GS新掲示板 過去発言[55](No.3801〜3900)

ここにはBBSの過去発言(発言No.3801〜3900)が収録されています。


[3900] 質問50%、要望50% 投稿者:ドイツ機ファン 投稿日:2004/02/14(Sat) 15:46  
はじめまして。
僕の戦況は45年の5月でBー29によって叩かれてる状態で、戦闘機隊の練度が危険な状態にあり敗戦の日も近いです。
要望になってしまうのですが、空対空ロケット弾なんかルール化できないでしょうか?出撃の際弾薬や機動力に影響するかわりに、重爆をどっか〜んとやっつけられたら気分がすっきりするので。
ドイツのR4M空対空ロケット弾はどれだけ効果があったのかは、勉強不足ゆえわかりません、どなたか教えてもらえませんか?
それとドイツ軍機が使用(生産、運用)できるようになりませんか?そのかわり、例えば一定数の戦略物資と引き換えに使用できるようになり、さらに送った物資の量があるt数を越えたら新型機が使用可能になるとか?(航空機開発のターン制を物資に変えたようなものです)僕の好きなHs132は本当に急降下爆撃できたんでしょうか?腹ばいで緊急時機外へはどうやって脱出するのでしょうか?

[3899] Re[3898]: 前線での士官用ピストルについて 投稿者:阿部隆史 投稿日:2004/02/14(Sat) 14:52  
> 当時、日本陸軍、海軍の将校は、自由に拳銃を選べると聞いたことがあります。たとえば、南部式ではなくて、ワルサーやコルト?など舶来拳銃をポケットマネーで装備することができたと聞いていますが、もし、前線での弾薬の補給はどうしていたのか、疑問に思います。その場合、どのようにして補給していたのか、ご教授ください。

陸軍の将校達は偕行社や民間の銃砲店で好きな拳銃を買って前線へ持って行ったんだからその時にやはり弾薬も買い求めたんだろうな。
偕行社はけっこう出先の支店があったそうだから最前線はともかく師団司令部があるような町なら「足りない分を買い求める事」もできたと思う。
よっぽど特殊な弾薬でなければね。
いずれにしても拳銃の弾薬は「緊急事態」でなければ消費しないから「拳銃と同時に50発ほど弾薬も購入し昭和20年8月15日までそのまんま」って人も中にはいたんじゃないかな。
(歩兵や戦車兵はそんな事ないだろうけど。)
拳銃ってのは異様に射程が短いから射撃機会があまり無いんで消費量も「問題外」だったんだろう。
ちなみに陸自の幕元(現在のじゃなくて随分、昔の資料だよ。)じゃ小銃と拳銃の1日あたり弾薬予想消費量を以下としている。
(前の数値が小銃:後の数値が拳銃。師団単位の消費量を平均化してるので「前線で戦っている部隊は増える事」に注意されたい。)
1.応急陣地に対する攻撃は15発:1発(小銃の1/15)
2.戦況活発でない場合は5発:0.2発(小銃の1/25)
3.後退行動時は10発:0.3発(小銃の1/33)
4.長期昨戦時は6発:0.3発(小銃の1/20)
つまり「甲師団(小銃保有数7405丁:拳銃保有数839丁。一般に9000人師団と言われている。)が応急陣地を攻撃した時には1日で小銃弾約11万発と拳銃弾839発が必要(まあ小銃弾は軽機関銃で使うし拳銃弾は短機関銃でも使うからこれだけじゃ済まないけどね。他の兵器の資料も持ってるけど話が長くなるから止めよう。)になる訳だ。
(目安に過ぎないけどね。)
これからすると「拳銃弾は1丁あたり50発も用意しとけば当分の間は足りる」と考えられよう。
(なお上記の幕元はかなり古い資料なので小銃は64式ではなく8連発のM1ガーランド小銃である。)

[3898] 前線での士官用ピストルについて 投稿者:城河中佐 投稿日:2004/02/13(Fri) 23:12  
当時、日本陸軍、海軍の将校は、自由に拳銃を選べると聞いたことがあります。たとえば、南部式ではなくて、ワルサーやコルト?など舶来拳銃をポケットマネーで装備することができたと聞いていますが、もし、前線での弾薬の補給はどうしていたのか、疑問に思います。その場合、どのようにして補給していたのか、ご教授ください。
戦記2のほうですが、現在、第二段階作戦から続行して17年11月に突入しています。中国と講和し、英領インド<デリー>も風前の灯であり、43年6月ごろにはソ連と矛を交える予定でいます。太平洋方面は、フィジー、カレドニアを占領しましたが、兵力を南方最前線に集中しているため、ギルバート諸島が敵の機甲上陸部隊に、強行上陸されるなど、南方方面は暗雲が立ち込めています。以上

[3897] Re[3893][3892][3887][3886]: 私がまだ若くて愚かだった頃・・・ 投稿者:KZY 投稿日:2004/02/13(Fri) 21:08  
> ついでに捷号作戦時は50丁の機銃装備していたと思いますが、プラモデル見ると鈴谷にはそんなになかったような気がします。

先に書いたとおり、機銃が増備状態(捷号作戦時)になっていたのは旧版(1971年版)です。

[3896] 回答ありがとうございます 投稿者:1ファンです 投稿日:2004/02/13(Fri) 03:24  
阿部様、

私が申し上げたことはやはり試行の結果の織込み済の改善策
であるとのこと、よくわかりました。

何よりも、私のごとき1ユーザーの投稿に即日に丁寧に返答
頂けたメーカーは貴社が初めてです。驚きと共に感動しました。
というよりこの手の要望、質問を投げかけて返事を頂けたこと
すら殆どありませんw
末永く楽しませていただきます。ありがとうございました。
また、気付いたことがありましたら書かせていただきます。

[3895] Re[3894]: 初めての投稿ですが 投稿者:阿部隆史 投稿日:2004/02/12(Thu) 10:19  
> −地図が少々小さいくてみづらいので全画面表示にしていただけないでしょうか?(1024×768ドット)

こりゃ無理だ。
1024×768ドットを標準にするって事は「ノートブックのプレイヤー」が困る事を意味し「表示系プログラムを2つ作る事」は「ただでさえ少ない開発期間を圧迫する事」になるからできなかったのである。
(作るだけならともかくチェックに時間がかかるのだ。)

> 1)食料についてはどうなのでしょうか?既にどこかで言及されていたのでしたら、すみません。食糧不足の話は太平洋戦争の島嶼戦では無視できないのではと思うのですが。あと、実際にやっていたように、部隊を現地で一旦解散して屯田兵にして自給させるとかもルール化できると良いかなとw

昔の事だけどね「食料をデータ化した戦略級ゲーム」をデザインした事があったよ。
でもそうしたら「誰も前線部隊を飢餓状態にさせたくない」からせっせと食料を送るんで飢餓状態は発生せず「単に食料輸送が煩雑なゲーム」になってしまった。
よって食料をデータから外したのは「改善」なのだ。

> 2)これも輸送を複雑にしてしまう要素なのですが、
> 燃料はやはり航空用・戦車用と艦船用は別にできないかなと
> 思います。

これも昔、別資源とする戦略級ゲームをデザインした事がある。
統合化したのが「改善」である事はこれまた同じだ。
(ただゲームを複雑にするのは至って簡単なのだ。プレイしやすい様に簡略化する事こそが難しい。だから「ゲームの本質」を知らないでむやみに手を入れようとすると破綻をきたすんだねえ...)
なお日本の場合、戦車の燃料は艦船と同じディーゼルだから更に「???」となる。

> 3)あと、当時は日本では全く原油は採れなかったのでしょうか?
> (無知ですみません)

新潟あたりでちょっとはとれるだろう。
「定本・太平洋戦争」478ページによれば開戦時の需給見込みは年間燃料消費550万t、国内調達20万tとしていた。
つまり国内で調達できる油は5%にも満たない。
(民需も含んでの話である。そして民需分燃料は240万tに達する。ゲーム上では民需分やその他諸々をあらかじめさっぴいてある。よって国内産出分は存在しないのだ。)

> 4)艦載機の運用について。空母→敵→味方陸上根拠地という指定ができたほうが良いかなと思いました。

その様にできる戦略級ゲームをデザインした事があるよ。
でも人間と同じくゲームも進化しなくちゃねえ...
これまた「改善」として現在の形に落ち着いたのである。

> 5)これは変かもしれないですが、提督とか師団長とかも登場させられないのかなと。(近代の話なのでパラメータをつけるのは問題あるかもしれないし、そうなると膨大な人が出てきてしまいますが)

色々と事情があるんでいつかそのうちね...
まずとりあえずはソロモンDXみたいに「名前だけ出す」って事になるんだろうなあ。

> これは質問ですが、
> − 時間経過による士気低下ルールですが、まだ低下する時期にまで至っていないのですが、戦況に関わらず低下するのでしょうか?

低下するよ。
士気低下ルールその物が「開戦時には高く年代が進むにつれ低下していった日本軍の士気を史実として再現する為のオプション」だもの。
別に「国家が疲弊して前線部隊の士気が下がった事」を意味するルールじゃないのであしからず。

[3894] 初めての投稿ですが 投稿者:1ファンです 投稿日:2004/02/12(Thu) 04:32  
初めて投稿させていただきます。
私はさほど詳しいことは知らないで書きますので無知、失礼の段は
平にお許しください。

つい最近、他社の太平洋戦争SLGからこちらに鞍替えしました。
こちらの方が遥かに奥が深く、難しく、そして面白いです。
操作性が全然違うので最初はちょっと戸惑いましたが分厚い解説書を読めば読むほど楽しくなり。。。。

今のところ、システムについて一点だけ要望があります。
(どれも今回の作品では無理かとおもいますが)

−地図が少々小さいくてみづらいので全画面表示にしていただけないでしょうか?(1024×768ドット)

あと、ルールについてですが。
私は戦略SLGをプレイする場合、兵站や輸送にとても興味があるのですが、石炭をなぜルール化しなかったかについてのお考えは読ませて頂きました。

1)食料についてはどうなのでしょうか?既にどこかで言及されていたのでしたら、すみません。食糧不足の話は太平洋戦争の島嶼戦では無視できないのではと思うのですが。あと、実際にやっていたように、部隊を現地で一旦解散して屯田兵にして自給させるとかもルール化できると良いかなとw
2)これも輸送を複雑にしてしまう要素なのですが、
燃料はやはり航空用・戦車用と艦船用は別にできないかなと
思います。
3)あと、当時は日本では全く原油は採れなかったのでしょうか?
(無知ですみません)
4)艦載機の運用について。空母→敵→味方陸上根拠地という指定ができたほうが良いかなと思いました。
5)これは変かもしれないですが、提督とか師団長とかも登場させられないのかなと。(近代の話なのでパラメータをつけるのは問題あるかもしれないし、そうなると膨大な人が出てきてしまいますが)

これは質問ですが、
− 時間経過による士気低下ルールですが、まだ低下する時期にまで至っていないのですが、戦況に関わらず低下するのでしょうか?

