GS新掲示板 発言集[08](No.701〜800)


[800] デカブツ 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/07/23(Wed) 17:18
今日はデカブツ戦車の話をしよう。
プレイヤー諸氏はデカブツ戦車と問われどんな戦車を想起するだろうか?
有名な所ではまずキングタイガー。
こいつの車体長は7.26mで重量は69.7tである。
よって車体長9.03m、重量188tのマウスに比べるとデカブツとは言い難い。
しかしマウスにしても重量ではトップを争うものの図体の大きさではソ連の傑作多砲塔戦車T35(車体長9.72m)に負けるのだ。
しかし上には上がいる。
第2次世界大戦初頭、見かけ倒しの張り子の虎として名を馳せた仏軍超重戦車シャール2Cなどは車体長が10.27mもあった。
だがなんと!
それを更に上回る車体長の巨大戦車が大戦中に実在したのだ。

「どの国で?」と聞きたくなるであろう。
しからば私は「もちろん日本で!」と答える。
だが日本陸軍ではない。
当然、日本海軍に決まっている。
世界最大の戦艦大和、世界最大の潜水艦伊400、世界最大の61p魚雷など日本海軍は「図体の大きい兵器」が大好きなのだ。
かくして誕生したのが特3式内火艇で車体長は10.3mもあった。
フロート付きでの話だけどね。
でもフロートを外すのは実戦で敵と相対した時なんだからそれまではずっとフロート付きで行動する。
よってフロート付きの状態は普通の状態と言えよう。
輸送艦に搭載する時もフロート付きである。
2等輸送艦の搭載力は95式軽戦車(車体長4.30m)の場合14両、97式中戦車(車体長5.55m)の場合9両、特2式内火艇(車体長7.50m)の場合7両であった。
95式軽戦車14両の車体長総合計は60.2mなので97式中戦車だと10両搭載出来そうに思えるが半端な隙間はどうにもならないので9両となったのであろう。
この様に「輸送艦に何両の戦車が搭載できるか?」は割り算だけでは決まらないのであるが割り算だけで見ても特3式内火艇は5両しか搭載できないのだ。

かくも凄まじくデカブツの特3式内火艇であるが車高もまた異様に高かった。
車高の高さで天下に名を轟かす背負式二段砲塔戦車SMKの3.35mやマウスの3.63mを凌ぐ3.82mは戦場の通天閣と言えよう。
かくも高い視点で戦場を見下ろせば「絶景かな〜」と唸りたくなる事請け合いである。
この素晴らしき特3式内火艇のプラモ、作って見たいと思わない?
実はあるのだ。
特3式内火艇のキットが。
1/700のWL(ピットロード)だけどね。
同一スケールのタミヤの特2式内火艇、アオシマのタイガーやパンターなどと並べればデカブツ戦車の迫力を満喫できる事間違い無しだ。
虫眼鏡が必要かも知れないが。

[799] 大将より大統領の方が上官 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/07/17(Thu) 13:52
しかしマッケーン提督もまさか孫が大統領候補(もうじき候補じゃなく大統領となるだろうが)になるとは想像もできなかったろうな...
ちなみに僕はニミッツ&ポッター著、富永謙吾訳「ニミッツの太平洋海戦史」や谷光太郎著「米軍提督と太平洋戦争」にならい「マッケーン」と表記しているが最近の書籍や読売新聞だと「マケイン」と表記するらしい。

[798] 「武運」 投稿者:ハルトマン 投稿日:2008/07/17(Thu) 08:25
 「武運」ですか面白いテーマなので、発言します。
 
 24年前某都市銀行に入社した時に最初に言われたのもこの言葉「運も実力のうち」でした。現在会社経営をやっていて、この不景気に思う言葉もこの言葉です。

 10年ほど前同業の社長でかつて、終戦直前までソ満国境で独立守備隊長をやられていた元陸軍中佐と話したことを、思い出します。「武運のある奴ない奴兵隊の運命紙一重・・・」その人の武運もこれ凄い。師範学校の予備士官候補生として陸軍入隊。最初の配属は後にニューギニアで全滅した京城の第20師団。北支出動各地を転戦、18年ニューギニア転戦の直前ソ満国境独立守備隊長。更に終戦直前本土防衛の為、本土決戦に備え静岡の御前崎付近の防衛連隊副官に赴任と、常に前線にいて、今でも夜中敵襲の夢にうなされていたと言う本人の運が最高の人です。
 戦死より移動中の交通事故で死ぬ兵隊が多く、何の為にと思ったこと幾度か、戦闘中弾が、鉄兜の廻りを弾が廻って、気絶しただけの兵隊。転んだところに砲兵隊の馬車が、その兵隊の腹の上を通ったが、テキ弾筒の弾を腹に巻いていたので、助かった兵隊などなど・・・・。「兵隊の運命紙一重」の話は良く聞きました。私の祖父も南支で二股の分かれ道でジャンケンして負けたから左の歩哨。5分後右へ行った歩哨は狙撃され戦死の体験があり運が良いと思えば。岩仲挺身隊の龍海線の爆破では、勲章授与の規定が変わり、金鵄勲章は貰えないと言う不運も・・・。

 ミッチャーとマッケーン確かに比べると・・・、でも軍隊では、機動部隊指揮官にまでなった方々、やはり努力は並みではなかったと思います。努力の末、最後は運に見放され・・・しかし海軍士官学校の入試・任官・昇進と二人の努力の人生が見えるようです・・・。確かに時代が変わるそのとき波にみ乗れる人、乗れない人。「ピンチはチャンス、どんな支店でどんな上司でも配属は2年程度だ・・・」と言っていた陸軍幼年学校出の某都市銀行幹部を思いだします。
 転じて私の会社、「運命がカードをまぜ我々が勝負する」と言う言葉を思い出しました。外での本日・明日の作業・・・何とかやり通せ・・・でも天候が・・・マッケーンさん本当に可哀想・・。 

[797] 「抜書帳」更新のお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2008/07/16(Wed) 15:55
昨日「抜書帳」にコラム「武運」を追加しました。
http://www.general-support.co.jp/column/columun.html

[796] Re:[795] 七夕 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/07/11(Fri) 21:20
> 第2次大戦中では多くの場合、初夏になると大作戦が発動されました。

そうだね。
確かに初夏になると大作戦が多く発動された。
これには幾つかの理由があると思う。
まず最初の理由は天候。
ヨーロッパ東部の場合、春は泥濘、真冬は厳寒で攻勢がかけにくくなるので初夏あたりに作戦を発動させ冬が来る前に勝負を決するのが理想となる。
次の理由はゲン担ぎ。
6月23日に発動されるのはナポレオン以来の伝統行事とも言えよう。
まあ6月22日にフランスが降伏してるので枢軸側としてはこっちのゲンを担いでるとも言えるが。

作戦発動日が1日ずれただけで勝敗の帰趨が変わる事はしばしばある。
それだけに作戦発動日の決定は重要だが結果は蓋を開けて見るまで判らない。
始めるまでは「こっちの作戦計画は敵にばれてるんじゃなかろうか?」と疑心暗鬼にもなるだろう。
でも「ばれているか否か?」はやってみるまで判らないし退役するまで石橋を叩き続ける訳にもいかない。
立てた作戦計画はいずれ実行されねばならないのだ。

ちなみにゲームをプレイする上でも「作戦名を命名する事」と「方針と予定を策定し結果に一喜一憂する事」が楽しくプレイする秘訣となる。
シミュレーションゲームは映画鑑賞や読書とは異なったアクティブなジャンルなのだから。

[795] 七夕 投稿者:ケンツ軍曹 投稿日:2008/07/07(Mon) 20:21
第2次大戦中では多くの場合、初夏になると大作戦が発動されました。
1941年のバルバロッサ作戦、翌年のブラウ作戦、翌々年のチタデレ作戦などが有名です。
また太平洋方面では1942年にMI作戦が発動されました。
更に1944年にはイタリア戦線、西部戦線、東部戦線の全てで連合軍は反攻の火蓋を切り太平洋でも絶対国防圏が破綻の危機を迎えます。
そして7月7日にはサイパン防衛戦での最終局面となるバンザイ突撃が実行され勝敗が決します。
それから1年。
1945年の7月には米機動部隊が日本本土に来襲し戦艦榛名、伊勢、日向、空母天城、重巡青葉、利根などが撃ち沈められ翌月、日本政府はポツダム宣言を受諾します。
玉砕の一番手はアッツですし他にもタラワなど各地で玉砕は頻発しました。
けれどガダルカナルやキスカでは部隊を撤収させていますしブーゲンビルなど玉砕せず徹底して持久戦を繰り広げたケースもあります。
自分としてはサイパンに於ける七夕のバンザイ突撃が日本の玉砕戦術常套化の契機になったように思えてなりません。

[794] Re:[792] [790] [789] 英本土航空決戦 投稿者:ワルター少尉 投稿日:2008/06/29(Sun) 20:07
いまだ東部戦線は戦端が開かれず英独航空戦が繰り広げられ欧州諸都市はガレキの山と化してしまいました。
発言792で書いたアレとはカウツの事ですがボーファイター相手では速度、火力の双方で及ばず数で押し切るしかないテイタラクで苦戦を余儀なくされています。
英空軍が夜間爆撃に固執した以上、ドイツで夜間戦闘機が発達するのは避けられない道だと得心いたしました。

[793] 独ソ戦 投稿者:いそしち 投稿日:2008/06/22(Sun) 10:28
本日は6月22日ですので私も皆様方にならいGD2のシナリオにチャレンジしたいと思います。
ですが6月22日と申しましても41年のバルバロッサ作戦にすべきか44年のバグラチオン作戦を相手にすべきかで大きく悩む所です。
きっと選択次第で今夜の晩酌の味は大きく変わるでしょう。
もちろん本日中に勝敗を決するなど到底、考えもできませんが。

[792] Re:[790] [789] 英本土航空決戦 投稿者:ワルター少尉 投稿日:2008/06/21(Sat) 19:01
> GD2の英本土航空戦、頑張って下さいまし。

応援ありがとう御座います。
頑張ったのですが・・・
残念ながら英空軍の撃滅には至らず持久戦にもつれこんでしまいました。
なかなかうまく行かないもんですね。
でもまだ手が無い訳じゃありません。
11月下旬にアレが完成すれば・・・
せっかくですからこのままもうしばらく続けてみようと思います。

[791] 更新のお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2008/06/19(Thu) 20:24
本日『商品ラインナップ』のページにWindows Vista SP1への対応状況を追加いたしました。
http://www.general-support.co.jp/products.html

Vistaをご使用の方はご一読下さい。

[790] Re:[789] 英本土航空決戦 投稿者:魔界半蔵 投稿日:2008/06/19(Thu) 01:17
空軍大戦略、この前録画したのを昨日、ようやく見ました。
最後に見てから10年以上経ってましたが、軍装や建物など前には気付かなかった発見がいろいろあって楽しめました。

あの映画は確かにゲームや模型の虫がうずきますね〜(^_^)
GD2の英本土航空戦、頑張って下さいまし。

[789] 英本土航空決戦 投稿者:ワルター少尉 投稿日:2008/06/14(Sat) 12:32
昨日、NHK衛星第2で放映された「空軍大戦略」を見ました。
実機を使用した迫力の映像はCGだらけの昨今の映画に比べ見応えがあります。
機会がありましらどうか皆さんも一度、御覧下さい。
あの感動を再現する為に昨晩、GD2のシナリオ2「電撃戦」を史実に近い講和条件の勝利で終わらせセーブしました。
このセーブデータによって今週末をかけてバトルオブブリテンを再現したいと思います。
果たして我がルフトバッフェは勝利を手にする事が出来るのでしょうか?

[788] 対地用20mm機関砲あれこれ 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/06/09(Mon) 15:55
戦前から戦中にかけ対地用20mm機関砲は軽戦車や装甲車に装備され随分と広範囲で使用された。
だがその後、軽戦車や装甲車も立派な砲を装備(例えばM24など)する様になり対地用20mm砲は影をひそめる。
ちょうどこの頃なんだよね、副砲付き戦車が登場するのは。
そして副砲付き戦車があまり見られなくなるに従い今度は20mmクラスの対地用機関砲を装備したIFVが続々と登場してくるのだ。

[787] 重機の魅力? 投稿者:C物品 投稿日:2008/06/08(Sun) 20:31
戦車の20mm機関砲には直接関係ありませんが、大正13年発行の「海力新報」という雑誌に、将来の航空装備の紹介の中に7mm機関銃の他に、航空機を攻撃するための「機関機砲」が考えられていたようです、当時の航空機は布張りですから7mmでも十分そうですが、何か理由があるのかもしれません。
(不勉強で理由は不明ですが)
戦車の20mm機関砲についても、もしたしたら、大正時代の布張り航空機でも当時7mm機関銃だけでは不十分と考えるなにか?があるのですから、当時、どこかで重機の要望があったのかもしれません。それが現場の要望なのか、上層の理論(ドクトリン)なのかは不明ですが。

[786] Re:[783] [782] [781] 戦車の副砲 投稿者:北風 投稿日:2008/06/07(Sat) 03:27
解説ありがとうございます。
しかしセンチュリオンが別マウントというのは面白いですね。
同軸ならまだ「目標によって戦車砲と使い分ける」とも思えますが、別マウントって事は20ミリを撃ってる間は主砲は撃てない訳ですから使い勝手が良いとは思えません。

ソ連の多砲塔戦車みたいに、20ミリ専属のクルーでもいれば別ですが(笑)

[785] Re:[783] [782] [781] 戦車の副砲 投稿者:扶桑 投稿日:2008/05/27(Tue) 22:35
> そう、それが問題なのだ。
> 何を撃つ為の装備なのかが。

すぐに思い浮かぶ可能性としては、やはり「小口径機銃では荷が重く、主砲で撃つのは大げさすぎる目標」ですかね。例えば、装甲車輌とか簡素なトーチカであるとか。
機関砲は、主砲に比べて同時に多くの目標に対処できたり、撃った後に敵に居場所が見つかりにくい (主砲よりは相対的にマシなくらいでしょうが) といったメリットがあるので、装備しても全く無意味とは言えないと思います。

[784] その37mm砲は・・・ 投稿者:K-2 投稿日:2008/05/26(Mon) 22:59
>そう、それが問題なのだ。
>何を撃つ為の装備なのかが。
五式中戦車の37mm砲は対戦車砲を制圧するための砲だったんじゃないんでしょうか?
旧陸軍は戦車砲の発射速度に凄く神経質だったと思いますが、どこぞで読んだ話だと
人数の限定された戦車だと、沢山の砲手を配置した対戦車砲に発射速度で敵わない、
というのがあったらしくて、またチハの57mm砲も片手で装填できるから発射速度が
速くて良い、というような話だったかと。だから75mm砲装備の試製一式砲戦車(ホイ)が
採用されなかったのかな?(後で採用されたけど)
それに、日本戦車の37mm砲は対戦車用よりも、榴弾を撃てる事が重要だった、ってのを
どこかで見た気がしますが。九五式の37mm砲も九四式速射砲より口径小さいし。
それと、あの37mm砲の脇に7.7mm機銃も付いてますが、37mm砲をやめて、7.7mm機銃を連装に
する案があったという話も見たことがあるんですが。
75mm砲も半自動装填装置を開発してたし(間に合わなかったけど)、どうもあの戦車の根底には、
対戦車砲の発射速度を恐れて、どんどん榴弾撃って制圧、って思想を感じるのですよ。

聞いたことがある、見た気がする、等々、うろ覚えなカキコで申し訳ありません。

[783] Re:[782] [781] 戦車の副砲 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/05/26(Mon) 17:15
> それにしても20ミリなんて大物を同軸で積むとは・・・
> どういう意図だったんでしょうか?

そう、それが問題なのだ。
何を撃つ為の装備なのかが。
ちなみに大戦後に登場した3種類の戦車だが同時期に開発された訳ではない。
まず最初に実用化されたセンチュリオンはmk1として1946〜47に100両生産されたものの早くも1946年中には20mm砲に換え7.92mm機関銃を装備したmk2へ量産の主軸が移されている。
この時点で英国は副砲を見限ったと言えよう。
センチュリオンが装備したポルステン20mm機関砲は同軸ではなく別マウントであったが砲塔前面に主砲と同方向を向いて装備されており同一目標を射撃する事ができた。
ここが重要である。
主砲と副砲のどちらでも撃てる場合、どちらを使うのだろうか。

センチュリオンの次に登場したのは1965年から配備開始されたスイスのPz61であった。
この戦車は砲身長100口径のエリコン製5TG/K型20mm砲を主砲同軸に装備している。
だがなんとこの車両も150両で打ち切られ1966年末から開発された改良型のPz68で副砲は廃止されるに至った。
なんとなくであるがこの戦車が副砲を装備した理由は「世界に冠たる国産20mmm」をもつスイスの国情とメーカー圧力がある様な気が...

さてどん尻に控えしは天下の大陸軍国フランスが誇るAMX30である。
この戦車はかつてタミヤから「ナポレオン」と言う名でキット化されていたから本掲示板の読者諸兄中には子供の頃に作られた方がいらっしゃるかも知れない。
AMX30は当初M2型12.7mm重機関銃を主砲と同軸装備していたが1972年からF2型20mm機関砲を装備する様になった。
ただし同軸とは言っても前述した様に40度まで仰角をかける事ができるので略同軸と言えよう。
センチュリオンやPz61の副砲は対地射撃専用であるがAMX30の副砲は限定的ながらも対空射撃可能だったのが特徴である。

副砲で敵を撃つと言っても1946年のセンチュリオンと1972年のAMX30では戦車をとりまく環境が大きく異なる。
航空機が戦車にとっての大敵である事に変わりはないが1940年代の主役であった戦闘爆撃機に代わり1970年代には攻撃ヘリが登場するに至った。
対空戦と言っても相手がヘリの場合、それほど仰角はいらない。
AMX30の副砲は相手が戦闘爆撃機や攻撃機であったなら「たいして役に立ちそうもない対空火器」だが攻撃ヘリが相手なら「結構、役に立つ対空火器」となりえるかも知れない。
砲塔が素早く旋回し実用的な対空射撃統制装置(できれば対空捜索レーダーも)があればの話だが。

[782] Re:[781] 戦車の副砲 投稿者:北風 投稿日:2008/05/22(Thu) 03:13
> 英のセンチュリオンmk1や仏のAMX30、スイスのPz61/68

これまたマイナーな(ロクにプラモ化されてないだけ?)戦車が並びましたね。
それにしても20ミリなんて大物を同軸で積むとは・・・
どういう意図だったんでしょうか?

