シナリオ詳細:マリアナ沖海戦1 (史実戦シナリオ) 1944.6.19

1942年8月7日のガダルカナル上陸によって始まったソロモンの戦いは日本の敗北によりその幕を閉じた。
ソロモン諸島全域を手中に収めた連合軍の次なる攻略目標は中部太平洋であった。
米軍は43年末には「ガルバニック作戦」によってタラワなどのギルバート諸島を攻略し44年初頭には「フリントロック作戦」によってクェゼリンなどマーシャル諸島を席巻した。
その頃、南東方面はどうなっていたのだろうか?
ラバウルの日本軍基地航空隊は後方のトラックに撤収し陸上戦闘部隊だけが残留していた。
だがその兵力は10万名近くの多数にのぼり要塞化した陣地に立て篭り米軍の攻撃を今や遅しと待ち受けていた。
しかし連合軍はラバウルを攻めようとはしなかった。
充分に防御を施したラバウルを攻撃すればそれなりの損害がでる。
もはや航空戦力を持たないラバウルを取る為に漠大な犠牲を払うのは連合軍の望む所ではなかった。
連合軍はラバウルを包囲する事のみにとどめ、南東方面の次なる矛先をニューギニアに向けた。
かくして連合軍の太平洋に於ける侵攻作戦は陸軍のマッカーサー大将が指揮するニューギニア方面と海軍のニミッツ大将が指揮する中部太平洋方面の二つに分かれたのである。
当時ニューギニア方面に於ける米航空隊の相手は主として陸軍航空隊が担当し中部太平洋に於ける米航空隊の相手は海軍航空隊が担当していた。
戦況は日本にとって大変悪くどこかで決戦を挑み勝利しイニシアチブを取り返さねば「ジリ貧」になってしまう事が予測された。
そこで日本は占領地域の中に「絶対国防圏」を定めその線上のいずれかに連合軍が攻撃をかけた時、決戦を行うべく準備を進めた。
絶対国防圏はニューギニア西部のホーランジャ、トラック、マリアナ、小笠原をつなぐラインで「太平洋の防波堤」とも言うべき防衛線である。
ホーランジャでの決戦は陸軍主体の戦いとなるので海軍は手の出しようがない。
だが米軍が更に北に昇ってビアク島、もしくはパラオにまで駒を進めるのならば海軍の出番である。
海軍としてはできれば地勢上有利なパラオ近海での決戦が望ましかった。
日本海軍は米軍が絶対国防圏に手を出した時に反撃する為の作戦計画として「新Z号作戦」を策定し着々とその準備を整えていた。
「新Z号作戦」はかつて1943年8月に策定された「Z号作戦」を改訂した作戦である。
「Z号作戦」は米軍がマーシャルに侵攻をかけた時点で空母機動部隊(第3艦隊)、基地航空隊の全力を投入して雌雄を決し戦局の挽回を図ろうとする作戦だった。
しかし米軍のマーシャル侵攻の直前に連合艦隊は空母機動部隊の搭載機をブーゲンビル方面に投入(「ろ号作戦」)して大損害を受けてしまい空母機動部隊を出撃させられなくなってしまったのである。
「新Z号作戦」は米軍の侵攻予測正面をマリアナもしくはトラックに設定し米機動部隊の撃滅を目的とする作戦であった。
反撃兵力の主軸は日本海軍艦艇の大部分を編入した空母機動部隊(第3艦隊)と基地航空隊を主力とした第1航空艦隊(艦隊と言っても艦船はない)である。
特に猛将角田覚治中将が率いる第1航空艦隊は定数上の兵力では684機にもなる大部隊で海軍としては期待するところ大であったがいかんせんまだ編成途上であり練度が所要の域にまで達してはいなかった。
だが第1航空艦隊の編成が完結し空母機動部隊との連携がうまく行けば米機動部隊の撃滅は不可能ではない。

一方、空母機動部隊(第3艦隊)の方は南雲忠一中将に代わり1942年11月から小沢治三郎中将がその任に就いていた。
1942年は空母機動部隊同士の決戦の年であった。
珊瑚海海戦に始まり南太平洋海戦まで1942年中に4回もの空母機動部隊の決戦が行われ日米海軍の空母は双方とも大損害を受け再編成のやむなきに至った。
だがソロモン戦の中期以降、日本機動部隊の搭載機は基地航空隊の増援として度重なる前線進出を強いられまたもや兵力を消耗させてしまった。
よって日本にとって1943年はきたるべき1944年の決戦に備える為、失われた熟練搭乗員に代わる新規搭乗員を錬成する年だったのである。
また空母も新造艦や改装艦を加え総勢9隻に達していた。
一方、米軍の空母機動部隊も新造艦のエセックス級やインデペンデンス級を加え勢力を拡大しつつあった。
米国は日本と違い平時から民間航空パイロットが大勢いたので機動部隊を拡充する際にも搭乗員不足に悩まなかった。
