第5回トーナメント バトルレポート

このページに収録されているのは第5回トーナメント「従軍記者賞」応募作品をまとめたものです。


  1日半遅れの指揮官の報告書
No. 1111
Name Mr. Torpedor
Date : 2004/01/14(Wed) 00:22

第101次作戦 戦勝側報告書 『我、天佑の元に勝利す』

『ハンガリー(以下、洪)戦車隊の北上を確認。迎撃せよ』

 先発隊の無電を受け我が米国戦車隊は出撃した。何故『雷撃手』の名前を持つ私が戦車隊の指揮を執ることになったのかは定かではない。とにかく、迎撃に出た。

 敵の戦車は『トルディー』しかいないことは既にわかっていた。しかし、それはこちらも同じ事。『M2A1』しか持っていないことは承知しているはずだ。だとすると、敵は包囲して数的優位に立った上で近距離の撃ち合いに持ち込んでくるに違いない。
 というより、それしか手がないはずなのである。双方の戦車を比較すると、火力・防御力はこちらが勝る。特に側面と背面の防御は頼りになることしきりである。反面、速力は劣る。まともにつきあうと振り回されるのは確実である。こちらが腰を落として待ちかまえる格好になるのは明白なので相手としては機動力を生かしたいところなのは想像するに難くない。

 ともあれ、作戦は始まった。中央に全戦車を集め、チャーリー隊を藪に、ベーカー隊を中央の森に、そして主力のエイブル隊を中央の家屋に隠す。その間にAPCの2輌が両側面から南の占領点を目指すつもりだった。しかし突然現れた敵のAPCを取り逃がしてしまい、陣容を確認されてしまう。さらに側面の東側を走行中だったAPCから敵視認の連絡が入った。まずい、敵も迂回部隊を回しているのか?
 ともあれ、このままではまずい。両側面のAPCはもともと陽動目的の部隊で、南の占領点は取れれば儲けもの程度にしか考えていない。東のAPCにはさらに東にふくらんで敵を振り切らせ、自分の戦車隊は作戦を変えることにした。ベーカー隊をチャーリー隊に合流させ、エイブル隊は分割して森と北の占領点に向かわせることにした。敵の迂回部隊がもし陽動だとしたら、この北の占領点に向かった2輌のエイブル隊の戦車は『無駄』になってしまうのだが…。
 しばらくして敵の戦車隊が中央南からあらわれた。やはり数的優位を確保した上で東から回り込み、包囲殲滅するつもりのようだ。中央の藪には8輌もの戦車が待ち伏せしているが、古参兵はおらず、一般兵と新兵ばかりである。1200mを超える距離で正面から打ち合っても弾の無駄にしかならない。じっと構えることにした。その間にエイブル隊も中央の森に2輌、北の占領点に2輌、さらに遊軍として1輌が動き回っていた。
 距離は詰まる。依然悠然と行動を続ける洪戦車隊。見つかっていないのか、否か?

『距離1200!』

 戦車兵の報告に状況を確認する。1200を切った敵戦車の側面が見える! いくか、否か? 当たるのか?

『撃て!』

 ついに発砲を開始した。通常ならはずすか、虚しくはじかれてもおかしくないところである。しかし今回はツキが我々に味方した。放った砲弾の一発がトルディーの1輌のキャタピラを切ったのだ。動きを止めるトルディー。
 続いてはなった砲弾も別のトルディーのキャタピラを切った。しかし、撃破したわけではない。依然、戦力は保持している。

『北方より敵戦車!』

 戦車兵の報告にHQは凍り付いた。北東より突進してくるトルディー! まずい、こいつには側面を向けている。そのまま近接戦に持ち込まれる訳にはいかない! 三輌を向かわせた。
 その三輌が北のトルディーに向け発砲する。またしてもツキが味方した。一発がまたしてもこのトルディーのキャタピラを切ったのだ!!
 作戦が破綻したと悟ったのか、敵の戦車隊は藪に向け正面から突進してきた。むやみに乗る理由はない。藪の中の戦車隊に後退を命じた。しかしエイブル隊は動かさない。迂回部隊に敵戦車がいるのは確実だからだ。
 すさまじい撃ち合いになる。しかし、中距離を維持した上で敵の側面が見えたところを確実にしとめる戦法が功を奏した。一輌、また一輌とトルディーの砲塔が吹っ飛ぶ。動きが止まる。森の東側に伏せていた古参兵も、ここぞとばかりに戦果を挙げる。