いきなり長文ですみませんでした。

[3893] Re[3892][3887][3886]: 私がまだ若くて愚かだった頃・・・ 投稿者:アルフレッド 投稿日:2004/02/12(Thu) 00:00  
う〜ん、確かにHPで見てみると、21号電探を装備したのは最上のみで、鈴谷と三隈は装備していなかったような。
ということは捷号作戦時のモデルは最上のみとなってしまいますね。何しろ箱と値段しか見なかったもので・・・
ついでに捷号作戦時は50丁の機銃装備していたと思いますが、プラモデル見ると鈴谷にはそんなになかったような気がします。

でも、鈴谷は至近弾で魚雷誘爆で沈んだんでしたか?(はっきり覚えていない)
ソロモンDXでも魚雷搭載時はよく誘爆起こしますから。

[3892] Re[3887][3886]: 私がまだ若くて愚かだった頃・・・ 投稿者:KZY 投稿日:2004/02/11(Wed) 18:25  
> 鈴谷、三隈は捷号作戦時の状態で、〜〜〜
重巡改装直後の状態のようです。
鈴谷→田宮模型のHPの記載ではそうなってます。旧版は捷号作戦時かも知れません。(機銃が増備されていた記憶があります)
三隈→捷号作戦時には既に沈んでます。

[3891] 妄想「太平洋戦記2その後」 投稿者:通りすがり 投稿日:2004/02/10(Tue) 20:42  
阿部様、一個人の妄想に対して真摯なご返事を頂き有り難うございます。
さて、仮称「太平洋戦記2その後」をゲーム上の講和成立(敗戦)から朝鮮動乱までをプレイすると現行システムの延長となりますでしょうか。
演目は冷戦下の限定戦争を再現する(^^;
隠し味は臥薪嘗胆(帝国復興後における太平洋での米国等との覇権争奪)とするか、日米同盟締結後にアメリカから三行半を突きつけられ、やむなく予防戦争に陥る日本。
前者に対するコマンドは、「宣戦布告」で、後者は、米国の要求(タイ国からの贈与要求をイメージ)に拒否すること等により
日本に対する敵意増大。我が國が奇襲される。
妄想は、膨らみますね(^^;

[3890] Re[3888]: そこをなんとか 投稿者:阿部隆史 投稿日:2004/02/10(Tue) 18:08  
> 別に北極越え爆撃ができなくてもいいです。
> ここを逃したら1940年代末の米ソ対決ゲームなんてそうそう拝めそうにありません。
> どうか是非!

う〜ん、実の所、北極越えがネックって訳じゃないんだ。
全地球をマップに収めゲームで使用するってのは「そう難しい話」じゃない。
(手間がかかるけど。)
まず3次元の球体をデータ化し表面にマップを張り付ける。
これが地球(球体マップと呼称する。)だ。
当然アドレスは3次元である。
これを「全部、同時に画面上に表示」しようとするから話がややこしくなるのだ。
元来、通常のメルカトル図法は地軸の頂点である北極と南極を上下端とし赤道を中心線として表示しているから南北へ行くほど距離が歪むのだと言う事をまず御理解頂きたい。
どこでも赤道近辺だったらいいのにねえ...
でも球体マップが用意してあるならば何も実際の地軸、赤道にこだわらなくてもいいんじゃないか?
どこでも好きな所に地軸を通して赤道を引っ張り「その場限りの疑似メルカトル世界地図」を作っちまえばいい。
よってディスプレイの画面左に球体マップ(上下、左右に回転)を表示し画面右には四角形の拡大マップ(スケールは任意に可変)を表示する。
地球上のどこを中心としてメルカトル世界地図を開くかはプレイヤーの任意だ。
まずプレイヤーが球体マップ上でポイントを指定する。
次にそこを中心点として赤道と地軸を設定しメモリー上に疑似メルカトル世界地図を作成する。
そしてこの中からプレイヤーが指定した範囲(太平洋戦記2が12800km×8000kmだったから6000km、9000km、12000kmの3段階くらいが適当か?大きくなるとそれだけマップ端の歪みが大きくなるからねえ。)を切り出して画面右に表示し通常のプレイはこのマップで行う。
こうすれば「若干、距離歪みがある物のなんとかプレイ可能な状態」で全世界のあっちこっちを表示する事ができる。

「太平洋戦記その後」を開発できない一番の理由は「とてもじゃないが売れそうにない」からだ。
GSは会社としての体力が大変、小さいので「開発したのにある一定以上売れないと言う事」は倒産を意味する。
よって残念ながら開発するだけの余裕がないのだ。
スベルドロフ型巡洋艦やM103重戦車、コンカラー重戦車なんかがプラモデル化される御時世なら1950年頃の第3次世界大戦も手がつけられるんだけどねえ...

[3889] 最上原型で・・・ 投稿者:無加川のニジマス 投稿日:2004/02/10(Tue) 13:56  
最上の話が出ていましたので、ついつい投稿しました。
激ソロで敵ながら一番うらやましかったのは「ブルックリン」
でした。15発もいっぺんに撃てる上に電探まで装備していて
ああいう船があれば一度でいいから使ってみたいと思ってお
りましたが、装甲は劣るながらもよく考えてみれば最上原型
も15発撃てるのですね。
遠い将来のことでよろしいのですが、最上原型に32号電探
を装備したものでソロプレイできるシナリオが欲しいで
すね。仮称「○○○スーパーDX」とか・・・

失礼しました。

[3888] そこをなんとか 投稿者:ベリヤ 投稿日:2004/02/10(Tue) 13:44  
なんとか「太平洋戦記その後」の開発を再考願えませんでしょうか?
ソ連ファンの私としてはなんとしても残念でなりません。
別に北極越え爆撃ができなくてもいいです。
ここを逃したら1940年代末の米ソ対決ゲームなんてそうそう拝めそうにありません。
どうか是非!

[3887] Re[3886]: 私がまだ若くて愚かだった頃・・・ 投稿者:アルフレッド 投稿日:2004/02/09(Mon) 23:09  
鈴谷、三隈は捷号作戦時の状態で、最上は航空巡洋艦の状態で発売されていました。これらは2000円でした。

なぜだか、熊野は15.5cm搭載状態のモデルでしたが、1300円と他の姉妹艦と比べると安く軽巡と同じ価格でした。

私がポツダム宣言を受託する原因となったB36も売られていましたが、どういう訳かあの恐るべき防御機銃が撤去されたモデルのようでした。というわけで、太平洋戦記は第3回目をしているところなのです。ショートシナリオも楽しみにしています。

[3886] 私がまだ若くて愚かだった頃・・・ 投稿者:K−2 投稿日:2004/02/09(Mon) 21:30  
>WLシリーズ
信濃のキットを開けた時には「ナンジャコリャ?」と思った物です。
そして改めて大和級3番艦だったことを思い出してちょっと感動。
で、翔鶴を買った友達と、艦載機セット(1枠ぶんだけ付いてきた)
の色がちがうーってんでモメてみたり。
最上級は確か、三隈だけ何故かキット化されていなかった気がします。
今はあるのでしょうか?熊野が15.5cm砲3連装砲塔時代のキットで
それが一番好きでしたね。
自分が一番沢山作っていたのはおそらく今から15年くらい前の、
バブル真っ最中で、戦車とか航空機のキットが平均2000円超
なのに対してWLは千円を超えるキットはなく、凄くオトク感が
ありました。友人に、もうこれに3万円近く使っている、とか言って
いましたが、考えてみると重巡以上の船は全て作っていたので、
凄まじいコストパフォーマンスだったのでは?とか思ったり。
その頃最上は500円でしたが、5,500t級軽巡が700円くらい
するのがかなり納得いかなかったのを覚えています。
多分、大学通っている頃まで同じ値段で、駆逐艦・潜水艦が250円、
重巡が500円、軽巡が700円、戦艦・空母が850円、大和・赤城等の
一部の大型艦が950円でした。水上機母艦は幾らだったっけな?
こないだ弟の勤めている店に行って、「九六式艦載機セット」を発見。
今はこんなのも出ているんだなぁ。

>太平洋戦記その後
いいなあ!凄くやりたいですね。
こういう風に脳内妄想制作過程を見せて頂くと、どこらへんで実現
不可能なのか良く理解できて納得ですね。
ただし、途中の妄想でよりプレイしたくなってしまうのも事実。
日本はP−80とかを下請け生産することになるのか!?
太田区に住む友人の父親が、朝鮮戦争の頃、下丸子の戦車工場に
M4が76mm砲に換装するため大量に運び込まれたのを見たとか。
パーシングのノックダウン生産とかやるのかなぁ・・・・ 

[3885] Re[3883]: はじめまして 投稿者:阿部隆史 投稿日:2004/02/09(Mon) 19:16  
> さて、阿部さんが申されていた「戦前」からの開始については、
> 次回作品での登場となりましょうか。
> 一ユーザのたわ言と聞き流して頂ければ幸いですが、私としては、仮称「太平洋戦記2DX」ともなればと虫の良いことを考えてま
> す(^^;

戦前からの設定かあ...
以前考えていた大規模なシステム(色々な外交、艦船や航空機の開発及び生産、部隊の編成など)はもう無理だけど1939年当時の兵器を主体(つまり零戦や隼は存在せず99式艦爆などは開発完了直前。)とした新シナリオは「いずれバージョンアップでなんとかしたい」と考えている。
(きっと面白いシナリオにはならないと思う。長距離戦闘機や翔鶴型空母、急降下爆撃機の存在が進攻作戦でどれだけ重要であったか再確認できるだけに過ぎないであろう。でも面白く無くともぜひ作ってみたい。)
どっちかって言うと太平洋戦記2DXじゃないが同一システムで「太平洋戦記その後」なんてのがゲームとしちゃ面白いかもしれない。
(以下はデザイナーの妄想モードなので真面目に受け取らないで欲しい。)
すなわち米ソによる「第3次世界大戦勃発!」(1940年代末)だ。
「なんらかの理由で核兵器が登場しないままで第2次世界大戦が終了」(そうしないと無味乾燥かつデンジャラスなゲームになるだけだからね。米国の核兵器優越がソ連に対米正面対決を思いとどまらせた要素は大きい。)し日本は米ソいずれかの同盟国として参戦する。
(1945年7月末の時点で大本営はポツダム宣言受諾を望んでいた訳ではない。海軍はもっと有利な条件で米国に降伏し「将来は米国の同盟国となる道」を臨んでおり陸軍はまだ中立であったソ連を仲介国として講和し「将来はソ連の同盟国となる道」(軍事史学142号の論文「終戦史上の戦後」などを読むと面白いよ!)を模索していたらしい。それだけに陸軍としちゃ8月8日のソ連参戦はショックだったんだね。)
当然、兵器は震電やらP80、B36など「太平洋戦記2じゃ活躍する前にゲームが終わってしまった兵器」のオンパレード。
(MiG15なんかも用意しなくちゃ。)
あっ、米ソ対決となると太平洋正面のマップだけじゃ話にならないなあ。
となるとメルカトルの全北半球として...
ふうむ、マップの端をどうするか?
右端から飛び出した艦隊、航空機が左端から出てくるなんてのは興ざめだな。(航空機や艦隊を移動させる時の円表示もね。)
うん、マップを「円筒形」と仮定し中心軸線を可変でスライドさせ表示すりゃいいんだ。
(緯度による距離の歪みは相変わらずだが。)
でも北極越えの爆撃ができなくなっちまうなあ。
やっぱしこりゃ妄想にとどめておこう。
開発が大変そうな割りに売れそうもないし。
(妄想モード終了。ここで正気に戻る。)

[3884] 発言修正のお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2004/02/09(Mon) 09:36  
発言[3883]で他社のゲームタイトルがありましたので、一部伏せ字とさせていただきました。

[3883] はじめまして 投稿者:磯西 投稿日:2004/02/08(Sun) 20:03  
阿部さんの作品は、DOSの太○洋の○からお付き合いさせていただいてます。
現在、太平洋戦記2を取り組んでますが、エディターの搭載でユー
ザの自由度は増しまもののあいかわらず難儀してます。
さて、阿部さんが申されていた「戦前」からの開始については、
次回作品での登場となりましょうか。
一ユーザのたわ言と聞き流して頂ければ幸いですが、私としては、仮称「太平洋戦記2DX」ともなればと虫の良いことを考えてま
す(^^;
また、今年の新製品も待ち遠しいですね。ちまたでは、インフル
エンザが流行してます。ご自愛召されますように。
                            拝

[3882] WLの価格について 投稿者:アルフレッド 投稿日:2004/02/08(Sun) 16:37  
暇だったので、湯沢屋のプラモデルコーナーのぞいてきました。WLシリーズ健在で完全リニューアルモデルも出ていました。

大巡で2000円、軽巡で1300円、戦艦2400円、大型空母2800円、駆逐艦は700円でした。やはり、結構高くなっていましたね。

[3881] Re[3879]: 何気に・・・・・ 投稿者:阿部隆史 投稿日:2004/02/08(Sun) 15:39  
> 久々にLOGINを買って見てみたら、GD2(グロス・ドイッチュラント2)が未定から削除されていた・・・。
> これってもう製作しないって事なのか???