[781] 戦車の副砲 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/05/17(Sat) 12:29
昨今、戦車の対空火器で盛り上がっているけどここでひとつ戦車の副砲について考えて見るのも一興だと思う。
いや、何も1930年代に全盛を極めた多砲塔戦車を取り上げる訳じゃないし1940年代初頭に流行ったM3リー、シャールB1、チャーチル1型などの二階建戦車を比較研究しようって話でもない。
動く要塞が夢だった頃の多砲塔戦車やその発達線上にある二階建戦車が複数の砲を装備していた事は理解できよう。
充分に破壊力のある榴弾と高初速の徹甲弾の双方が発射できる砲を回転砲塔に装備できないのであれば「榴弾砲と速射砲を別々に装備してしまえ」となるのは当然の帰結だ。
多砲塔戦車や二階建て戦車が装備した副砲の存在意義はここにある。
まあ他にも「同時に多目標を処理できる利点」もあったけどね。

さてこうした理由で大戦初期、随所で副砲を装備した戦車が見られたのだが榴弾と徹甲弾のいずれも撃てる75mm以上の砲が回転砲塔へ装備できる様になった大戦中盤以降、副砲の存在価値は急速に低下し戦車の火器は主砲と機関銃の2種類へと移り変わっていった。
米軍のM4、M24、M26、ソ連のT34、Js2、英のクロムウェル、コメット、2型以降のチャーチル、日本の3式中戦車などがこれにあたる。
(5式中戦車だけは何の因果が副砲として車体に37mm砲を装備しているので除外する。それにしても...5式中戦車は変な車両だ。)
だがどうした訳か大戦末期から1960年代にかけて再び副砲を装備する戦車が幾つか開発/量産されるに至った。
つまり僕が俎上に乗せたいのは主砲と同軸に20mm砲を装備した英のセンチュリオンmk1や仏のAMX30、スイスのPz61/68なのである。
これらの戦車は何を撃つ為に副砲を装備したのだろうか?
そしてそれは何時、何を契機として決定されたのだろうか?

戦車は限られたキャパシティの中に攻撃力と防御力、機動力ならびに搭乗員を詰め込んだ戦闘能力の集合体だ。
不必要な余積など殆ど無い。
余積があれば搭載主砲弾を1発でも増やしたり燃料を1リットルでも余分に搭載したりしたいであろう。
それなのに何故、副砲を?
やはりこれら戦車の設計者は副砲になんらかの存在意義を見いだしたのであろう。
それはなんであろうか?

ちなみに本稿に於ける副砲の定義だが砲塔上に装備された対空用の大口径機関銃は除外する。
航空機(ヘリを含む)は戦車の主砲で対処できる敵ではないのでこの対空火器は「副」ではないからだ。
砲塔上に大口径対空機関銃を装備したのは米ソや日本、韓国などの戦車でありこれらの戦車で副砲を装備した例は見られない。
(米のM48とM60対空機関銃を砲塔化したので二階建て戦車の再来とも言える形状になり大変、興味深いのだがここでは触れないでおく)
一方、レオパルトやチーフテンなどは砲塔上に対空用大口径機関銃ではなく7.7mmクラスの機関銃(以降、汎用機関銃と称す)を装備した。
何の為に?
これら砲塔上の車載機関銃を「対空用」としている書籍が散見されるが本当に対空用なのだろうか?
第二次世界大戦中ですら汎用機関銃では対空用として力不足だったのに?
これら砲塔上の汎用機関銃は「砲塔上で視察行動をしている車長がなんらかの理由で対人用火器を使用せねばならない時に使用する装備」と考えた方が自然であろう。
戦後の戦車は対空用大口径機関銃を装備した米ソ日韓の戦車と副砲を装備した戦車、主砲と汎用機関銃のみの戦車の三つに区分されるのである。
(迫撃砲を装備したメルカバは除けといて欲しい。話がややこしくなるから)

なおAMX30の副砲は主砲(最大仰角20度)とは別に40度までの仰角がかけられる様になっており対空射撃を意識した装備だったらしい。
だが所詮、40度に過ぎず重装甲で旋回速度の遅い戦車砲塔の同軸装備である以上、対空火器としては充分でない。
AMX30の副砲は「対空用」ではなく「対空戦でも若干は使用可能な程度」に過ぎないと言えよう。

[780] 皆様お元気でしたか 投稿者:プラモ派 投稿日:2008/05/06(Tue) 09:54
お久しぶりです。
丸5月号を拝見しました。
前からタイガーは大変好きなAFVでしたので大変参考になりました。
感化され今回のGWはミニスケール(フジミ1/76)のタイガー1型にチャレンジしています。
なりは小さいのですがなかなかどうして作り応えがあります。
皆様も是非、ミニスケールに挑戦してみては?

[779] Re:[778] [777] [776] 南太平洋海戦に関して... 投稿者:扶桑 投稿日:2008/05/05(Mon) 10:31
阿部様、ハルトマン様、回答ありがとうございます。

お二方の回答の内容を踏まえた上で、エンタープライズの艦爆の状況について自分なりにまとめてみます。


まず、前々日の索敵で7機を喪失(3機喪失の可能性もあり)。
海戦当日の朝に16機を索敵に出し、その後攻撃隊として3機が出撃。
仮にエンタープライズが定数の36機を積んでいたとしても、この時点で残りは10機。もともと定数を持っていたという保証もなく、故障機や上空直衛機もあったであろうことを考慮すると、もうエンタープライズに出しうる艦爆は実質的にゼロ。

その後、敵の攻撃を受けてホーネット大破、エンタープライズも被弾。エンタープライズのエレベーター1基が使用不能になり、収容能力はかなり低下。

被弾後に攻撃隊を収容。その際、何機のSBDが、どのような被弾状態で着艦したかは不明。その際、飛行甲板の混雑緩和のためにSBD13機が発艦(朝に出撃して帰還した16機の索敵機か?)。

この時点で、無傷のSBDはたぶんほぼゼロ。収容した機体があるものの、燃料は皆無だし、被弾もしている。さらに、エンタープライズ自身の損傷により、整備能力はかなり低下。ここで、攻撃を断念して退避することを決定。


こんな流れでしょうか。なるほど、改めて整理すると、エンタープライズが攻撃を行える状況になかった事がよくわかりました。

[778] Re:[777] [776] 南太平洋海戦に関して... 投稿者:ハルトマン 投稿日:2008/05/03(Sat) 10:05
>扶桑さんの阿部さんへの質問ですが、ガ島戦(南太平洋海戦含む)について私も2年程前非常に興味を持っていて、調べたことがあるので発言させて下さい。

>まず最初に南太平洋海戦の前々日、エンタープライズは事故でSBD7機を失っている。
 
 日本時間の10月24−25日の夜第二師団歩兵29連隊の古宮連隊長以下十数名が飛行場地域外側の鉄条網内に侵入、例の「バンザイ事件」(出所は右翼第38師団の東海林部隊と言う説もあり)が起こります。
このため第3艦隊はガ島付近に南下する訳です。同日昼米軍の飛行艇2機が2隻の空母らしきものを発見。
エンタープライズはただちに、北200海里に48機投入の索敵攻撃陣を敷きますが、日本艦隊はまだ遥か北に居たため発見できませんでした。
更にこの大部分の艦載機の帰還は日没後となり、F4F1機SBD3機とTBF3機を事故で失います(上記の阿部さんの説もあります・・・ので詳細不明)。
 そして、合戦当日26日となり訳ですが、阿部さんの言うとおり定数の艦載機はエンタープライズにはなかったと思います。
当時のエンタープライズの定数は戦闘機VF10・34機VB10・18機VS10・18機雷撃機VT10・12機です。
また搭乗員の錬度はミッドウェーなど歴戦の搭乗員が集められ士気も高かったといいます。


> 次に当日の索敵だけどエンタープライズが当番だったので同艦は0300にSBD16機を発進させた。
> よってこの残りから第1次攻撃隊と上空直衛を引くと残りはあまり無いって事になる。


索敵機の16機中10機は索敵を主任務とするVS10飛行隊(この中のS2号機とS13号機のSBDが空母瑞鳳に2発の爆弾を命中させています)6機は展開方向南側の索敵を命じられた急降下爆撃を主任務とするVB10飛行隊所属です。

米艦隊の戦闘機による上空直援機の詳細は不明ですが、ホーネットが健在の時点、すなわち日本側の第一次攻撃前に日本側の報告によると、30機以上いたようなので交代を考えると、米軍の3波73機の攻撃にエンタープライズより19機しか出せなかったのはある程度説明出来ると思います。

1015頃帰還した上記16機はの姿は、当時の写真に収められいますが被弾状況が酷かったようです。
またホーネット隊の第一次攻撃機(翔鶴を攻撃中破させた)は攻撃で4期喪失し、ホーネットに無理やり帰還した11機も味方の対空砲火に打たれた事により、これも被弾状況が悪かったと想像出来ます。

日本側の第二次攻撃でエンタープライズは被弾しますが、その損害状況も諸説あります。
艦尾がめくりあがり、艦首方向は黒煙が上がる、前部エレベータ(中央と言う説あり)使用不能で、復旧後準鷹の第一次攻撃の至近弾(撃墜された99式艦爆と言われます)により再び使用不能、索敵用SBD13機を緊急発進のうえエスピリットサントへ退避と、損害復旧もかなり混乱していたようです。

 以上がエンタープライズが第二波攻撃隊を出せなかった理由だと思います。

 

PS 775の私の発言最後の方、バイロイト音楽祭です。入力ミスですのでお許し下さい。
 尚、発言根拠は『第三帝国の神殿にて 上下』A・シュペーア著 中公文庫・『丸山眞男音楽の対話』中野雄著 文春新書・『カラヤンとフルトヴェングラー』中川右介著 幻冬舎新書です。 

[777] Re:[776] 南太平洋海戦に関して... 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/05/02(Fri) 19:51
> しかし実際にはホーネットの援護だけをして退避するという、ちょっとらしくない行動をしています。エンタープライズが第二次攻撃隊をためらった理由は何かあったのでしょうか?

まず最初に南太平洋海戦の前々日、エンタープライズは事故でSBD7機を失っている。
戦史叢書の数字だと定数になってるけど最初から減っていたかも知れない。
次に当日の索敵だけどエンタープライズが当番だったので同艦は0300にSBD16機を発進させた。
よってこの残りから第1次攻撃隊と上空直衛を引くと残りはあまり無いって事になる。
エンタープライズの第1次攻撃隊にSBDが少ない理由と第2次攻撃隊を出さなかった理由はここら辺にあるのだろう。
更に戦史叢書294ページによるとエンタープライズの索敵隊は全機帰還し他にも2空母が出撃させた攻撃隊や直衛機が続々と同艦に着艦し大混雑したそうな。
そこで止むなく先に着艦した索敵用SBD13機を緊急発進のうえエスピリットサントへ退避させたのである。
その上で同艦は新規の直衛戦闘機を発進させ戦闘海域からの離脱を図った。
米軍としては日本にもう一太刀浴びせるより「最後に残った貴重な空母」を連れて帰る方が重要だったのである。

[776] 南太平洋海戦に関して... 投稿者:扶桑 投稿日:2008/05/02(Fri) 16:01
どうもこんにちは。星座やら音楽やらが話題になってるところを申し訳ないのですが、ちょっと阿部さんに聞きたい事が出てきたので、この場を借りて質問させてください。

南太平洋海戦に関する公式戦刊を読んで、海戦当日のエンタープライズの行動に関して疑問が出てきました。
エンタープライズは26日の6時ごろにSBD3機、TBF8機、F4F8機からなる攻撃隊を発艦させて以来、上空直衛機を出すことはあっても日本機動部隊への攻撃隊を発艦させていません。
やろうと思えば、エンタープライズは第二次攻撃隊を発艦させることは十分可能だったと思います。例えば、最初の攻撃隊を発艦させてから一航戦による空襲を受けるまでや、隼鷹の第一次攻撃隊による被弾の後、あるいは最初の攻撃隊を収容した後なんかに。被弾した後でも発着艦は可能だったわけですから。
しかし実際にはホーネットの援護だけをして退避するという、ちょっとらしくない行動をしています。エンタープライズが第二次攻撃隊をためらった理由は何かあったのでしょうか?

[775] Re:[774] [773] [772] 今宵は少しお休み、あの男に思い馳せる 投稿者:ハルトマン 投稿日:2008/04/29(Tue) 15:16
> > それにしてもヒトラーの誕生日は4月20日なので牡羊座。
> >> GD2のグランドマップを眺めながらしばし、目を開けて産まれた独裁者の視界を感じてみるのは如何が?
> 皆様には理性、狂気、現実、夢想、無想…何が見えるでしょうか?

 お久しぶりです。最近、家族や仕事や今や本業となってしまった趣味に時間が取られてGDも買ったままの状態、ラッピングも剥がしていないのですが・・・・・。夢はあの独裁者の聞いた音楽でも聴きながら、GDをプレイすることです・・・。
 
 ワーグナー・3B(ベートーベン・ブルックナー・ブラームス)が彼のお気に入りだったらしいですが。バルバロッサ作戦のテーマ曲は、リストの『前奏曲』。そう言えば44年の誕生日にはベートーベンの『交響曲第3番(エロイカ)』・39年の誕生日にはワーグナーの『マイスターシンガー』が、記録映画に残されていました。
 43年以降ナチスの指導者は、戦争をあきらめた的なところがあって、後は前線の兵士の個々の奮闘と、戦争前に女優との色恋で失脚気味のゲッペルスが軍人よりも軍人らしく振舞い、総力戦を盛り立て、シュペーアがひたすら戦争物資の増産に務めて、何とか戦線を維持していたのではないかと思うくらいです。事実クルスク戦前後からヒトラーは、オーバーザルツベルクに引きこもり(不眠症で夜中3時4時にワーグナーの聞かせどころとクラッシック音楽に浸り)がちでした。
 音楽家も戦争前から他国へ亡命がちですが、ほぼ最後までドイツに踏み止まった音楽家の当時の録音を聞くと、今の音楽にはない緊張感と凄さ・そして時代を感じます。個人的にはフルトヴェングラーの42年3月のベートーベン『第九』43年のクルスク戦直前の『運命』44年12月の『エロイカ』はもう人類が聴くことの出来ない(此処まで追い詰められた時代がまた有っては困る)凄さを感じて好きですが・・・。
 他にも戦後録音のフルトヴェングラーの49年の『マイスターシンガー』52年『タンホイザー序曲』・ケンプのピアノ・カラヤンの『ドイツ行進曲集』などは試聴してみる価値ありと思います。

 最近読んだ本は、あの指揮者カラヤンとフルトヴェングラーの音楽界での権力闘争の本ですが、ナチスの権力者の権力争い(中小企業のワンマン社長の下の役員達の権力争い的)と同じで壮絶なものだったのですね。あの帝王カラヤンが・・・。ヒトラーは現在も続くバイロト音楽祭にも一時的に保護・影響を与えた人物です。

 音楽を聴きながらGDやって、歴史を考えるのも良いかも。私の第三帝国が滅んだ暁にはブルックナーの『第7番』とワーグナーの『ジークフリートの葬送行進曲』をかけることになるのでしょうか?さて、私はGWの夜に、GDを立ち上げてみようと思います。

[774] Re:[773] [772] 今宵は少しお休み、あの男に思い馳せる 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/04/25(Fri) 17:03
> それにしてもヒトラーの誕生日は4月20日なので牡羊座。
> 射手座のスターリンやチャーチルとは相性が良いはずなんですがねえ?

なるほど。
でもYahoo!占いだと4月20日は牡牛座になってるようだ。
どうもこの日は星座の端境期みたいだね。
ついでにナチスのリーダー達の星座を調べてみると...
ヘスとリッベントロップが牡牛座、ゲーリングが山羊座で相性は○。
ゲッベルスが蠍座で×。
ヒムラーが天秤座、ボルマンが双子座で△になる。
4月20日が牡牛座であったとしてだが。
もし4月20日が牡羊座なら○は無しでヒムラーとゲーリングが×、残り全部が△だ。
う〜む、だとすれば孤独だね。
星占いを信じればの話だけどヒトラーは占いに凝っていたそうだからなあ...

[773] Re:[772] 今宵は少しお休み、あの男に思い馳せる 投稿者:いそしち 投稿日:2008/04/23(Wed) 20:34
> GD2のグランドマップを眺めながらしばし、目を開けて産まれた独裁者の視界を感じてみるのは如何が?
> 皆様には理性、狂気、現実、夢想、無想…何が見えるでしょうか?

「私のパソコンの画面にはヨーロッパ全土に広がる青い根拠地だけが見えます」
と言いたい所ですが残念ながらイベリア半島と小アジア半島は黄色のままで
当然ながらブリテン島は真っ赤っか、ロシア平原もずいぶんと赤が目立ちます。
まあ相手が共産主義国家ですから赤いのも仕方ありませんが。
それにしてもヒトラーの誕生日は4月20日なので牡羊座。
射手座のスターリンやチャーチルとは相性が良いはずなんですがねえ?

[772] 今宵は少しお休み、あの男に思い馳せる 投稿者:砂漠のラッコ 投稿日:2008/04/20(Sun) 23:08
ひぇぇ、過分な御言葉、更に補遣、心より感謝致します。
現在、戦後の赤軍のリサーチに苦しんでおりますが、間が開きすぎない程度で書き込んでしまう積もりです。
戦後、冷戦下の赤軍は兵器についてはそれなりの資料が出回っているのにそれを運用する組織やその編制に関する物がなかなか見付からなくて…
それらの断片をつぎはぎしてある程度は思う所を固めていますが、もう少し納得のいく裏付けを取る努力をしてみようと思います。
”兵器と組織は表裏一体となって思想を体現する”
がモットーなので…

そんな状況で出没したのは今日があの男、アドルフ・ヒトラーの誕生日だから。
映画にも描かれた最期の誕生日は比較的知られていますが、その前年は?
その前は?
更に戦前、例えば政権を捕った33年は?
何を思い、見据えながらこの日を迎えたのでしょう?
彼に関する多くの研究や著作が発表されていますが虚実のヴェールに包まれて、少なくとも私はその思考の足跡に迫れません。
GD2のグランドマップを眺めながらしばし、目を開けて産まれた独裁者の視界を感じてみるのは如何が?
皆様には理性、狂気、現実、夢想、無想…何が見えるでしょうか?