『うわあっ!』

 自軍戦車の1輌から悲鳴が上がった。安否を確認する。大丈夫、無事のようだ。装甲に大きな凹みができている。撃破されても不思議はなかった。
 案の定、北の占領点に敵戦車が現れた。しかしたった1輌の軽戦車、古参兵2輌の敵ではない。少々手こずったものの、結局は始末した。もはや決定的である。これ以上追う理由はなかった。洪戦車隊の生き残りはなおも発砲するが、1600前後から発砲してもダメージを与えられるはずもない。

 戦いは終わった。敵は11輌もの戦車を失い、さらに2輌の戦車が放棄されていた。自軍の損害は皆無。どの戦車も大なり小なり破損はしているようだが、全車、無事に帰還したのだ。

…忍者さん、申し訳ありません…、どうしても書きたかった…。


  従軍記者報告 第130次作戦
No. 1107
Name ルーク
Date : 2004/01/13(Tue) 16:10

締め切りを過ぎてしまったが、戦車兵たちの勇猛果敢な戦いを報じずにはいられない。

ルーク率いるイタリア軍は忍者隊長率いるハンガリー軍に戦いを申し込んだ。
両者とも激戦続きで疲労の色が濃いが、ルークはポーランドから鹵獲したズブロッカの飲み過ぎで思考回路が麻痺しており、作戦も至って単純なものであった。
道路を真っ直ぐ南下する。ただそれだけである。
我が軍は自走砲が主体のため、通常待ち伏せなど敵を待ちかまえる戦法を取るのが一般的だが、疲労とアルコールでハイになっていた彼はそんなことすら頭に無かった。

「んん、なんかいるぞ。」
敵の偵察であるが、一般人の車両と思い手を振る馬鹿なルーク。さらに、その先の戦車を見て友軍だと思い込んだ。
「おーい、戦友よ。一緒に一杯やろうじゃないか。」と声をかけるが返事がない。
「はて、我が軍に戦車などあったかな。そうか新型か。どれどれ見せてもらおう。」と近づいた瞬間、弾が飛んできた。

敵だ!
あわてて戦闘態勢に入る戦車兵たち。が、敵の狙いは正確で早くも車両を失った。
敵は藪の中に身を潜めて手ぐすね引いて待っていたのだ。
「いかん、このままでは全滅だ。」と正気に戻ったが、もともと正気ではない彼はこの期に及んでまだ飲んでいた。

しかし、この絶体絶命のピンチに際して、彼はとっておきの作戦を命じた。
「マトリックス作戦」である。
これは、敵の弾をよけるというもので、映画マトリックスのシーンにちなんでつけられたものである。
そんなばかなことができるものかと思うだろうが、我が軍はハリウッドの全面的な協力を受け、厳しい訓練を重ねてきたのである。
今こそ訓練の成果を見せるときだ。

さらに敵に近づく戦車兵たち。敵は容赦なく撃ってくるが、当たらない。
敵は何故当たらないのかと怒鳴り散らしているが、我が軍のマトリックス作戦の前では当たり前のことである。
しかし、この作戦は高度な技術を要するため、完全に習得していない兵もいたため何台かの犠牲が生じた。

また、敵の集中を妨げるためチャットを絶え間なく送り続けるという迷惑メールならぬ「迷惑チャット攻撃」も併せて実施した。
しかし、いくら酔っていたとはいえ、これはひんしゅくものである。忍者隊長にはこの場を借りてお詫びする。

