定し、資源輸送の定期化がすすむとあまり必要でなくなるように思います。
 それに30回でも、十分に米軍の物量作戦は実感できます。
(現に、私が進めている「マリアナ防衛戦(標準)」後のキャンペーンでは、2個〜3個の米空母機動部隊が内南洋、沖縄周辺などを襲撃して回っています。先頃も佐世保が空襲を受けて停泊中の鳳翔が撃沈されたりもしました。B29も資源地帯を爆撃しています。トホホ‥‥。)
 もちろん、コマンド回数は個人の好みの問題ですので、シンさんがもっともプレイしやすいと思うコマンド回数を選択されるのが1番だとは思います。

 洛陽不覚 拝

[4231] 作戦コマンドの回数 投稿者:シン 投稿日:2004/10/21(Thu) 12:59  
先日、秋葉原の某ショップで『太平洋戦記2』を購入したばかり
の者です。  よろしくお願いします。
掲示板を読んで、皆さんの知識の深さに、またその知識をまだま
だ追求する姿勢に、頭が下がる思いです。

その掲示板に、こんな初心者めいた質問はふさわしく無いと思っ
たのですが、ここまで探求をしている皆さんと同じ環境でプレイ
したいと思って投稿いたしました。

質問というのは、キャンペーンの場合、皆さんは作戦コマンドを
何回の設定でプレイされてるのでしょうか?
説明書を読みましたが、何も説明がなく自分なりに考えて私は、
大戦後半の米軍の物量に前に翻弄されるのを体験したくて50回
で設定したのですが・・・。

どなたかご教授くださいましたら、幸いです。

[4230] 無題 投稿者:ハルトマン 投稿日:2004/10/20(Wed) 17:18  
お忙しい中、早々に阿部さんから直々にご回答ありがとうございました。
 
 これで一つ疑問が解消されたと言うか、

 「各部隊が6月15日の時点で保有していた機数」が判明しているだけで「各空母が当日、搭載していた機数」となると前述した様に「謎」が多いのだが、

 と言うことが解っただけで十分です。

 私も合戦当日までに、601空の戦闘詳報をみてもこれだけの艦載機の消耗があったと言うのは、勉強になりました。また、対潜哨戒に9機の99式艦爆が3隻に搭載されていた事実も確認でき、大変勉強になります。
 国土防衛の最終ライン(1944年6月当時)の第一機動部隊甲部隊 の現状が継ぎはぎだらけとは・・・・。考えてしまいます。

 「空母戦記2」はこの為に、「ちなみに空母戦記2では各空母の搭載機をプレイヤーがデータ変更できるので」だそうで、益々期待が高まります。
 御身体をご自愛下さい。お仕事頑張って下さい。

[4229] Re[4228][4226]: マリアナ防衛戦(標準) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2004/10/19(Tue) 20:39  
ついでだからもうちょっと話を続けよう。
甲部隊搭載機の定数だが戦闘機が81で3の倍数である事に御注意頂きたい。
これは1個小隊3機で編成されていたからある。
だが実際に甲部隊から発進した第1次攻撃隊の戦闘機は各艦16であった。
各艦とも2機の欠員を生じたからであろうか?
そうではない。
実はこの時、日本海軍戦闘機隊は1個小隊3機から1個小隊4機へ編成を変えていたのである。
つまりこの時点からして定数とギャップを生じている。
戦闘機の場合、小隊が4機だと2機ずつの2ペアで行動でき戦闘効率が向上する。
米軍やドイツ軍では早期から1個小隊4機編成だったが日本海軍では少し出遅れたのだ。
定数と異なっていたのは戦闘機ばかりではない。
爆戦の登場である。
元来、「艦爆を搭載できない小型空母の艦爆代用品」であったはずの爆戦がマリアナ沖海戦では大型空母を有する甲部隊や乙部隊にも配備されている。
ちなみに爆戦は単座なので単独では作戦行動がとれない。
よって誘導用の天山が必要となる。
かくして爆戦を主力とする前衛部隊は6月15日の時点で索敵用の97式艦攻18機とは別に天山9機を保有していた。
97式艦攻では巡航速力が遅く爆戦の誘導に問題ありと考えられたからある。
ちなみに誘導にあたる天山は魚雷を搭載していないので攻撃力はない。
命中率の低い爆戦を誘導する為に貴重な天山を使用するのは果たして得策だったろうか?
天山不足は搭乗員の点からも顕著である。
甲部隊の第1次攻撃隊には雷装の天山27機が参加したがなんとその内、12機には搭乗員が2名しか搭乗していなかった。
定数では9機であった2式艦偵が17機に拡大されたにも関わらず多くの天山が索敵に振り当てられた事も重要だ。
事故で多くの機材が失われた事も忘れてはならない。
6月13日に大鳳で発生した事故では零戦52型2機、99式艦爆2機、天山1機が焼失し天山1機が大破したがなんと同日までに甲部隊では事故により33機(機種不明:搭乗員の喪失は51名)を失っている。
戦史叢書「マリアナ沖海戦」だと甲部隊は南方へ進出したままマリアナ沖海戦へ出撃したので事故による補充ができず、代わりに爆戦を搭載したと推察している。
乙部隊にもごっそりと爆戦誘導用の天山が配備されていたのは言うまでもない。
かくして天山は全空母へバラバラに搭載されるに至った。
天山だけではない。
当時、乙部隊の隼鷹には9機だけ彗星が搭載されていた。
9機だけの編隊では有効な攻撃力と成り得ない。
一方、甲部隊では彗星不足で困っている。
そこで彗星9機を移乗すべく甲部隊司令部が要請したら乙部隊司令部に断られたのは有名な話だ。
各空母が新鋭機と旧式機のマゼコゼで少数ずつ様々な機種を搭載していたのは何故か御理解頂けよう。
これが前述した「諸処の理由」である。
決して「日本海軍全体で新鋭機が欠乏」していたからではない。
この状況をプレイヤー諸氏に堪能して貰う事もやぶさかではなかったのだが「データ変更機能なし」だと多くの方にとって「フラストレーションがたまるだけのシナリオ」となってしまうだろう。
よって空母戦記1では定数でデータ化(甲部隊の彗星、天山を増やした代わりに乙部隊と前衛部隊の彗星天山を減らしている。)した。
ちなみに空母戦記2では各空母の搭載機をプレイヤーがデータ変更できるので「もっと当時の状況を味わいたい方」は是非とも史実通りの機種と機数に書き替えてプレイして頂きたい。
とは言っても「各部隊が6月15日の時点で保有していた機数」が判明しているだけで「各空母が当日、搭載していた機数」となると前述した様に「謎」が多いのだが。

[4228] Re[4226]: マリアナ防衛戦(標準) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2004/10/18(Mon) 20:43  
>あ号作戦時の第一機動部隊甲部隊(大鳳・瑞鶴・翔鶴)の艦載機について何方か教えてください。 