なんでだろうねえ?
僕としても今日初めて聞いた話で「???」といった思いだ。
当然の事ながらGD2は開発予定リストに入っている。
きっと何か手違いがあったのだろう。

[3880] Re[3878]: タミヤの最上はオトクなキットでした。 投稿者:阿部隆史 投稿日:2004/02/08(Sun) 15:35  
>タミヤの最上はオトクなキットでした。

WLの事だね?
僕もあれは何回か買った。
最初に買った時は250円だったがオイルショックでプラスチック材料が高騰し瞬く内に400円、700円と跳ね上がっていった。
今はどれくらいなんろう?
まあなんにしても最上は航空巡にも重巡にも作れる様にパーツが余分に入っているので皆がこぞって買ったものだ。
(他にも「砲身が俯仰できると言う理由」で吹雪を買ったりしたなあ...)

> 確か、遅れてきた要望に航空給油艦「速吸」があったと思いましたが、
> あれも流星を運用するとなるとそこら辺のシステムはどうなったんだろう?

やはり流星の搭載は無理なので水上機母艦としてのデータ化しかできそうにないなあ...

[3879] 何気に・・・・・ 投稿者:GSゲームの1ファン 投稿日:2004/02/08(Sun) 15:22  
久々にLOGINを買って見てみたら、GD2(グロス・ドイッチュラント2)が未定から削除されていた・・・。
これってもう製作しないって事なのか???
前作やり込んだので、密かに期待していたのに・・・。

[3878] タミヤの最上はオトクなキットでした。 投稿者:K−2 投稿日:2004/02/07(Sat) 21:09  
う〜ん、自分は航空戦艦にせずにそのまま空母に大改装しちゃったからなぁ。
隼鷹・飛鷹と組ませるのに丁度いいんですよ。
実際の航空戦艦は彗星をカタパルトで飛ばしたら、収容は他の航空母艦か
陸上基地へでしたから、太平洋戦記2のシステムだと難しいですね。
確か、遅れてきた要望に航空給油艦「速吸」があったと思いましたが、
あれも流星を運用するとなるとそこら辺のシステムはどうなったんだろう?
結局最後には航空戦艦の搭載機は瑞雲になったようなので、瑞雲を
積んでは如何でしょうか?
ちなみに航空巡洋艦でしたら、潜水艦狩りに使う空母の代用として
オススメです。(自分は千歳等、水上機母艦を使っておりますが)

[3877] 航空戦艦萌な嵐 投稿者: 投稿日:2004/02/07(Sat) 01:47  
私は二式水戦で戦ってます。
なぜかB29を撃退できたり(一度だけ)
結構活躍してます。

捕捉率は低いですが 攻撃力はあるんで
ぼちぼちです

元々戦艦なんで 被害も少ないですし…

もちろん 艦隊として使うよりもむしろ
上陸戦支援としての活用です。

ただし 私はヘタレプレーヤーなんで。

ちなみに赤城・加賀は戦艦に改装しました。

[3876] 航空戦艦の運用方法について 投稿者:太郎 投稿日:2004/02/06(Fri) 19:44  
彗星を搭載しようと、伊勢と日向を航空戦艦に改装したのですが
実際に搭載しようとしたらできなく愕然としてしまいました。
航空機が1種類しか搭載できない艦は、艦載機を搭載できないのですね。。。
どなたか、航空戦艦を使用している方がいましたらどういう運用の仕方をしているか教えてください。

[3875] ありがとうございました 投稿者:カール大佐 投稿日:2004/02/03(Tue) 09:46  
まつかぜさんと洛陽不覚さんアドバイスありがとうございます。
そのアドバイスで進みます。太平洋方面の連合軍の根拠地は制空権と制海権も取りましたので大丈夫です。またB−29の対象方法も大丈夫です。連合軍戦艦・空母などを稼働率を一時的に0にしました。空いているところから戦車をひぱり出します。目標は極東ソ連を制圧します!!中国方面に5式戦車300両と虎戦車が150両と4式戦車が110両あります。

[3874] 投稿者:ワルキューレ 投稿日:2004/02/03(Tue) 00:21  
みなさんお久しぶりですとしたに書こうとしました。

[3873] 要望の追加と質問なのですが 投稿者:ワルキューレ 投稿日:2004/02/03(Tue) 00:20  
超多忙のため、最近GSゲームができないワルキューレです。
みなさんお
@平凡社新書から3月に本出すことになりました。よろしかったら…。
(過剰なPRとご判断なら、すみません。削除してください。飲み会で会った方が10人ほどいますので、挨拶代わりに)「環境」の本です。
AGSファンとして、知りたいのですが。戦記2はかなり売れているようですね。阿部社長が経営のことおっしゃると、ドキっとしましたが、結構、いい成績でしょうか?。(これも、こんなとこで言う必要ないので無視してもらってもいいです)
B要望ですが。(これも、無視していいです)
A・難しいならいいのですが、戦果表をテキストにできませんか?。連合艦隊編成表を作って記録していたもので。
B・累計表がほしいです。
C・掲示板に、太平洋戦記の戦闘経歴の紹介・自慢専用板ただし、ネタばれはダメとのルールの下で、つくれないでしょうか。
C「海上護衛戦」を読み直しています。このゲームのやり直しのために。
Dこの前は、長期持久でS19年にムスタングとB24投入で南方最前線が壊滅したところで、仕事が多忙になりましたが、今回のやり直しは、超短期決戦プラス、インド・中国侵攻による、1944年までに世界を征服を狙います。

[3872] 戦車について 投稿者:まつかぜ 投稿日:2004/02/01(Sun) 12:59  
>>カール大佐様

はじめまして。小生は戦記2で苦戦している者ですw
とりあえず戦車について
洛陽不覚様がかなり詳しくコメントされてます。小生も、洛陽不覚様の用兵を大雑把にしたやり方を採ってます。今までプレイした感じでは、シベリア以外では「趣味」が生かせる兵器、という印象です。対ソ戦では陸上兵力(航空兵力も)は、質も量も十二分に必要、という点はプレイヤー諸氏の一致するところだと思います。よって弾薬、燃料準備が予想以上に手間です。

カール大佐様は比較的遅い目に対ソ戦をはじめておられますので、旧式戦車は中国戦線に回すか、内地に返送するか、と思います。
太平洋の最前線で、歩兵の爆撃被害低減に使う、というのもありますが、戦車輸送船にゆとりがなければ難しいと思います。
LSTで装甲車両を大量に運用できた連合軍がうらやましい限りです。(もちろん、大陸での規模に比べれば可愛いものですが)

あと、本土周辺とか、北方に対する急襲に対する防備には、比較的旧式の戦車でも役に立ちます。何せ相手はM4が主力ですから。(と「鋼鉄の騎士」で大言壮語してみたい。。。。

あと、比島、ニューギニア方面の「非」主要拠点の速攻に、特二式内火艇を輸送艦2隻分(大隊規模か)を活用したりしました。
(そんなことをしてるから、時間切れになるという気もしますw)

だらだらした雑文となりましたが参考のかけらにでもしていただけば幸いです。

[3871] ご参考までに 投稿者:洛陽不覚 投稿日:2004/01/30(Fri) 20:41  
>カール大佐殿
 はじめまして。
 陸上(「鋼鉄の騎士2」)でも海上(「激ソロ」・「八八」)でも「へっぽこ指揮官」の名を欲しいままにしている洛陽不覚です(自爆)。
 こんな私がお答えするのも何ですが、とりあえず「戦車」についてですね。
 これはもしかしたら趣味の問題かな〜、とも思ったりしています。
 鉄がもったいないので戦車は生産しない、という方もおられます。
 ただ、私は歩兵(攻撃部隊)の損害を減らしたいこともあったので、戦車はなるべく生産してきました。
 現在(1943年7月)、英国・中国とは講和し、対ソ戦の真っ直中ですが、旧式化した95式軽戦車(合計約500両)や87式中戦車(約90両)も予備兵力として置いてあります。
 私の場合、とりあえず防御拠点の部隊数の水増し要員といったところでしょうか。
 攻勢正面には97式中戦車改(約600両)、3式中戦車(約300両)、4式中戦車(約130両)を投入しています。
 戦車は224両を1個戦車師団と想定し、3個歩兵師団(攻撃部隊270部隊)と2個戦車師団(448両)の組み合わせを基幹としてソンゴやボタンコウ方面から進撃しています。
 対ソ戦ではソ連軍もかなりの数のT-34を投入してきますから、対戦車火力の増強という意味でも戦車はたくさんあるに越したことはないと思っています。
 ただ、旧式化した戦車は火力、耐久力とも低いので、あまり前線に投入すると被害ばかりが増して士気低下につながるため、あくまでも二線兵力として防御拠点に配備しておくようにしています。
 で、対ソ戦が終わればいよいよ「第3段作戦」で島嶼戦、航空戦がメインとなるため、旧式化した戦車は一挙に鋼材(スクラップ)とするのが良いのかな、と考えています(笑)。
 もちろん、これはあくまでも私(洛陽)の戦い方なので、他のプレイヤーの皆様のご意見などお伺いできればと存じます。

 洛陽不覚 拝

http://www.fsinet.or.jp/~annyui/solomon_rf.htm


[3870] 明日より裏開催。 投稿者: 投稿日:2004/01/29(Thu) 22:45  
明日よりソロモンDXによる裏トーナメントが開催されます。
奮ってご参加ください。

[3869] 戦車 投稿者:カール大佐 投稿日:2004/01/29(Thu) 10:51  
初めまして、ここの掲示板に来ました。

「太平洋戦記2」で古くなった戦車を皆さんはどのように使ってますか?現在自分はソ連と1944年12月8日から戦争中です。今かなり善戦中ですが戦車はたくさんあったほうがいいでしょうか?

[3868] Re[3835]: 映像20世紀 投稿者:黒伯爵 投稿日:2004/01/27(Tue) 00:06  
”映像の20世紀 第2集 大量殺戮の完成”の中で
第一次世界大戦中のドイツで発表された標語とのコメントが
ありました。
う〜んどちら正解なんでしょうか?