[771] 第3回も楽しみにしてるよ! 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/04/20(Sun) 17:50
トハチェフスキーに着眼したのはまさに慧眼だね。
僕もまったくその通りだと思う。

>ここで気付くのは各国が標準的師団対空火器として採用していた20粍級の機関砲が無い事。

お節介かもしれないがこの点に付いてちょっとばかり補足を。
主要交戦国の主だった軽対空火器(10mm以上50mm未満)を以下に示す。
独は20mmと37mm、日本は20mmのみ。
米は12.7mmと37及び40mm、英は40mmと20mm、ソ連は12.7mmと37mm。
仮に37〜40mmを大、20mmを中、12.7mmを小とすると独英が大と中、日本は中のみ、米ソは大と小を装備していた事になる。
つまり米ソの12.7mmは独英の20mmに匹敵する火器として位置づけられる。
そして哀しい話だが唯一大を装備していない日本は20mmに全ての役割を期待せねばならなかったのである。
よって同じ20mmであっても独英と日本では意味合いが全く違うと言えよう。

>大戦中主力となったのはトラックにPM1910の四連銃架を配したものと、レンドリース供与された計二千輛余りのM15、17である。

洋書で申し訳ないんだが...
Soviet mechanaized firepower 1941−1945と言う書籍にソ連の対空自走砲の写真が数点あるのでお手持ちの方は御覧頂きたい。
M31型76.2mm高射砲をトラックに装備した自走砲 写真1
PM4連装をGAZトラックに装備した車両 写真14
Dshk3連装をGAZトラックに装備した車両 写真15
それとグランドパワー誌78号によればレンドリースされたM15は100両、M17は1000両の合計1100両との事である。

>即ち赤軍の至上ドクトリン、縦深打撃理論が与えたマイナス面である。

1936年版赤軍野外教令(国防人民委員命令245号)第112項「全縦深同時攻撃」の事だね。
トハチェフスキーが立案してK・ウォロシロフが署名した戦略案だ。
そしてこのプランは砂漠のラッコ氏が指摘した様に圧倒的制空権の確立を前提としている。
圧倒的制空権があるのだからソ連軍は対空火器の充実化なんて必要としない。
逆を返せば「圧倒的制空権なきソ連軍」は非常に脆いのだ。
第1次世界大戦中の英巡洋戦艦みたいに。
だがその事が露呈した時、トハチェフスキーは既に土の下だった。

[770] Re:[768] 間が開き過ぎた 投稿者:ケンツ軍曹 投稿日:2008/04/20(Sun) 15:08
> 続いて御礼。ケンツ軍曹様、兵器解説多謝。本来書き込んだ当方がせねばならない所なのに。

お役にたてて幸いです。

> 一応ヴィッカースについては7.7o及び12.7oの積もりでした。

これは失念していました。
考えてみればBESAにも15ミリがありましたね。
英陸軍でこれらの重機関銃が対空自走砲にならず7.92ミリ4連装対空戦車が生産されたのは不思議な事です。

[768] 間が開き過ぎた 投稿者:砂漠のラッコ 投稿日:2008/04/19(Sat) 02:31
懲りない二回目…の前に

訂正。大戦中に開発された自走対空砲はZSU37です。
SU76をベースに37oM39を一門搭載していました。
[748]でもNSVをSKVとか書いてるし…

続いて御礼。ケンツ軍曹様、兵器解説多謝。本来書き込んだ当方がせねばならない所なのに。
一応ヴィッカースについては7.7o及び12.7oの積もりでした。
マチルダ1とカーデンロイド系MkWの主火器ですね。
日本でも海軍が採用していた奴です。
…あっという間に九三式に駆逐されましたが。

因みにoが粍になっているのは原文の日記をペーストした為です。
oが表示されないので(汗

米軍の機関銃好き > 確かにそうかも、とジョン・エリス氏の”THE SOCIAL HISTORY OF THE MACHINE GUN”の言説を思い出しました。

では気を取り直して。

開戦後の赤軍は…バルバロッサの悪夢から立ち直るのに精一杯だった。
狙撃兵師団は戦前の19000名規模から14000名、更に9000名まで縮小された。
狙撃兵連隊も定数を削減されたがより深刻だったのは支援部隊で大隊規模だった工兵、捜索、輜重等が軒並み中隊になっている。
機甲部隊は更に深刻で、師団編制を維持出来ず旅団を基本作戦単位とするようになる。
戦車大隊二個と自動車化狙撃兵大隊一個基幹…
41年末頃の戦車定数47輛は後の独重戦車大隊とほぼ同規模。
そんな戦車旅団の編制表に対空中隊が登場するのは42年に入っての事。
書類上の存在を脱するには更に数カ月が必要だった。
この対空中隊の装備だが、資料によってまちまちで今一つ実態が見えない。
ある物をとにかく配備した状態で実際の装備、数量がまちまちだった為だと思われるがPM1910四連、ドシュカ、トラック装備、牽引、2〜6挺…
実態が混沌なのは仕方がないとして本来の装備とその定数が判らないのはどうしたものか…
恐らくドシュカが正規装備の筈だが…
装備良好な部隊(親衛戦車軍団所属等)はレンドリースのM16を装備するケースも散見される。
一応、42春には軍団編制が復活。
戦車旅団三個、自動車化狙撃兵旅団一個を基幹とし、これが規模的には実質的な戦車師団だった。
しかし編制上は軍団の為、M39装備の高射機関砲連隊が所属している。
一方狙撃兵師団は戦前と定数上の変化はないようだ。しかし実際にはドシュカを持たない師団は相当数にのぼったと思われる。
基幹要員/装備を欠いた状態から戦前以上の師団を新編したのだ。
元々精密機械である機関銃、それも需要が限られた物の増産は容易ではない。
装備自体の不足は勿論だが、輜重が中隊規模に削減されている。師団固有の輜重備蓄/管理能力は大幅に低下していた筈で、対空火器を与えられても運用可能な状態でどれ程維持出来たか疑問を抱かざるを得ない。
M39はどうか?
詳細な資料を発見していないがドシュカに比べればはるかにましだったと想像する。
軍/軍団火器である以上師団隷下よりは良好な兵站の元にあった筈だし、連隊に編成されていた為、独自の段列を保持し、ある程度は自分の面倒をみる事が出来たからだ。
最良の近接対空火器として生産の優先度も高かった。
いずれにせよ、枢軸軍と鎬を削りながら定数を満たそうとする日々は43年頃迄続く。
連合軍総反攻の年、44年。
赤軍は漸く再建を果たした。
狙撃兵師団は14000名規模に回復、戦車旅団も65輛で全車をT34系に統一。
軍団レベルの編制には各種自走砲連隊が組み込まれ火力、突破能力は飛躍的に向上している。
対空火器はどうであったか?
部隊編制表を見る限り抜本的な変化は無い。
対空中隊は概ねドシュカが行き渡るようになり、定数も18挺に強化されている。
戦車旅団、機械化狙撃兵旅団の所属中隊もこれに準じた強化がなされた筈である。
44年前半で戦車軍団の機関銃を除く対空火器は
37粍M39:36門
12.7粍DShK38:72挺
が標準となる筈だ。
定数でいえば同時期の独装甲師団(44年型)を凌ぐ。
…自走化されていない事に目をつぶれば。
装備良好な親衛戦車軍団はM39に替えてレンドリースのM15を装備し更なる機動力向上を図っていた。 しかしながら遅きに失した感は否めない。
赤色空軍も又、緒戦の打撃から立ち直り制空権を奪回していた。
枢軸各国はこの年、相次ぎ戦争から脱落し、独空軍は機体不足もさる事ながら燃料の枯渇に苛まれ出撃自体が困難な状況に陥っていた。
戦車軍団の大突破、長距離挺進に頻繁な基地移動を余儀なくされた事も稼動率、戦力低下を促進した。
トハチェフスキーが夢見たであろう理想的な展開をこの時期の赤軍は実践したのである。
結果、対空火器が当面相対するべき襲撃航空団も痩せ細る一方であり、全体的な損害は取るに足らなかった。
彼らは決してルーデルの集団ではなかったのだ。
御蔭で赤軍は理想の野戦防空組織の編制、装備の更新を戦後の宿題とする事が出来た。

次回最終。

[767] Re:[766] 丸読みました 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/04/15(Tue) 16:29
> 確かに重戦車大隊という運用は他の国にはあまり無い考え方です。
> 一番近いのは赤軍のIsUでしょうか。あれも強固な陣地を
> 抜くために集中投入されたと聞いています。

大戦中、主要交戦国で重戦車をまともに量産したのは独、ソ、英の3カ国だった。
これらのうちドイツは独立重戦車大隊を編成し英国は歩兵戦車として運用したがソ連は紆余曲折を経るに至った。
参戦前、ソ連軍では重戦車63両、中戦車210両、軽戦車102両の合計375両からなる機甲師団を中心に戦車を運用する予定であった。
しかし緒戦の大損害でこの計画は脆くも崩れてしまう。
かくして窮地に立ったソ連軍はより小規模な戦車旅団を編成する事で対処した。
だがこの戦車旅団すら定数が41年8月の93両から67両、更に10月には47両に減らされ極端に小型化してしまったのである。
ちなみに戦車旅団は2個戦車大隊と指揮戦車1両、自動車化歩兵大隊、偵察中隊、整備中隊、輸送中隊などで編成されるが41年12月の段階で戦車大隊は重戦車5両、中戦車8両、軽戦車10両の混成であった。
混成なので中戦車に足並みを合わせると重戦車が落伍してしまい重戦車に足並みを合わせると機動力が発揮できなくなる。
かくして翌42年から重戦車は戦車旅団から除かれ独立重戦車大隊(21両:ドイツで言えば中隊程度の兵力に過ぎない)を編成する事になった。
なお3個重戦車大隊と指揮戦車2両及び兵站部隊で独立重戦車旅団(これまたドイツで言えば大隊程度)を編成する事も多かった。

>しかし歩兵戦車は榴弾撃てないんじゃそんなに活躍できるのかなぁ・・・

できない。
ただし榴弾を撃てないのは歩兵戦車だけじゃなく英戦車全体(CS戦車と大戦末期の戦車、米軍供与の戦車を除く)の欠点だった。

> 車載機関銃を過大評価しすぎだったんですかね。

う〜ん...
車載機関銃を過大評価していたのはどちらかと言えば米軍だなあ。
英軍の場合、榴弾を撃てない6ポンド砲が主砲なのに車載機関銃無しって言うとんでもない戦車(バレンタイン8型)を量産したくらいだから「車載機関銃を過大評価」していたとはとても思えない。
英軍の場合は「敵歩兵や対戦車砲をなめすぎ」ってのがポイントだろう。

[766] 丸読みました 投稿者:K-2 投稿日:2008/04/12(Sat) 23:10
>阿部隆史様
なるほど、丸の記事はティーガー主体のものだったのですね。
確かに重戦車大隊という運用は他の国にはあまり無い考え方です。
一番近いのは赤軍のIsUでしょうか。あれも強固な陣地を
抜くために集中投入されたと聞いています。

しかしイギリスの歩兵戦車の考え方って、日本の戦車の考え方と逆ですね。
歩兵戦車で敵戦車から歩兵を守り、それ以外は歩兵の力で制圧、がイギリス。
日本は、敵のトーチカや機関銃陣地を戦車で潰し、敵戦車は歩兵の肉薄攻撃で排除、でしたから。
しかし日本では八九式戦車の時点ですでに歩兵を乗せたトラックについて行けない、
という理由でハ号〜チハへと進んだのに対して、イギリスはブラックプリンスに至るまで
あの速度のままというのはガンコというかなんというか・・・

しかし、弱い弱いとさんざんなじられる旧軍戦車ですら、大陸打通作戦時といい、
占守島の防衛戦といい、敵に戦車(というか、有力な対抗手段)が無ければ
あれだけ好き勝手に暴れられる訳ですから、戦車はホントに強力な兵器です。
(まあ、占守島の時は損害も大分出てますが)
しかし歩兵戦車は榴弾撃てないんじゃそんなに活躍できるのかなぁ・・・
車載機関銃を過大評価しすぎだったんですかね。

[765] Re:[760] [756] [755] M4は歩兵戦車でしょ? 投稿者:ワルター少尉 投稿日:2008/04/11(Fri) 13:01
> これがCS(Close Support:近接支援の意)戦車です。

了解しました。
CARYOKU SIENと考えれば覚えやすいですね。

> CS戦車はマチルダ、クルセーダー、クロムウェル、チャーチルなど各種戦車で生産されました。

なるほど、タミヤで出している1/35のセントーがCS戦車なのですね。

> ベサ(Besa)は英国がチェコのVz37重機関銃をライセンス化した7.92ミリの車載機関銃、ミルズは手榴弾です。
> ヴィッカースは文脈から推定すると7.7ミリ水冷式重機関銃の事と思われます。

どうもありがとうございます。
勉強になりました。

[764] Re:[762]英国軍人の遺伝子? 投稿者:かおるう中佐 投稿日:2008/04/11(Fri) 01:09
かおるう中佐です。
随分ご無沙汰しております。(数年単位ですね。。。)

なんとなく書き込みです。

>でも車体と砲塔の両方に76mm榴弾砲を装備した1型CSや車体に2ポンド砲、回転砲塔に76mm榴弾砲を装備した2型CSなどが開発、生産されたのだ。
>まったく英国人って奴は...
>摩訶不思議極まる思考法を持つ生命体である。

この辺は、1920年代の、例の「陸上艦隊」的な構想の名残みたいな物なのかな。とか思ってます。
基本車体に「専用武装」の装備でカテゴリ分け(それも極端な)。
で、そうと思いきや「汎用武装」で混乱させてみたり。。。
何かこう、ロイヤルネイビー黎明期の試行錯誤そっくりで、そこがイギリス人らしいのかな?とか思ったり。
(新兵器が定着するには試行錯誤は当然ですが、イギリスの場合、他国軍事組織と何か違う匂いが。。。)

まぁ、根拠が有る訳ではなく私の印象ですが。。。

#ドイツはどうなんだ!と言う話になると思いますが、
#アレは「必要に迫られて」的な感じが。。。

いや、何か根拠も無く適当な事書いてすみませんです。

[763] トハチェフスキーの遺産? 投稿者:砂漠のラッコ 投稿日:2008/04/10(Thu) 21:53
…え〜、ケンツ軍曹様より御許しを戴いた所で大戦中の野戦防空に関する考えと取り組みに対する私見を赤軍に絞ってつらつら述べてみようと思います。
先にミクシィの日記に備忘録的に書いてみたのですが(現在進行中)かなり長くなっているので二、三回に分けて書きます。
”んな事は知ってるわい!”
とか
”それ違わん?”
といった突っ込みはあるかと思いますが、そこはどうか寛大な心で…
では第一回。

一国の軍備が彼ら自身の理想通りに整備される事はまず無い。
戦時とあっては尚更だ。
各種兵器の生産力、そこに投じ得る資源に限度があるからだ。
更に前線では日常的に損耗が生じるし、戦前には想定していなかった兵器の必要が判明しても開発が即座に対応出来る訳ではない。
結果、望ましい装備と現実は乖離する事になる。
更に大戦中の赤軍を考える場合、もう一つ考慮する事がある。
開戦劈頭の敗北が齎した非常識な損害だ。
枢軸側のタイフーン作戦が終息する迄の半年余りで戦前の欧州配備兵力を装備ごとほぼ失った赤軍は極東兵力の転用で当面を凌ぎつつ一から戦力を再建せねばならなくなった。
兵器開発も生産も官僚主義的な厳密さ、厳格さをもって当面必要な物に絞り込まれた。
実際、陸軍で大戦中に新規に開発、採用されたのは戦車と小火器、対戦車砲だけ、といって概ね差し支えない。
これらの事情を加味しつつ大戦中の赤軍の野戦防空への考え方と取り組みについて考えてみる。

まず赤軍が大戦中に用いた対空火器だが
重高射砲/地域防空
M38(76.2粍)
M39(85粍)
M44(85粍)
高射機関砲/拠点防空
M39(37粍)
DShK38(12.7粍)
PM1910、SG43他(7.62粍)
となる。
高射砲は連隊/大隊に編成され軍/軍団へ。
高射機関砲/銃は
M39:連隊に編成。軍/軍団火器
DShK38:小隊又は中隊に編成。師団火器
他:連隊以下