甲部隊の定数は空母3隻の合計で艦戦81、艦爆81、艦攻54、艦偵9の合計225機(つまり各空母が艦戦27、艦爆27、艦攻18、艦偵3)である。
本来なら艦戦は零戦52型、艦爆は彗星、艦攻は天山、艦偵は2式艦偵が搭載されるべきであったろう。
だが諸処の理由により6月15日の時点で搭載機は爆戦11、零戦52型80、99式艦爆9、彗星+2式艦偵70、天山44の合計214機となっていた。
もう少し細かく見るとしよう。
横山英暁著「マリアナ沖海戦」によれば甲部隊の2式艦偵隊は翔鶴9、大鳳4、瑞鶴2の合計15と記述されている。
定数の9よりだいぶ多い。
更に翔鶴には予備クルー4名が記述されており予備の2式艦偵察1が搭載されていたらしい。
なお第1攻撃隊の機数は各艦、零戦52型16、彗星18(大鳳のみ17)、天山9の合計128機であった。
彗星の合計数は53。
70−53=17
果たして17機全てが2式艦偵なのか?
それでは各艦の搭載状況を見るとしよう。
残念ながら3隻のうち翔鶴は零戦52型34、彗星+2式艦偵28(翔鶴は第1次攻撃で彗星18機を出撃させているので2式艦偵察の数が前記した通りであれば合計28機でつじつまがあう。)、天山12、99式艦爆3と判明しているが残り2隻については「謎」とされている。
なお6月18日の甲部隊索敵隊が翔鶴の2式艦偵9、大鳳の2式艦偵4で編成されている点や19日の甲部隊索敵隊が翔鶴の2式艦偵7、天山2、瑞鶴の2式艦偵1,天山1で編成されている事から翔鶴が「索敵隊専用空母」であった事は明白だ。
さて6月15日の実数だけど定数の艦戦81が零戦52型80機に相当すると考えるなら爆戦11+99式艦爆9+彗星53の合計73が定数の艦爆81に相当する。
これらのうち爆戦11は全て瑞鶴に搭載されていたと考えられる。
なぜなら甲部隊の第2次攻撃隊(爆戦10、天山4,零戦52型4)は全て瑞鶴から発進しているからだ。
(爆戦を1機だけ別の空母に搭載していたとは考えにくい。)
よって瑞鶴は爆戦隊専用空母と言えよう。
零戦52型80機とて平等に搭載されていた訳ではない。
平均すると各艦約27機となるのだが翔鶴は34機も搭載している。
だから第1次攻撃隊の16機を除いても18機残る。
1隻が多く搭載すれば他艦の分が減るのは自明の理だ。
80−34=46から第1次攻撃隊の瑞鶴16と大鳳16、第2次攻撃隊の瑞鶴4を引くと残りは10。
つまり瑞鶴と大鳳に残された零戦52型は合わせて10機にしかならない。
これに比べて翔鶴の18機は非常に多い。
よって翔鶴は索敵隊専用であると同時に「直衛機専用空母」でもあった事がうかがえる。
なお99式艦爆9は対潜哨戒用として各艦3ずつ搭載されていたらしい。
色々と書いたが「当初予定されていたより索敵隊が重視され規模が大きくなっている事」と「随分と専用空母がめだつ事」に注意されたい。
ちなみに「瑞鶴と大鳳の実数が不明である点」と「機種数が多いと運用が困難になる点」から僕は定数でシナリオをデータ化している。

[4227] 沖縄といえば 投稿者: 投稿日:2004/10/18(Mon) 20:24  
昨日,昭和17年5月に沖縄を占領されました。
三度目の挑戦ではじめてやられました

哨戒の穴を見事にやられてしまいました。
情けないですね

http://www.geocities.jp/gs_kaisen_club/


[4226] マリアナ防衛戦(標準) 投稿者:ハルトマン 投稿日:2004/10/17(Sun) 01:47  
 お久しぶりです。私も「空母戦記2」に期待しながら、最近購入したビデオ「雷撃隊出動(東宝)」で「瑞鶴」の映像を観てテンションを高め(戦時中なのに「優秀な奴等を死なせておいて、いまさらもう遅い。」等、戦意に響く発言もあったり・・・)、暇を見つけては「戦記2」ショートシナリオに挑戦しています。
 
 「マリアナ防衛戦」無事「任務達成」です。米軍の攻め方と天候に助けられ何とか・・・!?上陸支援部隊と上陸部隊本隊を索敵により判別、有効な攻撃で空母甲板と輸送船の破壊に全力投入。水上部隊の戦艦群も大活躍でした。実際の戦場では、海を埋め尽くすアメリカ艦隊(上陸部隊も支援部隊も一緒)でこうは行かなかったでしょうけど・・・・?。退避・集中・攻撃・退避が原則でした。

 艦隊の退避場所はどこが適当か?でチョット気がつきました。ショートシナリオでもあり燃料・弾薬の集積が十分でなかったので、今回は利用しませんでしたが、沖縄って結構いい位置にありますネ。「海上権力史論」マハンではありませんが、西へ向かう米国の戦略ベクトルと南北に走る日本戦略ベクトルの交差点です。この当時の航空機の航続距離でも十分な位置に、在るは在るは重要地点。最近の米軍の海外展開の見直しではありませんが、改めて、沖縄を考えさせられました。米軍の立場で考えると・・・ムズカシイ・・・。

 ところで、あ号作戦時の第一機動部隊甲部隊の空母「翔鶴」の艦載機ですが、最近読んだ「翔鶴」の戦闘詳報を見ると作戦準備で零戦34・天山12(内3機偵察)・彗星18・二式艦偵10・九九式3・計77機とありました。私などは、第一機動部隊甲部隊はバリバリの新鋭機だけを揃えていたと思ったのですが、「機動部隊」(淵田美津夫・奥宮正武)を改めて読んで見ましたが釈然としませんでした(図書館で「戦史叢書」でも調べれば良いのでしょうが)。ゲームでも難しい時期を痛感しましたが、難しい時期だっただけに、実態は・・・?あ号作戦時の第一機動部隊甲部隊(大鳳・瑞鶴・翔鶴)の艦載機について何方か教えてください。 

[4225] Re[4220]: 航空機について 投稿者:うらマッハ 投稿日:2004/10/17(Sun) 00:27  
僕も主力として使った航空機を語ります。

主力戦闘機は序盤から中盤まで零戦21型、中盤以降は零戦52丙型でした。用途は地上掃射と爆撃機の護衛でした。どうもパッとしませんねえ。陸軍戦闘機はまったく使いませんでした。

陸軍爆撃機は42年11月ころまで(対英戦の途中)99式双軽1型、その後は4式重爆、43年11月ころからキ91でした。4式重爆は海軍重爆や艦攻の出番を奪うほどの活躍ぶりでした。キ91は太平洋での勝利の鍵です。

海軍爆撃機では、序盤で97式艦攻が犠牲を出しつつ米戦艦を沈めてくれました。僕は艦爆は流星艦爆を早期に開発したかったのですが、97式艦攻では厳しいので42年の8月ころ天山11型を制式化しました。その結果、44年3月ころから太平洋方面へ攻勢にでる空母に搭載できたのは彗星艦爆33型でした。流星艦爆は100機ほど参戦した時点で終戦でした。
連山陸攻と二式大艇をキ91の予備として制式化し、量産しました。一式陸攻34型や銀河は、4式重爆のおかげで制式採用されませんでした。一式陸攻11型も4式重爆のせいで偵察機として使われることになりました。ただ、一式11型は彩雲艦偵が制式化されるまで、偵察機として時々生産してました。

僕の場合、試作機段階で開発中止することが多かったので、航空機のバリエーションが貧弱でした。とくに陸軍機は、99式双軽1型、4式重爆、キ91以外はほとんど生産しませんでした。
海軍機は比較的いろんな機体を生産しましたが、戦闘機は零戦21型と52丙型だけでした。艦爆も97式艦攻、天山11、彗星33、流星だけ。陸上戦闘機は生産数0です。
どうも僕は高性能な爆撃機を早期に開発するのが好きなようです。艦爆も、プレイ当初は流星だけをねらってました。

それと戦車は1式砲戦車(戦車?)が優秀でした。そこそこタフで、火力もあり、そしてコストが安い。重点開発すると4ヶ月ほどで生産できるようになります。僕の一回目プレイの時は最も配備数が多かったです。3式中戦車も結構生産しました。

[4224] Re[4220]: 航空機について 投稿者:アルフレッド 投稿日:2004/10/16(Sat) 22:58  
航空機といえば11月より上野の国立科学博物館に零戦21型の複座型が展示されるそうですが、複座型があったなど初めて知りました。
今年は受験生を抱えているので厳しい年末年始になりそうであまりゲームに熱中できないのです。(女房が怖くて ^^;;)

一回目のキャンペーン時は私もB36と死闘を演じました。
このときはハワイ攻略で連合艦隊は事実上壊滅しており、「聖戦!日本空軍」の戦いでした。
西海岸のB36のいる飛行場全部キ−91で焼き払う作戦でしたが、敵の補充能力と設営部隊の能力に押され無理でした(^^;
火龍改、震電J、電光で迎撃するもB36の防御射撃で返り討ちにあい空襲は止められず日本本土は焦土と化し生産力で降伏に追い込まれました。
その後のキャンペーンもアメリカとの講話の糸口見つけられなくて・・まつかぜ氏と同じようにメールで教えて頂けるヒントぐっと我慢しつつ・・・来年、再来年あるいはもっとかかるかもしれませんが「聖戦!日本空軍」戦い抜きたいと思います。