再建された空母機動部隊をもって米軍はギルバート、マーシャルを荒し回った。
そして1944年2月17日、米空母機動部隊は要衝トラックを襲った。
この攻撃(ヘイルストーン作戦)は奇襲となりトラックの基地航空隊は壊滅的打撃(325機)を受ける。
また在泊商船も大損害を受けトラックの戦略的価値は大きく低下してしまった。
米軍は戦略的価値のない根拠地を攻略する為に無用の上陸作戦はしない。
よってトラックには上陸せずラバウルと同じく「置き捨て」にした。
トラック空襲は本来なら「新Z号作戦」を発動する好機とも言えよう。
だが日本機動部隊(第3艦隊)はまだ錬成途上で作戦投入できない状態にあった。
加えて基地航空隊が米機動部隊を早期発見できず奇襲を受けてしまった為、「新Z号作戦」を発動する事はまったく考えられなかったのである。
しかし新Z号作戦の発動は無理だとしても日本海軍はトラックの基地航空隊が壊滅した為に発生した穴を何としても塞がねばならない。
そこで2月20日、第1航空艦隊は編成未完了のままマリアナに進出した。
しかし悪天候によって進出が妨げられ戦闘機隊は残留せざるを得なかった。
そして23日、米機動部隊によるマリアナ大空襲が始まったのである。
勇んで進出した第1航空艦隊であったが準備不足はいなめず米機動部隊との戦闘で甚大な損害(94機)を出した。
更に米機動部隊は3月にパラオ(日本軍損害約150機)を空襲する。
かくして第1航空艦隊は大きく戦力を減衰させてしまった。
だが来るべき決戦に投入されるべき兵力として日本は第1航空艦隊とは別にもうひとつの基地航空隊を用意していた。
「八幡部隊」と呼ばれる決戦部隊である。
この部隊は海軍横須賀航空隊(新兵器の実験部隊および教育部隊で海軍航空隊きっての精鋭部隊)のテストパイロットや教官を集めて編成していた。
米軍の攻勢正面に第1航空艦隊を展開しておき侵攻が始まると同時に艦隊泊地から空母機動部隊、内地から八幡部隊がそれぞれかけつけて一気に米艦隊を撃滅するのがZ号作戦の骨子であった。
ただ「いつ」「どこに」米軍が侵攻するかを予測するのが難儀であった。
それが判らなければどこに「艦隊泊地」を設定すればよいのか、第1航空艦隊を展開すればよいのか判らなくなるのだ。
決戦を「いつ」「どこで」行うのかは連合艦隊司令部の判断に任せられる。
そして米軍のパラオ空襲時、更に日本海軍首脳部を惑わせる大事件が発生した。
パラオ空襲の直前、連合艦隊司令部を乗せた2式大艇がダバオへ向かう飛行の途中遭難し連合艦隊司令長官、古賀峯一大将が死亡したのである。
更にあろうことか参謀長の福留繁中将が敵ゲリラの捕虜となり「新Z号作戦」の作戦計画書が敵に押収されるという付録までついた。
そして4月22日、米軍はニューギニア北岸の要衝ホーランジャに上陸し同地の日本海軍第9艦隊司令部が壊滅、またもや作戦計画書が米軍の手に落ちた。
米軍のマッカーサー大将はこのホーランジャの野戦司令部で新Z号作戦計画書に目を通したと伝えられている。
米軍の上陸に際し何か有効な手を打とうと思っても指揮すべき連合艦隊司令長官が不在ではどうしようもない。
いや、いたとしても作戦計画書を敵に奪われてしまっていてはどうしようもなかったであろう。
なお次の連合艦隊司令長官が決定するまで連合艦隊の指揮はとりあえず南西方面艦隊司令長官の高須大将が代行した。
ところが南西方面艦隊は占領地(インドネシア)の治安、行政を主任務とする部隊で作戦情報の収集、解析能力があまり高いとは言えなかった。
この為、戦況は更に悪化の一途を辿る羽目になる。
だがこの責めは南西方面艦隊司令部ではなく昇任序列を形式主義でおこなった海軍省が負うべきであろう。
ジャワに司令部を置く南西方面艦隊が太平洋全域の作戦を指揮するのは所詮無理なのである。
また高須大将は胃病(同年9月病死)に悩まされており連合艦隊司令長官代行の激務に耐えられる状況ではなかった。
5月3日、次なる連合艦隊司令長官として豊田副武大将が任命されるまでに戦況はますます悪化してしまう。
豊田大将は着任後、直ちに「あ号作戦」を発令した。
「あ号作戦」とは「新Z号作戦」をさらに改訂した作戦で決戦正面をパラオもしくはマリアナと設定しパラオを第1優先としていた。
「新Z号作戦」ではトラックもしくはマリアナであった決戦正面がなぜパラオにまで後退してしまったのであろうか?