こうした戦車兵たちの奮戦により、敵を次々と撃破し勝利を収めることができたが、我が軍の従軍記者はマトリックス作戦の訓練を受けていなかったため、敵弾を受け壮烈な最期を遂げた。
よって今回が彼の最後の従軍記者報告となった。ご冥福を祈る。


  おハシの国の戦車野郎、西へ─それでもって散華、いえ懺悔
No. 1104
Name 山桂人
Date : 2004/01/13(Tue) 11:13

95式軽戦車×13輌、97式中戦車×2輌、ホハ車2輌という編成でポーランド軍戦車隊との戦闘のただなかに山桂人は眼を覚ました。いったいオレはどうしてここに? とまどう暇もなく時間は過ぎていくので、山桂人はこれは夢なのだ、まだ覚めない夢のつづきのなかに自分はいて、ここにいるのだととりあえず納得しておくことにする。そうでもなければオレがポーランド軍と対峙するなぞといった事態は解しがたい。
ポーランド騎兵の勇猛さは知らぬではなかったが、戦車兵については詳らかにしない。
だが、直面した布陣から相当な名将によって指揮されているに違いないと看てとった山桂人はにわかに武者震いを感じた。さりながら自分の部隊は錬度において、どこに出てもひけを取ることはない。この自信において戦術は決定されると、97式中戦車を木造家屋に温存しながら95式軽戦車を静かに先行させたときにはすでに数ターンを経過していた。
このあと、山桂人は彼我の戦車の性能について認識不足だったことに気づくのだが、そのときにはもう遅かった。あっけなく2、3輌の95式が薄い装甲を射抜かれていて、指揮官も含めて部隊は一時的な混乱状態に陥った。敵の砲弾はあやまたずただの一撃にして95式を屠っていくのだ。命中率ときたら10割のけたを余裕で振りきっていたかと思われる。
一種の恐慌にとりつかれたのは先行隊ばかりでなく、たちまち部隊全体の統制が崩れてしまった。こちらの砲撃はまるで貫通弾とならない。どうやら斜め45度の角度により敵戦車の装甲防御に上増しがされているらしいのだが、いやまて、正対するそれにさえことごとくはね返されているのはどうしたことか。ポーランド軍には天狗がついているのか? 
そのとき冷静でいられたなら7TP戦車と95式軽戦車の貫徹力について確かめることもできたろうが、それどころではない山桂人は周章狼狽の態で為すすべもなかった。1200Mの距離で正対して撃ちあった場合、7TPは95式を貫けるが、95式は7TPを貫くことが出来ない。それが97式中戦車ならばそのまま立場は逆転することになるのだが、どうやらこのあたり貫徹力の情報に勘違いが生じていたのだ。原因は山桂人が手ずから作成した射程距離と貫徹力についての覚書に写し誤りがあったことからで、これはまったく面目ない話だった。
ポーランド軍は着々と作戦を遂行しており、東側を大きく迂回していく2輌の戦車はこちらの最北の占領点までうかがおうとしているものらしい。そうはさせるかと林中に温存していた97中戦をさしむけると、反転して襲ってくる構えをみせたが、一度の撃ちあいの後、こちらの車種を判別したのだろう、再度身を翻し北側へ全速力で疾駆していく。これはどうも追いつける気がしない。占領点のホハ車にはどうあろうと居坐りつづけてもらうと決めたが・・・どうにも、しかしジリ貧だ。
みずからの失策が招いたとはいえ、いまさらどうなるものではない、こうなれば全軍前進で局面を切り開くよりほかない。それがたとえ死地へまっしぐらの道行きであろうとももはや後退はありえない。武士たる者は、武勇に大高慢をなし、死狂ひの覚悟が肝要なり─。直近の配下も山桂人のやや紅潮した顔色をみて、すべてを察したかのような態度を示す。どうやら最前から覚悟を決めて、命令が下されるのを待っていたとでもいうように。
全軍前進! 指揮官の声にも裂帛の気合がこめられた。
95式軽戦、97式中戦が一斉に走り出す。
待ち構える7TPは一つひとつ狙いを絞って、砲弾を撃ち出してくる。あるいは恰好の射撃訓練の的を見いだしたかのように照準をあわせてくるのだ。
1輌、また1輌、鉄の骸と化していく戦車の群れ。
砲弾をかわし、そして弾きながら最後まで奮闘をつづけた97中戦もついに往生を遂げた。
そしてそのまもなく後、戦場は激しい豪雨に見舞われた。