乱文乱筆かつ長文にて失礼しました。

[4223] 空母戦記2 投稿者:GS大ファン 投稿日:2004/10/16(Sat) 22:34  
空母戦記の話です。だいぶ前の阿部さんの投稿ですが、なんと99でSBCをアウトレンジ出来ない??それは困りましたね。前作では私は徹底的なアウトレンジ信俸者で、最後の方は主力艦隊は空母だけで
編成してましたね。試行錯誤のすえ?編み出した(確かにこれは
彩雲や彗星登場以後ですが)レーダーサーチ索敵(単に接敵しない
だけですが。初期の距離がある段階から接敵にすると撃墜されるばかりで機数が不足するのと、なんとなく接敵すると米艦隊の動きも不自然(近寄ってこない)になるような気がするので。)でこちらの攻撃範囲に入るところで大量に索敵機(これには伊勢、日向が大活躍)出して補足攻撃のパターン確立してからは連戦連勝でした。
とにかく同時に攻撃圏に入って互いに攻撃隊だした場合は日本に勝ち目はないという印象でしたもんねえ。(もう少し迎撃の零戦強くても
いいような気しますが。おおむね迎撃の零戦の方がSBDより損害多かったような気も) というわけで今作はむつかしそうですねえ。
もちろんやりがいありそうでうれしいですが。

[4222] 弾薬 投稿者:GS大ファン 投稿日:2004/10/16(Sat) 22:16  
弾薬の話が出てますが私も所感を。阿部さんも言っておられるように
ゲームでは、(煩雑さを避けるためもあって)トン単位での管理です
が、現実にはトラック根拠地への補充に、それこそ大は46センチ砲弾から小は7.7ミリ、魚雷、爆雷と多種多用なものを消費計算して計画作って調達して輸送船に載せて送らなければならないんですよねえ。
その苦労して送った船が上層部の無理解でろくな護衛なしで行って
敵潜水艦にやられた日にゃあ、大井少将でなくても絶叫しますね。

[4221] Re[4214][4213][4212][4208]: 質問です 投稿者:GSdai 投稿日:2004/10/16(Sat) 22:07  
>ろう。
>
> >資源の乏しい日本でも処分はあったのでしょうか?
>
> よっぽど古い物か「使用する機会の無い弾薬」でも無ければ処分はされないだろう。
> なにしろ砲弾の製造には金と手間と資材がかかるから。
> 炸薬は腐るから交換(信管も長期間はやばそう)するとしてもね。
> (日本陸軍は大戦末期に「旅順攻略で活躍した28センチ榴弾砲」を実戦で使用したしインパール作戦でも日露戦争時代の31年式山砲を投入した。大砲ってのは結構、ながもちするし砲弾もまた然りなのだ。ちなみに仙台駐屯地に展示してある陸自のM2型105ミリ榴弾砲は昭和50年代にリタイヤした物品だけど製造はなんと昭和17年である。製造時、生産国の米国とは敵対していたんだが製造刻印が1942となっている。刻印した人はまさか日本で末永く展示されるとは思わなかったろう。)
>
> >長期にわたる未使用であれば、経年劣化や誤爆等もあるのでしょうし。
>
> 10年ほど前、北京で38式歩兵銃を撃った事がある。
> 当然、弾薬は大昔の物だ。
> たまに遅発する弾もあったけどおおむね大丈夫だったよ。
> その時、ちょっと心配になったもんで陸自の友人に「どのくらいで小銃弾は使用できなくなるのか?」を聞いた事がある。
> そうしたら「かなりの年月」だった。
> (補足すると「小銃弾の場合、備蓄が少ないので回転が早く実際には使用出来ない状態に達する事は考えられない。」らしい。備蓄がどれだけかはナイショである。まあ例え話だが1丁あたり備蓄が120発で年40発撃てば3年で消費されてしまう。備蓄が無くなっちゃ困るから毎年1丁につき40発ずつ発注すれば良いのである。)
> 装薬を交換できない小火器用弾薬ですら「かなりの年月」なんだから砲弾であれば「相当長い年月」と考えても良いかも知れない。
> ちゃんと保守、管理して「劣化した砲弾を除外」していればね。
> (以前、ウラジオストックでソブレメンヌイ型駆逐艦が主砲の弾薬を弾薬庫から抜いて砲塔の周りに一列に並べている写真を撮った。海自の友人に「なんでそんな事してるんだろう?」と尋ねたら「時々は弾薬庫から出して保守点検するのは当たり前の事。」と返事が返ってきた。どうやらそう言う物らしい。)
>
> PS・プレイヤー諸氏のリプレイ報告を読むのはとても楽しい。
> 参考になるので是非、これからも投稿して頂きたい。

[4220] 航空機について 投稿者:洛陽不覚 投稿日:2004/10/16(Sat) 21:30  
 皆様、まだまだ「太平洋戦記2」でがんばっておられるようでうれしく思います。
 航空機の話が出ていたので、私が講話にこぎ着けたときの状況を書き込ませていただきます。
 「太平洋戦記2」のキャンペーン序盤戦では、零戦21型と99式双軽1型の大量生産で対英戦を乗り切りました(1942年末までかかりましたが)。
 零戦21型の作戦航続距離1200キロという長距離侵攻能力は、連合軍の軽爆撃機の航続圏外からの空襲と掃射を可能にします。
 そのため、飛行場掃射や大火力を生かした陸上部隊の掃射に力を発揮しました。
 また、99式双軽は陸軍機にしては比較的長距離の航続力、急降下爆撃による爆撃効率の良さ、そして中型爆弾を使用すれば陣地の破壊に有効でした。
 対中国戦線は、皆さんと同意見で、4式重爆が投入されると侵攻作戦の効率が良くなりますね。
 主要な生産航空機は、戦闘機が序盤は零戦21型(長距離侵攻作戦)→鍾馗1型・2型と屠竜(対ソ戦本土防空・夜間爆撃対策)→震電(拠点防空用)、爆撃機が99双軽1型(対英戦)→1式陸攻34型(対鑑攻撃力強化・銀河までのつなぎ)→4式重爆(対中・対ソ戦)・銀河(対ソ戦・南太平洋方面の長距離侵攻作戦と対鑑攻撃強化)→連山(太平洋方面長距離侵攻作戦)→キ91(遠距離の敵拠点爆撃と米本土爆撃戦)、といった状況でした。
 もちろん、平行して各種艦載機等も開発しましたが、対米講話成立時の機動部隊の主力艦載機は、零戦52型、彗星11型、天山11型でした。
 こうやってみると、基本的には連合軍の航続距離外からいかに攻撃を加え、拠点を無力化するか、が侵攻作戦の中心だったようです。
 ちなみに、私の場合、講話成立の順序は、英国、中国、ソ連、豪州の順でした(ただし豪州本土の2都市は1942年の早い段階で攻略しています。このおかげで後のニューギニア、南太平洋方面の作戦展開が楽になりました)。
 戦車はできるだけ生産して前線に送るようにしていましたが、対ソ戦が終わった段階で95式軽戦車、97式中戦車、97式中戦車改はすべて鋼材と化しました(最終的には97式改を600両くらい生産していたようです)。
 戦車不必要説もありますが、対戦車戦火力の強化、拠点防御の頭数としてそれなりに役に立っていたように思います。

 以上、とりとめのない文章となりましたが、ご笑覧いただければと存じます。

 洛陽不覚 拝

[4219] 現在の戦況 投稿者: 投稿日:2004/10/16(Sat) 20:32  
後日 HPにも掲載するかもしれませんが,
昭和17年3月,ポートモレスビーを落としたところです。

資源地帯がまだ手をつけていないので
どうしようかなぁ,というところです。

http://www.geocities.jp/gs_kaisen_club/


[4218] 弾薬の寿命について。 投稿者:C物品 投稿日:2004/10/16(Sat) 19:42  
 弾薬の寿命について、海上自衛隊では弾薬整備補給所(通称弾補所)で弾薬をロット別に一定期間装薬の変化を定期的に検査しており、ほとんどの弾薬が規定をクリアして保管途中で砲弾を廃棄する例はまれとのことです。戦前の弾薬でもよほどの不良品でなければ数年で劣化することはないと思いますので大和の砲弾は使えたと考えます。

[4217] Re[4215]: 攻略法 投稿者:うらマッハ 投稿日:2004/10/15(Fri) 23:56  
> やっとソ連を倒したのはいいけれど大量に余った陸上兵力の移動にげんなりする今日この頃です。