これは日本海軍の燃料事情によるものである。
米機動部隊によるトラック空襲の際に日本軍は多くのタンカーを失ってしまったので燃料事情が窮迫してしまい泊地を遠く離れて行動出来なくなったのだ。
一方、米軍はホーランジャ攻略の後、5月27日にはビアクへ侵攻してきた。
海軍にとってビアクは決戦正面ではない。
しかしビアクを取られ米軍に飛行場を建設されてしまうときたるべきパラオ決戦の際に日本基地航空隊は窮地に立たされてしまう。
この時点で日本海軍は米軍がパラオに侵攻して来るものと信じ込んでおりビアク上陸はマリアナ侵攻の陽動であると気づかなかった。
連合艦隊はビアク守備隊を救援する為に角田中将の第1航空艦隊へマリアナからビアク付近のハルマヘラへ転進を命ずる。
角田中将はマリアナ所在航空部隊の中から精鋭を選び出し続々とハルマヘラへ進出させていった。
かくしてマリアナはがらあきとなったのである。
そして進出していった航空部隊は未整備の飛行場にはつきものの離着陸による事故と伝染病(デング熱)による搭乗員の損耗で半身不随となっていった。

小沢中将率いる第1機動艦隊もまたビアク救援の為に出撃を命ぜられた。
(当時、日本海軍の水上部隊には戦艦を主力とする栗田健男中将の第2艦隊と空母を主力とする小沢中将の第3艦隊があり双方を合わせて第1機動艦隊としていた。第1機動艦隊の指揮官は小沢中将が兼任している。)
さすがに空母が出撃する事態にはならなかったがビアク増援部隊を護衛する為に戦艦大和、武蔵まで投入する大作戦になった。
このビアク増援は「渾作戦」と呼ばれ6月10日、宇垣中将の指揮する戦艦3隻、重巡3隻、軽巡2隻駆逐艦8隻はタウイタウイ泊地を出港していった。
だが6月11日、突如として米空母機動部隊がマリアナを空襲したのである。
驚いた日本海軍は急遽「渾作戦」を中止し宇垣中将には即刻、第1機動艦隊への帰還命令が出された。
6月15日、米軍はついにマリアナへの上陸を開始した。
米軍がマリアナ諸島のうちで最初に攻略目標に選んだのはサイパンである。
6月16日、小沢中将の第1機動艦隊は宇垣中将の渾作戦部隊と合流し翌17日夕刻、米機動部隊に向けて進撃を開始した。
内地の八幡部隊もマリアナへの進出が命ぜられた。
だが悪天候に妨げられ八幡部隊の進出は思うにまかせなかった。
挙げ句の果てにようやく進出した八幡部隊は弾薬庫の爆発事故で壊滅してしまう。
日本海軍は第1機動艦隊独力で米軍に立ち向かわねばならなくなった。

一方、マリアナに来攻した米艦隊はスプルーアンス大将の指揮する米第5艦隊で高速空母15隻及び高速戦艦7隻を主力とする第58機動部隊(ミッチャー中将)と低速戦艦7隻及び護衛空母12隻を主力とする第52機動部隊(ターナー中将)で構成されており更に第58機動部隊はリー中将が指揮する戦艦部隊とクラーク少将、モンゴメリー少将、リーブス少将、ハリル少将が率いる4つの空母部隊に区分されていた。
なお第52機動部隊の任務は上陸支援と船団護衛なので基本的に日本艦隊との決戦には投入されない。
ただし第52機動部隊が投入されなかったとしても米軍の空母総数は15隻、搭載機合計は約900機で戦力としては日本軍の2倍にもなる。
まともに戦って勝機はない。
航空機の航続距離において優る日本海軍はアウトレンジ作戦を駆使して米空母機動部隊を迎え撃たねばならないのだ。
6月18日は双方が索敵しあい敵位置の発見に務めたが発見が遅くなり決戦は回避された。