山桂人は唯一生き残ったホハ車のなかに傷を負って意識を失ったまま収容されていた。息はまだあるようだが、いっこうに眼を開く気配はない。まるで悠久の眠りについてしまったかのようだ。かれが再び眼を覚ますことがあるのか、また眼を覚ましたとすればその場処ははたして何処なのか、それはだれにも知ることが出来ない。

※これは第79次作戦、OJI3様との対戦を元に書かれたものです。


  第112次作戦、東京大日新聞特派員報告
No. 1101
Name アルフレッド
Date : 2004/01/12(Mon) 22:11

ビルマは雨期に入っていた。日本軍は補給の面でますます困難を来していた。一方の英軍はスカイトレインから無尽蔵に近い物資の補給を受け見違えるばかりに強力になっていた。コヒマを前にしてなかなか31師団は抜けずにいる、英軍陣地が強力なのだ。兵隊たちは右から「ウマ」「サル」等の名前を付け夜襲により陣地を奪ったが昼になると戦車と航空機からなる英軍に追い戻され消耗していった。そこで、再び33師団から戦車連隊が呼ばれたのだが制空権のない戦場で戦車連隊も大きく損耗しておりこれが最後の戦いとなることは明らかであった。
さらに、イラワジ川が増水し補給困難に拍車がかかった。

英軍も戦車をグラントに装備亢進中だがまだ、コヒマには現れていない。イラワジ川が増水し、雨季に入っているので足下が悪くなっている。両軍はマップ中央で激突した。「てー!」「オープンファイアリング!」双方の車長がほぼ同時に射撃開始を指示する。今回は迂回戦術などない正面切っての戦いとなった。チハが少しずつ距離を縮め中央占拠点の「サル」に向かう、両側の藪の中から、また、正面から英軍戦車が飛び出してくる。車体もふれあわんばかりの距離で射撃戦となった。しかし、古武士を思わせる日本軍戦車の車長は冷静であった。零距離射撃で英軍戦車のエンジングリルを次々と打ち抜く、「あんぱん」を抱えた歩兵が戦車に体当たりする。こうして英軍戦車は引き上げていった。

しかし、その後補給は全く途絶えたため、撤退を余儀なくされた。英軍の執拗な追撃と食料、弾薬のない師団は何もできないまま多くの兵が病気と飢えで倒れた。後に此処は「靖国街道」と呼ばれることとなる。佐藤A作師団長は軍法会議にて責任を明らかにすると言い張っていたが、無駄口中将を始めとする第15軍首脳陣は「佐藤中将は心身共に耗弱状態にあったため責任能力は問えない」とし、裁判は回避された。その結果、この無謀な作戦の責任は曖昧となってしまった。


  第102次作戦プラウダ特派員レポート
No. 1090
Name アルフレッド
Date : 2004/01/12(Mon) 16:49

ある噂がベルリンの廃墟に広まっていた、「我がソビエト連邦との同盟を潔しとしないパットンは国境での小競り合いを起こし一挙にソビエト領内になだれ込むべく計画している」。アイクはパットンが第三次世界大戦を起こすつもりであると思いこんでしまった。事を大きくし第三次世界大戦へと発展することを恐れたブラッドレーとアイクはパットンを自動車事故に偽装し亡き者としてしまった。しかし、先遣隊はすでにエルベ川を越えていた。パットンはアメリカの威信をソビエト連邦に見せつけ、ドイツの分割統治を避けるのが目的であった。そのためか、軽戦車のみからなる部隊で越境させたのである。直ちにソビエトの知るところとなるがスターリンもドイツ分割問題でアメリカと表だって事を構えたくない。旧式戦車部隊で国境紛争程度で終わらせるつもりだった。