戦線が変わったときの陸上部隊や物資の移動は大変ですよね。僕もソ連から太平洋へ戦力を移すのに三ヶ月くらいかかりました。
大切な整備部隊の海上輸送は緊張します。輸送船団がたまに海上で潜水艦隊や敵輸送船団にぶつかるんですよ。リロードしたくない場合、護衛艦を含んだ輸送船団の手配が大変です。

> インド、ビルマ方面
やっぱり平地に引き込んで集中爆撃ですよね。僕は引き込んで戦車で殲滅してましたが。インド・ビルマの乾期の時期は「晴」が多いですし。
曇りだと微妙に爆撃機は飛ばしたくないです。99双軽や零戦21型は撃墜されやすいのも嫌でした。99双軽は整備ポイントが2というところがちょっと不満でした。4式重爆が使えるようになったときはうれしかったです。

> 敵主力はプロームに撤退してくれるので、一度も戦闘せずにいける。

言われてみれば、インド・ビルマは分かれ道が多いので、飛行場だけ叩いて放置した根拠地が多かったです。インド洋は英艦隊が怖かったので手を出さずに済みました。自由インド仮政府があると講話しやすくなるみたいです。

> 中国方面
> 南方が雨季に入るまでは戦線の維持。雨季が明けたら、プノンペンから航空兵力を移動させて一点集中で空爆。飛行場建設はそれまでにしておく。漢口がおすすめ。99双軽で多くの根拠地を狙える。

僕が中国に対して攻勢に出たのが43年の6月ころでした。使える航空機は4式重爆と零戦52丙型で、爆撃に適した機体でした。といっても中国はなかなか「晴」ないので、戦車(一式砲戦車と三式中戦車)を使って、太原に引き込んで閉じこめた敵部隊を殲滅していました。爆撃だけだとなかなか数が減らせないのです。
結局、43年中にソ連と決着をつけ、44年の冬に太平洋方面へ攻勢に出る準備がしたかったので、中国戦線は蘭州を占領した時点で引き上げました。

> ソ連方面
> 4式重爆か銀河がないと厳しいだろう。チタ占領後は毎ターン150台の戦車を投入してくるが、ウランウデとチタから1200機の4式重爆を飛ばせば可能なはずである。

4式重爆と零戦52丙型というタフで航続力のある航空機があっても、なかなか厳しかったです。それに中国戦線を8月の終わりころに終わらせ、10月の最初ころに開戦したので、準備が万全でなく整備部隊の数が少し不足していました。ソ連戦闘機Yak9は武装が弱いので害は少ないのですが、IL4重爆の航続距離は厄介でした。本土や北京の弾薬工場が爆撃に遭いました。

> チタ占領後は毎ターン150台の戦車を投入してくるが、ウランウデとチタから1200機の4式重爆を飛ばせば可能なはずである。

ハイラル−ネルチンスク間が難関でした。引き込んで戦車で殲滅する方法も、閉じこめることができないので使えませんでした。天候が「晴」の時は4式と52丙、「曇り」の時は52丙だけで可能な限り爆撃しましたが、なかなか敵部隊が減りませんでした。ただ、ネルチンスクでかなりの数の敵部隊を撃破(こちらも航空機と弾薬をかなり消費しました)したせいか、チタを占領した時点で講和できました。

> 太平洋方面
> 米重爆との航空消耗戦だけは絶対に避けなければならない。そのため開戦初頭に第1機動艦隊をこき使ってガダルカナル、タウンスビル、ポートダーウィンを急いで占領、

僕も、開戦初頭に第1機動艦隊、それと呉の第一艦隊をこき使って、ニューギニア・オーストラリア方面を確保しました。ただ、タウンスビル・ポートモレスビー・ラバウルの線を確保した時点で燃料切れになり、しかもニューカレドニア発の米艦隊とポートモレスビーの航空隊が死闘になったので、ガタルカナル・ナウル・タラワの線を確保する勢いを失いました。この線を確保すれば、ニューカレドニアに停泊中の艦隊を攻撃できたのですが。また、少しでも良い雷撃機が欲しくなったので、天山11型を制式化することになりました。

> ・絶対に援助には応じない。
> 親日政権が失脚しても攻撃部隊を配置すればよい。満州は親日度が低下すると援助要請をしてこなくなる。(さすが傀儡か?)輸送船1隻で海防艦10隻or戦車約600両or弾薬5000tになる。攻撃部隊の方が遥かに安上がり。

僕も一回目プレイの途中で、攻撃部隊で治安維持するほうが得だと思いました。よく考えると、売り払った輸送船の数が、潜水艦の被害数より多かった気がします。

> ・空母は攻撃用、戦艦は防御用

僕も戦艦・重巡は、防衛の切り札として本土やホロムシロに配備していました。航空隊が出られない場合、戦艦がいてくれると心強かったです。雨の中に入った敵艦隊の追撃にも使いました。
空母は最後の攻勢まで温存でした。蒼龍型を量産し、合計30隻の正規空母で太平洋方面に攻勢にでました。途中で敵輸送船団と夜戦になり魚雷で一隻沈みました。護衛艦なしだと、やっぱり危険のようです。

[4216] Re: 私も仲間に入れて下さい 投稿者:まつかぜ 投稿日:2004/10/15(Fri) 23:25  
御無沙汰しております。
太平洋戦記2、盛り上がってますね。皆様の聖戦完遂への取り組みの御奮闘に励まされつつ私もまた始めてしまいました。
とにかく遮二無二最後までクリア、というのが、依然として目標であります。進歩がないなぁ。。。
といっても、セーブをこまめにとるため、リロードを繰り返しつつ作戦指導している「超軟弱」統合軍令本部であります(笑)

進行しつつ、最近の感想めいたことを申しますと。。。
最大の敵は「時間」ではなかろうか、という印象が大変に大きくなっております。(プレイする時間、というのも大きいですが。。。。)

連合軍は生産能力、技術力、共に日本をしのいでますので、時間が経てば経つほどに、日本を全面的に圧倒できるだけの戦力が蓄積でき、こちらはその前に何とかしないと、戦線の帰趨にかかわらず本土を焼き尽くされ、戦争目的は失われてしまいます。

つまり、少々弱かろうか作戦が稚拙だろうが、戦力吸引ができれば連合軍部隊は任務達成、一方こちらは戦線に引きずり回されながら時間と兵力消耗を最小限にしつつ、米国との講和への足がかりを造ってゆかねばならないのですから。。。
(米国懐柔の条件は、、、メールで教えてもらえるらしいですが、そこは何とか踏みとどまっております。(笑))

周到な計画と鋼の意志が必要とされるゲームだ、、、と今更ながらに思いつつ苦戦を続けております。何せ、リロードでほとんど全部といってよいほど完璧に戦闘を進めているのに、計画遅延が雪だるま式に発生する、という恐ろしい状況が味わえますから。。。(はい、ヘタレの愚か者であります(笑)

で、以前と比べて計画性が不可欠、と、プレイの時、メモをとって、作戦進行の補助としております。
洛陽不覚様もwindowsのメモ帳で、とおっしゃっておられましたが、小生は表計算ソフトをメモ代わりにしております。
潜水油送船団(実態は中破、大破した艦隊型潜水艦の寄せ集め)の根拠地への燃料荷下ろし量計算とか、短期的な兵力移動の予定管理とか、敵補給艦隊の撃ち漏らし防止などに結構使えます。
皆様も、おそらく同じような対策で臨んでおられると思いますが、ご参考になれば幸いです。

でも、きちんと戦争終結に持ってゆけるようになるまでに、あと何回挫折することやら。。。。

話変わって。
空母戦記2、まことに楽しみであります。
空母戦記1で、家庭内平和と心身の健康を危険にさらしながら、(苦笑)キャンペーンで敵空母全数撃沈を達成したこと、またマリアナ戦シナリオでは、水上戦部隊を突撃させた末に、46サンチ砲でエンタープライズを撃破して快哉を叫んだ思い出が再び、と思うと全身に震えが。。。(爆
阿部さんはじめGS各位の合理的かつ勇敢な戦闘に期待しております。
くれぐれも御自愛くださいますように。


つれづれなるままに?支離滅裂なる乱文となりましたが御容赦ください。

[4215] 攻略法 投稿者:hiro 投稿日:2004/10/15(Fri) 21:44  
はじめましてこんにちは。
やっとソ連を倒したのはいいけれど大量に余った陸上兵力の移動にげんなりする今日この頃です。
さて私の戦略を紹介します。なにかの参考になれば幸いです。