に区分されていた。
ここで気付くのは各国が標準的師団対空火器として採用していた20粍級の機関砲が無い事。
これは赤軍が一部の機械化部隊を除き歩く軍隊であった事、国内の貧弱な道路インフラが原因ではないかと思う。
上記事情を踏まえ、他国が20粍機関砲を宛てた位置により軽便な50口径のドシュカを配したのだ。
性能的に文句なく最有力の37粍M39機関砲が軍団火器であるのも納得は出来る。
重要正面と集結経路に集中配備する作戦レベルの柔軟性確保と限られた牽引/輸送車輛の集中運用の為だ。
これらは縦深打撃において重要な眼目になる。
そして師団隷下の戦術単位は重機を空に向ければ良しとした。
緒戦の時期に想定されていた戦術機、軽爆の性能、防御力を考えれば妥当であるし各国とも似たような水準である。
更に戦術単位が用いる弾薬の種類が少なければ兵站業務上も都合が良い。
開戦後、枢軸側空軍の戦術爆撃の猛威が認識されてからも連隊以下により大口径の対空火器が配備されなかったのは、これが大きかったかもしれない。
粛正と緒戦の損害は兵站業務を円滑に遂行できる兵站将校、軍事官僚にも大損害を与えていた筈だから。
又、機械化部隊向けの自走対空砲の開発も低調だった。
戦前にはT26ベースの自走高射砲など開発しているが本格配備には到らず、大戦に間に合ったのはT60/70車台利用のZSU6位で性能的不満足から生産数は千輛に満たなかった。
大戦中主力となったのはトラックにPM1910の四連銃架を配したものと、レンドリース供与された計二千輛余りのM15、17である。
自走対空火器の開発が低調であった事自体は一概に責められない。
戦前の段階で航空機の対地攻撃力の著しい向上を正確に予想出来た者は少なかったであろうし、開戦早々に壊滅的な打撃を受けた赤軍は何よりも戦車やトラックを必要としていた。
全てが不足する中で牽引式の対空火器や空軍の戦闘機という代替手段がある自走対空砲は後回しにされたのだ。
だがもう一つ、トハチェフスキーの亡霊も影響していたのではないか、と私は考える。
即ち赤軍の至上ドクトリン、縦深打撃理論が与えたマイナス面である。
この攻勢上等の戦略理論は赤軍野外教令によると敵勢力の前線部隊から後方指揮機構に至る150kmを同時に攻撃し、全防御組織を麻痺させ、これを突破、崩壊させるとしている。
更に戦略空軍による後方策源地に対する打撃、空挺部隊による遮断、制圧が加わる。
これらが全て機能した場合、敵勢力の防御組織は全て麻痺し、航空兵力も基地ごと覆滅されるだろう。
そこまで到らずとも制空権を奪われ積極的な行動を取れないまま頻繁な基地移動を余儀なくされ、作戦出動どころではなくなる筈だ(これは大戦後半に現実となる)。
つまり、対空火器は攻勢開始迄の護りとして役立てば良く、一度動き出したなら止められるモノは無い訳だ、理屈の上では。

以下次回(滝汗

[762] Re:[761] 出直してきます 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/04/07(Mon) 16:56
> 丸読んで出直してきます。

なんか丸5月号の拙稿を押し売りしちまった様で申し訳ない。

> 自分は歩兵戦車ってのは歩兵支援車両と捉えていたので。

「支援」と言う単語をどう受け取るかで意味合いが変わってくるね。
歩兵戦車は「敵戦車に襲われた味方歩兵を助ける為の車両」なんだからずばり歩兵支援車両である。
でも陸戦ユニットを歩兵、戦車など敵と直接撃ち合う一般火力と野砲、重砲など味方の頭越しに撃ち合う支援火力に区分する考え方(ちなみに支援火力は直接支援火力:DSと全般支援火力:GSに区分される。弊社の名称はここに由来する)もある。
この場合、歩兵戦車は直接敵と撃ち合うので「支援火力」ではない。
歩兵戦車は支援火力ではないが歩兵支援車両なのである。

なおCS戦車についてだけど榴弾砲と対戦車砲の双方を装備すればCS戦車は不要となるはずだ。
かくして開発されたのがチャーチル1型で車体に76mm榴弾砲、回転砲塔に2ポンド砲を装備していた。
CS戦車が要らなくなるはずだよね?
普通は...
でも車体と砲塔の両方に76mm榴弾砲を装備した1型CSや車体に2ポンド砲、回転砲塔に76mm榴弾砲を装備した2型CSなどが開発、生産されたのだ。
まったく英国人って奴は...
摩訶不思議極まる思考法を持つ生命体である。

ちなみにCS戦車の配備量だけど1個中隊19両中2両なので戦車全数の1割程度と考えてよいと思う。

[761] 出直してきます 投稿者:K-2 投稿日:2008/04/07(Mon) 00:07
Re:756・757・758
元記事読んでないのに出しゃばって申し訳ありません。
丸読んで出直してきます。

文脈からするとイギリスの歩兵戦車ってのは移動する対戦車砲トーチカってとこでしょうか。
自分は歩兵戦車ってのは歩兵支援車両と捉えていたので。

[760] Re:[756] [755] M4は歩兵戦車でしょ? 投稿者:ケンツ軍曹 投稿日:2008/04/06(Sun) 12:07
砂漠のラッコ様宛

> まず、先般のレス、他意の無いものとの由、過剰な反応を御詫び申し上げます。

いえ、お気になさらず。

> 蒸し返しになるとお考えでしたらその旨、御返事頂けると有難くあります。

「蒸し返し」とは考えません。
こちらこそ「ソ連戦車の防空思想」の議論におつきあい頂きありがたく思います。
どうか調査の結果をお知らせ下さい。

ワルター少尉様宛

>どういう意味なのかどなたか解説していただけると助かるのですが。

それでは僭越ながら。
英軍は戦車の主砲に2ポンド砲や6ポンド砲などの対戦車火器を装備しましたが一部の戦車にはこれに換え3インチ榴弾砲(76ミリ砲)や3.7インチ榴弾砲(95ミリ砲)などの対歩兵火器を装備しました。
これがCS(Close Support:近接支援の意)戦車です。
CS戦車はマチルダ、クルセーダー、クロムウェル、チャーチルなど各種戦車で生産されました。
ベサ(Besa)は英国がチェコのVz37重機関銃をライセンス化した7.92ミリの車載機関銃、ミルズは手榴弾です。
ヴィッカースは文脈から推定すると7.7ミリ水冷式重機関銃の事と思われます。

[759] 今日は花見 投稿者:ワルター少尉 投稿日:2008/04/06(Sun) 10:22
いつも楽しく掲示板を見ています。
ところで最近、掲示板の中でCS歩兵戦車やCS巡航戦車、ベサ、ミルズなど知らない単語が出てきて弱っています。
どういう意味なのかどなたか解説していただけると助かるのですが。
ブレンが機関銃の一種だと言う事は判ります。
ボイスが対戦車ライフルだと言う事も。
ヴィッカースはメーカー名?
それとも戦車の名前?
チーフテンと制式化を争った有名なビッカース戦車は最近の車両でとても第2次世界戦の話題で登場するとは思えません。
GD2に登場するビッカース6t戦車の事なのでしょうか?

[758] Re:[755] M4は歩兵戦車でしょ? 投稿者:いそしち 投稿日:2008/04/05(Sat) 16:54
> M4はれっきとした歩兵戦車だと思うのですが・・・・

グランドパワー誌80号「イギリス軍機甲部隊(1)」によると
英国に渡されたM4戦車は独立機甲旅団などの歩兵戦車使用部隊と
機甲師団など巡航戦車使用部隊の双方に配備されていた様です。
ですからM4戦車は歩兵戦車であると共に巡航戦車でもあると思います。
砂漠のラッコさんと阿部デザイナーがMBTについて説明して下さった
ので私としては他に書く事は特にありません。
それとお願いなのですが阿部デザイナーがこれまで丸に書かれた他
の記事も抜書帳に載せて貰えるとありがたいです。

[757] Re:[755] M4は歩兵戦車でしょ? 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/04/05(Sat) 15:07
月刊丸5月号に書いた拙稿が元の様なので少ししゃしゃりでるとしよう。
立ち読みで構わないから丸を読んで貰えると有り難いのだが...
でも近くの書店に丸が置いてあるとは限らないし「立ち読みなどと言う行為は認めがたい」とする清廉の士も当掲示板読者には多数おられると思うので後日、要約を抜書帳にでも再録するしかないかな。

> M4はれっきとした歩兵戦車だと思うのですが・・・・

砂漠のラッコ氏も書かれているがM4はMBTである。
当然、MBTは歩兵戦車の要素を含むが歩兵戦車は「MBTの能力全て」を持ち合わせない。
丸の拙稿では英独立機甲旅団に配備される歩兵戦車や独突撃砲大隊に配備される突撃砲を「直協任務のAFV」、各国機甲師団に配備される戦車を「機動任務のAFV」と区分した。
M4の場合、米独立戦車大隊に配備される時は「直協任務にたずさわる歩兵戦車的AFV」だが機甲師団にも配備されるので「機動任務にたずさわる巡航戦車的AFV」とも言える。
拙稿では両任務をこなしうる戦車の代表としてM4とT34を挙げたがこれがすなわち「MBT」なのである。

> だからわざわざM10やM18,M36があるんだし。

これらの車両は戦車と戦う為の車両だ。
よって直協任務AFVであり「歩兵戦車にかなり近い存在」と言える。
ただし「歩兵に随伴するのが目的」の歩兵戦車が「歩兵なみの極端な低速」と言う特徴を持つ以上、高速のM10、M18、M36は歩兵戦車と呼ぶにはふさわしくない。

> しかしイギリスの歩兵戦車は歩兵と一緒に前進するくせに、
> 徹甲弾しか撃てない2pd砲装備ってのがかなり意味不明です。
> 一体、何と戦うつもりだったのか・・・・

勿論、敵戦車だ。
歩兵戦車は敵戦車から歩兵を守るために存在するのだから。
そして敵のソフトスキンをやっつける為にCS歩兵戦車がある。
英国人は「専用」と言う考え方が好きなのだ。
徹甲弾しか撃てない普通の歩兵戦車に榴弾しか撃てないCS歩兵戦車。
それに機甲師団用の巡航戦車とCS巡航戦車。
米軍のM4なら1車種で済む所を4車種にしちまうんだから。
まあ米国にしてもM3/M5軽戦車と言う「無用の小物」を終戦まで使い通すんだから「あまり合理的ではない面」も持ち合わせているんだけどね。

ちなみに多くの場合、敵を突破して「攻撃」するのは機甲師団の任務となる。
そして「攻撃」を受けるのは多くの場合、歩兵師団だ。
よって歩兵師団に配属される歩兵戦車は「攻撃」よりも「防御」で使用される事が多い。
攻撃で必要なのは速力だが防御ではさして必要とされない。
歩兵戦車に要求されるのは敵戦車から歩兵を守る事なのである。
なおCS戦車はあまり多くはない。
敵のソフトスキンを吹っ飛ばす兵器としては25ポンド野砲や迫撃砲があるからなのだ。

[756] Re:[755] M4は歩兵戦車でしょ? 投稿者:砂漠のラッコ 投稿日:2008/04/05(Sat) 13:07
> M4はれっきとした歩兵戦車だと思うのですが・・・・
> だからわざわざM10やM18,M36があるんだし。

それも違和感があるような…
米軍のタンクデストロイヤーは位置付け的にはマルダーやナースホルンに相当する代物で、戦車扱いするには苦しい所ではないかと。
そしてM4にはMBT的な発想が盛り込まれているし、その必然もあったと考えます。
最大の要因は米軍が海外展開を行う場合、長距離渡洋を考慮せずには済まない事。
結局リバティー級をバカバカしくなる程造りまくるとはいえ、船舶という限られた手段を用いる以上、余計な物は持って行きたくありません。
兵站構築まで考慮すれば持って行く装備の種類は少ない方が良く、当然何役もこなせる汎用性と互換性が求められます。
火力・装甲・機動力が一車種に集約されるバックボーンとしては充分ではないかと思います。
戦術的な開発コンセプトは確かに歩兵戦車でした。
しかし戦略的な開発コンセプトはMBTであった事が発展余裕と併せて陳腐化から救った、当方はそう解釈しております。
…支援すべき歩兵は機械化歩兵で鈍速では役立たずですしね。

> しかしイギリスの歩兵戦車は歩兵と一緒に前進するくせに、
> 徹甲弾しか撃てない2pd砲装備ってのがかなり意味不明です。
> 一体、何と戦うつもりだったのか・・・・

英軍歩兵戦車を理解するには発想の転換が必要かと思います。
ここでの主役は歩兵。
歩兵戦車は脇役又は道具、引き立て役。
脇役たる歩兵戦車に求められるのは歩兵が持たない、或いは持つのが手間な機能の補完です。
ボイスでは貫徹出来ないハードターゲットを2pdで撃ち、ブレンが制圧しきれないソフトターゲットをより強力なヴィッカースやベサで制圧する訳です。
榴弾?
歩兵が迫撃砲やミルズを持ってるじゃありませんか!
主役の仕事を奪ってはいけません。
そんな時、歩兵戦車はどうするか?
この頃には比較的珍しいスモークディスチャージャーの出番です。
機関銃で制圧しつつ煙幕を展張、歩兵の接近、浸透を援護します。
彼らがミルズを放り込めるように…
更に必要に応じて盾となり、鉄条網を圧し破る…
そんな武骨で内助の功の鑑の如き細君が英軍的歩兵戦車の理想像だったのでは…と想像するのですがいかがでしょう?

ケンツ軍曹様 > まず、先般のレス、他意の無いものとの由、過剰な反応を御詫び申し上げます。
その後も僅かですが調査を進め、先般のレスも考慮に加えつつ赤軍の防空に対する考えと対処を考察致しましたが先に御不快させた話題の事、この場に書き込んだものか迷っております。
蒸し返しになるとお考えでしたらその旨、御返事頂けると有難くあります。

[755] M4は歩兵戦車でしょ? 投稿者:K-2 投稿日:2008/04/05(Sat) 01:50
>いそしちさん
M4はれっきとした歩兵戦車だと思うのですが・・・・
だからわざわざM10やM18,M36があるんだし。

しかしイギリスの歩兵戦車は歩兵と一緒に前進するくせに、
徹甲弾しか撃てない2pd砲装備ってのがかなり意味不明です。
一体、何と戦うつもりだったのか・・・・

[754] 丸5月号 投稿者:いそしち 投稿日:2008/04/04(Fri) 00:07
ティーガーについて解説は期待していた通りでしたがドイツ突撃砲についての解説は予想外でした。
ドイツの突撃砲が英国の歩兵戦車に相当する戦闘車両だとは思っても見ませんでしたので。
逆に考えれば英国に突撃砲が無いのは歩兵戦車があるからなのですね。
巡航戦車と歩兵戦車に分裂した英軍と突撃砲と戦車に分裂したドイツ軍、更に単一戦車でまとめあげた米軍では大きな発想の差が有るように思われます。

[753] Re:[747] [741] 戦車の対空機関銃 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/03/31(Mon) 18:30
今日、知人と話していて気がついた事を補足として述べておこう。

> 対空機関銃の装備基準がどこにあったか定かではないが「重戦車に重点配備」の様な気がする。

良く考えたら1930年代後半にソ連で多砲塔戦車が展示された時、スターリンが「なぜ戦車設計者は戦車の中に百貨店を造るのかね?」と質問し戦車設計者達を震え上がらせた事があった。
誰だって処刑されたりシベリア送りになったりするのは嫌だからね。
ひょっとしたらこの時以来、ソ連の戦車設計者達は戦車に大口径副武装を装備するのをためらいはじめたのではなかろうか?
大戦末期に対空用重機関銃を装備する様になった理由は判らないけどこれも「スターリンの鶴の一声」でなんとでもなりそうな気がする。
まあ何でも「スターリンの鶴の一声」で済ましたら問題だけどね。

> 米軍が戦車に対空機関銃を装備したのは「航空脅威への対処」と言う面もあるけど「米軍の異様な機関銃好き」と言う側面もあると思う。

米国人は機関銃が好きである。
しかも沢山、装備するのが好きなのだ。
彼らが好きなのはあくまでも機関銃であって機関「砲」ではない。
だから航空機にも12.7mm機関銃をあんなにぞろぞろ装備したんだろう。
そりゃ20mm砲もB29の尾部やP38の機首にイスパノスイザを1門ずつ装備(一部のコルセアやヘルダイバーは主翼装備)したが日英独伊ソに比べれば「ほんの申し訳程度」に過ぎなかった。
さすがに艦載対空火器だけは12.7mm機関銃からエリコン20mm機関砲に移行したけどね。

[752] ワレマルヲゲットセリ 投稿者:ワルター少尉 投稿日:2008/03/30(Sun) 20:11
僕も今日、月刊丸の5月号を購入しました。
これから読ませて頂きます。
GD2の城塞作戦シナリオは何度も最初からやり直したので現在もまだ作戦続行中です。

[751] 「丸」買いました 投稿者:C物品 投稿日:2008/03/30(Sun) 16:11
掲示板でお話にあった阿部さんの記載に惹かれて今日、仕事帰りに「丸」五月号買いました。
久しぶりに買いましたが、いい勉強になりました。

[750] Re:[748] [743]ただ今リサーチ中 投稿者:ケンツ軍曹 投稿日:2008/03/27(Thu) 13:25
> なにやら噛み付くようなレスが…
> 何か不快にさせる発言があったならお詫び致します。

こちらこそ「噛み付かれた」と思われたならお詫びしますが...
それにしても「噛み付く」とは穏やかならぬ表現の様な気がします。

> ”基本的に戦車は隠蔽して保護、対空射撃は専門の対空車輛/火器に任せる欧州”の違いです。

ボカージュや並木道で満ちあふれたフランスはともかくロシア平原では航空機から戦車を隠蔽しうるのは難しいと思います。
ロシアにだってそれなりに木は生えていると思いますが。

> 大隊火器として広くばら撒かれたM2とは位置付けが異なります。

12.7ミリDShK38があまり生産されなかった事は存じています。
問題は「なぜ大量に生産されなかったか?」なのです。
私はここにソ連軍の防空軽視思想があると思います。

> 前項もそうですが、全てか無か式の解釈をされると少々困ってしまうのですが、逐一書かないといけないでしょうか?

喧嘩両成敗で私までこの掲示板で書けなくなると困るので引っ込みますが...