戦端が開かれた、ソビエト軍はアメリカ軍からの迂回攻撃を警戒して一個小隊を司令部に置いていた。結果的にはこれが裏目に出ることになる。

アメリカ戦車軍は密集体型で何のためらいもなく突撃してくる。さすがはパットンに鍛えられた部隊だけある。最初の砲撃戦で数両のアメリカ戦車を撃破するもひるまずつっこんでくる。ソ連戦車兵は明らかに浮き足立っていた。「うて、撃てー」と車長が号令をかけるが同様のせいかいっこうに当たらない。近接したアメリカ軍戦車より猛射撃が開始される。たちまち、半分が残骸と化す。生き残った2両が這々の体で森に逃げ込む。

しかし、政治将校が口を出してきた「同士ラスプーチン、なぜ戦わないのですか」。「多勢に無勢どうしようもないだろう」と言うと、「仕方がありません、後方の督戦部隊に連絡するしかありませんな。」と答える。督戦部隊は敵を撃つための部隊ではなく、味方を撃つための重砲やカチューシャ砲を伴った部隊である。「わかった、突撃するよ」と言うさなか政治将校は戦車を降り走って逃げ出す。車長は「将校さんよ、敵前逃亡は死刑だぜ」と言いながらトカレフ自動装填拳銃の引き金を引いた。その後勇敢につっこんだT35、BT7各1両ともアメリカ軍の十字砲火の前に骸をさらしてしまった。

敵は、なおも密集体型で司令部を目指して一直線に突撃してくる。司令部ではコーネフ元帥との電話のやりとりの最中であった。「サハロフ君、私はまだこれでも寛大な方なのだぞ。確かに君には旧式装備しか与えなかったが贅沢に慣れたブルジョワジーを撃退するには十分ではないか」。サハロフ少将は司令部を守らなければ粛正されるであろう事を悟った。アメリカ軍が近づいてくる。藪の中に隠れて一斉射撃を行うも連隊に動揺が走っているせいか全く当たらない。アメリカ軍の着弾はどんどん正確になる。ついに次々と命中弾を食らいソ連戦車隊は壊滅した。APCに乗って一人逃げたサハロフがどうなったか誰も知らない。

数ヶ月後、米ソでドイツの分割統治に合意。辺境の地での小競り合いは問題視されなかった。


  従軍記者報告 第93次作戦
No. 1087
Name パエッタ提督
Date : 2004/01/12(Mon) 02:22

奴らがとうとうやってきた。
独ファシストどもの奇襲によって国境守備隊は瞬時に壊滅。各地の同志達もあっという間に各個撃破され敗走を続けていた。

祖国の危機と聞き帝国陸軍を辞したパエッタは直ちに赤軍に復帰、かつての部下達の前に再び現れたのである。露骨に嫌そうな顔をされたが。


じと目で見つめる部下達の視線を持ち前の面の皮で跳ね返しつつパエッタは作戦を練った。恐らく連中はMkVとMkWのいずれかを主力にしてくる筈だ。それに支援として装甲車、場合によっては高射砲が対戦車戦闘に参加するかもしれん。
陸上戦艦以外は薄っぺらな装甲しか待たん現状では取れる対応は限られた。即ち伏激である。

北上を続ける独機甲部隊に対し、パエッタ率いる赤軍機甲部隊はいつも通り陸上戦艦を前面に押したて大名行列のよろしく南下した。早急に戦場中央の小屋を奪取してそこに立て篭もろうというのである。
と、先払いにと車列の前方を進んでいたM3偵察車の前方に不審な陰が。独軍の高速装甲車である。
こちらが視認したという事はむこうも同様だろう。このまま距離を保ちつつ触接を続ける気だな・・・・・とのパエッタの読みは見事に外れた。
装甲車は全速で車列の中に突っ込んできたのである。情けなくも大混乱に陥るパエッタ隊。
何とかBT数輌が砲撃するものの命中には至らず、パエッタ隊の詳細をしっかりと独軍指揮官神崎川に報告された上にとり逃がす始末。歯軋りしつつもパエッタは既定の方針を変えようとせず、T26を小屋の中に、BT隊を森の中に配置した。