[3867] 感謝 投稿者:恐妻家 投稿日:2004/01/26(Mon) 19:24  
>話によりますと
「間違えたり、忘れたりすると死ぬぐらい殴られた」
そうで・・・(大汗
今の小学校1年生に毎日教えていたそうで・・・ほんとかな?HPなどで、昔の少年誌をみたのですが、結構高度な事をかいており・・・理解していたのでしょうね。当時は。
 #できない人もあったかもしれませんが(^^;
死んだ爺さんは当時の事を一切はなさなかったのですが、
親父から遺品を見せられて
「日の丸に職場の人の寄せ書き、10円札を胸にいれて大陸をいった」とか。
詳しくはわかりませんが、電機技師だったので、戦争中に徴兵(どうも召集ではなさそう)大変だったもようです。
敗戦後、日本まで機関するまでも。
長男である親父は、当時小学生。空襲が度々あったので、靴と着替えを枕元においてねたとか。
幼い弟や妹をつれて逃げるのは大変だったとか。。。。

私事でもうしわけないです。

いえいえ、こちらこそ
ハルトマンさん、神崎川さん、御忙しいところを、貴重なお話を有難うございます。
>一概には言えませんが、おおまかに言えばそうなると思います。私の資料では、原油12年輸入20321バレル→13年18404バレル→14年18843→15年22050→16年3130となります。

いまさらながら、よくもまあ、こんな経済状態で戦争を続けていたものです。今の北○鮮も似たような状態らしいですから、歴史は繰り返すのかなぁ?
某国流の強硬路線も、当時の対日強硬路線と姿を変えただけみたいだし、困ったもので...。

[3866] Re[3864]: アップデートのお知らせ 投稿者:いそしち 投稿日:2004/01/26(Mon) 10:32  
> 今回の主要改良点は「迎撃機の爆撃後着陸」です。

待ってました。
この機能を待っていたのです。
でも「太平洋戦記3まで待たねばならない」と思っていました。
とてもありがとうございます。
大感激です。

それと従軍賞のT35重戦車もありがたくいただきました。
トーナメントと太平洋戦記バージョンアップを同時進行されているとは思いもよりませんでした。
次はどんなイベントが発生するかドキドキしてます。

[3865] Re[3844][3843]: 押さない時の記憶は。。。 投稿者:神崎川 投稿日:2004/01/26(Mon) 00:34  
おそくなりました。すみません。

| ほ〜、良いかどうかは別として、
|当時はそれだけ熱心に暗記させられていたんでしょうね。
話によりますと
「間違えたり、忘れたりすると死ぬぐらい殴られた」
そうで・・・(大汗
今の小学校1年生に毎日教えていたそうで・・・ほんとかな?

HPなどで、昔の少年誌をみたのですが、結構高度な事をかいており・・・理解していたのでしょうね。当時は。
 #できない人もあったかもしれませんが(^^;

| 私も祖父母や、当時の郷土の記憶を受け継げるようにしたいですね。
死んだ爺さんは当時の事を一切はなさなかったのですが、
親父から遺品を見せられて
「日の丸に職場の人の寄せ書き、10円札を胸にいれて大陸をいった」とか。
詳しくはわかりませんが、電機技師だったので、戦争中に徴兵(どうも召集ではなさそう)大変だったもようです。
敗戦後、日本まで機関するまでも。
長男である親父は、当時小学生。空襲が度々あったので、靴と着替えを枕元においてねたとか。
幼い弟や妹をつれて逃げるのは大変だったとか。。。。

私事でもうしわけないです。

[3864] アップデートのお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2004/01/25(Sun) 19:01  
本日『太平洋戦記2』Ver1.3Cのアップデートプログラムをリリースいたしました。
今回の主要改良点は「迎撃機の爆撃後着陸」です。
詳しくは「ダウンロードサービス」のページをご覧下さい。

[3863] Re[3860]: 御礼と他力本願Ver.5.1〜5.3 投稿者:ハルトマン 投稿日:2004/01/24(Sat) 01:06  

> ABCD包囲網が完成する以前から鉄製品等の回収をしなければならなかったのはなぜ?
 A 日中戦争で、華北・上海での戦闘が拡大するに従い。対ソ戦の為の内地の動員用弾薬が極端な言い方をすれば空になったからです。そもそも、日露戦争の奉天の会戦での1個師団の弾薬使用量を基準とした。1会戦分の弾薬を各師団とも約2−3会戦分しか国内に弾薬を備蓄していなかったはずですから当然と言えば当然。
 第一次大戦の弾薬消費のしかたを経験してないからですかネ・・?

> 当時の各必要資材の輸入量は、昭和13年以降、減ったと見るべき?
> 一概には言えませんが、おおまかに言えばそうなると思います。私の資料では、原油12年輸入20321バレル→13年18404バレル→14年18843→15年22050→16年3130となります。

[3862] Re[3861]: 高橋さんへ・感謝 投稿者:ハルトマン 投稿日:2004/01/23(Fri) 23:24  
> くず鉄の対日禁輸は昭和15年9月26日です。
> ご指摘有難うございます。記憶違いでした。くず鉄の対日禁輸の日付まで覚えていませんでした。北支那方面軍のイギリス租界の封鎖(天津租界問題)の後、米国の日米通商航海条約の廃棄通告が14年7月26日なので、その時点で日米関係は殆ど破局していますネ。
 
 「魔性の歴史」って本ですか?

 「魔性の歴史」と「貧国強兵」は当時の事情を良く研究していますネ。私も読みました。他に「昭和の歴史」全10巻も非常に参考になりました。  

[3861] 無題 投稿者:高橋 投稿日:2004/01/23(Fri) 20:06  
くず鉄の対日禁輸は昭和15年9月26日です。

[3860] 御礼と他力本願Ver.5.1〜5.3 投稿者:恐妻家 投稿日:2004/01/23(Fri) 18:49  
ハルトマンさん、有難うございます。

> A・アメリカの対日禁輸は、南部仏印進駐(昭和16年7月24日)のあと、昭和16年7月25日に日本の在米資産凍結後の昭和16年の8月1日だったと思います。

鉄製普及品の回収令等が、昭和14年2月から出たのと、対日禁輸は無関係だったのですね。まあ、まったく関係無くは無いのでしょうが、ABCD包囲網が完成する以前から鉄製品等の回収をしなければならなかったのはなぜ?
当時の各必要資材の輸入量は、昭和13年以降、減ったと見るべき?
う〜んわからん...

[3859] 次回裏。 投稿者: 投稿日:2004/01/22(Thu) 21:57  
次回 裏トーナメントは1月30日(金)より行う予定です。
詳しくはHPで発表の予定です。

なお 私は30日は帰宅しない可能性がありますので
設定への質問等はお早めにお願いいたします。

[3858] Re[3853]: ご教授ありがとうございます 投稿者:無加川のニジマス 投稿日:2004/01/22(Thu) 13:27  
そういえば、ジンスハイムの博物館で40mmボフォースを一丁装備したメーヴェルワーゲンの変わり種展示してありましたね。
ドイツはボフォースあったけ?と思い係員に聞いたところ確かにボフォースと言いしまたね。

あと、秋月にもアメリカ軍より捕獲したボフォース40mmが一基装備してあったという話も聞きました。

[3857] 無題 投稿者:高橋 投稿日:2004/01/21(Wed) 23:01  
「魔性の歴史」って本ですか?違うかな…。
あれは面白かったです。

[3856] 昭和14年という年 投稿者:ハルトマン 投稿日:2004/01/21(Wed) 20:55  
 太平洋戦争中の国内経済の話題ですが続いて居る様なので・・チョット参戦、以前、本を読んでなるほどと思ったのですが、マクロ経済学的には、昭和14年が終戦以前の日本のGNP(古い指標!!)推移で見るとピークだったように記憶しています。
 日中戦争の始まった、1937年が20%以上の成長ですが、1938年(昭和13年)には、3.2%と低成長となり、1939年(昭和14年)に1.9%、1940年にマイナス6%程度となり、この落ち込みを41年42年と1.4%前後で成長しますが、1943年(昭和18年)には0%、1944年以降は、再びマイナス成長だったと記憶しています。1944年戦争終結前年に工業生産がピ−クに達したドイツとは、歴然たる差です。

 つまり、経済成長がこれ以上増えない、つまり、低下する中で太平洋戦争は行なわれたという事になります。

 まったく恐ろしいことで、今の不況・・・・、イラク派兵大丈夫でしょうか(独り言)。1939年(昭和14年)帝国陸軍はモンゴル平原・ノモンハンでソ連と衝突します。戦術的にはともかく、戦略的に敗北となったこの国境紛争で終戦としておけば・・・。大陸にのめり込めばのめり込むほど、生産物資を食い続ける。生産が増えれば増えるほど、資源をABCD諸国からの輸入依存度が増す・・・・なんじゃコレ・・・という訳で・・。
 
 アメリカの対日禁輸(くず鉄等)はいつごろでした?

A・アメリカの対日禁輸は、南部仏印進駐(昭和16年7月24日)のあと、昭和16年7月25日に日本の在米資産凍結後の昭和16年の8月1日だったと思います。

[3855] Re[3854]: 鉄等の物資供出について 投稿者:恐妻家 投稿日:2004/01/21(Wed) 19:06  
ぶちねこさん、有難うございます。

> 鉄等の供出は太平洋戦争が苦しくなってから・・・と思いきや、その前からあったようで。
>
> 昭和14年2月「鉄製不急品の回収令」。ベンチ、郵便ポスト、火鉢、灰皿等の15品目を指定して隣組などを通じての回収。

> 昭和15年7月には「奢侈品等製造販売禁止規則(7.7禁令)」により贅沢品(指輪、パチンコ台等)の生産そのものが停止します。
>
> 昭和16年9月には「金属回収令」が出されます。真珠湾攻撃の3ヶ月前には日本中の鉄が持っていかれたようです。

> 昭和17年5月9日には「金属回収強制譲渡命令」が出て、ここでお寺の鐘を含めて「根こそぎ」持っていかれたようです。

> 鉄不足は史実では深刻だったようで

私もてっきり太平洋戦争中盤以降だと思っておりました。
昭和14年とは、
ん?アメリカの対日禁輸(くず鉄等)はいつごろでした?
昭和15年ごろでは?ん?じゃあやっぱり昭和13年末か、14年あたりで禁輸処置になったんですかね?
こういう近現代史は小中高の歴史教育では習いませんからねぇ...。戦国時代以前より、こういう近現代史のほうこそ教えるべきだと思うのは、私だけ?まあ、この掲示板で教育のあり方云々を書くのは場違いも甚だしいので、これ以上はやめましょう。
しかし、対日禁輸が始まったのも、結構早かったんでしょうね。
ぶちねこさん、改めて有難うございました。

[3854] 鉄等の物資供出について 投稿者:ぶちねこ 投稿日:2004/01/20(Tue) 22:19  
鉄等の供出は太平洋戦争が苦しくなってから・・・と思いきや、その前からあったようで。

昭和14年2月「鉄製不急品の回収令」。ベンチ、郵便ポスト、火鉢、灰皿等の15品目を指定して隣組などを通じての回収。
参考記事
http://www.kyobunka.or.jp/phot/senji.html
(一番下の記事)
http://www.zenkaren.net/expo/expo11.html
(下から4行目)

昭和15年7月には「奢侈品等製造販売禁止規則(7.7禁令)」により贅沢品(指輪、パチンコ台等)の生産そのものが停止します。

昭和16年9月には「金属回収令」が出されます。真珠湾攻撃の3ヶ月前には日本中の鉄が持っていかれたようです。
参考記事
http://www.geocities.jp/nakanolib/rei/rs16-835.htm
http://www.e-obs.com/heo/heodata/n211.htm

昭和17年5月9日には「金属回収強制譲渡命令」が出て、ここでお寺の鐘を含めて「根こそぎ」持っていかれたようです。
参考記事
http://senji-saiken.hp.infoseek.co.jp/S17.html
(5月の記事)
http://home.att.ne.jp/air/jobcci/info-suginami/river/zenpukuji/temple/temple05.html

鉄不足は史実では深刻だったようで。

[3853] ご教授ありがとうございます 投稿者:城河中佐 投稿日:2004/01/20(Tue) 01:05  
40mm機銃が普及しなかったのは、金がなかったとは…。詳細な解説で十分納得しました。ありがとうございます。ただいま、太平洋戦記2、第二段階作戦から参戦しています。阿部先生もお体を大事にしてください。

[3852] 閃電について(宣伝じゃないよ) 投稿者: 投稿日:2004/01/19(Mon) 19:34  
開発中止になった兵器ですと、18試戦闘機シリーズ(陣風・閃電・電光・震電)のうち、
陣風と閃電が開発中止となっております。(閃電は、旋風の元ネタの戦闘機です)
理由としてはイロイロあったみたいですが、要は「いっぱい計画作ってみたけど
ちょっと多すぎるから現実味の薄いやつはやめにしましょう」って事みたいです。

閃電については、後の烈風・震電よりも設計が進んでいたのにもかかわらず中止になったとか。
カタログ値もそれらよりも有利で
形態が未知数なら震電も廃案になってもおかしくない、
といった説を読んだことがあります。

まだ職場なので調べられないのが難点ですが
早く帰られたら…もう少し詳しく書けるかもしれません

[3849] K-2 様、ありがとうございます 投稿者:太平洋戦記初心者 投稿日:2004/01/19(Mon) 13:50  
K-2 様、とても参考になりました。どうもありがとうございました。

私は、自信がなかったため 太平洋戦記(入門編)でゲームをしました。また、海軍の陸上機では零戦32型、雷電、紫電はスキップし紫電改より採用しました。陸軍も同様に隼2型、鍾馗2型、飛燕はスキップしました。爆撃機も4式重爆になる前までは全部スキップしました。
史実と照らし合わせると、なんかズルしたような気も (汗

[3848] 英軍航空写真の公開 投稿者:かなやゆうき 投稿日:2004/01/19(Mon) 11:48  
今日からキール大学航空偵察公文書館保存中の、第2次大戦中英空軍が偵察した航空写真500万枚以上が
www.evidenceincamera.co.uk
で公開されます。
フィヨルドに停泊中のビスマルクの写真を見ていると、欧州海戦史2に「ビスマルク追撃戦」キャンペーンを入れてほしいと願うのは私だけでしょうか?