> 尚、43年以降の独戦車のキューポラに追加されたのはMGのマウントです。MGは増えていませんので使用するには車体銃を外して転用するか、員数外の一挺を何等かの手段で調達する必要がありました。

ドイツに限らず英軍でも日本軍でもそうでしたが。

> 念の為申し上げておきますが当方、米陸軍が野戦防空を軽んじたとは一言も申しておりません。

「米軍が防空を重視していたとする拙説」に御賛同頂き恐縮です。

> 防空はそれ用の対空火器に任せて、やられたらやられただけ造り、遮二無二枢軸地上部隊を押し潰したソ連軍。

ソ連軍が航空機を脅威と感じていたとする御意見は承伏します。
ルーデル大佐にあんなにやられたんですから。
ですが「やられたらそれだけ造れば良い」とする考え方をもってそれなりに防空策を講じたとはとても思えません。
私としてはソ連は防空策を講ぜず生産拡大で対処したと思います。
私の論旨は「なぜソ連軍は防空に力を入れずルーデル大佐の跳梁に任せたのか?」と言う点と「それにもかかわらず戦後は米国と歩調を合わせる様に戦車の砲塔に重機関銃を装備しまくったのか?」と言う点にあります。
もしルーデル大佐が西部戦線で戦ったのならあれほどの戦果は上げられなかったでしょう。
なお米軍について「理屈で理解しているだけの者」と論評されておりましたが多数の対空自走砲と12.7ミリM2機関銃があったればこそ大きな損害を受けず「血を流しつつある者」にならずにすんだともいえるのではないでしょうか。

追伸
「おっと、九三式は九二式重装甲車に載っていた」と書かれていますが九二式重装甲車に装備されていたのは陸軍の九二式車載13ミリ機関砲であって海軍の九三式13ミリ機銃ではありません。
またドイツ軍の場合、空軍のMG131を流用したりはしませんでしたがMG151については装甲兵車改造の対空自走砲として活用しています。

[749] 縦割りの壁 投稿者:砂漠のラッコ 投稿日:2008/03/27(Thu) 02:22
そうそう、書き忘れましたが各国のセクショナリズムも一因したかもしれません。
独のMG131(機載)、伊のM33(だったっけ?機載)日本の九三式(艦/機載)等、50口径クラスの自動火器が各国に存在しなかった訳ではなく、車載に容易に転用出来そうな旋回銃型がありながら戦車に載せられた試しの無い(おっと、九三式は九二式重装甲車に載っていた!車体銃だけど)これらの共通点は基本的に陸軍の火器では無い事ですから。
発想に到らない、到ったとしてもセクショナリズムの壁を越える事がなかった(実現してないのだから)それも含めてスタイル、流儀、お国柄かな?

[748] Re:[743]ただ今リサーチ中 投稿者:砂漠のラッコ 投稿日:2008/03/27(Thu) 01:16
なにやら噛み付くようなレスが…
何か不快にさせる発言があったならお詫び致します。

個々について書く前に、欧州と米国では戦車の防空に対するアプローチが異なっていた、と考えています。
即ち”対空車輛を配した上で各戦車にも対空火器を装備する米国”

”基本的に戦車は隠蔽して保護、対空射撃は専門の対空車輛/火器に任せる欧州”の違いです。
欧州でも”基本的に”終始自前の装備で戦い抜いた独ソですが、両者でさらにアプローチは分かれました。
”高価で貴重な戦車を護るべく対空火器/車輛を増やした独”

”損失はやむなしと割り切って愚直にやられたらやられただけ生産するソ”
ですね。勿論こうした見方は一面に過ぎず、生産力、生産行政、前線の整備維持能力等が絡み合った結果、表層的にはそのように見える現象になったのだと思います。
戦後、ソ連はDshKM、後継のSKVを戦車の砲塔に装備するようになりますが、西欧の主要な戦車開発国、英独仏伊が今日に至るまで戦車の対空火力を強化しようとせず、GPMGの車載で済ませているのを見ると(米独共同開発のMBT70は20oを載せようとしましたが)餅は餅屋が彼らのスタイルなのだと思います。
では各項。

> だとすればなぜ、ソ連軍はT34に対空機関銃を装備しなかったのでしょうか?

勝手な想像をするならまず、現場の細々した要望をボトムアップし辛い赤軍の官僚体質、装備をした所で効果は限定な現実。
戦車自体の機械的な信頼性や耐久性、前線整備能力の低さから半ば使い捨て扱いしなくてはならなかった事も身が入らなかった一因かもしれませんね。
尚、KVには砲塔上にDTを装備した例が散見されるので全く試さなかった訳では無いようです。
後、順番が前後しますがドシュカことDshK38と大戦中のソ連軍野戦防空について。
ドシュカが優れた火器かは置いて、詳しい配備状況は調査中ですが、断片から推測出来るのは運用面でフィフティと同列には語れそうに無い、という事。
戦車旅団/軍団の資料がまだ見付かっていませんが、狙撃兵師団については43年頃で防空大隊に6挺(おそらく一中隊)。師団火器であり、その運用は他国の20oクラスと比較するべき物。
大隊火器として広くばら撒かれたM2とは位置付けが異なります。
近接防空の主力を担った37oM37は独立連隊として軍/軍団単位で配されました。
大戦中のソ連戦車部隊は旅団を作戦単位とし、複数の旅団を編合して軍団を組織していますからドシュカは意外に馴染みの薄い装備だったかもしれません。

> ではなぜドイツ戦車はMG34をキューポラに装備したのでしょうか?

勿論対空射撃に供する為でしょう。
当方、戦車による対空射撃に否定的な趣旨を書きましたが何も完全否定したつもりはありません。
ただ、その効果は限定的で真に役立ったと言える機会は少なかったであろう、と申したのです。
前項もそうですが、全てか無か式の解釈をされると少々困ってしまうのですが、逐一書かないといけないでしょうか?

尚、43年以降の独戦車のキューポラに追加されたのはMGのマウントです。MGは増えていませんので使用するには車体銃を外して転用するか、員数外の一挺を何等かの手段で調達する必要がありました。
その後の戦時簡易化でレールがピントル架になったりしていますが廃止だけはされなかった模様。

> 37ミリ高射機関砲を装備するM15系列の対空自走砲は大戦中だけでも2000両以上生産されています。
> これはやはり米軍が防空に力を入れていた表れでしょう。

念の為申し上げておきますが当方、米陸軍が野戦防空を軽んじたとは一言も申しておりません。
大戦前半の枢軸側航空兵力の活躍は承知していたでしょうし、後半にあっては航空兵力を以て枢軸側地上兵力を叩いていたのですから、自らにそれが向けられた時の備えをするのは自然な事でしょう。
M15に加えてフィフティ四連のM16を千輛弱、大戦には間に合いませんでしたがチャーフィーの車体を用いたM19まで開発を進めていた米陸軍の防空に対する意識は間違いなく高かったと思います。
ただ、危機感、切迫の度合いなら現に叩かれ、血を流しつつある者と理屈で理解しているだけの者とでは温度差があったであろう、と申したのです。
一般の歩兵師団が定数を完全充足した装甲擲弾兵師団と互角か上回る程充実した装備を誇った米軍。
基本型の戦車や装甲兵車すら定数割れに苦しみながら対空車輛用の車体を融通した独軍。
防空はそれ用の対空火器に任せて、やられたらやられただけ造り、遮二無二枢軸地上部隊を押し潰したソ連軍。
温度差こそあれ防空を軽んじた国はなく、それぞれが自国流のやり方をした、が結論ではないでしょうか?

[747] Re:[741] 戦車の対空機関銃 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/03/26(Wed) 17:18
> それに比べソ連軍ではT34に対空機関銃を装備した例が見あたりません。

確かにT34に対空機関銃を装備した例は見あたらないけど対空機関銃架を装備したKV1はよく見られる。
またJs2も初期生産型は対空機関銃を装備していないが45年以降の写真や戦勝パレードの写真では12.7mm機関銃を装備している車両が多い。
対空機関銃の装備基準がどこにあったか定かではないが「重戦車に重点配備」の様な気がする。

> また米軍では全戦車に大戦初期は7.62mm機関銃、後期は12.7mm機関銃を対空用として装備しています。

米軍が戦車に対空機関銃を装備したのは「航空脅威への対処」と言う面もあるけど「米軍の異様な機関銃好き」と言う側面もあると思う。
なにしろM3軽戦車ですら5門、M2中戦車に至っては8門もの7.62mm機関銃を装備したくらいだから。

[746] Re:[740] [729] 近況報告 投稿者:北風 投稿日:2008/03/26(Wed) 00:25
オオタキのティーガー1型とは懐かしいですね。
私もMA誌の記事を見ながら、タミヤのキングタイガーからキューポラの移植をした事があります。

セメントコーティングの再現にはさんざん苦労しましたが、最近はコーティングを施した状態のキットもありますし、本当に隔世の感がありますね(w)

[745] Re:[744] 遅れてきた話題 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/03/23(Sun) 12:35
> で、やっぱりチャーチルの場合、その重防御に比して主砲の
> 威力が低すぎるのが問題だったのではないかと・・・

まったくその通り。
戦車の能力は概ね攻防走のバランスとテクノロジーレベル及びトータルウェイトで決定される。
つまり同時代で同重量でバランスが同じなら大体同じ程度の能力な訳だね。
まあ、まれにそうでない例もあるが。
そうした場合、傑出していれば名戦車(T34とか)、逆の場合は駄作戦車(あえて例はださないが)となる。
3式中戦車(18.8t)とM4/75(30t)の場合、重量が違い過ぎるので比べる事自体、酷だけど3式中戦車とほぼ同性能のW号戦車F2型が23tだから名戦車と言って良いだろう。
チャーチルなんかは攻走を無視して防のみに重点を置いた戦車なので他の戦車と比較するのがちょっと難しい。
なにしろチャーチル2型の場合、防がティーガー1型に匹敵する重装甲なのに攻は僅か40mmの2ポンド砲。
ちょうどナースホルンの正反対にある車両と言える。
(ナースホルンの正反対はアーチャーだって?そりゃ方向の問題だ!!)
ここで重要なのはバランスと任務の兼ね合い。
重戦車の任務は生き残って戦い続ける事。
だから防の比重が高い。
一方、中戦車の任務は戦線を突破して目標を占領する事。
だから多少の犠牲は覚悟してでも走に重点が置かれる。
敵戦線を突破して敵対戦車砲の射程外にでちまえばもう撃たれる事はないんだから生残性の観点から速力は重要な鍵だ。
英軍の歩兵戦車チャーチル3型と巡航戦車クロムウェル1型では速力が2.5倍以上も違う。
つまりチャーチル3型だと戦線を突破するのにかかる時間が2.5倍となり撃たれる回数も2.5倍になるのである。
高速目標と低速目標では命中率も変わるから実際に被弾する量は2.5倍どころでは済まないだろう。
よって「何回撃たれても平気な程の重装甲」が必要となる。
とてもスバラシイ話だ。
でも「ひっかき傷程度の損傷しか与えられない火力」と「歩兵と同じ程度の速度でしか動き回れない機動力」では大した戦力とはならない。
特に進攻作戦では。
「歩兵戦車なのだから歩兵と同程度の機動力があれば充分」と言う考え方もできる。
だが大戦中、英国は米国からの支援もあり急速に陸軍部隊を機械化した。
名称は歩兵師団であっても大戦後半の米英歩兵師団は殆ど機械化師団なのである。
よって英軍歩兵戦車は大戦後半の連合軍反攻時、全て陳腐化するに至った。
英歩兵戦車は「歩兵が機械化されていない場合」や「防御ばかりしている負け戦」ならもっと活躍する余地があったのかも知れない。

[744] 遅れてきた話題 投稿者:K-2 投稿日:2008/03/23(Sun) 01:04
チャーチルの話題で盛り上がってたようですが。
>チャーチルの6ポンド砲でティーガー1型を撃破しうる距離に近づく前に88ミリがチャーチルをやっつけちゃう訳だが

これを読んでいて、P誌に昔載っていた三式とM4の対決を思い出しました。
同じ75mm砲なんだけど、撃破できる距離がM4の方が全然長い。
三式だとよほど近くに寄らないと撃破できないんですが、
よく見るとM4の装甲が厚いだけで双方主砲の威力はほぼ互角、
三式がM4並の装甲を持っていた場合、至近距離での泥仕合を
演じることになりそうなスペックでした。
これは三式の装甲が薄すぎるんだろうな、と思う反面、M4の
装甲が自分の武装に対して過剰なほどの防御力を持っている
あたりが歩兵支援用戦車なんだなぁ、と思うのであります。

で、やっぱりチャーチルの場合、その重防御に比して主砲の
威力が低すぎるのが問題だったのではないかと・・・

[743] Re:[742] [741] 戦車の対空機関銃 投稿者:ケンツ軍曹 投稿日:2008/03/22(Sat) 14:04
レスありがとうございます。

> う〜ん、航空機の脅威を切実に感じていたのはむしろ枢軸諸国とソ連軍だと思いますよ?

だとすればなぜ、ソ連軍はT34に対空機関銃を装備しなかったのでしょうか?

> 見付かったとしても戦車に取り付いて効果の程が知れた豆鉄砲で撃ち返すよりさっさと脱出、退避した方が助かる確率は高かったでしょう。

ではなぜドイツ戦車はMG34をキューポラに装備したのでしょうか?

> 米軍戦車の対空火器は彼らが”フィフティキャリバー”M2というサイズ、威力共に車載に適切な火器を持っていた事、万が一の用心、現実に彼らが空から受けた脅威がその程度で対処出来るレベルだった事等が絡み合った結果ではないでしょうか?

ソ連にも米軍の12.7ミリM2機関銃に匹敵する12.7ミリDShK38と言う優秀な対空機関銃があります。
それと米軍は12.7ミリM2機関銃だけに防空を委ねていた訳ではありません。
37ミリ高射機関砲を装備するM15系列の対空自走砲は大戦中だけでも2000両以上生産されています。
これはやはり米軍が防空に力を入れていた表れでしょう。

[742] Re:[741] 戦車の対空機関銃 投稿者:砂漠のラッコ 投稿日:2008/03/21(Fri) 17:26
> 僕としては米軍が最も航空機を脅威と感じており逆にソ連軍はほとんど脅威と感じておらずドイツはその中間と思うのですが皆さんはいかがでしょうか?

う〜ん、航空機の脅威を切実に感じていたのはむしろ枢軸諸国とソ連軍だと思いますよ?
大戦後半に出現した独軍の多様な対空車輛はその現れですし、絶対制空権を奪われた状況では撃ち返すより擬装、隠蔽に万全を期してやり過ごす方が確実だと思います。
見付かったとしても戦車に取り付いて効果の程が知れた豆鉄砲で撃ち返すよりさっさと脱出、退避した方が助かる確率は高かったでしょう。
ヤーボは襲って来た一、ニ機では済まないのですから…

米軍戦車の対空火器は彼らが”フィフティキャリバー”M2というサイズ、威力共に車載に適切な火器を持っていた事、万が一の用心、現実に彼らが空から受けた脅威がその程度で対処出来るレベルだった事等が絡み合った結果ではないでしょうか?

[741] 戦車の対空機関銃 投稿者:ケンツ軍曹 投稿日:2008/03/20(Thu) 15:05
ティーガーについての話題で盛り上がっている所へ失礼します。
ティーガーやパンターに限らないのですがドイツ軍では一部の戦車にMG34などの機関銃を対空用としてキューポラに装備しています。
それに比べソ連軍ではT34に対空機関銃を装備した例が見あたりません。
また米軍では全戦車に大戦初期は7.62mm機関銃、後期は12.7mm機関銃を対空用として装備しています。
僕としては米軍が最も航空機を脅威と感じており逆にソ連軍はほとんど脅威と感じておらずドイツはその中間と思うのですが皆さんはいかがでしょうか?

[740] Re:[729] 近況報告 投稿者:魔界半蔵 投稿日:2008/03/19(Wed) 23:58
私は中学の時に戦略大作戦の洗礼を受けたティーガー好きモデラーなので、今回のティーガー特集は楽しみです。
昔はオオタキの中期型にタミヤのティーガー2からスチール転輪を移植して後期型を作ったりしてましたが、色んなタイプが発売されてる今とは隔世の感がありますね。
ティーガー1はパンターやティーガー2と違って、砂漠仕様にできるのが私的にはポイント高いです。
あとセメントコーティングしなくても良いし(笑)

[739] Re:[729] 近況報告 投稿者:ワルター少尉 投稿日:2008/03/16(Sun) 17:12
> 今月発売の月刊「丸」5月号でティーガー戦車の生産について書いたので御用とお急ぎでない方は是非、御覧あれ。

発売日が楽しみです。
勿論僕はティーガーファンです。
でもエースについては何冊か本を読んだものの生産についてはあまり良く知りません。
GD2の城塞作戦シナリオをプレイしながら発売日を待ちます。

[738] Re:[734] それは歴史に問うモノで… 投稿者:いそしち 投稿日:2008/03/11(Tue) 20:24
> 相済みません、刺激的な表現だったでしょうか。

いえいえ、お気になさらず。

> ”戦争に間に合った”からといって”戦局に間に合った”とは言い難いのが辛い所。
> 似たような線でソ連のAR-2とか英国のバッキンガム、伊国のZ1018辺りも該当するような…

私としては彩雲を入れたいですね。
空母のエレベーターサイズに合わせる為、尾翼形状まで手を加えたのに量産配備された時にはもはや空母がなく陸上でばかり使用されました。

[737] チャーチル 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/03/11(Tue) 16:51
パンツァー誌66号によるとチャーチル戦車の装甲は3型の場合で砲塔前面89mm、砲塔側面76mm、車体前面89〜101mm、車体側面76mm。
ちなみに鋼鉄の騎士2で車体前面を102mmとしたのは多くの資料でインチ単位の装甲を切り上げたり切り捨てたり四捨五入したりで整合がとれていなので4インチ=102mmとしてデータ化した為である。
パンターフィーベルなどで「枢軸側から見た連合軍兵器」を見るのも面白いけどあくまでも「ドイツ人がそう思っただけの事」に過ぎないので数字はあまりアテにならない。
パンツァー誌の数字だって必ずしも「絶対的」ではないけどね。
なおチャーチルの防御力がペナペナだとすれば砲塔、車体とも垂直80mmのティーガー1型だってペナペナと言う事になる。
だがいそしち氏が書かれた様に「タイガーの装甲を讃える事はあってもチャーチルの重装甲を賞賛する評論」は見られない。
チャーチルの6ポンド砲でティーガー1型を撃破しうる距離に近づく前に88ミリがチャーチルをやっつけちゃう訳だが以下の4点が考えられる。
1.ティーガー1型の88ミリは凄い
2.6ポンド砲は貧弱
3.ティーガーの装甲は6ポンド砲で撃ち抜けない程、堅い
4.チャーチルの装甲は88ミリでやられちゃうので薄い
上記4点はどれもウソではない、真実である。
しかし側面が垂直80ミリのティーガー1型と垂直76ミリのチャーチル3型を並べて3,4を主張するのはいかがな物か?
ウソでは無いにしても要点を得ているとは言い難いであろう。
やはりここは1,2が重要だと言える。
戦場では全部の敵に正面ばかり向けている訳にはいかないから特に重戦車の場合、面積の大きい側面装甲が生残性の鍵となる。
そしてティーガー1型が装備する88ミリ砲の貫徹力(パンツァー誌300号)は射距離1500mで91mmだ。
よって2000mでもチャーチル3型の側面を撃ち抜くだろう。
一方、6ポンド砲(パンツァー誌107号)の貫徹力は455mで81mmに過ぎない。
ティーガー1型とチャーチル3型では圧倒的な結果となる。
さてパンターの75mm砲はと言えばパンツァー誌321号によると2000mで89mm。
これも2000m以内で簡単にチャーチル3型を始末できる。
ただしパンターD型やA型の装甲は傾斜してるとは言っても砲塔側面で45mm(65度)、車体側面は40mm(50度)しかない。
T34/76だって車体側面は45mm(50度)あるのだ。
そしてなんと6ポンド砲の貫徹力は910mで74mm、1365mで63mm、1820mで56mmなのである。
傾斜装甲と貫徹力の因果関係については諸説あるのでなんとも言えぬがパンターの場合、ウカウカしてると1500mくらいでも6ポンド砲でやられかねない。
よって「2kmから楽に狩れます」は本当だが「1.5kmから狩られちゃいます」とも言えるのだ。
だから500mの差のうちに「落ち着いて対処しなさい」って事になるんだろうね。

[736] Re:[733] [732] ウィンストンを褒めるなんて! 投稿者:砂漠のラッコ 投稿日:2008/03/10(Mon) 20:20
チャーチルについて追記。
No.732を書き込んだ後、そのままフィーベルの手配書を眺めていて気付きました。
手配書には早覚え用の撃破可能距離以外に、車体各部の詳細な装甲厚/傾斜角を示す図が載っているのですが、チャーチルの最大装甲厚102o、その適用範囲は車体上部右側、操縦手前面だけなんですね…
他の主要部は概ね82o、ほぼ垂直……
成る程2kmで殺れる訳だ…
鋼鉄の騎士やパン◯ァー◯ロ◯トをやり込んだ方なら違った所感があると思いますが、何やら腑に落ちるものがあったのでした…

オマケみたいに載っているマチルダ、ヴァレンタインはもっとヒドイ書かれかたをしていて…引用したら卑猥な表現に引っ掛かる?