そして6月19日、決戦の火蓋は切って落とされた。


史実経過
19日、日本は甲部隊、乙部隊の前方100海里に前衛部隊を配し北東に向かって進撃を開始した。
一方、米軍の第38機動部隊は5群(空母部隊4群とリー中将の戦艦部隊1群)に編成され各部隊は12海里の距離を保っていた。
早朝、日本軍は前衛から30機、甲部隊から14機の索敵機を発進させる。
これらのうち21機が未帰還となった。
ひとあし遅れて0530、米機動部隊も索敵機を発進させるが日本艦隊との距離が離れすぎて届かない。
0634、日本の索敵機(水偵)が米艦隊を発見、司令部はこの目標を「7イ」と命名した。
距離は前衛から300海里、甲乙部隊から380海里であった。
0725、前衛が攻撃隊(中本大尉:天山7、爆戦43、零戦14)を7イに向け発進させる。
やや遅れて甲部隊も第1次攻撃隊(垂井少佐:天山27、彗星53、零戦48)を7イに向けて発進(彗星6、天山1、零戦1が故障と誤射により帰投)させるがこの直後に悲劇が起こった。
第1機動艦隊の旗艦大鳳が米潜アルバコアの雷撃を受けて損傷したのだ。
だが命中魚雷が1本だけなのでこの時点では大した被害ではないと思われていた。
0845、別の索敵機がまたもや敵艦隊を発見、司令部はこの目標を「15リ」と命名する。
ついでまた別の索敵機が新たな敵を発見「3リ」と命名された。
多くの米機動部隊出現に慌てた日本軍は乙部隊に第1次攻撃隊(石見少佐:天山7、爆戦25、零戦17)を出撃させ3リに向かわせるよう命ずる。
0935、前衛攻撃隊は米軍の戦艦部隊(リー中将)を発見、攻撃を開始した。
この攻撃で戦艦サウスダコタに命中弾1を与えるが米軍戦闘機30の迎撃と対空砲火により天山2、爆戦31、零戦8を失う。
この頃、米機動部隊はレーダーで日本攻撃隊の接近を察知、全戦闘機を直衛に上げて迎撃態勢を整えつつあった。
また米空母の爆撃機はグァムの爆撃に出撃、格納庫の中はもぬけの空となった。
1015、乙部隊第2次攻撃隊(宮内大尉:天山3、99式艦爆27、零戦20)と甲部隊第2次攻撃隊(千馬大尉:天山4、零戦4、爆戦10)は15リに向かって発進。
やや遅れて乙部隊の第3次攻撃隊(阿部大尉:彗星9、零戦6)も15リに向かって発進(彗星2、零戦1は故障により帰投)した。
これで日本機動部隊は発見済みの全目標に対して攻撃隊を発進させた事になる。
1045、甲部隊第1次攻撃隊がリー中将の戦艦部隊を発見、攻撃を開始。
この攻撃でインディアナに命中弾1を与えるが攻撃の最中に米空母機動部隊の第2群と第3群を発見し攻撃目標を空母に変更する。
しかし米直衛機の迎撃とVTヒューズの対空砲火に阻まれ1発の命中弾も浴びせられぬまま天山24機、彗星44機、零戦33機を失う。
更に悲劇は続く。
1120、米潜キャバラが翔鶴を雷撃し4発が命中する。
翔鶴は1410に沈没した。
1430、乙部隊の第3次攻撃隊が米空母機動部隊の第2群を攻撃するが命中弾なく彗星5機、零戦4機を失う。
攻撃後、残存機はロタ島の飛行場に着陸した。
そして1432、大鳳が突然ガス爆発を起こし行動不能となる。
かくして小沢中将は旗艦を若月に変更する至った。
悲劇はまだ続く。
目標を発見しそこねた乙部隊第2次攻撃隊は捜索を諦めグァムに向かったがそこで米戦闘機の待ち伏せを受け天山3、艦爆9、零戦14を失う。
ついで1628、大鳳が沈没して19日の悲劇の締めくくりとなった。
なぜこの様な結果になったのであろうか?