[3847] Re[3845]: 返事が遅れてすいません 投稿者:阿部隆史 投稿日:2004/01/17(Sat) 20:23  
> なぜ、当初、特型、初春型駆逐艦等に装備されていた、40mm機銃は、その後の艦船に装備されなかったんでしょう?

日本海軍が特型駆逐艦などに装備した40mm機銃ってのは「毘式40mm機銃」って言うビッカース製(イギリス)の対空火器で呉でライセンス生産されていたんだ。
でもライセンス兵器だから当然、ライセンス料を支払わなければならない。
そこで金のない日本海軍は「一部の艦だけに装備し他艦は後日装備」としやむを得ず代わりに7.7mm機銃なんかを装備したとの説(世界の艦船175号)もある。
金がないってのは悲しい物だ。
でもまあもともと毘式40mm機銃は低性能([3088]を参照)だったのでそのうちに日本海軍は初速が速くて発射速度に優れたホチキス製(フランス)の機銃に浮気して13mm、25mmとライセンスを重ね主力としていったのだね。
一方、米海軍もせっかく自国製の28mm機銃を開発しておきながらさっさとこれには見切りをつけエリコン製(スイス)の20mm機銃やボフォース製(スウェーデン製)を主力としている。
不思議な物だねえ。
本家本元の英海軍にしたって最初はビッカース製40mmをポムポム砲として多用してたけど大戦後半にゃ...
まあ、日英同盟が破綻せず日本海軍が英海軍と足並みを揃えて兵器開発してたら第2次世界大戦時も40mm機銃が主力となっていたかもしれないね。
あっ、日英同盟が破綻してなけりゃ大平洋戦争そのものが発生しないか...

[3846] 開発中止 投稿者:K−2 投稿日:2004/01/17(Sat) 17:55  
>太平洋戦記初心者さん
開発中止になった兵器ですと、18試戦闘機シリーズ(陣風・閃電・電光・震電)のうち、
陣風と閃電が開発中止となっております。(閃電は、旋風の元ネタの戦闘機です)
理由としてはイロイロあったみたいですが、要は「いっぱい計画作ってみたけど
ちょっと多すぎるから現実味の薄いやつはやめにしましょう」って事みたいです。
あとは、設計技師が足りなくて中止になった11試艦爆みたいな例もあれば、
設計段階でダメ出しを喰らったキ−88やキ−94(T)みたいなのもあります。
太平洋戦記2の様に試作機が完成してからキャンセルになったものは結構多く、
陸軍だとキ−60戦闘機、キ−70司偵、キ−71襲撃機、キ−96戦闘機、
海軍だと深山、天雷などがあります。(あと、キャンセルも同然な極光や明星)
また、戦争が長引いていればキ−83や連山、キ−87、景雲やキ−93などもキャンセルされた
可能性が高いと思います。
戦車は開発中止車輌というのは余りなく、九七式中戦車(チハ)とコンペした
チニ車が最も有名だと思います。
あとは詳しい事は知りませんがチホ車(九八式中戦車?)などでしょうか。
それから名前しか知りませんがホチという砲戦車もそうらしいです。
テケ改造の対空戦車、ケニ改造のソキ、タセなんかも開発中止に入るのでしょうか?
また、四式中戦車は開発中止こそしていませんが、当初は57mm砲搭載で20tクラスの
大分小さい戦車だったようです。(試作車輌も完成したとか?)
戦前だと結構陸軍が熱心に水陸両用戦車を研究していましたが、モノになりませんでした。
旧軍戦車は謎な部分が多くて(調べる人も余りいないし、資料も敗戦時に大部分焼かれてしまったし)
イマイチはっきりした事がわからないのですが。

艦船は余り詳しくないので他の方にお願いします。

[3845] 返事が遅れてすいません 投稿者:城河中佐 投稿日:2004/01/17(Sat) 11:13  
ご返答ありがとうございます。一時的にプロバイダーおよびADSL回線を変更していたために、インターネットに接続できなくて返答できませんでした。現在大学のPCで見ています。
 では、OFF会企画がありましたら、是非参加させていただきます。ちなみに酒とタバコは年齢的に大丈夫なので・・・。
 阿部先生へ質問があります なぜ、当初、特型、初春型駆逐艦等に装備されていた、40mm機銃は、その後の艦船に装備されなかったんでしょう?大体の艦船が96式25mm機銃を装備しています。
 威力的観点から見て、25mmよりも40mmのほうが妥当と一般的には感じるのですが、初速や弾道性の問題とかがあったのでしょうか?もし、お時間がよろしければ、ご教授願いたいのですが。

[3844] Re[3843]: 押さない時の記憶は。。。 投稿者:恐妻家 投稿日:2004/01/17(Sat) 09:05  
>戦陣訓ではありませんが、知人の婆さんが、もう年で物覚えが悪くなって・・・・
> って言う状態なんですが、
> 「教育勅語」
> だけは、諳んじて言えるそうです.
> 凄いですねぇ。。。。

ほ〜、良いかどうかは別として、当時はそれだけ熱心に暗記させられていたんでしょうね。
しかし、そういった記憶は忘却されるしかないのでしょうか
残念なことです。
私も祖父母や、当時の郷土の記憶を受け継げるようにしたいですね。

[3843] 押さない時の記憶は。。。 投稿者:神崎川 投稿日:2004/01/16(Fri) 21:53  
>>恐妻家さんへ
戦陣訓ではありませんが、知人の婆さんが、もう年で物覚えが悪くなって・・・・
って言う状態なんですが、
「教育勅語」
だけは、諳んじて言えるそうです.
凄いですねぇ。。。。

[3841] Re[3837][3836]: 恐妻家さんへ 投稿者:恐妻家 投稿日:2004/01/16(Fri) 19:19  
> A・手軽なところでは「奥宮正武氏の「太平洋戦争五つの誤算」」と言う本に全文が出ています。

ありがとうございます。早速探してみます。

>  A・非鉄金属の卸の会社の社長に聞いたのですが、釣鐘等銅製品は弾薬関係、高級家庭にあったアルミ類は飛行機だそうです。
>  銅板等は下町の看板建築の建物に多く使われていましたが、そこまで供出したかどうか分かりません。戦前の建物の残っているものを見ると、一部銅板にコールタールを塗った家が現在でも残っています、これは戦後に銅板泥棒が流行った名残りで、戦中の供出とは無縁のようです・・・。今でも廃材の銅板・樋などの銅製品は1t600円−750円くらいで引取られていますのでホントにこの国は貧しいのですね・・・。
>  明治までは日本も銅の輸出国だったのに、戦争をやるとなると坑道掘削では量が足りない。勿論昭和には、産出量は激減してましたが・・・。ちなみに私の祖母の話では犬の供出が一番辛かったとか、飼ってた犬は、「寒冷地(関東軍)の兵隊さんの襟巻きになった」と言ってました。

犬 犬ですか
確かに毛皮としては...う〜ん
銅などの話、貴重です。ありがとうございました。
つまり、軍事生産に対して大した効果は無かったという事なんでしょうね。

[3840] 航空機の開発中断で 投稿者:太平洋戦記初心者 投稿日:2004/01/16(Fri) 12:46  
はじめまして、太平洋戦記やっとエンディングが見られました。ふと下らないことに気づいたのですが、航空機や戦車は「開発中止」コマンドを多用することにより、結構「幻の名機」や「幻の名戦車」を登場させることが出来ますため、アメリカやイギリスと対等以上に戦えたと思います。
このコマンドがなかったらかなりきつかったと思いますが、次回再挑戦するとすればやってみればおもしろいとは思いました。

そこで、お詳しい方にお尋ねしたいのですが、実際に開発が放棄あるいは中止された航空機や艦船や戦車をご存じでしたらご教授願えるでしょうか。(小生軍事的知識素人なもので)

[3839] 訂正 投稿者:ハルトマン 投稿日:2004/01/15(Thu) 23:13  
今でも廃材の銅板・樋などの銅製品は1t600円−750円くらいで引取られていますのでホントにこの国は貧しいのですね・・・。

スミマセン・・・キロ 1t600円−750円でした。

[3838] 恐妻家さんへ つづき 投稿者:ハルトマン 投稿日:2004/01/15(Thu) 19:35  
 犬の供出の件は、事実確認はしていません。そこまではなかったと言っている町会の方もいらしたので・・・。ちなみに当時地方に疎開していた方は、供出の思い出はないそうです(相当、山奥に疎開したのかな・・・?。)

[3837] Re[3836]: 恐妻家さんへ 投稿者:ハルトマン 投稿日:2004/01/15(Thu) 19:26  
戦陣訓の件ありがとうございます。
> 私は全文は見たことがないので、一度見てみたいのですが、どこかで見ることができるのでしょうか。べつにオリジナルをと言うわけではないのですが...

A・手軽なところでは「奥宮正武氏の「太平洋戦争五つの誤算」」と言う本に全文が出ています。

残るは、物資供出の件。どこかに資料など無いですかねぇ。例えば、「どこそこの自治会では何を何Kg、何個」とかで表彰されたとか(そんな事では表彰なんて無いかな)
> しかし、そもそも釣鐘やら鍋などを何に使うので?溶かして鋼板に?出来るの?そんなこと?くず鉄としてならまあ、判らなくも無いかな?