インド、ビルマ方面
開戦初頭、プノンペンまで後退し、バンコクに引き込んで99双軽を集中し空爆で叩く。雨季に入ったら中国・ソ連から転用した攻撃部隊990で一挙にメイクテーラ、ミイトキーナと経由してパトナまで攻めあがる。敵主力はプロームに撤退してくれるので、一度も戦闘せずにいける。雨季の間に最大まで飛行場を建設し、雨季が明けると同時に99双軽900機で攻撃する。デリーまで届くので、これでデリー占領。インド洋に手を出す必要なし。

中国方面
南方が雨季に入るまでは戦線の維持。雨季が明けたら、プノンペンから航空兵力を移動させて一点集中で空爆。飛行場建設はそれまでにしておく。漢口がおすすめ。99双軽で多くの根拠地を狙える。

ソ連方面
私個人としてはぜひ叩いておきたい。上記と平行して飛行場を建設しておき、両方が片付いたら開戦。ただし、4式重爆か銀河がないと厳しいだろう。チタ占領後は毎ターン150台の戦車を投入してくるが、ウランウデとチタから1200機の4式重爆を飛ばせば可能なはずである。

太平洋方面
米重爆との航空消耗戦だけは絶対に避けなければならない。そのため開戦初頭に第1機動艦隊をこき使ってガダルカナル、タウンスビル、ポートダーウィンを急いで占領、ニューカレドニアを殲滅し、その後ホロムシロ、釧路、横須賀、マーカス、ウェーク、クェゼリン、ガダルカナルの線で(ナウルとタラワは占領。タラワは基地化してもよい)哨戒し、守る。ガダルカナルには陸攻隊を集中しておく。すると米軍の主力艦のほとんどがニューカレドニアに入港してくるのが見えるのでそこをすかさず停泊中のところを雷撃、撃滅する。上記の線で守ればB17、B24の攻撃半径には入らないので航空消耗戦は発生しない。また、ポートダーウィンとタウンスビルを押さえていれば蘭印、ニューギニア方面に一切の連合軍増援が来れないので
悠々と攻略できる。もともとたいした戦力もないし、放置しても要塞化しない。重要なのは豪州の2拠点の守りが固くなる前に攻略することか。残った根拠地は大陸を片付けた後に攻略する。

攻略Tips
・絶対に援助には応じない。
親日政権が失脚しても攻撃部隊を配置すればよい。満州は親日度が低下すると援助要請をしてこなくなる。(さすが傀儡か?)輸送船1隻で海防艦10隻or戦車約600両or弾薬5000tになる。攻撃部隊の方が遥かに安上がり。

・空母は攻撃用、戦艦は防御用
空母は弾薬を消費しない。タンカーをくっつけて長期間空爆して回らせるべし。戦艦は空母に比べ、同じ戦果を挙げるのに何倍も燃料、弾薬を消費する。そこで普段は前線根拠地(クェゼリン等)に待機し、敵艦隊が出現したら長大な移動距離と悪天候に強い利点を活かして接近、撃滅する。戦艦を多用しなければ燃料も弾薬も余裕ができるはずである。

ずいぶん長くなってしまいましたね・・・すみません。
それでは。

[4214] Re[4213][4212][4208]: 質問です 投稿者:阿部隆史 投稿日:2004/10/15(Fri) 11:11  
> 昭和16年12月に竣工した大和が実戦で発砲するのは、昭和19年10月のレイテ沖海戦で2年10ヶ月余りですが、竣工時の砲弾が使われている筈はないでしょう?

使われてると思うけど...
何しろ定数250発の翔鶴の高角砲弾で年度消費が12発だから全部消費するのに平時なら20年分だ。
俊工時に定数通り搭載されたとするなら戦闘で消費しない限り早々は無くならない。
空襲時にしょっちゅう撃つ高角砲はともかく46センチ砲弾を戦闘で消費する機会はあまりないだろう。

>資源の乏しい日本でも処分はあったのでしょうか?

よっぽど古い物か「使用する機会の無い弾薬」でも無ければ処分はされないだろう。
なにしろ砲弾の製造には金と手間と資材がかかるから。
炸薬は腐るから交換(信管も長期間はやばそう)するとしてもね。
(日本陸軍は大戦末期に「旅順攻略で活躍した28センチ榴弾砲」を実戦で使用したしインパール作戦でも日露戦争時代の31年式山砲を投入した。大砲ってのは結構、ながもちするし砲弾もまた然りなのだ。ちなみに仙台駐屯地に展示してある陸自のM2型105ミリ榴弾砲は昭和50年代にリタイヤした物品だけど製造はなんと昭和17年である。製造時、生産国の米国とは敵対していたんだが製造刻印が1942となっている。刻印した人はまさか日本で末永く展示されるとは思わなかったろう。)

>長期にわたる未使用であれば、経年劣化や誤爆等もあるのでしょうし。

10年ほど前、北京で38式歩兵銃を撃った事がある。
当然、弾薬は大昔の物だ。
たまに遅発する弾もあったけどおおむね大丈夫だったよ。
その時、ちょっと心配になったもんで陸自の友人に「どのくらいで小銃弾は使用できなくなるのか?」を聞いた事がある。
そうしたら「かなりの年月」だった。
(補足すると「小銃弾の場合、備蓄が少ないので回転が早く実際には使用出来ない状態に達する事は考えられない。」らしい。備蓄がどれだけかはナイショである。まあ例え話だが1丁あたり備蓄が120発で年40発撃てば3年で消費されてしまう。備蓄が無くなっちゃ困るから毎年1丁につき40発ずつ発注すれば良いのである。)
装薬を交換できない小火器用弾薬ですら「かなりの年月」なんだから砲弾であれば「相当長い年月」と考えても良いかも知れない。
ちゃんと保守、管理して「劣化した砲弾を除外」していればね。
(以前、ウラジオストックでソブレメンヌイ型駆逐艦が主砲の弾薬を弾薬庫から抜いて砲塔の周りに一列に並べている写真を撮った。海自の友人に「なんでそんな事してるんだろう?」と尋ねたら「時々は弾薬庫から出して保守点検するのは当たり前の事。」と返事が返ってきた。どうやらそう言う物らしい。)

PS・プレイヤー諸氏のリプレイ報告を読むのはとても楽しい。
参考になるので是非、これからも投稿して頂きたい。

[4213] Re[4212][4208]: 質問です 投稿者:中ちゃん 投稿日:2004/10/14(Thu) 22:15  
> なお鬼が笑うかも知れないが太平洋戦記3では魚雷と誘導爆弾は1発単位にしようと目論んでいる。
>
質問以上のお答えを戴き参考になりました。ありがとうございます。もうひとつだけ、お尋ねします。砲弾の有効期限はどのくらいなのでしょうか?昭和16年12月に竣工した大和が実戦で発砲するのは、昭和19年10月のレイテ沖海戦で2年10ヶ月余りですが、竣工時の砲弾が使われている筈はないでしょう?資源の乏しい日本でも処分はあったのでしょうか?長期にわたる未使用であれば、経年劣化や誤爆等もあるのでしょうし。分解しての他方弾への流用もしたのでしょうか?

[4212] Re[4208]: 質問です 投稿者:阿部隆史 投稿日:2004/10/14(Thu) 15:06  
> 弾薬についてはどのような供給体制や配備がされていたのでしょうか?