加えてパエッタはここに至って一つの小細工を弄した。BTニ輌とAPC一輌を大きく西から迂回させ南方占領点に対して奇襲を目論んだのである。
こちらの陣容と作戦を掴んだ相手は迂闊には突っ込んでこないだろうが、逆に正面の動きに気を取られている筈。南方には殆ど守備隊も居るまい。機を見て奇襲に成功すれば南方占領点の確保は十分に可能。その後は退路を絶たれたファシストにあんな事やこんな事を・・・・という、実に独り善がりな作戦である。
戦術に於いて必要なのは相手が嫌がる事であり、決して自分がしたい事ではない筈なのだが、久し振りのウォッカでへべれけとなっていたパエッタはその事に気付かなかった。


さて、独軍の前進を警戒しつつ、奇襲部隊からの報告を待つパエッタ。
が、いつまで経っても連絡はない。勿論前方の平原に独軍も現れない。最初に突っ込んできた装甲車の排除に成功して以降はここが戦場だという事を忘れんばかりの静けさである。響くは蝉の声ばかり。
と、奇襲部隊からの報告が。何と逆に待ち伏せを受けBTは全滅、APCのみが這這の体で逃走中との事。何よりパエッタを驚かせたのは待ち伏せていたのがみな装甲車だという事実であった。

「しまった!相手は戦車中隊ではなく機甲偵察中隊か!」
ならばここまで全く敵が動かないのも合点がいく。元々相手にはこちらと正面きって撃ち合うだけの装甲も火力も無かったのだ。地団太を踏むパエッタ。だが今となっては後の祭りである。
が、そこは弱いものには滅法強い赤軍将校。相手がこちらより格下と分ったからにはもはや恐れるものは何も無かった。それに作戦終了時刻も迫っている。南方占領点は無理でも中央占領点ぐらい抑えねば隣でにこやかに笑う政治将校がモスクワに何を報告するか分ったものではない。
自らの座乗するパ号を含め、二隻の陸上戦艦は供回りに僅かなT26を従えただけで悠々と南下、何の妨害もなく中央占領点を占領した。

案の定独軍は影も形も無い。仮に襲ってきてもここから一番近い森でも約2000m。連中の攻撃力ではこちらに傷一つ付けることも出来まい。
「同士政治将校殿。ファシストは我が人民の誇る陸上戦艦に恐れをなして逃げ出しましたぞ。どうですこれから一杯・・・・・」
パエッタは最後まで喋る事は出来なかった。そう、パ号の装甲を2000mの距離から易々と貫く砲がドイツ軍には存在した。88である。独軍指揮官神崎川は最初からパエッタが辛抱しきれずここまで進出してくるのを読み切っていたのである。
爆発、炎上しまさに魔女の大釜といった様相を示すパ号。続いて僚艦の「春香」も轟沈するに至ってパエッタ隊は総崩れとなるも、供回りのT26隊の決死の防戦によってどうにか独装甲車隊の突撃を退ける事に成功、何とか作戦終了時まで中央占領点確保は成し遂げる。


が、言うまでも無く作戦は失敗に終わり残存パエッタ隊は何ら為すところ無く撤退。指揮官パエッタの生死は不明であるが、たとえ生きていたとしてもいいとこシベリア送りだろうともっぱらの噂である。
たとえ次が有ったとしてもパ号乗組みを希望する兵は皆無であろう事だけは確実だったが。