 A・非鉄金属の卸の会社の社長に聞いたのですが、釣鐘等銅製品は弾薬関係、高級家庭にあったアルミ類は飛行機だそうです。
 銅板等は下町の看板建築の建物に多く使われていましたが、そこまで供出したかどうか分かりません。戦前の建物の残っているものを見ると、一部銅板にコールタールを塗った家が現在でも残っています、これは戦後に銅板泥棒が流行った名残りで、戦中の供出とは無縁のようです・・・。今でも廃材の銅板・樋などの銅製品は1t600円−750円くらいで引取られていますのでホントにこの国は貧しいのですね・・・。
 明治までは日本も銅の輸出国だったのに、戦争をやるとなると坑道掘削では量が足りない。勿論昭和には、産出量は激減してましたが・・・。ちなみに私の祖母の話では犬の供出が一番辛かったとか、飼ってた犬は、「寒冷地(関東軍)の兵隊さんの襟巻きになった」と言ってました。

[3836] 御礼 投稿者:恐妻家 投稿日:2004/01/14(Wed) 20:07  
KOKIさん、ハルトマンさん、そして嵐さん、ありがとうございます。
>戦陣訓は昭和16年1月8日に陸訓第一号として陸軍大臣東条英樹によって全陸軍に示達されました。起草にあたっては、教育総監山田乙三大将、補佐として教育総監部本部長今村均中将、最終段階で文章に文豪島崎藤村が関与したと言われています。
 満州事変や日中戦争・ノモンハン事件と陸軍が戦線を拡大するに従って、軍紀の荒廃・捕虜の問題が多くなり、これを改善する為に制定されたと言われています
>国家総動員法は、昭和13年に制定され、日中戦争を継続させる為に、国民財産のすべて(教育も含む)を戦争に向かわす事を目的としたもので、堺屋太一さんの言われる「規格大量生産」を可能にした法律。昭和16にも強化改正されその完成をみた。その精神は高度経済成長を支え、現在の日本経済低迷の足かせとなっています。

そうでしたか。戦陣訓の方が後だったとは...
てっきり、国家総動員法は敗色濃厚となった昭和18年末以降と思っていました。
嵐さん、標語の件ありがとうございます。
結構見たり聞いたりしていたものの他にも色々あったんですね。しかし時がたつにつれて、次第に悲壮感が漂い始めるのは、負けが込んできているのを感じていたからなんでしょうか?
ハルトマンさん、戦陣訓の件ありがとうございます。
私は全文は見たことがないので、一度見てみたいのですが、どこかで見ることができるのでしょうか。べつにオリジナルをと言うわけではないのですが...
KOKIさん、戦意高揚の映画は、やっぱりかなり作られていたんですね。今では記録映像としてしか見られないので、知りませんでした。しかし、当時は映画が唯一?の娯楽だったそうですから在ってしかるべきですね。いや、よい勉強になりました。ありがとうございました。
残るは、物資供出の件。どこかに資料など無いですかねぇ。例えば、「どこそこの自治会では何を何Kg、何個」とかで表彰されたとか(そんな事では表彰なんて無いかな)
しかし、そもそも釣鐘やら鍋などを何に使うので?溶かして鋼板に?出来るの?そんなこと?くず鉄としてならまあ、判らなくも無いかな?

[3835] 発見しました 投稿者: 投稿日:2004/01/14(Wed) 00:42  
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/hosigarimasen.htm#hosigarimasenn

こちらに私の知っている説と同じ意見の話がありました

[3834] 欲しがりません 勝つまでは 投稿者: 投稿日:2004/01/14(Wed) 00:38  
この標語は
宿題に出された国民学校(仮)の児童が
親に書いてもらった標語だった,というのを
テレビで見た覚えがあります…。

ずっと そうだと思っていましたが
詳細をご存知の方,続報をお願いします

[3833] 戦陣訓について 投稿者:ハルトマン 投稿日:2004/01/13(Tue) 21:34  
 今年も宜しくお願いします。

 戦記2、私もなかなか進みません。残るは米国のみ、ソ連との講和もなり満州国は、平穏です。B29を中心とした敵爆撃のせいで、航空隊の士気と私の士気は正比例して下降の一途であります。
この消耗戦どうにかしなければ。

 恐妻家さんへ、
 戦陣訓は昭和16年1月8日に陸訓第一号として陸軍大臣東条英樹によって全陸軍に示達されました。起草にあたっては、教育総監山田乙三大将、補佐として教育総監部本部長今村均中将、最終段階で文章に文豪島崎藤村が関与したと言われています。
 満州事変や日中戦争・ノモンハン事件と陸軍が戦線を拡大するに従って、軍紀の荒廃・捕虜の問題が多くなり、これを改善する為に制定されたと言われています。
 その背景・問題点については、戦後現在に至るまで、会社組織や学校の中で、その精神的犠牲者があとを立ちません。
 問題点を当時のものだけにしても5点あります。
1.明治15年の軍人勅諭があるにも関わらず戦陣訓が作られたこと。
2.陸軍のものでありながら海軍にも影響を与えたこと。また、地上戦闘中心の発想でできていること。
3.戦闘の最終段階での作戦立案の自由を拘束し、損害を増大させたこと。
4.敵捕虜の取扱に影響を与えたこと。(戦時国際法との関連性)
5.日露戦争後の精神主義の行きすぎと現実性や科学的根拠の無視の傾向があること(必勝の信念等)
               以上があげられると思います。
 良い文章もあるのです。「・・・烈々たる武威を振るい断乎之を撃砕すべし。タトイ峻厳の威武ヨク敵を屈服せしむるとも、服するは撃たず、従うは慈しむの徳をカクあらば、未だ以って全しとは言い難し、武はオゴラズ、自ら溢るるを以って尊しとなす。皇軍の本領は恩威ナラビ行はれ、遍く御イヅを仰がしむるにあり。」
              ・・・・・・・・・・確かに名文です!!。

 国家総動員法は、昭和13年に制定され、日中戦争を継続させる為に、国民財産のすべて(教育も含む)を戦争に向かわす事を目的としたもので、堺屋太一さんの言われる「規格大量生産」を可能にした法律。昭和16にも強化改正されその完成をみた。その精神は高度経済成長を支え、現在の日本経済低迷の足かせとなっています。
 この時代を思い、現在の発想で、このゲーム(戦争)を終わらせなければ!!。    

[3832] Re[3831]: 他力本願 Ver.5 投稿者:KOKI 投稿日:2004/01/13(Tue) 20:47  
> ども、ご無沙汰しています。
> 戦記2、なかなか進めません。難しいのもありますが、時間が...(:;)
> それはさておき本題を。
> 戦時中よく言われていた戦陣訓「生きて虜囚の...」やら、国家総動員法、はたまた「欲しがりません、勝つまでは」等の標語、etc、などはいつごろに、どのような背景の下に出されたものでしょうか?
「ほしがりません、勝つまでは」は以前NHKの(映像の世紀)で第一次世界大戦にドイツで生まれた標語だったと語っていたと思います。
あの当時は戦意高揚の映画なども日本でたくさん製作されまして(山崎隊に続け)(山本長官に続け)などが壁に映っていたりする映画もあります。

[3831] 他力本願 Ver.5 投稿者:恐妻家 投稿日:2004/01/13(Tue) 19:57  
ども、ご無沙汰しています。
戦記2、なかなか進めません。難しいのもありますが、時間が...(:;)
それはさておき本題を。
戦時中よく言われていた戦陣訓「生きて虜囚の...」やら、国家総動員法、はたまた「欲しがりません、勝つまでは」等の標語、etc、などはいつごろに、どのような背景の下に出されたものでしょうか?
戦陣訓は確か、今村将軍?が盧溝橋事件の前後に、拡大する戦線における、新規に徴兵された兵士の心構えとして書いたものと言う認識なのですが...
あと、「戦争中はよく、寺の釣鐘やら、鍋などを供出させられた」などの話を年寄りに聞かされましたが、それって本当に役に立ったのでしょうか?「役に」とはいえ、全体の数%程度だったでしょうが...
どなたかご存知ありません?

[3830] Re[3829][3828]: HN変更 投稿者:エトピリカ 投稿日:2004/01/07(Wed) 21:53  
詳しい!そのとおりです。
実は飛行機もすきなので乗ったことのあるMD−11からエトピリカにしました。

http://www32.tok2.com/home2/yusuke113015/


[3829] Re[3828]: HN変更 投稿者:アルフレッド 投稿日:2004/01/07(Wed) 20:33  
> 今までのHNのJ Birdは半角なのですが、よく入力ミス

対戦では何度かお手合わせさせていただいております。
しかと確認いたしましたので。
J Bird は私の記憶が確かなら、日本航空がMD11 に付けた愛称だったような。「クマゲラ」「タンチョウ」等でしたよね。

[3828] HN変更 投稿者:エトピリカ 投稿日:2004/01/07(Wed) 19:08  
今までのHNのJ Birdは半角なのですが、よく入力ミスするので他で使っているエトピリカに変更します。
どうぞよろしくお願いします。
エトピリカは北海道に住む鳥の名前。

http://www32.tok2.com/home2/yusuke113015/


[3827] 次回 裏に関して。 投稿者: 投稿日:2004/01/06(Tue) 20:03  
公式戦の日程も決まったことなので
近日中に裏の日程も決定したいと思います。

案として 土日を二回,のべ四日間の対戦としてはどうか
という話もあります。
もう少し 待ってくださいね。

[3826] 第5回トーナメント開催のお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2004/01/06(Tue) 19:56  
本日、第5回『鋼鉄の騎士II』対戦トーナメントのページを掲載いたしました。
開催時期およびルール等が記載されておりますのでご覧下さい。
http://www.general-support.co.jp/compe/extra17.html

[3825] 『鋼鉄の騎士II』アップデートのお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2004/01/06(Tue) 19:56  
本日『鋼鉄の騎士II』アップデートプログラムVer1.82をリリースいたしました。
修正点はSdkfz251/10の種別を「APC−>自走砲」に修正した事です。
当初からSdkfz251/10の種別は自走砲の予定だったのですがデータ編集のミス(プレイヤーの方から「APCにしては強すぎるのではないか?」とのご指摘をメールにて頂いたため本日、判明しました。)によりこれまでAPCとなっていました。

その他の変更箇所はありません。
よってトーナメント前にVer1.82にアップデートして下さいますようお願い申し上げます。

[3824] 太平洋戦記2を終えて。 投稿者:神崎川 投稿日:2004/01/05(Mon) 23:51  
1945年10月6ターン。ついに米国と講和と成りました。
長かった、本当に長かった。
日本の国益を増やした事で勝利しました。
駿河級戦艦を大量建造し、ホリ車にて機甲軍を創設したりしましたが、
最終的には富嶽とキ91が講和の糸口を掴んだ事でした。

話せば長くなりましたが、
「某ターン」のイベントフェズ。
このゲームの真髄に触れたような気がしました。
次回は、ぜひとも航空機、戦車の開発で中止による開発期間
短縮をせずにゲームをしてみたくなりました。

[3823] Re[3818]: 関門トンネル 投稿者:阿部隆史 投稿日:2004/01/05(Mon) 10:08  
> 戦中に開通したと聞いたことがあるのですが。

開通していたことは知ってるけど「マップ上での表示の問題」があるし「国内航路の重要性も再現」したかったしでルール化しなかっただけである。
あしからず。

[3822] 関門トンネル 投稿者: 投稿日:2004/01/05(Mon) 02:00  
ゲーム自体にそれほど影響はあるとも思えませんが
一応 まとめておきます。

昭和11年 9月19日 起工式
昭和16年 7月10日 海底部,開通
昭和17年 3月27日(下り線のみ開通)
昭和19年 9月 9日(上り線全線開通)

ゲームでの導入は……また 別の議論で。

[3821] Re[3816]: 謹賀新年 投稿者:ルーク 投稿日:2004/01/05(Mon) 00:00  
あけましておめでとうございます。

>1月9日より第5回「鋼鉄の騎士II」対戦トーナメントを開催いたします。

いよいよですね。どんなお年玉(賞品)があるのか楽しみです。

さて、去年の今頃といえば太平洋戦記2の話題でもちきりだったと思いますが、今年の新作の予定はいかがなものでしょうか。
欧州海戦史、空母戦記あたりかと勝手に予想していますが、全くの新作、いや、もしかしてGDなんてこともあるのでしょうか。
個人的には今年の開発スケジュールに鉄十字章を加えていただけると嬉しいのですが、要望というほどのものではありませんので、年始の戯言ということでご容赦下さい。

[3820] 第5回トーナメントについて 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2004/01/04(Sun) 23:23  
1月9日より第5回「鋼鉄の騎士II」対戦トーナメントを開催いたします。
詳細につきましては特設掲示板におきまして明日、発表する予定です。

[3819] トンネル 投稿者:T2 投稿日:2004/01/04(Sun) 20:35  
 関門トンネルがどっちのトンネルかというお話ですね。
 検索したら見つかったのでご紹介しておきます。

ttp://www3.coara.or.jp/~primrose/mojiko01.html 

[3818] 関門トンネル 投稿者:Rio 投稿日:2004/01/04(Sun) 20:03  
戦中に開通したと聞いたことがあるのですが。

[3817] 謹賀新年 投稿者:yutaka 投稿日:2004/01/04(Sun) 10:59  
あけまして御目出度う御座います。
初めて書き込みます。
これからよろしくお願いします。
ところで、太平洋戦記2を日々プレイしています。
私のようなヘボプレイヤーにはかなり難易度が高いと思います。しかし、ユーザの要望を迅速に取り入れて、バージョンアップを行っているのは、好感が持てます。これからも、たくさんいい作品を作ってください。

[3816] 謹賀新年 投稿者:阿部隆史 投稿日:2004/01/03(Sat) 15:39  
あけまして御目出度う御座います。
本年も宜しく御願い申し上げます。

さて...
[3815]
>八八艦隊海戦史DXをプレイしているのですが、
LAN対戦のデータ保存は不可能なのでしょうか?