日本は7イ、3リ、15リと3群の米機動部隊を発見したと思い攻撃隊を発進させたが7イ以外は両方とも索敵機のコンパス不調による位置の誤認で実際は7イの位置に全米機動部隊が集中していた。
これが日本の敗因のひとつとなったのである。
しかし19日夜の時点では日本軍はまだ負けたとは思っていなかった。
それは艦載機の大部分がグアム島の基地に帰投し作戦可能であると思っていた事と米艦隊にかなりの損害を与えたと思い込んでいたからである。
20日の正午、小沢中将は旗艦を瑞鶴に変更し再戦を図った。
一方、同日夕刻、米第38機動部隊のミッチャー中将は攻撃隊(戦闘機85機、艦爆77機、雷撃機54機)を日本機動部隊に向けて発進。
日本側は甲乙部隊合わせて26機、前衛は16機の直衛機をもって迎撃した。
米軍は戦闘機6機、艦爆10機、雷撃機4機を失ったが飛鷹に魚雷2を命中させ撃沈している。
また瑞鶴(命中弾1)、隼鷹(命中弾2)、千代田(命中弾1)、榛名(命中弾2)が損傷を受けた。
この戦闘で日本軍は零戦10、戦爆12を失った。
なお米攻撃隊は帰投後、着艦時に80機が不時着(これに加え戦闘による損害が20機)している。
あ号作戦に於ける日本軍艦載機の損耗は291機(他に水偵15)に達し空母機動部隊の再建はもはや不可能となった。
よって日本機動部隊は「あ号作戦」の中止を決定し21日朝、マリアナの戦場を離脱するに至った。
かくしてマリアナ沖海戦は日本海軍の決定的大敗北に終わったのである。

1944年6月19日の戦闘経過:
0522 日出
0619 米第38機動部隊、西方に変針
0634 索敵機(前衛水偵)米機動部隊発見「7イ」と命名
0725 前衛攻撃隊7イに発進
0758 甲部隊、前路警戒索敵機(天山2)発進
0805 甲部隊、第1次攻撃隊7イに発進
0810 大鳳被雷(雷数1)米潜アルバコアの雷撃
0845 索敵機(甲部隊)米機動部隊発見「15リ」と命名
0847 ヤップから発進した日本索敵機(彗星3)米機動部隊発見
0900 索敵機(甲部隊)米機動部隊発見「3リ」と命名
     乙部隊、第1次攻撃隊3リに発進
0935 前衛攻撃隊、リー中将の戦艦部隊を攻撃、サウスダコタに命中弾1
1000 米第38機動部隊、日本攻撃隊をレーダーで捕捉、全戦闘機発進
1015 乙部隊、第2次攻撃隊15リに発進
1020 甲部隊、第2次攻撃隊15リに発進
1025 グアムの基地航空隊の索敵機(彗星)、米機動部隊発見
1028 甲部隊、前路警戒索敵機(彗星1)発進
1030 乙部隊、第3次攻撃隊15リに発進
1045 甲部隊第1次攻撃隊、リー中将の戦艦部隊を攻撃
1120 翔鶴、被雷(雷数4)米潜キャバラによる雷撃
1155 乙部隊第1次攻撃隊に攻撃目標変更指示 3リ−>7イ
1200 前衛、攻撃隊を収容
     米機動部隊、針路を北西に変更
1230 瑞鶴、第2次攻撃隊の戦闘機を収容
1400 乙部隊、第1次攻撃隊収容
1410 翔鶴沈没
1430 乙部隊第3次攻撃隊、米第2機動部隊を攻撃、命中弾なし
1432 大鳳爆発、旗艦を若月に変更する
1450 隼鷹、前路警戒索敵機(彗星)収容
1500 乙部隊第2次攻撃隊、グアムに着陸、米戦闘機と空戦
1510 瑞鶴、甲部隊第2次攻撃隊収容(天山1、戦爆8未帰還)
1606 旗艦を羽黒に変更する
1628 大鳳沈没

日本軍兵力 空母9、戦艦5、巡洋艦13、駆逐艦22、潜水艦5
サイパン、テニアン、ヤップ、グァム飛行場
米海軍兵力 空母15、戦艦7、巡洋艦21、駆逐艦66、潜水艦8

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