「実際の話」であればどこの港でも46p砲弾や40p砲弾が補給できる訳ではない。
ゲームでこれができるのは「生産の都合とプレイの利便性」から弾薬をトン単位で管理している為だ。
よって聞きたいのは「実際の話」だよね?
基本的に主力艦の弾薬には艦に搭載されている分と軍港(基本的には母港)に備蓄されている分がある。
平時であればこれに訓練の年度消費分が加わる訳だ。
ちなみに翔鶴の12.7センチ高角砲の年度消費分は1門当たり12発である。
そして戦争が始まり艦隊が外地に出征すると前進根拠地に若干の備蓄が必要になる。
こうした時に弾薬を輸送するのが特設給兵艦だ。
ちなみに油を補給するのが給油艦、石炭を補給するのが給炭艦、食料を補給するのが給糧艦、兵器と弾薬を補給するのが給兵艦で民間船を借り上げて使用している場合は頭に「特設」の2文字が付く。
つまり特設給兵艦がトラックやパラオまで大口径砲弾をエッチラオッチラ運び弾薬を消費した艦船に補給(もしくは当初から消費する事が予測される場合の備蓄)をするのである。
例えば1942年10月13日に金剛と榛名がヘンダーソン飛行場を砲撃した時、両艦の主砲弾薬定数は合わせて1600発だが36p砲弾918発を消費した。
特に3式弾は出撃しなかった比叡と霧島の分も集めて使っている。
使った分は補充せねばならない。
特設給兵艦の出番である。
だが特設給兵艦にもあまり弾は積んでなかった様だ。
金剛、榛名についで11月9日には比叡、霧島が出撃し同一の射撃計画に基づいて行動(同一なのだから主砲弾の消費量も約1000発と予測されたであろう)したが不測の会敵によって第3次ソロモン海戦を戦った。
戦史叢書「南東方面海軍作戦2」357頁によれば運兵船(給兵艦の事)の在庫が少なかったのでこの時も出撃しない金剛、榛名から弾薬が移されたと書かれてる。
写真集「日本の軍艦」巻末資料によれば開戦時、第1艦隊及び第2艦隊に所属していた特設給兵艦は日朗丸、興業丸、尾上丸、日威丸、日出丸の5隻である。
雰囲気を出したいプレイヤーは適当な5隻の輸送船に上記の艦名をつけ弾薬運搬専用船にされるのが良いであろう。
(戦史叢書「ハワイ作戦」だと潜水艦部隊や南洋部隊、北方部隊などを併せ総計10隻となる。増えてるのは新玉丸、日立丸、辰武丸、辰神丸、日春丸。)

蛇足ながら太平洋上にある日本軍主要根拠地の弾薬(航空機用爆弾)は開戦時、サイパンが139t(ゲーム上では200t)、トラックが337t(ゲーム上では300t)、パラオが472t(ゲーム上では500t)であった。
パラオの場合、50番通常126発、50番陸用120発、25番通常240発、25番陸用350発、6番通常1080発、6番陸用2300発である。
これを1発単位で生産、管理したら気が遠くなる事がお判り頂けよう。
艦艇用の砲弾、爆雷、魚雷も同様だ。
だから「トン単位」にしたのである。
なお鬼が笑うかも知れないが太平洋戦記3では魚雷と誘導爆弾は1発単位にしようと目論んでいる。

[4211] Re[4207]: 私も仲間に入れて下さい 投稿者:神崎川 投稿日:2004/10/14(Thu) 00:25  
神崎川っす。

>>ルーク さんへ
私も最初のプレイでは、艦隊決戦が起こらずに高海艦隊をも上回る規模の自沈したのには驚いた。(^^;
 #特に南太平洋で・・・
 #パターンらしいモノがありましたが、ネタバレになりそうなので止めておきます(^^;

あと、今回は活躍したのが零式水偵が開戦の最初から最後まで活躍しましたね。
水上機は、滑走路規模に関わらず、港湾のある所なら配置できるので、スタック制限のある陸上偵察機を使っての哨戒は無駄かと(^^;
いや、なんといえばよいか・・・・毎ターン定期哨戒を行うのですが、アッチで1機、コッチで2機と行方不明になるのが、何か哀愁を感じます。
消耗激しいんですよねぇ。。。。
 #強行偵察には俊足な陸上偵察機や重装甲の重爆が有効ですが(^^;

水上機母艦での哨戒も結構いけますよね。
燃料が多く、長期間索敵できますから。
しっかし、日本近海といえ、3,4ヶ月も海の上ってのは厳しいですよね(^^;

それでは。

[4210] Re[4207]: 私も仲間に入れて下さい 投稿者:うらマッハ 投稿日:2004/10/13(Wed) 23:41  
> 威圧も武器になるということでしょうか(爆)

おお!「威圧」ですか。そういう戦い方もあるんですね。英艦隊ってこちらの艦隊規模(総ステップ数なんでしょうか?)が大きいと出てこないんですか。
僕は海上から攻めると英艦隊に攻撃されると思っていたので、部隊をマレー半島に引き込んだあとサイヨクを占領し、閉じこめた敵部隊を戦車など(42年の中頃でしたので戦車の数がそろわず、半分くらい歩兵でしたが)で殲滅する方法で敵部隊を削りました。

> 全体の方針としては,蘭印の資源地帯はもちろんですが,ニューギニア,オーストラリアの早期奪取が重要かなと思います。私はラエとクーパンを要塞化して42年2月ぐらいに制圧しました。連合軍の脅威は重爆と潜水艦ですから,それさえしのげれば勝利も見えると思います。

やっぱり驚威は重爆と潜水艦ですよね。重爆対策はニューギニア・オーストラリアの早期攻略と、陸軍重爆の重点開発なんですよね。僕もニューギニア・オーストラリアは42年の4月ころに、クーパン・ポートダーウィン・タウンスビル・ポートモレスビーを攻略できました。まあ、僕の場合1月ころにトラックがニューギニア方面からB17の爆撃を受け、あわてて空母・戦艦と蘭印攻略中の上陸船団で攻勢に出たので、上陸作戦中に空母が次々に破損してしまいました。準備不足だと損害が増えてしまいますね。しかも、占領して一ヶ月後のポートモレスビーに敵艦隊が攻撃してきて大変でした。なんとか追い返しましたが、雷撃機が200機くらい撃墜されました。

> それにしても最速でいつ頃の勝利が可能なんでしょうか。やはりキ91がないと難しいでしょうから44年の春より速くは無理ですかね。今回もソ連やアリューシャンを無視すれば可能だったかもしれませんが,前回は膠着してしまったソ連をどうしても叩きたかったんですよねぇ。

言われてみれば、ソ連やアリューシャン、(中国も無視できるでしょうか?)、などを攻略しなくてもアメリカと講話できたんですよね。僕は、ダッチハーバー以外のアリューシャンの根拠地は占領せずに(ダッチハーバーを占領した次のターンに)講話しました。
でも44年春より早くに講話するのは難しそうですね。キ91や上陸作戦を行う艦隊、弾薬と燃料の準備が大変ですから。

そういえば、作戦準備の内容は、うまくいかないときリロードするかしないかで、ずいぶん変わってくると思います。リロードするつもりなら、バクチ的な編成で挑むこともできますが、リロードしないつもりだと、かなりいろんな準備が必要になると思います。

[4209] 今回の戦略ですが… 投稿者:ワルキューレ 投稿日:2004/10/13(Wed) 22:55  
「戦記2」最後までやりとおせない根気のない私です。
最近、再び「メインシナリオ」を初めからやり始めました。今回は真珠湾攻撃もやらず、一撃撤退の「マインシュタイン戦略」?でサイパン決戦を狙いました。
 昭和17年後半からほぼ3ヶ月ごとに逐次投入している敵を撃滅できますが、やはり戦力は先細り。とくにB17、昭和18年からはB24が痛い。中国も南から撃滅してしまい、鉄のとれる北シナから攻めればよかったと後悔しています。
 瀬島竜三元大本営参謀が、米軍の進撃スピードが速く、相手との間合いを作ろうと思ったができなかったと回顧しています。一撃離脱は成功しているものの、敵の重爆の足が長すぎて、うまくいかなくなってきています。またやり直そうかな…。
 結論として、長期自給は難しいのかも。、

[4208] 質問です 投稿者:中ちゃん 投稿日:2004/10/13(Wed) 22:33  
太平洋戦記2をプレイして思ったのですが、「弾薬」についてです。ゲーム上では大和の46cm砲や長門の40p砲弾等装備する艦船が少ないにもかかわらず、基地に弾薬の備蓄があれば大和も長門も、どこの基地でも補給されます。しかし実戦では、全ての基地にストックされていたとは思えません。弾薬についてはどのような供給体制や配備がされていたのでしょうか?