[735] Re:[730] レンドリース戦車の評判 投稿者:魔界半蔵 投稿日:2008/03/10(Mon) 06:38
なるほど、確かにT70あたりの軽戦車なんかも履帯幅が狭いですね。

しかしトラック35万両とは凄いですね。
模型関連の資料を見ているとソ連軍仕様のシャーマンやエアラコブラ等の兵器ばかり目に付きますが、対ソ支援でそれだけの支援車両が送られていたというのは驚きです。
ありがとうございました。

[734] それは歴史に問うモノで… 投稿者:砂漠のラッコ 投稿日:2008/03/09(Sun) 23:19
相済みません、刺激的な表現だったでしょうか。
遅れたとか間に合ったとか私達は後知恵で評する事が出来る訳ですが、その基準は人それぞれだと思います。
チャーチルについて私は歩兵戦車そのものが旬を過ぎ、兵器不足で使える物なら何でもいい、という状況からも(一応は)脱しつつある中で配備が進められた事を遅れて来た、と評しました。
身勝手を承知でいうと、需要が存在し、切望されている内に配備されなかった、配備時点で陳腐化し、戦時の戦力或は平時の抑止力等になれなかった兵器は遅れて来た、という事になると考えます。
”戦争に間に合った”からといって”戦局に間に合った”とは言い難いのが辛い所。
似たような線でソ連のAR-2とか英国のバッキンガム、伊国のZ1018辺りも該当するような…

黒太子戦車、失念してました。ありましたね、そんなの。
チャーチルというとクロコダイルの方が印象強いですが…

[733] Re:[732] ウィンストンを褒めるなんて! 投稿者:いそしち 投稿日:2008/03/09(Sun) 11:58
> それは…
> 基本的に遅れて来た新兵器な上に、これといった手柄話も無い為ではないでしょうか?

mk1の配備が41年6月なので「遅れてきた新兵器」はあんまりにも酷いと思いましたがよく考えて見ると最初装備した2ポンド砲は論外、次に装備した6ポンド砲は対戦車能力はあっても榴弾の開発が遅れソフトスキンに対しては役立たず、対戦車とソフトスキンの両方に有効な75ミリ砲を装備したmk6の登場が43年11月では「遅れてきた新兵器」と呼ばれても仕方ありませんね。
鋼鉄の騎士2の史実データの受け売りですが。
ちなみに75ミリ砲を装備したmk6は速度を除きKV1A(41年型)とほぼ同等ですがmk6が登場した翌月にソ連では122ミリ砲を装備したJS2を生産し始めます。
英軍トホホ。

> イタリアではそれなりに健闘していますし、ノルマンディーではあのホバート・ファニーズの主力(の改修ベース)になってます。

第79機甲師団の工兵戦車ですね。
敵前でウロウロと動き回り対戦車砲の脅威にさらされながら地雷やトーチカを爆砕するには重装甲がうってつけだったのでしょう。

> 17ポンドを搭載していればその重装甲と併せて猛獣殺しの切り札になったかもしれません。

これがブラックプリンスとなるのですが「センチュリオンとどっちを選ぶ?」と問われればお蔵入りとなったのもやむを得ないでしょう。
ファイヤフライと比べたって速力のでないブラックプリンスは活躍の場がないと思います。

[732] ウィンストンを褒めるなんて! 投稿者:砂漠のラッコ 投稿日:2008/03/09(Sun) 01:03
> 当時、英国の指導者だったチャーチルにおもんばかって命名されたのでしょうか?

その通りです。何でも本車の採用を激プッシュしたとか…
初期不良てんこ盛りだったそうですから、彼の押しが無かったら没になっていたかも。
思えば彼と歩兵戦車は陸上軍艦以来の仲ですしね。何でも因縁結びはよろしくありませんが。

> チャーチルの重装甲を賞賛する評論は殆ど見あたりません。
> なぜでしょうか?
> 同程度の装甲、同程度の火力のKV1を誉める記事はそれなりに見かけるのに?

それは…
基本的に遅れて来た新兵器な上に、これといった手柄話も無い為ではないでしょうか?
初陣のディエップで(本車の責任ではないが)ミソが付き、北アフリカでは殆ど実績無く、大陸反攻では機動力(運用の柔軟性)に勝るクロムウェルやM4に見せ場を持って行かれ…
滋味(誤字ニ非ズ)な裏方に終始してしまいました。
活躍しなかった訳ではありません。
イタリアではそれなりに健闘していますし、ノルマンディーではあのホバート・ファニーズの主力(の改修ベース)になってます。
地雷源開削用フレイル装備で隊列の先頭に立つ(巡航戦車の弾避け?)などマッチョな任務をこなしています。
レンドリースでも三百輛程送られ、KVと共に重戦車連隊に配備されていますが特筆される手柄も無くKVに劣る火力、機動力、(足回りの)整備の手間が嫌われただけだったようです。
エルアラメインに大量投入されていればロンメルを止めた原動力になったかもしれません。
17ポンドを搭載していればその重装甲と併せて猛獣殺しの切り札になったかもしれません。
が、何れもifの話なのでした…

実は結構息の長い戦車で、戦後も五十年代初頭まで現役に留まっているんですがセンチュリオン、コメットの裏方で…
そういう星の下に生まれたとでも思うしかないのかな?

そういえばドイツ側はどんな評価をしていたのか?
手元を漁って出てきたのはパンターフィーベル…
その手配書(対敵識別表)より
”チャーチルの禿げ頭の如くおつむ(砲塔の事)が弱い。よく狙うだけで死が敵を襲う。
20−2−4と覚えておけ。”
……ようするに虎や豹なら2kmから楽に狩れますから落ち着いて対処しなさい、と……

[731] Re:[729] 近況報告 投稿者:いそしち 投稿日:2008/03/08(Sat) 16:31
> 今月発売の月刊「丸」5月号でティーガー戦車の生産について書いたので御用とお急ぎでない方は是非、御覧あれ。

楽しみです。
是非、購読します。

ところで皆様、英軍戦車の事が話題となっておりますが私にはひとつ疑問があります。
カビネンター、クルセーダー、クロムウェル、コメットなど英軍巡航戦車は全てCを頭文字としております。
これは巡航戦車(cruiser tank)の頭文字がCだからでしょう。
それに対し歩兵戦車はマチルダ、バレンタイン、バリアントなどC以外の文字が使われているのですが何故かチャーチルだけはCなのです。
当時、英国の指導者だったチャーチルにおもんばかって命名されたのでしょうか?
だとすればソ連で重戦車にキーロフ(SMK)、ウォロシロフ(KV)、スターリン(JS)などの人名を冠したのととても似てますね。

さてチャーチル戦車ですが命名の由来はともかく実車の性能についても非常に個性的で興味深く思います。
タイガー1型に準ずる程の重装甲でありながらタイガーの装甲を讃える事はあってもチャーチルの重装甲を賞賛する評論は殆ど見あたりません。
なぜでしょうか?
同程度の装甲、同程度の火力のKV1を誉める記事はそれなりに見かけるのに?
チャーチルは私にとって疑問の多い戦車であります。

[730] レンドリース戦車の評判 投稿者:砂漠のラッコ 投稿日:2008/03/06(Thu) 01:20
ソ連に送られたバレンタインやマチルダは大丈夫だったのか、ちょっと心配です。

> レンドリース戦車で特に好評だったのがヴァレンタイン。機械的な信頼性と比較的良好な機動性が評価されたそうな。
クロムウェルの供与を蹴ってまで欲しがったそうですからヒットの程が伺えます。
信頼性は英軍でも定評のあった所ですし、16トンクラスと軽量だった事を考えれば踏破力は納得のいくレベルだったのでしょう。
米軍のM4中戦車系も同様の理由でまずまずの評判だったとか。親衛戦車軍団に優先配備されている辺り、信頼性や操作性、居住性に対する評価は数字以上だったのだと思います。
逆に嫌われたのがマチルダと各種巡航戦車。
お察しの通り、機動力不足でした。
M3中戦車は最悪評価。車高が高く狙われ易い、それでいて防御力不足、とこき下ろしています。
七人乗りなので七人兄弟の棺桶とか…

> それにしてもレンドリース兵器の部品交換はどうしていたんでしょうね?

> 勿論スペアパーツ込みで供与されていました。
前線レベルでは共食いも多用されたとは思いますが…

そして、最も貢献したレンドリース兵器は戦車以外の各種車輛。
合計五十万輛を超えるジープ、スカウトカー、各種トラックだったのでした…
1.5トン、2.5トンだけでも約三十五万輛強、ジープが八万輛弱。
ソ連が大戦中に生産したトラックが三十四万輛強といいますからいかに恐るべき数か…
これがなければソ連は敗北したかもしれない、と半ば本気で思います。

[729] 近況報告 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/03/05(Wed) 19:56
今月発売の月刊「丸」5月号でティーガー戦車の生産について書いたので御用とお急ぎでない方は是非、御覧あれ。

[728] 「抜書帳」更新のお知らせ 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2008/02/26(Tue) 11:29
昨日「抜書帳」にコラム「小火器と弾薬」を追加しました。
http://www.general-support.co.jp/column/columun.html

[727] Re:[726] MYバレンタイン 投稿者:ワルター少尉 投稿日:2008/02/24(Sun) 11:21
> そう言えば昔、戦記物で「履帯の幅が狭いドイツ戦車は雪の中で立ち往生した」って話を見た事がありますが、ソ連に送られたバレンタインやマチルダは大丈夫だったのか、ちょっと心配です。

ソ連は北は白海から南は黒海まで南北も長いですからいかに冬将軍でも英戦車が使える地域はそれなりにあったのかと推察します。
全ソ連戦車が英国製だったらとんでもない局面に陥ったと思いますが。
それにしてもレンドリース兵器の部品交換はどうしていたんでしょうね?
各メーカーの出張所がソ連にあるか共食いしか考えられないのですが。

[726] MYバレンタイン 投稿者:魔界半蔵 投稿日:2008/02/15(Fri) 23:58
昨日はバレンタインデーでしたね。
で、バレンタインと言えば英国のバレンタイン戦車(無理矢理)
あれは英国戦車としては珍しく開発ナンバーの「A−○○」が無いんですよね。
それが結局、英国で最も多く生産されてソ連にも大量に送られたのだから面白いです。

しかしプラモには恵まれず国産プラモでは大昔のバンダイ1/48のみ。
東欧製のプラモは「バリの中にパーツが埋まってる」と言われるぐらいの出来だし。
タミヤあたりが1/35で出してくれてもよさそうなもんですが・・・・。

そう言えば昔、戦記物で「履帯の幅が狭いドイツ戦車は雪の中で立ち往生した」って話を見た事がありますが、ソ連に送られたバレンタインやマチルダは大丈夫だったのか、ちょっと心配です。

[725] Re:[724] ありがとうございます! 投稿者:ワルター少尉 投稿日:2008/02/04(Mon) 18:51
> 結果的にドイツが戦車の生産性を上げるために採用したのは鋳造ではなく突撃砲・・・

そう言えば突撃砲も後半の車両では鋳造のザウコプ防楯になりましたね。
ドイツも部品レベルでは鋳造の利点を評価していたのかも知れません。

[724] ありがとうございます! 投稿者:北風 投稿日:2008/01/30(Wed) 00:22
ワルター少尉さん、K−2さん、コメントありがとうございます。
確かにドイツの製鉄・溶接技術があれば、わざわざ鋳造技術を導入する必要性は感じないでしょうね。
実際、ソ連の鋳造装甲は粗製濫造の不良品も多かったようですし。

結果的にドイツが戦車の生産性を上げるために採用したのは鋳造ではなく突撃砲・・・・
モデラー的にはそれはそれで面白いですが(w)

[723] 凝り性だから。 投稿者:K-2 投稿日:2008/01/26(Sat) 18:46
圧延装甲版に比べると鋳造は同じ厚さだと防御力で劣るという事ではないでしょうか。
確かに丸く作ったりとか工作上有利ですが。
凝り性のドイツ人はより高性能を好んだ・・・・なんか根拠のないイメージ論かな?

[722] Re:[721] Js−2 投稿者:ワルター少尉 投稿日:2008/01/25(Fri) 14:40
> それとも鋳造は鋳造でデメリットみたいなものがあったのでしょうか。

やはり鋳造のメリットがコストダウンによる生産性の高さにありデメリットは設備投資の多額さにあると思います。
溶接技術で定評のあるドイツとしてはメリットよりデメリットの方が重要だったのではないでしょうか?

[721] Js−2 投稿者:北風 投稿日:2008/01/23(Wed) 00:41
はじめまして、毎日寒い日が続きますがいかがお過ごしでしょうか。

今、総力戦シナリオから現実逃避して(w)タミヤのJs−2を作っております。
それでふと疑問に思ったのですが、なぜドイツは本格的に鋳造技術を取り入れなかったんでしょう?
40年にフランスの戦車工場を接収してますし、ドイツがその気になれば導入可能だと思うのですが・・・
それとも鋳造は鋳造でデメリットみたいなものがあったのでしょうか。

[720] おくればせながら 投稿者:さるぼぼMk.2 投稿日:2008/01/11(Fri) 23:08
新年あけましておめでとうございます。
休み中にGD2のショートでもプレイしようと思ってたんですが、年末に風邪を引いたせいで今年は寝正月でした。
スタッフの皆様もご自愛下さい。

そう言えば年末の4Gamerの記事、油田の話とか興味深く拝見しました。

[719] Re:[718] 総力戦の延長 投稿者:GSスタッフ(営業担当) 投稿日:2008/01/09(Wed) 19:29
>  #余談ですが、V2、A9で発射ボタンを押した後、編成に戻るボタンを押すとプログラムが異常終了しますが・・・。

障害のご報告、ありがとうございました。
ロケット攻撃の目標選択時に「編成に戻る」をクリックすると爆撃編成画面が表示され、数値入力すると不正処理が発生します。
次回アップデートにて修正いたします。
とりあえず現在の所はロケット攻撃をやり直したい時には「編成に戻る」ではなく「中止」をクリックして下さい。

[718] 総力戦の延長 投稿者:神崎.Riv 投稿日:2008/01/08(Tue) 23:37
ども、おひさしぶりです。

ようやく先日、総力戦の延長でソ連と講和が成立しました。
ケルチを通って、コーカサス、ウラルを占領後、クルスクからモスクワへ攻め上りました。
S.S級戦艦2隻を得たので、英国海軍と雌雄を決する事ができそうです。
東部戦線で注意したのは、航空兵力のある都市の治安度を上げるのと、最前線の陣地を構築することでしょうか。
気になったのは、陣地が高くある程度兵力を配備していると、ソ連陸軍が全く攻撃してこなくなってしまったので、非常に楽でした。
完全に膠着状態に陥ってしまうと。
ビテブスク等2箇所を抑えている場所で、波状攻撃をされたら守りきれたか、又歩兵の消耗に耐えられるかわかりません。
ソ連も人的資源がどれぐらいあるかわかりませんが、突撃してこないのはどうかなーと。(ただ、無謀な攻撃をし続けるとモスクワへの
門が大きく開いてしまうことになってしまいますので、そのバランスが難しいのかもしれません。