対戦中はできない。

>友人と対戦しているのですが、私のPCがすぐにフリーズするため、何とかならないかと思っています。

音をOFFにするとか色々と回避方法があるのだが環境によって異なるのであらためてメールで弊社宛に問い合わせるか「GS!海戦倶楽部」にお問い合わせ頂けると有り難い。

[3813]
>正月でぼちぼち太平洋戦記2をプレイして、ちょっと疑問に思ったのですが、迎撃度の1〜10の決定って、それぞれ10%づつの確率で決まって、それに天候、科学技術の修正が加わっているんですか?

うん、そうだよ。

>日本軍の迎撃度が100%を超える事って少ない気がするので…。果たして期待値って幾つくらいなんでしょう?

だから「そのまんま」だよ。
期待値も何も0〜99の乱数を発生させて当たり前に判定してる。
ここら辺は日本軍と連合軍の間で何も変化させていない。
連合軍を強くしようと思えば科学技術差でいかようにもできるからね。

[3811]
>東京周辺でのOFF会は、いつあるのでしょうか?
是りとも参加してみたいです。

さて...
いつなんだろう?
僕が主催してるわけじゃないからなあ...
誰かが主催して僕にお呼びがかかるだけなんだ。

>ちなみに、20の若造ですが、参加できるのでしょうか?

勿論、参加できると思うけど。
(多分、居酒屋でやる事になるだろうから未成年の方には御遠慮願わなくてはなるまい。)

[3815] 初歩的な質問ですが 投稿者:JJ 投稿日:2004/01/03(Sat) 13:36  
はじめまして。いろいろ検索したり、説明書も読みましたが、わかりませんので質問させてください。
八八艦隊海戦史DXをプレイしているのですが、
LAN対戦のデータ保存は不可能なのでしょうか?

友人と対戦しているのですが、私のPCがすぐにフリーズするため、何とかならないかと思っています。
盛り上がってきたところでフリーズするのでフラストレーションがたまってたまって・・・・

[3814] 謹賀新年 投稿者: 投稿日:2004/01/03(Sat) 02:56  
今年も無事に2663年を迎えることができました。
謹んでお慶び申し上げます。

ここ数年,HPやトーナメントなどでお世話になりっぱなしで
お世話をおかけしております。

HP設置時と異なり,
多忙を極める生活となりました。

十分 更新等できなくなっておりますが
これからも よろしくお願いいたします。

[3813] 迎撃度について 投稿者:のそのそ 投稿日:2004/01/03(Sat) 00:14  
明けましておめでとう御座います。
正月でぼちぼち太平洋戦記2をプレイして、ちょっと疑問に思ったのですが、迎撃度の1〜10の決定って、それぞれ10%づつの確率で決まって、それに天候、科学技術の修正が加わっているんですか?
日本軍の迎撃度が100%を超える事って少ない気がするので…。果たして期待値って幾つくらいなんでしょう?

[3812] 謹賀新年 投稿者:赤男爵 投稿日:2004/01/02(Fri) 08:09  
あけまして、おめでとうございます。

今年も良い年でありますように、皆様のご多幸とGS社のご発展をこころよりお祈りいたします。

[3811] 東京OFF会はいつあるのでしょうか? 投稿者:城河中佐 投稿日:2004/01/02(Fri) 01:05  
東京周辺でのOFF会は、いつあるのでしょうか?
是りとも参加してみたいです。
 ちなみに、20の若造ですが、参加できるのでしょうか?
返事お待ちしています。

[3810] おめでとうございます。 投稿者:城河中佐 投稿日:2004/01/01(Thu) 19:54  
新年明けましておめでとうございます。
 以前ポンポン砲のことで掲示板書き込みさせていただきました
みなさんも、体を大事にしてください。
戦記2楽しませていただいてます

[3809] 日本空母の搭載機(続々々々々) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2003/12/30(Tue) 20:10  
これまでのあらすじ:
随分、間があいちゃったんで初めて読まれる方に...
[3627]  第1段階作戦の概説
[3635]  第2段階作戦の概説
[3639]  搭乗員の配置について
[3662]  ベテランとは?
[3713]  飛行学生と操練について

さて、それじゃ今回は航空予備学生と予科練について説明しよう。
昭和が始まった頃、日本海軍航空隊が飛行学生出身の士官搭乗員と繰練出身の下士官兵搭乗員で構成されていた事は前述した。
だが航空機の性能が向上し航空機が海上兵力の主兵となるに及び既存の士官及び兵から要員を募るこれらの方式では来るべき戦争で搭乗員不足が発生するのは目に見えていた。
そこで士官搭乗員の不足を補完する為に航空予備学生、下士官兵搭乗員の不足を補完する為に予科練が制定されたのである。
まず航空予備学生からはじめよう。
1934年からスタートしたこのコースは在学中の大学生(同様の制度として高等専門学校卒業者を対象とする航空予備生徒もあった。)を対象としており約1年間の教育の後、予備少尉へ任じられた。
ただし第1期が5名、2期が14名、3期が17名、4期が12名と当初、その数は大変少なかった。
だが開戦を境に状況は激変する。
1942年2月に入隊した9期(34名)に加え兵科予備学生第1期からの転科者が100名(世界の艦船577号204頁)、10期として同時に入隊したのである。
よって9期と10期は1943年1月末、同時に少尉任官しており技能的には同一クラスと考えてさしつかえない。
加えて翌年には本来の11期85名に対し兵科予備学生第2期の74名(「暗い波頭」60頁)が12期として合流している。
ただし12期は合流が1943年5月まで遅れた為、11期とは技能的に若干の差があった様に思われる。
凄いのは13期で4726名(世界の艦船577号205頁:日本陸海軍総合辞典736頁だと4775名:5000名以上とする資料もある。)もの大量採用がなされた。
しかし13期が実戦部隊に配置されたのはマリアナ沖海戦で日本海軍が敗北し戦局の悪化が決定的となった1944年7月であり多くがフィリピン、沖縄の特攻作戦などで散華(戦死者数約1600名)するに至った。
14期もそれなりの数(資料によって異なるが約2000〜3000名)が採用されたがあまりにも戦局が悪化し特攻作戦すらも困難な状況に陥ったので戦死者数(約400名)は13期より遙かに少ない。
次は予科練について。
これは所謂、少年飛行兵制度であって高等小学校卒業程度の学力者(15歳程度)を対象としている。
1930年6月に入隊した第1期生79名は3年間(のちに2年半に短縮)に渡る教育を受け飛行練習生(飛練と略)として1年間の訓練を受けた後、部隊へ配員される。
1等兵の彼らはそれから1年を経ずして3飛曹に任官する。
撃墜王として名高い坂井三郎中尉(繰練出身)と西沢広義少尉(予科練乙飛7期出身)の昇進ペースを比較してみよう。
坂井中尉が3飛曹任官までに要した期間は4年6ヶ月であった西沢少尉が3飛曹任官までに要した期間は3年5ヶ月と短い。
加えて1937年、初級幹部の養成を目途とし予科練に甲種(従来の予科練は乙種と改称:以降は甲飛、乙飛と略す。)が制定される。
対象者は中学3年終了程度の学力者(16歳程度)で教育年限は1年半(加えて飛練が1年)であった。
甲飛の昇進ペースは乙飛より更に早い。
坂井中尉は4等兵4ヶ月、3等兵1年2ヶ月、2等兵1年、1等兵2年を経て3等兵曹に任官したが甲飛の場合、4等兵は1ヶ月、3等兵は2ヶ月、2等兵は3ヶ月で実戦部隊への配員前に全員が3飛曹へ任官していた。
その後も甲飛の昇進は早く上平啓州中尉(スコア17機)の様に入隊後、5年7ヶ月で飛曹長(坂井中尉の場合は9年5ヶ月。西沢少尉は7年5ヶ月。)へ昇進している。
更に1940年になると前述の繰練が丙種飛行予科練習生(丙飛と略)と改称され以降、日本海軍の下士官兵搭乗員錬成は予科練として一系化する。
航空予備学生や予科練が飛行学生及び繰練と異なるのは「当初から搭乗員専門とし部外から要員を募った事」である。
(続く)

[3808] 解説有り難うございます(謝) 投稿者:洛陽不覚 投稿日:2003/12/28(Sun) 01:03  
>阿部さん、ハルトマンさん

 旧日本軍の戦車師団についての解説、有り難うございました。
 なるほど、噂には聞いていましたが日本軍の戦車部隊は欧米列強諸国に比べて部隊としての編成はあまり充実していなかったのですね。
 もちろん、大陸を除けば島嶼戦かジャングルがメインの戦場なので主戦力とはなり得なかったのでしょうけど‥‥
 おかげさまで日本の戦車部隊について大変勉強になりました。
 「太平洋戦記2」について、これまで以上に思い入れいっぱいで陸上戦闘に励める(?)と思います(ゲーム上では1個戦車連隊は40両だったんですね)。
 さて、1942年秋、ようやく雨季が終わったのでインドめざして進撃を再開します!

 洛陽不覚 拝

[3807] 旧日本軍の戦車師団 投稿者:ハルトマン 投稿日:2003/12/27(Sat) 18:59  
お久しぶりです。艦観式以来雑事が多く年の暮れにようやく時間が、出来ました。
 日本軍戦車のお話のようなので、参加させて下さい。

 終戦時の部隊配置について、私の資料で補足させてください。
28                        銚子    銚子・・千葉県黒砂町
29                        銚子    銚子・・千葉県ニ宮町
30                        銚子    銚子・・千葉県習志野
33                              銚子・・千葉県千葉
34                              奉天
35                              新京
36  (45.4編成)                   (銚子)・・千葉県臼井村
37  (45.4編成)                   (鹿児島)・・鹿児島県由野
38  (45.4編成)                   (宇都宮)・・茨城県内原村
39  (31大隊)                      宇都宮・・茨城県鯉淵村
40  (32大隊)                      鹿児島・・鹿児島県川辺町
41  (45.4編成)                   (横須賀)
42  (45.4編成)                   (福岡)・・北九州高良台
43  (45.4編成)                   (鹿児島)・・宮崎県八代町
44  (45.4編成)                   (仙台)・・盛岡
45軽 (45.4編成)                   (四国)
46  (45.4編成)                   (福岡)・・福岡県福島町
47軽 (45.4編成)                   (四国)
48軽 (45.4編成)                   (銚子)・・千葉県八街町
51  四平戦車学校の残部                  (新京)・・四平楊大林
52  四平戦車学校の残部                  (新京)・・四平楊大林



 ところで、第2戦車師団6.7.10の各連隊がフィリピン防衛の為にに上陸した時、一式戦車は装備されていなかったらしいのですが、日本軍戦車フアンとしては、一式戦車のジオラマ作成のためにも、装備してあって欲しかった・・・・。この辺の確実な資料どなたかお持ちではありませんか?