[4207] 私も仲間に入れて下さい 投稿者:ルーク 投稿日:2004/10/13(Wed) 02:15  
太平洋戦記2で盛り上がってますね。私も1年ぶりにやっていますので参加させて下さい。
大東亜戦争(標準)で,44年7月に全根拠地を占領して9月に何とか米国と講和できました。でも,今回はリロードしてもう少し続けてみようと思っています。欧州戦線の行方が気になるのと,この先がどのようなゲームデザインになっているのか興味があるからです。

また,今回プレイして思ったんですが,昨年のときより連合軍が強くなっているような気がします。具体的には英軍の増援強化と米軍の飽和攻撃です。前の時はもっと楽だったような気がします。英軍が弱いという意見もあったようですから,この辺はバージョンアップで対応されたんでしょうかね。

そんなわけで私もモールメンの壁を破れずにいましたが,インド洋からマドラス経由で攻略しました。まずは全戦艦,空母をつぎ込んで編成した超凶悪艦隊で殴り込みをかけたところ,英国艦隊はびびったのかちょっと出てきて次のターンで入港してしまいました。これ幸いとばかりに空爆&上陸を敢行し,英国艦隊は戦わずして消え去りました(笑)
威圧も武器になるということでしょうか(爆)

飛行機については皆さんと同意見です。序盤は双軽で次に4式重爆,そしてキ91です。海軍では2式大艇と銀河も重宝しました。特に2式大艇は遠距離の敵上陸部隊撃滅に大活躍でした。
防御面では対潜部隊に力を入れて,重要港では出港してすぐ入港させる潜水艦チェックをしていました。それから,水上機母艦で哨戒もれのないようにしていましたが,これは大正解で米軍のサプライズ作戦を防ぐことができました。

全体の方針としては,蘭印の資源地帯はもちろんですが,ニューギニア,オーストラリアの早期奪取が重要かなと思います。私はラエとクーパンを要塞化して42年2月ぐらいに制圧しました。連合軍の脅威は重爆と潜水艦ですから,それさえしのげれば勝利も見えると思います。

それにしても最速でいつ頃の勝利が可能なんでしょうか。やはりキ91がないと難しいでしょうから44年の春より速くは無理ですかね。今回もソ連やアリューシャンを無視すれば可能だったかもしれませんが,前回は膠着してしまったソ連をどうしても叩きたかったんですよねぇ。

[4206] ありがとうございます 投稿者:アカギ 投稿日:2004/10/13(Wed) 00:16  
>アルフレッドさん
過去ログ[3578]以降にB36に対してのレポがありました。
私もこれにやられましたが、きついっす。

過去ログ読みました。なるほど、参考になりました。高高度爆撃させればいいのですね。
僕の場合工業力は1万7千ぐらいあるので、もうしばらくは戦えそうです。燃料も弾薬も備蓄は十分ですから、震電改が出来れば…というところでしょうか。

洛陽不覚さん
>日本軍の究極兵器は「キ91」かもしれません。

うまい言い方ですね。まさにそのとおり。僕は「キ91が戦争を変えた!」と心の中で叫びながらプレイしていました。いやあ、アレでにっくき米艦隊を壊滅させたときの快感と興奮といったら…。

僕の場合はハワイにキ91200機を配備して、室蘭と弾薬の往復をくりかえしておりました。いろいろなやりかたがあるとは思いますが、早い段階でのハワイ攻略は太平洋攻略のポイントとなると思います。ハワイからキ91はダッチ、フィジーあたりまで爆撃できます。そこまでの制空権を確保できるのは大きい!それをカバーするようにクゼリンにもキ91をとキ74配備すれば、ポートモレスビーまでを確保できます。ニューギニアからB29が到達できるのがサイパン、トラックなので、クゼリンは上陸部隊だけ注意していれば要塞化できます。僕はサイパントラックは無防備状態でした。
ニューギニア攻略語はホランジャを要塞化しようとしています。それとサイパンに彗星などを配置しています。これで哨戒網をかいくぐってきた米上陸艦隊(いわゆる駆逐艦2、タンカー2、輸送艦2のアレですが)をつぶせますから。

大陸方面の攻略は、工兵と双軽99で勝ったようなものです。爆撃で徹底的に殲滅したあと、占領し、工兵180で空港の突貫工事。これで後続の短い戦闘機を数百機単位で投入できるシステムができあがりました。おかげで大陸の空港はみなマックスに整備されてしまいました。しかし、兵の損耗は最小限に抑えました。

僕の戦略コンセプトは「1兵も死なすな」です。孤島に孤立した残存兵の救出作戦に多大な労力を費やしたこともありました。救出艦隊を編成して、台風の接近や天候の悪いときをみはからって接岸したものです。作戦に携わった兵たちはさぞかし大変だったと思います。

戦うだけではなく、兵の事を色々想像しながらのプレイも楽しいものです。台風で動けなくなった艦隊などがあると「こりゃ、相当に波にもまれているだろうな」とか、ずっと洋上に出ている艦隊に「そろそろおふくろの味噌汁を食べさせてあげようか」とか。
実際、飛行機に乗ればわかりますが、霧や豪雨での着陸は難しいということがわかります。
でも、緊急事態にはやはり犠牲を覚悟の「強行着陸」なんてコマンドがあってもよかったかなというのはぜいたくでしょうか。

[4205] 盛り上がってますね 投稿者:心太 投稿日:2004/10/12(Tue) 23:41  
皆さんの太平洋戦記2の話、参考になります。

私は、大陸方面ではキ102乙と四式重爆が開発されれば楽になるように感じます。
まずキ102乙で敵迎撃機を撃墜し、そのまま飛行場を襲撃。
そして四式重爆で陣地を削り、残ったキ102乙で地上部隊を一掃。
開発までの苦戦が嘘のようでした。
(大陸攻略から先はお察し下さい)

キ91を始めとする重爆は、旋回機銃が強力なのが多いので
わざと偵察に使うことで戦闘機代わりにできますね。
弾薬も消費しないので個人的にお勧めです。

[4204] Re[4202]: 陣風艦載化希望 投稿者:うらマッハ 投稿日:2004/10/12(Tue) 23:35  
> タイは1ターン目に何もしないでほっておくと、連合国側で宣戦布告してきます。

だめなんですね、タイの中立化。(初心者丸出しでした)
となると、ビルマ・インド方面へ侵攻はサイヨク・モールメンのルートになりそうです。このルートだと海戦の必然性が低いんですよ。まあ、ワザとインド洋を使えばいいんですが、やはり作戦立案には必然性がほしいところです。その作戦をとらざるを得ない、あるいはもっとも有利であるという理由です。
こういう時はエディタの活用ですが、自軍根拠地のデータや兵器の性能をデザイナーでもない僕がいじってもあまり面白くならないような気がします。それに敵軍の配置のようなCPU思考に影響を与えてしまうパラメータはいじれませんし。まあ下手にいじってフリーズしてしまうより良いと思います。
「太平洋戦記2」はどの兵器を主力に置くかで、いろいろ戦況が変わってくるみたいなので、次のプレイは前回とは違う兵器で戦おうと思います。

前回(一回目)は、陸軍重爆撃機が主力兵器でした。作戦の発動時期も4式重爆やキ91の開発終了・量産完了時期に合わせていました。まさに「太平洋戦記2」は準備のゲームですね。
キ91の数がそろうまで、太平洋方面への攻勢は控えて、キ91の数がそろった時点で(実際なかなか数がそろわず、連山と二式飛行艇でカバーしましたが)蒼龍型主体の空母30と開戦時の生き残りの戦艦・巡洋艦で一気に攻勢にでました。(駆逐艦は全部鉄になってました)
キ91があると、敵の基地航空隊を無力化できるので、出撃させた艦隊が安全に敵根拠地を攻略できるのです(だから蒼龍でも十分です)。爆撃を受ける可能性が低いので、防空用の駆逐艦や高性能な戦闘機が要らないのです。
キ91があると防空用の艦艇や高性能艦載機が要らないわけですが、キ91がないと必要になってくるし戦い方もスリリングになると思います。
主力兵器選定が戦略に与える影響が大きいのが「太平洋戦記2」の大きな魅力なんでしょうね。


>ちなみに、自分が最も多く生産した機種は九九双軽1型です。
史実通り地道に良く働きました。

僕も1942年の終わりころの4式重爆制式化までは、九九双軽1型ばかり生産していました。地味ですが、良い爆撃機でした。
それにしても、4式重爆は罪な兵器です。九九双軽1型を旧式機に陥れ、太平洋方面では1式陸攻を偵察機代わりにしてしまいました。急降下爆撃、雷撃の任務をこなし、整備ポイントも九九双軽1型と同じ、機動力や防御力の高さ護衛機の必要性を下げ、航続力も不満を感じさせません。まあ、アルミ消費量や弾薬消費量が増えてしまうのが弱点と言えないこともありませんが。
4式重爆の影響力は大きいです。他の爆撃機との共存を許しません。