両軍参加兵力
ソ連軍:T35×2、T26×4、BT7×5、M3偵察車×3
ドイツ軍:Sdkfz9ASP×2、Sdkfz251/10×18


両軍損害
ソ連軍:T35×2、T26×1、BT7×2
ドイツ軍:Sdkfz251/10×3


  第77次作戦モニトゥール紙、特派員報告
No. 1082
Name アルフレッド
Date : 2004/01/11(Sun) 22:04

前日まで降っていた雨は上がった。これがフランス軍にとって吉と出るか凶と出るかわからない。フランス軍司令部は重々しい雰囲気に包まれていた。これから対戦当日の朝食で皇帝を中心に将軍たちが作戦を練っている。ジェロームをはずすかどうか、作戦ではスルトとネイが同年のこともあって一は歩も譲らず議論をしている。激論の末、皇帝陛下は過去のジェロームの職場放棄があるため、ジェロームをはずすことを決められた。しかし、食事を半分食べただけで立ち上がってしまい、他の者もそれにならい退室したため気まずい朝食となってしまった。

一方の将軍たちも、かつての皇帝陛下を支えた優秀な者も少なくなっている。フランス版小早川秀秋といわれたマルモンもフランス人でありながらフランス国旗を踏みにじったベルナドットもおらずキャリアの少ない者たちが多い。タヴーやマッセナなど王党派に寝返らなかった少数の精鋭はいるが。

敵は恐るべきSdkfz9ASPを2両有していると思われる。しかも、知将かつ猛将と歌われた「フォン・ハヤメ」が相手である。Sdkfz9ASPをいかに屠るか、また、別働隊で敵司令部をいかに攻略するかで勝負は決まるだろう。別働隊にはド・グルーシー将軍が任命されたが、彼の石頭ぶりは心配の種である。本隊から1時間以内で10Km以内にいるように命令されているが彼の石頭ではおそらくこの命令は守られないだろう。
また、マップ中央のウゴモン館に集中しすぎると敵の陽動作戦に乗ることは想像された。

戦闘開始とともにパーソナル2両が全速でウゴモン館に駆けつける。この隣の森に隠れているであろうSdkfz9ASPを屠るためである。しかし、すぐ近くに敵自走砲が全速力で駆けつけていた。激しい撃ち合いとなり双方とも1両ずつ喪失する。

敵別働隊は来た。W号を中心にパンッアーカイルを組んで左翼より接近。藪に隠れていた戦車の砲撃を受け、早々と退散した。
一方の森の中でパーソナルは懸命に動き回りSdkfz9ASP1両を発見し屠ってしまった。その後、ド・グルーシーの別働隊は敵司令部に接近。敵APCは早々に逃げ出したため此処を占拠する。
森の中のパーソナルはW号2両に囲まれ、形勢が不利となるもW号の車体側面を打ち抜き早々にトンズラ。

いよいよ、最終ターン。中央占拠点に居座るB1めがけてSdkfz9ASPより遠弾が発射され命中。確率変動のおかげで破壊は免れた。こうして皇帝陛下は100日天下となるところを免れたのであった。

記者としては主力同士の撃ち合いではなくパーソナルによって勝負が決まったと考えている。


  赤き血の戦車野郎、あるいは負け惜しみとはかくのごときものか!
No. 1081
Name 山桂人
Date : 2004/01/11(Sun) 22:04

夜勤明けの眠い目をこすりながら登場するはサンケイジン(山桂人)、指令を受けて緊急に配下の戦車兵を集めて、いざ前線へ赴いた。

我が偉大なるソヴィエトの防衛線を突破して、驕りたかぶるゲルマン人どもに赤い鉄槌を叩きこんでおくというのが、この度の目的ではあるが、時間にして10ターンを過ぎても敵部隊の姿は見えない。フフフッ、どうやらこのオレも公式戦デヴューにして、いくらかは慎重になっている、迂回か埋伏か、戦略の要は心得たつもりだが、いざ此処にきて打って出ぬは怖気をふるったと侮られても仕方あるまい、それはオレには不本意に過ぎるというものだ。
あるいはついに持久に耐え切れず、敵の待ち構える地点へと誘い出された恰好になったとすれば、それはひとえにサンケイジンの甘さだったのかもしれない。しかし、もはや時は待たない。赤い血は煮えたぎって、ファシストどもへ一撃を! と希求するスラブ民族の叫びが、いや連邦のありとあらゆる階層を越えた全民族の絶叫が指揮官を後押ししつつ駆り立てていたのだ。