[3806] Re[3795]: 旧日本軍の戦車師団 投稿者:阿部隆史 投稿日:2003/12/27(Sat) 16:23  
>  では、戦車師団の場合、どれくらいの部隊編成が必要なのでしょうか?

う〜ん、日本軍の戦車師団について解説しろって言われてもなあ...
日本軍の場合、ルソン戦と大陸打通作戦を除くと戦車部隊を師団単位で運用した例ってないんだよね。
戦車師団ってのは本来、4個戦車連隊編成であるべきなんだけどこの両作戦にしたって大陸打通作戦じゃ戦車第3師団は2個連隊、ルソン戦でも戦車第2師団は3個連隊しか戦車をもっていなかった。
こうした作戦にしたって連隊単位で逐次投入されてるしね。
加えて色々な資料に出てくる戦車第2、第3師団の作戦投入戦車数はどうも釈然としない部分があるんだ。
やはり日本軍の戦車部隊を見る時は連隊単位で見た方が良いんじゃないかって気がする。

開戦時の日本戦車部隊兵力:
開戦時の陸軍戦車部隊兵力は戦車連隊数計15(1〜14、23)
第1戦車団(3,5,9連)
第2戦車団(4,10,11連)
第3戦車団(1,2,6連)
その他6個独立連隊
南方攻略には7個連隊を使用する予定であったが実際に使用されたのは6個であった。
その内訳は以下の通りである。
第3戦車団、独立4、7、14連隊(14連は第3戦車団へ配属)

それでは開戦時に各戦車連隊はどれだけの戦車を保有していたのであろうか。
原乙未生著「日本の戦車」から実数を挙げてみよう。
1連(95軽15、97中31:計46)、4連(95軽38)、5連(97中38)、6連(95軽12、97中25:計37)、7連(89中32)、11連(95軽5、89中8、97中28:計41)、14連(95軽32)、23連(95軽10、97中36:計41)
一瞥して判る様に各戦車連隊の戦車保有数は約40、また4連や14連の様に軽戦車のみからなる部隊(これが4個連隊あった)と5連や7連の様に中戦車のみの部隊、その他の部隊の様な混成など3パターンの編成があった。
開戦時の実数が判らない部隊もあるし混乱も避けたいのでゲーム上では1個連隊を40両とし混成の場合は軽戦車10両、中戦車30両としてデータ化した。
なお幾つかの軽戦車連隊が後に混成へ改編されている。

第2段階作戦兵力拡充:
昭和17年の第1段階作戦終了後、第2段階作戦に備え大規模な部隊改編を行う。
これにより第1機甲軍、および1〜3戦車師団を編成。
昭和17年に於ける戦車連隊総数22、その配置は以下の通り。

満州:
 第1機甲軍(満州東部)
  戦車第1師団(牡丹江)1、3、5、9連隊
  戦車第2師団(勃利:東安付近)6、7、10、11連隊
 教導戦車団(公主嶺)23、24連隊
 15連(孫呉)、16連(ハイラル)
北支:戦車第3師団(包頭)8、12、13、17連隊
内地:独立2、18、19、22連隊
蘭印:4連隊
ビルマ:14連隊
連隊番号の内20、21は欠番
新設は15〜19連、22、24の7個

一見すると大量に部隊が編成された様であるが戦車第1及び第2師団は第1及び第2戦車団に1個連を増加させ改編した部隊に過ぎず戦車第3師団は騎兵集団を改編した部隊であった。
また15連は第1師団戦車隊、16連は第23師団戦車隊を改編した部隊であり全くの新設部隊ではない。

昭和18年の編成:
 昭和18年に25、26、27の3個連隊を編成
 ただし25連は12連から2個中隊を抽出して編成された部隊である。
 また26、27連は戦車第1及び第2師団捜索隊を改編した部隊に過ぎない。
昭和19年の編成
 昭和19年に戦車学校教導隊を解体し28、29、30の3個連隊を編成。
 28連は千葉戦車学校、29は騎兵学校、30は四平戦車学校である。
 もうこうなると「オシマイ」だ。
 この3個連隊は後の戦車第4師団となる。

連隊兵力の拡充:
昭和18年頃から戦車連隊の兵力差が目だち始める。
小型の連隊(15連隊)では軽戦車2個中隊(30両)から大きな部隊(5連隊)では各種5個中隊(定数103両:ただし実数は昭和17年10月時57両)まで色々あったようである。
なお103両と言う数値は加登川幸太郎著「帝国陸軍機甲部隊」198ページによるが少々疑問を感じる。
やはり日本陸軍戦車連隊は最大でも5個中隊(定数60〜75両)、実数だと50数両といった所ではなかろうか?
ちなみに1号作戦時の13連隊は5個中隊編成(73両)で完全充足だったようである。
面白いのは14連隊で開戦時の軽戦車3個中隊編成から95式軽戦車1個中隊、鹵獲M3軽戦車1個中隊、97式中戦車2個中隊の混成に改編されたがその後、97式軽装甲車1個中隊が編入された。
更にインパール作戦時、各中隊は鹵獲M3軽戦車1個小隊、95式軽戦車1個小隊、97式軽戦車1個小隊に改編され連隊の戦車総数は66両(「日本の戦車」による数値:同書によれば1式砲戦車が1両配備されている。)だった。
ただしインパール作戦時の14連隊戦車保有数については陸上自衛隊幹部学校編纂「インパール作戦・下」では60両(全車喪失)、戦史叢書「イラワジ会戦」209ページでは52両(49両喪失)としている。
丸エキストラ版8号190ページでは3個中隊編成で全滅の様だ。
はたして1式砲戦車は本当に配備されていたのだろうか?
戦史叢書「イラワジ会戦」316ページだとマンダレー到着時の保有車両を中戦車2,砲戦車1、軽戦車3(う〜ん、さっきより3両増えてるな。どうしたんだろう?)としてるのでやっぱりあったらしい。
なお終戦時、戦車第1連隊の第3中隊は1式中戦車1両、97式中戦車改5両、97式中戦車3両、95式軽戦車3両、ホハ車1両、その他の装甲兵車2両で編成されていた。

終戦時の戦車兵力:
昭和19年次における戦車兵力は1〜30(20、21欠)の28個連隊であった。
これに加え19年末から本土決戦に備え多くの部隊が編成される。
しかし戦車の生産量と損耗から考察するとほとんどの新編部隊は未充足であったと思われる。
(さして部隊を新設していない昭和18年ですら年間戦車生産数は881両だったのに昭和19年の生産数は294両、昭和20年の生産数は127両に過ぎなかった。どうしたってこれでは計算が合わない。)
終戦時の在満州部隊は34、35、51、52の4個連隊。
中国には3個連隊(12、13、17連)。
終戦時の戦車連隊数は46(玉砕部隊も含む)。
つまり19年末からの緊急動員兵力が18個あった事になる。
これらのうち大部分は20年4月の編成下令なので戦力はかなり低い。

各戦車連隊の所在地一覧:
連隊名 41.12  42.4    42.8     44.6    終戦
1   マレー    モールメン   ラングーン  牡丹江   銚子
2   マレー    プローム    ジャカルタ  宇都宮   横須賀
3   新京     新京      牡丹江    南昌    全県
4軽  フィリピン  スラバヤ    スラバヤ   クーパン  クーパン
5   牡丹江    牡丹江     牡丹江    牡丹江   銚子
6   マレー    シンガポール  東安     東安    滅(比)
7   フィリピン  バターン    東安     東安    滅(比)
8   奉天     奉天      奉天     ラバウル  ラバウル
9   牡丹江    牡丹江     牡丹江    サイパン  滅(サイパン)
10  東安     東安      東安     東安    滅(比)
11  東安     東安      東安     ホロムシロ ホロムシ
12軽 太原     太原      太原     太原    ソウル
13軽 漢口     漢口      漢口     天津    長沙
14軽 マレー    ラングーン   マンダレー  マンダレー プノンペ
15軽                孫呉     ニコバル  ニコバル
16軽                ハイラル   ウェーク  ウェーク
17                 銚子     漢口    天津
18                 福岡     福岡    鹿児島
19                 大阪     大阪    福岡
22                 仙台     仙台    釧路
23  新京     新京      新京     新京    名古屋
24         新京      新京     新京    名古屋
25                        北京    高雄
26                        牡丹江   滅(硫黄島)
27                        東安    滅(沖縄)
28                        銚子    銚子
29                        銚子    銚子
30                        銚子    銚子
33                              銚子
34                              奉天
35                              新京
36  (45.4編成)                   (銚子)
37  (45.4編成)                   (鹿児島)
38  (45.4編成)                   (宇都宮)
39  (31大隊)                      宇都宮
40  (32大隊)                      鹿児島
41  (45.4編成)                   (横須賀)
42  (45.4編成)                   (福岡)
43  (45.4編成)                   (鹿児島)
44  (45.4編成)                   (仙台)
45軽 (45.4編成)                   (四国)
46  (45.4編成)                   (福岡)
47軽 (45.4編成)                   (四国)
48軽 (45.4編成)                   (銚子)
51  四平戦車学校の残部                  (新京)
52  四平戦車学校の残部                  (新京)

所在地の( )の部隊はゲーム上未存在としている。
実際の地名ではなくゲーム上の地名(実際地の付近)としている事に注意。
ワープロとフォントサイズが違うのではなはだ見ずらくてゴメン!

[3805] Re[3804]: 無題 投稿者:J Bird 投稿日:2003/12/26(Fri) 17:47  
わかりました。
確かに実艦が完成していないと良くわからないですね。

http://www.geocities.jp/ja8582/index.html


[3804] 無題 投稿者:阿部隆史 投稿日:2003/12/26(Fri) 09:49  
それは伊勢型の主砲が356mm(よってゲーム上では36cmに切り上げ)なのに対しマッケンゼン型の主砲が350mmだからなのだ。
(CONWAY’S1906−1922及び世界の艦船330号などによる。)
ただし世界の艦船553号やドイツ戦艦史などマッケンゼン型の主砲を356mmとする資料もある。
どっちが正しいんだろうねえ?
なにしろ実体が存在しない未成艦だからなあ。

[3803] ふと思ったこと 投稿者:J Bird 投稿日:2003/12/25(Thu) 22:09  
激闘八八艦隊でふと思ったことですが
独巡洋戦艦マッケンゼンの主砲は356ミリ、日本の伊勢の主砲も356ミリなのになぜゲーム上ではマッケンゼンは35センチ、伊勢は36センチというのはどういうことなのでしょうか?

http://www.geocities.jp/ja8582/index.html


[3802] 『鋼鉄の騎士II』アップデートのお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2003/12/25(Thu) 18:26  
本日『鋼鉄の騎士II』アップデートプログラムVer1.81をリリースいたしました。
次回トーナメントに向け、車両のポイントおよびトーナメント専用マップが修正されています。
詳しくは「ダウンロードサービス」のページをご覧下さい。

[3801] VK6501の事で 投稿者:友蔵 投稿日:2003/12/25(Thu) 00:52  
特設掲示板に少し書きましたがこちらのほうがよいかと思いました。NbFzはドイツが最初に開発した重戦車で多砲塔タイプの35tクラス。この非力さに(ヴェーゼル演習)痛感したドイツ軍が開発したのがVK6501で1939年より開発開始となっています。でも、思ったほど装甲が厚くなく鈍足だったそうです。量産されたか否かは知りません。いずれにしても「戦前」というわけにはいかないでしょう。

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