[4203] Re[4197]: 太平洋戦記2 投稿者:アルフレッド 投稿日:2004/10/12(Tue) 23:19  
現在はB36との戦いの真っ最中です。いまや空襲で降伏するのが先か、全根拠地を占領するのが先が。やはり問題はB36です。だれか効果的な迎撃方法しっていたら教えてください。

過去ログ[3578]以降にB36に対してのレポがありました。
私もこれにやられましたが、きついっす。

[4202] 陣風艦載化希望 投稿者:K−2 投稿日:2004/10/12(Tue) 21:31  
>「実現する為の下準備」に大層手間がかかるので「目標の決定と計画立案、
>準備、実行した時の予定とのズレ」を楽しんで頂ければ幸いと思う。
まさしくその通りだと思います。例えば高雄で弾薬が不足して、
それを台湾以外の根拠地(例えば広東)から持ってくるとすると、
船に積んで、航海して、船から降ろして、その次のターンでやっと
使用可能。4ターンもかかる訳です。(自分は更にその船が潜水艦にボカチン)
板倉艦長が「海軍は何事にも5分前行動で、時間がもったいなく思ったが
海に出るとこれが非常に重要な事であるとわかった」と書いておりましたが、
太平洋戦記2では何事も5ターン前行動。5ターンかけて準備、ではなく、
次の計画を考えておいて、その5ターン前から準備を始める、と。
逆に言えば準備が出来ていないと、その作戦は5ターンくらい遅れてしまいますね。
あと、このゲームで予備兵力と言うものの重要性を思い知らされましたが、
日本の国力だとそれを用意するのがまたキビシイんですよねぇ・・

さて、毎回大鳳級を6隻建造し、空母重点主義でプレイしている自分としては、
*艦戦を重点開発、22型キャンセルで43年初めには52型と彗星が生産可能。
 更に機動部隊を(軽空母込みでいいから)3つも用意できれば、その時期に
なんとかニューギニアは攻略可能、と思います。(P38もまだそんなに無いし)
*烈風1・旋風は不要。敵根拠地への攻撃は、彗星11型なら敵制空権下への
 強行攻撃でも結構生き残るので、艦戦の役目はB17・24から空母を守る
 事となってきます。それには火力16の烈風2が最適です。
 (艦戦満載・秋月級20隻護衛の機動部隊で敵重爆を撃退し、その後彗星のみ満載の
 機動部隊2コ程度で敵根拠地の飛行場を蹂躙します)
 烈風2でも急げば44年頭には開発完了するので、それから半年間が勝負でしょう。
 旋風はP51に勝てたとしても火力14ではB29にとても太刀打ちできません。
 火力20の陣風が艦載機なら・・風なのになんで艦戦じゃないんだ・・・
 実際にはやってませんが、B29が配備されると、その航続距離の長さから
 多数の根拠地からB29が攻撃してくると思われるので、もう空母での攻略は
 無理かもしれません。やはりP51・B29登場前に戦争にカタを付けないと。

>うらマッハさん
タイは1ターン目に何もしないでほっておくと、連合国側で宣戦布告してきます。

>らむとーんさん
・サイヨクにはどのみちインド・ビルマ中の英軍が集まってくるので
 こちらも大量の航空機と整備部隊で減らしてゆくしかありません。
 できれば地形が平地のバンコクに呼び込んだ方が効率が良いです。
・ナウル・タラワ・ウェークはクェゼリンに早めに零戦あたりを送り込んで
 航空機・部隊を壊滅させないと大変なことになります。その後はナウル・タラワは
 放っておいて、輸送船が入港したら陸攻で潰すのが良いと思います。
・人造石油工場と、内地の製油所・弾薬工場は拡張の必要は無いと思います。
 北京の弾薬工場は鉄の調達が楽なのでいくらか拡張しておくと良いかも。
・パレンバン・パリクパパンの精油所はめいっぱい拡張。そのための鉄は
 早めに送れるように用意しておきましょう。(あとアルミ精製所も)
・海軍工廠は拡張するけど造船所は拡張の必要は無いでしょう。
・航空機工場は何があっても拡張すべし!
・部隊動員はひたすら整備部隊を。

独断ですがこんな感じだと思います。

ちなみに、自分が最も多く生産した機種は九九双軽1型です。
史実通り地道に良く働きました。

[4201] 決戦のための物資輸送‥‥でも潜水艦が(泣 投稿者:洛陽不覚 投稿日:2004/10/12(Tue) 21:29  
 こんばんは、洛陽不覚です。
「太平洋戦記2」もまだまだプレイしている方が多いのですね。
「空母戦記2」にも期待が高まりますが、「太平洋戦記2」もまだまだ楽しめます。
 対米講和めざして皆さん頑張りましょう!

>アカギさん
 1946年に突入、B36と殴り合いですか。すざまじいですね。
 残す拠点はダッチハーバーのみですか。完全制覇めざして頑張って下さい。
 
>らとむーんさん
 リタイアは残念でしたが、再戦では頑張って下さい。
 以前、こちらの掲示板でも書き込ませて頂きましたが、私(洛陽)の場合、ビルマ方面は1度バンコクまで英軍を引き入れてから爆撃により陸上兵力を削ぎ、しかるのちビルマ方面に侵攻しました。
 また拠点としては東部ニューギニア、ラバウル、ポートモレスビーは早めに攻略した方が良いようです。
 ニューギニアは放置するとB17の巣になって手が付けられなくなりますし‥‥。
 あと、私の場合、ウインドウズの「メモ帳」を利用して、現在、輸送中の物資や部隊がどこにあるか、あるいは現在進行中の作戦の目的や内容をメモしていました。
 そうすれば、一旦、ゲームを中断しても、次に再開したときに前回は何をしていたか思い出せるので便利でした。

>阿部さん
 お忙しい中、ご丁寧にお返事有り難うございます。
「ただ何をやるにしても『実現する為の下準備』に大層手間がかかるので『目標の決定と計画立案、準備、実行した時の予定とのズレ』を楽しんで頂ければ幸いと思う」とのことですが、「太平洋戦記2」ではまさにそのズレをいかに乗り越えるか、が難しさであり、同時に面白さなのでしょうね。なるほど、仰るとおりだと思います。
 「太平洋戦記2」では、プレイヤー自身が戦略方針と作戦計画を立案し、必要な戦力と資材、資源を生産・蓄積し、そして作戦を遂行します。
 しかし、備蓄資源の枯渇、輸送計画の遅滞、作戦時の悪天候や予定より早く侵攻してくる連合軍など、戦争遂行には多くの障害がつきまといます。
 それを、いかに知恵を絞って乗り越えてゆくかが醍醐味なのでしょうね。
 だからこそ、圧倒的に有利な状況を生み出したとしても、それでも最後まで気が抜けないシチュエーションをいかに生み出すかというゲームバランスの調整は大変難しいことだと思いますし、「太平洋戦記2」はそのあたりのバランスは絶妙だと思います。
 それに加え、「太平洋戦記2」は、対米講和でも敗戦でも、どのような形であれエンディングを迎えること自体がひとつの目的となっているのかもしれません。
 思いっきり根気と時間が必要な作業ですが(笑)。

>うらマッハさん
 1944年6月講和ですか。すごいですね。私は1944年の秋に講和しました。
 仰るように、日本軍の究極兵器は「キ91」かもしれません。
 あの機体の早期開発と実戦配備がなければ、私も対米講和ができたかどうか‥‥(汗)。
 でも、運用には大量の燃料と弾薬が必要ですし、支援部隊として輸送船とタンカー、そして大量の整備部隊が必要なのがきついです‥‥。
 ちなみに、潜水艦対策を優先するのは激しく同意です。

 余談ですが、個人的には「太平洋戦記2」では自由に艦隊名が付けられるようになったのが良かったです。
 作戦発動時に、空母部隊に「第1航空艦隊」や「第1機動艦隊」、あるいは海防艦部隊に「対潜護衛艦隊」などと命名して出撃させると、気分はもうノリノリです。(核爆)

 ‥‥いやはや、妄想でしたね。失礼しました(謝)。m(_ _)m 

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