さて、46年春まで進めましたが使えた兵器と、予想していたとは違い使えなかった兵器を書きます。
先ずは航空兵器。
使えた兵器:Me262a、V2
Me262aは、恐ろしい空からの戦略爆撃を阻止すると、英国南部の飛行場への反撃兵力として利用。戦闘機指揮官を
付けた場合の、先制攻撃と圧倒的火力で空中、飛行場を問わず撃滅しする恐るべき戦闘機。
V2は悪天候でも確実に工場を攻撃する事が可能で、英国の国力低下に大きく貢献した。
 #余談ですが、V2、A9で発射ボタンを押した後、編成に戻るボタンを押すとプログラムが異常終了しますが・・・。
思ったほど使えなかった兵器:Me163、Ta152、Ju287、A10
Me163は、故障が多くカバーする都市が配属都市だけなので、ロケット弾の方が増しかと思う。
Ta152は、長距離護衛に使うはずだったが、火力がMe262に比べて少ないのと、速度が速い連合軍戦闘機が配備される
と手も足もでなくなったので戦略爆撃機がA9や夜間爆撃にシフトした。
Ju287はHe219Aとペアを組んで夜間爆撃を行おうと考えたが、夜間でも高射砲による損害が大きく、無防備の都市にしか
戦略爆撃を行わなくなったのと、本土防衛に配備したが敵爆撃機(特に英国)を基地で撃破した為に出動の機会が激減。
A10は、米国爆撃の切り札(というか、A10しか手段が無い)で期待したが、圧倒的な米国国力に対して、焼け石に水であり
しかも国力は回復するので殆ど自己満足(映画1941でハリウッド攻撃のようかな?)でしかなかった。

続いて陸上兵器
使えた兵器:大型対空砲、タイガー2、グリーレ
大型対空砲は、初期の本土防衛、東部戦線の地上部隊への防空に凄まじい威力を発揮。これが無かったら、圧倒的な敵空軍により
すり減らされていたように思える。
タイガー2は防御だけでなく、反撃兵力で圧倒的な防御力と火力を有しているので、主力戦車として大量に配備。(パンターも燃料消費が
タイガーと同じなので、火力と防御力に勝るタイガー2を使っていました)
グリーレは重砲なので射程が3有り、敵をおびき寄せ射程2の部隊と一緒に先制攻撃が可能になるのと、踏破力が6と戦車の中では最高なので
作戦能力の高い将軍とペアになることで、落伍が大幅イに減る。
思ったより使えなかった兵器:パンター2
故障率が低く踏破力が最高なので使えるかと思ったが、タイガー2より弱い防御力と大きな工数、そしてタイガー2と変わらない燃料消費で
運用上、タイガー2の方が数揃える事ができ、強力なのであまり生産しなかった。工数が少ないか、燃料消費が4号系と同じならまた別の使い方
が出来たのかもしれない。(やはりアノ照準機と変速機が問題なんでしょうねぇ。。。。)


あと、個人的には、富嶽が日本から飛んでくるイベントもあっても面白かったかもしれないと(^^;
 #夢です。。。。。

では、次はイギリスで会いましょう。

[717] 謹賀新年 投稿者: 投稿日:2008/01/04(Fri) 11:07
みなさま あけましておめでとうございます。

旧年は 特別なことはなにもできませんでしたが
機会をみていろいろやってみたいと思います。

GSの次回作に期待しております。

本年もよろしくお願いいたします。

[716] 謹賀新年 投稿者:阿部隆史 投稿日:2008/01/03(Thu) 16:16
新年明けましておめでとう御座います。
本年もどうか宜しくお願い申し上げます。

さて...
98式高射機関砲の榴弾には様々なタイプがあった。
そして全弾種の弾頭重量が判明している訳ではない。
なお米軍が評価しているのは100式曳光自爆榴弾らしい。
でも初速判定で使用された弾種が100式曳光自爆榴弾とは限らない。
よって98式高射機関砲の初速は異常な数値になっているのではないかと僕は推察するのである。

>7.7oクラスはともかく概ね400〜500m弱…
1フィートは30.5センチだから4000〜5000mの誤記だよね?
この数値で気になるのは93式13.2mm機銃より98式20mm機銃の方が射程が短いって事だ。
いくら初速が速くとも弾頭重量が小さければそれだけ早くエネルギーを失う。
と言う事はつまり...

ちなみに日本陸軍は98式20mm高射機関砲に対して「口径は高度約二千米以下に於いて充分の威力と制空権とを有する限り最小限」としているので日本側が認識している有効射程は2000mmと考えられる。
まあ時期的に見て無装甲の航空機が対象なんだろうけど。

[715] 明けましておめでとうございます御座居ます 投稿者:砂漠のラッコ 投稿日:2008/01/01(Tue) 16:02
本年も宜しく御願い申し上げます。

九八式の弾薬が軽い >

有り得る話かな?
と思うのは度々揚げてきた米軍側データから。
注目点は有効射程の評価。
彼らが日本製対空火器の脅威をどの程度に捉えていたかの傍証になる数字が並んでいます。

九二式重機/留式 4000ft
九三式13.2o 13000ft
九八式20o 12000ft
九六式25o 14000ft

7.7oクラスはともかく概ね400〜500m弱…
弾頭重量だけが原因とは思いませんが米軍機の射程/攻撃高度を考えるとかなり厳しい評価ではないかと思います。
九八式の最大ユーザーだったと思われる船舶砲兵は(防御力の差から)12.7oにアウトレンジから制圧された上で、スキップボミングや雷撃にとどめを刺される、という展開が多かったのでは?

[714] 良いお年を! 投稿者:鏑木兵衛 投稿日:2007/12/28(Fri) 02:36
銃砲と関係ない話でスミマセン(^^:)
最近忙しくてゲームをやる時間が取れなかったので、年末年始は実家の炬燵で一杯やりながらGD2をプレイしたいと思います。
スタッフの皆様も良いお年をお迎え下さい。

[713] 98式高射機関砲 投稿者:阿部隆史 投稿日:2007/12/25(Tue) 19:24
それじゃ今度は98式高射機関砲について。
この火器がホチキス系であり試製94式高射機関砲を経て制式化した事は前述した通りだ。
対戦車戦と対空戦の両用化を目指し開発された経緯も同様である。
なお佐山二郎著「日本の大砲」p379によると試製94式高射機関砲は[697]で書いた様に1933年6月の軍需審議会を発端として開発されたとあるが同書p384では1932年6月の軍需審議会が発端と記されている。
果たしてどちらかが誤記なのか2度に渡って討議されたのかは判らない。

さ.て.と...
第2次世界大戦中、世界各国はこぞって20mmクラスの機関砲を量産したがほぼ全世界で採用されたのがエリコン系の20mm機関砲だった。
それに次ぐのがドイツで主流となったラインメタル系の20mm機関砲である。
エリコン系が航空機用並びに艦載用が主流だったのに対しラインメタル系は陸上部隊用が多かったので98式高射機関砲に近い位置づけと言えよう。
更にラインメタル系20mm機関砲の始祖となるFlak30はスイスのソロータン社(ラインメタル社の子会社)が開発した対戦車ライフルS18/1100(独戦闘兵器の全貌1やパンツァー97号ではソロータンS5−100対戦車ライフルと記述されている)を流用して開発されており両用砲的色彩を帯びると言う見地からも両者は大変良く似ている。
よって98式高射機関砲と共にラインメタル系20mm機関砲も合わせて解説するとしよう。
Flak30については1934年から部隊配備されたとする資料や制式化は1935年であったとする資料など諸説紛々としているがドイツ陸軍初の本格的対空機関砲であった事は間違いない。
だがFlak30は発射速度が最大毎分280発(実用最大120発)と遅かった為、改良型としてFlak38が開発(ラインメタル社が多忙であった為、モーゼル社に移行)され15000門以上生産された。
もっとも発射速度が遅いと言っても98式高射機関砲(最大毎分300発)に比べさほどの差はない。
1938年に制式化され40年頃から部隊配備が開始されたFlak38では発射速度が毎分480発(実用最大180〜220発)に向上しがそれでもまだ不足で後には最大発射速度毎分1800発の4連装型が3851門生産されている。
日本としても状況は同じであり98式高射機関砲を連装化した4式基筒双連20mm高射機関砲が開発され549門生産された。
98式高射機関砲の生産数が約2600門なので足して約3149門。
果たしてこの数量を多いと見るか少ないと見るか?
単に数値だけを比べるならドイツより圧倒的に少ない。
だがドイツの対戦車砲生産総数が約6万門であったのに対して日本は約5400門であり1/10にも満たなかった事を考えると日本としては結構、頑張って高射機関砲を量産したと評価しても良いかも知れない。
もっとも「4連装は4倍で計算すべきじゃないか?」とか「ドイツの37mm高射機関砲はどうする?」とか「Flak30の数が入ってないよ?」とか言われると困るのだが...

さて、それでは98式高射機関砲の長所はどこにあるのだろう?
まず初速が速い事が挙げられる。
曳光榴弾で950m/sだったらしい。
一方、Flak30やFlak38は弾種は判らぬが900m/sだ。
どうして98式高射機関砲は初速が速いのだろう?
砲身長が長いのか?
そんな事はない。
Flak30が115口径、Flak38が112口径なのに対し98式高射機関砲は70口径だ。
では装薬量が多いのか?
Flak30やFlak38のケース長が138mm、98式高射機関砲と97式自動砲の弾薬が互換であるならばそのケース長は124mmだ。
ケース長だけで即断する訳にはいかないが98式高射機関砲の装薬量が極端に多いとは考えにくい。
あと考えられるのは...
98式高射機関砲の弾頭重量が極端に軽いかも知れないって事だ。
残念ながら全弾薬の弾頭重量は判らないが100式曳光徹甲弾は162g、100式曳光自爆榴弾は136g、ドイツの20mm徹甲弾は148gである。
少なくとも徹甲弾に於いては日本の方が重い。
あっれ〜?
ひょっとして100式曳光自爆榴弾以外にもっと軽い曳光榴弾が存在し初速950m/sってのはその弾薬を使用しての数値なのかも知れない。
まったくもって98式高射機関砲の初速はナゾである。
さてさて、他に98式高射機関砲の長所は何かないかな?
あった。
Flak30は戦闘重量463kg、牽引重量890kgだが98式高射機関砲は戦闘重量373kg、牽引重量430kgと滅法、軽いのである。
これは車両牽引を原則とするドイツ軍と馬匹牽引を原則とする日本軍で大きな制約の差があったからに他ならない。
なお98式高射機関砲は馬匹牽引だけでなく車両牽引もできたしトラックや半装軌車に搭載したり更には97式軽装甲車(車体を延長し転輪を1つ増やした)に装備した自走砲(キト車)なども開発された。
残念ながらキト車は防御力が極端に小さかったので制式化されずこれに代わり98式軽戦車の車体へオープントップの砲塔で装備したタセ車が開発され1941年11月に試作車が完成した。
だが人間の欲とは恐ろしい物である。
今度は攻撃力の向上が叫ばれ防御を砲塔から防楯に低下させた代わりに20mm高射機関砲を双連にした車両が開発される事になった。
だが結局の所、双連タイプは制式に至らず終戦を迎えたのである。

[712] Re:[711] [709] 勉強不足は教示を乞う 投稿者:砂漠のラッコ 投稿日:2007/12/13(Thu) 22:29
解答有難う御座居ます。

> となるとフィアット3000じゃないかと僕は思うのだが...

あぅ、そういえばイタリアにもありましたね、習作のルノーコピー。

> 元になった資料(パンツァー219号)でフィアット戦車とCV33型カルロヴェルチェ(L3軽戦車)を別扱いに記述しておりL3軽戦車を偵察用としてるので「フィアット3000ではないか?」と考えた次第。

納得です。
当方の思考→時期的にM11/39はまず無い。
L6?微妙…
航空機(CR32辺り)ならともかく豆戦車以外に輸出可能なAFVの余剰なんてあったっけ??
という感じでしたので。

青天白日を付けたCR32…実現していたらイ式重爆とフィアット対決が見られた?

[711] Re:[709] 勉強不足は教示を乞う 投稿者:阿部隆史 投稿日:2007/12/13(Thu) 18:44
> フィアット戦車 >
> その正体に御教示を。

1939年春時点での編制なので時期的に考えM11/39は×。
となるとフィアット3000じゃないかと僕は思うのだが...
フィアット3000(L5軽戦車)が中国へ輸出されたと書いてある資料は手元に全くないけどね。

> 多分CV33型カルロヴェルチェ辺りだろうと思うのですが…

元になった資料(パンツァー219号)でフィアット戦車とCV33型カルロヴェルチェ(L3軽戦車)を別扱いに記述しておりL3軽戦車を偵察用としてるので「フィアット3000ではないか?」と考えた次第。
なおフィアット3000ってのはルノーFTをコピーした戦車だけど連装機関銃を装備(37mm砲装備型もあった)し速力を24km/hに向上(ルノーFTは10km/h)させた車両だ。
ちなみに中国軍が装備したルノー戦車にはルノーFTとルノーNCがありビッカース戦車にはビッカース6tとビッカースMKUがあった。

[710] 1号戦車の件について 投稿者:いそしち 投稿日:2007/12/13(Thu) 09:59
阿部デザイナー及び扶桑様
色々と教えていただきありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。

[709] 勉強不足は教示を乞う 投稿者:砂漠のラッコ 投稿日:2007/12/12(Wed) 19:19
懇切な見解多謝であります。
砲身長は失念しておりました。
同じ対戦車砲の項に掲載している以上どちらも徹甲弾のパラメータと考える方が自然ですね。
弾薬互換は…基本的には互換するのが自然というのに同意なのです。
試製九四式の経緯は当方も存じておりますし、
そうでもなければ対空用以外には意義の乏しい(地上目標には威力不足で多数弾による制圧が必要)榴弾が自動砲用に存在する説明がつきません。
まぁ、フルオートで七連射叩き込めば効果アリと判定されたのかも。
出典は前線部隊向けのマニュアルなので事故防止の為に敢えて互換不可と書いている…というのも重擲→ニーモーターのエピソードを考えると結構説得力アリ。
何か洒落にならない事があったのか?

速射砲 >

最弱の対戦車砲…なのですが一応弁護ないし同情票を。
仏の34型25oの方が…じゃなくて開発年次を考えれば能力的には充分だった事。
軽便で使い勝手が良かった事。
兵器開発行政そのものの問題もあったと思います。
つまりはコンセプトの問題。スペックから想像するに九四式速射砲は厳密には対戦車砲ではなく”対戦車戦を強く意識した平射歩兵砲”であり、プトー砲から十一年式平射歩兵砲と続く系譜から脱却できていなかった火器だと思うのです。
念頭にあったのは榴弾による機関銃巣の撲滅だったのではないでしょうか?
師団直属の速射砲隊が不在なのもそう考えると納得がいくような気がします。少なくともそのような運用方針も一因だったのではないかと。
生産数は日本の生産能力の問題であり、むしろ頑張った方ではないかと思います。一式機動速射砲も頑張って二千門弱だし…

フィアット戦車 >

その正体に御教示を。
多分CV33型カルロヴェルチェ辺りだろうと思うのですが…
イタリア戦車というとアンサルドですが豆戦車はフィアットだっけ?
マッキ/カストルディの機体に愛を注ぎ過ぎて陸がお留守だった!

最後にMAS49の体験射撃は来年に持ち越し。
予定を打ち合わせている内にショットショーを冷やかして盛り上がってからベガス入りという話になってきた為。
今年最後の珍品を入手するべく秘密交渉中、だそうなので期待が膨らんでおります。

[708] Re:[706] [705] 訂正 投稿者:阿部隆史 投稿日:2007/12/11(Tue) 19:16
敵戦車の存在しない中国戦線
↓   ↓   ↓
敵戦車があまり多く存在しない中国戦線

ごめん、ごめん。
中国戦線にだって敵戦車は全く存在しない訳じゃなかった。
米が相手のフィリピンや太平洋、英が相手のビルマ、ソ連が相手のソ満国境に比べればずっと少ないが確かに1号戦車相手に日本軍は戦った。
パンツァー219号によれば1939年春頃、中国軍は第200機甲師団という部隊を保有しておりT26軽戦車79両、フィアット戦車88両、ビッカース戦車14両、ルノー戦車10両、1号戦車6両、その他の戦車16両を装備していたらしい。
またこの部隊の他に独立戦車2個大隊があった様だ。
それにしても...
見事に各国製戦車が入り交じってるね。
まるで戦車の博覧会だ。
だが太平洋戦争が勃発し援蒋ルートが遮断されると中国軍戦車の数は次第に先細りになってゆく。
これが再び隆盛を極めるのは米製のM4戦車などを装備した「米式装備中国軍」がビルマ戦線へ登場してからになる。

[707] Re:[706] [705] 97式自動砲 投稿者:扶桑 投稿日:2007/12/11(Tue) 15:36
国民党軍が少数の戦車を運営していたのは確かなようです。


http://www2.ttcn.ne.jp/~heikiseikatsu/mokei/1ghotank.htm

信頼するかはお任せしますが、このページに中国戦線で鹵獲された1号戦車の写真が掲載されています。

[706] Re:[705] 97式自動砲 投稿者:いそしち 投稿日:2007/12/11(Tue) 14:26
> なにしろ主力の大部分は「敵戦車の存在しない中国戦線」に釘付けだからね。

かつて中国戦線でろ獲したドイツ製の1号戦車が靖国神社に展示されていたと聞いた事があります。
この話は本当ではないと言う事でしょうか?
御教示を願います。

[705] 97式自動砲 投稿者:阿部隆史 投稿日:2007/12/10(Mon) 19:19
申し訳ない。
急な来客やら思いがけない野暮用やらで随分、遅れてしまった。
それでは今日は97式自動砲について...

97式自動砲とは日本陸軍が使用した口径20mmのいわゆる対戦車ライフル(対戦車銃とも言うがここはあえて対戦車ライフルとしたい)である。
対戦車ライフルッ!
かっこいいよねっ!
横浜で飛葉はM3ハーフトラックを撃ちカリオストロ公国で次元がカゲを撃つ。
血脇肉踊るぞっ、対戦車ライフル!。
でも戦車相手じゃあまり役に立たなかったんだ、対戦車ライフルは。
ちょっと哀しい対戦車ライフル...
そんな対戦車ライフルの中で三傑と呼ばれるにふさわしく重厚長大だったのが日本の97式自動砲(59kg)、フィンランドのラハティL39(49.5kg)、スイスのソロターンS18/1100(54.7kg)で口径はどれも20mmだった。
随分、重いね。
日本の場合、1丁の97式自動砲を運ぶのに4名が必要で他に弾薬を運ぶのに4名、指揮官1名の合計9名、それに馬2頭を要した。
いやはや大変な兵力だ。
それではその他の国の対戦車銃(だんだんライフルとキー入力するのが疲れてきた、ここはやはり対戦車銃に変更!)はどうだったのだろう?
英国はボーイズ(14mm、16kg)、独はPzB39(7.92mm、12.6kg)、ソ連はPTRD(14.5mm、15.8kg)で個人携行火器だった。
まあ、それが当たり前だよね。
えっ?
米国の対戦車銃?
なんと米国は対戦車銃を量産せず英国のボーイズを一部エリート部隊に配備してお茶を濁していたが他国には例を見ない大口径(12.7mm)のM2重機関銃(巷でキャリバー50、もしくは単にキャリバーといわれる)が歩兵部隊へ大量配備されておりこれが他国の対戦車銃と同様の役目を担っていたのだ。
M2重機関銃は個人携行兵器じゃないから有る意味では97式自動砲に近い存在だと言えよう。

さて対戦車銃の貫徹力だが20mm装甲板を撃ち抜ける距離がボーイズとPzB39が300m、97式自動砲は射程700mだった。
まあ、対戦車銃界に於いては97式自動砲が最強の存在だった事が御理解頂けるであろう。
でもね...
戦車をやっつける火器は対戦車銃だけじゃないんだ。
第2次世界大戦初期、各国は対戦車銃と共に多くの対戦車砲(日本陸軍では速射砲と呼称しこれを装備する部隊を速射砲部隊とする)を活用した。
ただし日本の94式37mm速射砲(射距離350mで30mm)は独のPak36型37mm対戦車砲(500mで36mm)、米のM3A1型37mm対戦車砲(900mで45mm)、英の2ポンド40mm対戦車砲(457mで57mm)、ソ連のM1932型45mm対戦車砲(1000mで50mm)、伊の35型47mm対戦車砲(500mで43mm)に比べだいぶ劣っていた。
世界最強クラスの対戦車銃と世界最弱クラスの対戦車砲。
日本陸軍はこうしたヘンテコな対戦車兵器をもって開戦に臨んだのである。

ところでこれらの対戦車兵器はどの部隊に程度、配備されたのだろう。
とりあえず世界の一般的な対戦車部隊を概括しよう。
英は歩兵1個小隊に対戦車銃1丁を配備し独は歩兵1個中隊に1分隊(3丁)の対戦車銃を装備した。
1個師団の装備数では双方とも約81丁になる。
凄まじいのはソ連軍で1942年末頃には歩兵大隊に対戦車銃1個中隊を配備しており師団の装備数は212丁にも上った。
一方、対戦車砲については各国とも歩兵連隊に対戦車砲中隊を配備すると共に歩兵師団にも対戦車砲大隊を配備していた。
一例を挙げると大戦勃発時の独歩兵師団は師団の対戦車砲大隊に36門、歩兵連隊の対戦車砲中隊に各12門で師団全体では72門に達した。
ソ連軍の狙撃兵師団(他国の歩兵師団と同じ)が1942年末に保有していた対戦車砲は48門だが対戦車砲としても使用できる76mm加農砲(一般的にラッチェブムと呼ばれる)が師団砲兵連隊に32門配備されており実質的な対戦車砲数は80門であった。
さて、日本はどうであったか?
まず日本の対戦車砲部隊は1中隊4門であった。
次に日本の師団には基本的に対戦車砲部隊が直属しておらず歩兵連隊直属の速射砲中隊だけが存在(他に軍直轄の速射砲中隊と速射砲大隊があり重要正面の師団に配属された)していた。
更に上記の如く歩兵連隊直属の速射砲大隊が配備されたのはエリート部隊である甲編制師団だけであり乙編制師団では代わりに97式自動砲が装備された。
なんと日本陸軍の師団では速射砲と対戦車銃のいずれかしか配備されていなかったのである。
それではその数は?
94式37mm速射砲は多くの資料で3400門、97式自動砲は400丁(一部の資料では1200丁)と記述されている。
97式自動砲の数量が余りにも少ないので驚かれたと思う。
いや、94式37mm速射砲の数が多いのか?
そんな事は無い。
独のPak36型37mm対戦車砲なんか約20000門も生産されているのだ。
97式自動砲の生産数が少ないのは確かだ。
なぜだろうか?

それでは「乙編制師団とは何か?」について説明しよう。
大正軍縮以来、日本陸軍は平時17個師団体制(各師団は4個歩兵連隊)を基本としていた。
この17個師団は常設師団と呼ばれ現役兵を主体としたエリート師団である。
平時であればこれらの師団は平時編制で約1万名の兵力に過ぎない。
だが一朝、事あらば動員を受けて戦時編制(約25000名)に移る。
これが甲編制師団だ。
動員された甲編制師団は続々と戦地に向かうが師団が駐屯していた内地の施設はそのまま残るよね。
そこでその施設に予備役兵を動員してもう1個師団編制する。
これが乙編制師団。
簡単に考えると17個師団が2倍になって34個師団となりそうなもんだが各師団に色々と事情があったうえ「4個歩兵連隊で1個師団はやめ3個歩兵連隊で1個師団にして師団数をふやそうや」って意見もでて最終的にはシッチャカメッチャカになった。
それをここで書くと長くなるので割愛するが17×4=68の甲編制師団所属歩兵連隊があるって事は約同数の乙編制師団所属歩兵連隊がある事を意味する。
で、97式自動砲の配備数はと言うと...
「日本の歩兵兵器」30頁によれば乙編制の歩兵連隊に各2丁(97式自動砲は1丁を1分隊で運用し2分隊+弾薬分隊で1単位となる)とある。
こりゃいくらなんでも少なすぎる...
おおっ、パンツァー234号だと歩兵大隊の機関銃中隊に配備とあるぞ。
1個歩兵連隊は3個大隊だから各2門なら合計で6丁。
甲編制歩兵連隊の速射砲4門になんとか近づけそうだ。
そして6丁装備の68個歩兵連隊が保有する総数は408丁。
97式自動砲が400丁生産されたってのは「定数ギリギリで追加なし」って考えれば妥当な数値なのである。

それにしても速射砲12門「または」対戦車銃18丁って...
独は対戦車砲72門+対戦車銃81丁、ソ連は対戦車砲80門に対戦車銃212丁だよっ?
あまりにも少な過ぎると思わない?
でもこれには訳があるのだ。
日本陸軍は一般師団の対戦車兵器を減らす代わり独立速射砲部隊を多数編制し「戦車を保有する有力な敵」と会敵する可能性の高い部隊に優先配備した。
なにしろ主力の大部分は「敵戦車の存在しない中国戦線」に釘付けだからね。
この方が合理的だったのだ。
(独立速射砲部隊を配属させてもムチャクチャに数が少なかったが。なにしろ開戦時の独立速射砲大隊は7個、独立速射砲中隊は12個に過ぎない)

ちなみに師団の甲編制、乙編制については前述した様には進まず「速射砲を装備しない甲編制」や「速射砲を装備した乙編制」など様々な例外が続出しシッチャカメッチャカになってしまった。
幾らなんでも97式自動砲で米戦車に立ち向かえない事は判りきってるからムザムザそんな物だけ持たせて乙編制師団を南方へ派遣させる事はできないもんね。

それでは対戦車銃の「その後」について...
戦車の防御力増大と共に存在意義を失っていった対戦車ライフルだが歩兵の携行対戦車兵器として成形炸薬弾が実用化されるに従いバズーカやパンツァーファーストなどのロケット砲や無反動砲にとって代わられていった。
これらの兵器は構造こそ違えども任務的には対戦車ライフルの後裔と言えよう。

[704] Re:[699] これは実射レポ待ちか… 投稿者:阿部隆史 投稿日:2007/12/08(Sat) 18:41
>参考に掲載されている両者の初速が
>自動砲:2500ft/秒
>機関砲:2720ft/秒
>米軍側資料につきフィート表記ですがメートルにすると約830、900弱に
>なります。安定した砲架から撃てる分、機関砲の方が強装薬なのか?

97式自動砲の砲身長は60口径、98式高射機関砲は70口径。
同一の弾薬を使用した場合でもそれなりに差はでるだろうね。
そこで問題は弾薬が同一であったかどうかと言う事になる。

>或いは徹甲弾と榴弾の差という可能性もある(ドイツのFlak38の徹甲弾
>が自動砲と、榴弾が機関砲とほぼ同値)。

多くの文献で自動砲の初速を750m/s(「日本の大砲」など)としているが丸727号だけは曳光徹甲弾使用時で720m/s、発射速度毎分/10発としており使用弾種を97式曳光徹甲弾、98式曳光榴弾としている。
またパンツァー234号によると使用弾種は100式曳光徹甲弾だ。
対戦車火器なんだからカタログデータとしての初速は徹甲弾で測定される。
次に高射機関砲の初速と弾薬はと言うと全文献が揃って950m/sとしており「日本の大砲」がこの数値を曳光榴弾使用時と明記している。
対空兵器なんだから今度は榴弾の出番なんだね。
使用弾種はパンツァー215号によれば100式曳光徹甲弾、97式徹甲弾、100式曳光自爆榴弾、5式榴弾、5式曳光榴弾だ。
当然、弾頭重量の重い徹甲弾に比べ軽い榴弾は初速が速くなる。
それにしても日本側文献の950m/sと750m/sに対し米側の初速差は少ない。
これは米側は同一弾種で測定し初速差は砲身長差のみからでた為ではなかろうか?

>回収され、存在が確認された、としている弾種はどちらも曳光徹甲弾及び曳光榴弾。弾頭は共通で薬莢が違うのか?

薬莢もおんなじだと思うけど...
でも前述した文献で徹甲弾は双方に記載されてるけど「全ての弾薬が必ずしも同一ではない」ってところがひっかるんだよね。
一部は互換できるが全弾薬の互換はできないてんじゃ事じゃなかろうか。
ひょっとしたら曳光自爆榴弾を自動砲で撃ったら腔内破裂するとか?
だとしたら...
ブルブルブル!

>因みに機関砲も対戦車砲の項目に紹介されているのですが発射速度が120発/分になっていて弾倉交換等を込みにした実質的な発射弾数はこんなものなのかな?

連射火器だからね...
銃身も焼けるだろうし。
120発ってのは持続発射速度じゃない?

そう言えば97式自動砲と98式高射機関砲がどんな兵器か僕は一切、説明していなかったな...
いけない、いけない。
今晩書いて明日アップするので皆さん、期待して待ってててね。

[703] 小火器の話(その5) 投稿者:阿部隆史 投稿日:2007/12/06(Thu) 16:51
7.62mmNATO弾(7.62×51)と言う弾薬がある。
ソ連が7.62×39を採用しAK47の量産を押し進めているさなか、「ひとつ資本主義国家も小火器用の弾薬を共通化しようじゃないか」と言う米国の提唱によって1953年(一説には1954年)に採用された弾薬だ。
この弾薬の主旨は「資本主義国家間の弾薬統一」のみならず軽機関銃と小銃の弾薬を共通化する事にもあった。
どうして7.62×51が選ばれたかって?
そりゃ勿論、米国が「これが良いよ、是非これにしなさい!」って自国の弾薬を主張したからである。
まあ、なんにしても素晴らしい話だ。
資本主義国家の小火器弾薬が共通化されるんだから。
きっとバラ色の未来が花開く事だろう。
と、こ、ろ、が...

7.62NATO弾のケース容量はM1ガーランドの30−06弾よりだいぶ小さいが装薬量はほぼ同じであり弾頭重量や初速もあまり変わらない。
つまり7.62NATO弾は見かけよりかなりハイパワーな弾薬なのである。
こうした弾薬を突撃銃で使用したらどうなるであろうか?
フルオートで連射したらかなり危険な状態に陥るであろう。
英陸軍は当初からこの問題に気がついていた。
よってNATO諸国の標準としてこの弾薬が検討された時、英陸軍は強硬に反対したのであるが米陸軍によって押し切られてしまったのである。
やむなく英陸軍及び英連邦諸国ではセミオートでしか射撃できないL1A1小銃を採用する事にした。
厳密に言えばL1A1小銃はフルオート射撃できないので「突撃銃」と言えない。
米国につぐNATO第2位の軍事大国である英連邦諸国家が「自動小銃」に甘んじ「突撃銃」を放棄したのは戦力的に大きなマイナスとなった。
グァムでL1A1小銃の原型であるFAL小銃をセミオートで撃った事があるがかなりの反動を感じた。
一方、NATOの一角でありながら独自の防衛施策を推し進めるフランスは7.62NATO弾そのものを拒否し自国製の7.5mm×54弾を使用するMAS49小銃(装弾数10発)を採用(1951年量産開始)した。
この銃もフルオート射撃のできない「自動小銃」である。

さて、日本はNATO諸国では無いものの米国の同盟国である為、7.62NATO弾の採用を迫られた。
これに対する日本の回答は「弱装弾によるフルオート射撃」であった。
思えば戦前、7.7mmへの弾薬共通化の際、92式実包が小銃弾薬としてハイパワー過ぎた事に対する対処が「同一サイズながら弱装弾である99式実包の採用」であった事を考えると如何にも日本らしい選択であったと言えよう。

なお弱装弾を使用する日本の小銃は天下に名高い64式小銃であるがレギュレーターを替える事でNATO常装弾も撃てる。
ただし僕の知人の陸自武器科幹部の言によれば国産のNATO常装弾は使用可能だが外国製の場合は撃針がふらつくので相当の頻度で装填時に早発を起こすそうな...
初速は弱装弾の場合で700m/s、常装弾では800m/s。
これを同クラスの7.62mm弾を発射する他の銃と比べてみよう。
まずM14が850m/s、ついでL1A1が830m/s、G3が790m/s、最後にAK47が710m/s。
つまり日本が採用した弱装弾は見かけのケース長は51mmであっても実際のパワーはケース長39mmのカラシニコフ弾より劣ると考えられる。
これはもはや弱装弾と言うより「別の弾薬」と考えた方が良いかも知れない。
結局の所、日本は7.62NATO弾を採用したと言っても日本の弱装弾は他国軍で使えず他国の常装弾も日本で使えない変な話になってしまったのである。
ちなみに64式小銃は反動が少ないのが特色であるが弱装弾のみならず銃口制退器の採用によっても反動の30%を軽減している。

残念ながら僕は他国の突撃銃を撃った事はあっても64式小銃を撃った事はない。
また武器輸出禁止法がある限りこれからも撃てる見込みはないので前述した銃に比べどれだけ反動が少ないのか判らず残念至極である。
なお陸自で発表している64式小銃の最大発射速度は毎分500発であるが持続発射速度はM1ガーランドより遅い毎分10発(本当かいな?と思ってるが)である事を申し添えておく。

次に7.62NATO弾を無理矢理、同盟国に押しつけた米国だが...
言い出しっぺなんだから勿論の事、7.62NATO弾使用の突撃銃M14と軽機関銃M60を開発し双方とも1957年に制式化した。
M14の部隊配備は1959年7月からである。
だ.け.ど...
配備はされたもののM14は長くて重くて反動が凄まじいと嫌われ1966〜68年に大部分がM16(1963年制式化)へと更新されるに至った。
主力小銃の座についていたのは僅か8年に過ぎない。
そりゃM16はM14より短くて軽くて反動も適度だよ。
僕はM16をセミオートでしか撃った事、無いけどフルオートで撃ったって充分、いけると感じた。
でもM16の口径は5.56mmで弾薬が.223レミントン(5.56×45:後に各国で使用され5.56NATO弾となる)なのだ...
つまりM60軽機関銃と弾薬が互換で無くなったのである。
西側最大にして最強である米陸軍と海兵隊の全歩兵分隊が2種の弾薬を装備せねばならなくなったのは痛恨の一事と言えよう。
各国が米国に追随して5.56NATO弾の突撃銃を開発しミニミなど5.56NATO弾用の軽機関銃(今、流行りの部隊支援火器と言う単語は僕にとって空爆と同じ位馴染めない)が登場する事によって初めて資本主義国家間の小火器用弾薬共通化の夢(残念ながら89式小銃への更新は遅々として進まず自衛隊の行事に行けば今だって幾らでも64式小銃を見る事ができるが)は果たされたのである。
そしてその頃...
ライバルであったソ連が1991年に崩壊してしまい小火器用弾薬を共通化しようがしなかろうがもうどうでも良くなっていた。

かくして7.62NATO弾はスペック通り絶大な破壊力を発揮した。
ただし社会主義陣営に対してではなく資本主義陣営に対して...
当初の予定通り歩兵分隊に7.62NATO弾の突撃銃と軽機関銃を配備できた資本主義大国は独(G3突撃銃とMG3軽機関銃)、伊(BM59突撃銃とMG3軽機関銃)、トルコ(FAL突撃銃とMG3軽機関銃)の3国だけだったのである。
この3国が大戦中の枢軸国及び親枢軸中立国ばかりと言うのがなんとも...

米:5.56×45× 9.55:3255(.223レミントン)
米:7.62×51×11.84:5574(7.62mmNATO弾)

[702] 訂正 投稿者:阿部隆史 投稿日:2007/12/05(Wed) 09:58
発言[697]

この試製94式高射機関砲は制式化されなかったものの弾倉の改良(ドラム15発から箱形20発へ)や単発の廃止(ここがミソ)などの改良が加えられ1938年1月に完成した。

↓  ↓  ↓
この試製94式高射機関砲は制式化されなかったものの弾倉の改良(ドラム15発から箱形20発へ)や単発の廃止(ここがミソ)などの改良が加えられ1938年1月に「98式高射機関砲」として完成した。

[701] Ver1.5でプレイ開始! 投稿者:さるぼぼMk.2 投稿日:2007/12/04(Tue) 23:39
Ver1.5のアップデートお疲れさまです。
キャンペーンは前に一度クリアしましたが今回はキャンペーン2に初挑戦。
まだ序盤ですが諜報と治安が簡略化できるおかげでサクサク進んで良い感じです。

あと今までは蜂起を鎮圧せずに放置してる事も多かったんですが、隣接根拠地まで影響を受けるようになったので結構怖いですね。
今のところ、難易度的には必要警備兵力は2倍設定ぐらいが丁度良いです。

Ver1.5ではソ連軍が強化されてるとの事なので、これからが楽しみです。

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