先行するT35重戦車の後ろからSMKが850馬力の轟音を立てて走り出す。
南東部の林には迂回部隊を進行させて、背面から様子見させたところでAPCを発見する。
sdkfz9ASP、こいつの隠しどころが問題なのだが・・・。はたして捕捉できるかどうか?
前進を命じたいま指揮官の頭にあるのはその思いであった。
しかし、オレがもっとも怖れるべきなのはW号戦車隊のほうかもしれない。
道路上を行くT35がはやくも1輌屠られた。
敵は正面の中央占領点よりやや後方に数輌、また広い林の中にも数輌が配されている模様だが、そこにはどれほどの戦力が注がれているのやら判然としない。
迂回部隊中の1輌も林からの砲撃にやられる。
うーむ、そちらにはもう少し数を加えておくべきだったか。これでは挟撃の態勢にならぬか。

砲火を交えるものの、前進しながらのそれは命中率において若干の減算が生じており、陣形を崩さぬ敵戦車隊の狙いのほうに分があるのはやむを得ぬところだった。そのかわりといってはなんだが、敵の自走砲はお尻をむけながら退いていく。戦闘のさなかに数瞬、その自走砲の背面を射程に入れながらT35が外してしまったのは気負いが過ぎたものか。
あせるでない、フョードル!
撃てどもW号戦車の装甲を貫くことはできず、sdkfz251/10にはかすりもしない。
対する敵は歴戦の将が見事に指揮しているらしく、T35は次々と撃破されて、唯一頼みのSMK重戦車もいくたびかの危機を辛くもくぐりぬけているといった状態であった。
そしてその幸運もけっして長くは続かない。
混戦のなかさだかではなかったが、sdkfz9ASPによるものと思われる砲撃弾を受け、SMKはついに耐え切れず草地の上に巨体を打っ伏してしまった。
それまでなんとか苦しいながらも前線での戦いを保っていたのだが、SMKの撃破により一気に流れは傾いて、もう取り返しのできない局面へと追いやられていった・・・。
配備された7輌のT35のうち無傷だったのはただの1輌、2輌のBT戦車はそのまま、M3偵察車は最後まで占領点を確保した。
ここでの戦闘は大敗北に終わった。
負傷して後方へ退く車中の人となったサンケイジンはかたわらで重傷を負い苦悶の声をあげる農村出の戦車兵を励ましていた。
しっかりしろ、フョードル。お前の傷はけっして無駄にはならんよ。

それからふと車外の広大な平原を眺めながらサンケイジンは思いめぐらせるのだった。
緒戦の勝利に酔っているゲルマン人どもめ! オレたちの敗北が貴様らに種を播いたことには気づくまい、これは貴様らの地獄への手引きなのだよ。
この勝利を得た貴様らは余勢をかってさらに進撃を早めるだろう。それこそが我らの狙いだ。やがてこの連邦の大地に深く進攻してきた貴様らはまさにこの広大な大地に呑み込まれることになる。
この偉大なる大陸によって貴様らは敗北する。喩えていえば貴様らはその忌まわしい旗における鉤十字の切っ先に過ぎん。その切っ先を囲い込む下地がすべてそのままこの大陸だというのだよ。
貴様らにはそれがまだ判っておらぬようだ。エライ人にはそれが判らんのですよったって駄目だ。そうとも、貴様らはもう包囲されておるのだからな。
この連邦を敵に廻したことを後悔してももう遅い。せいぜいあのヒゲの総統閣下を恨むがいいだろうさ。
覚えておくがいい! 我が連邦の本当の怖しさを知るのはこれからだということをな!!

※これは第23次作戦、速馬様との対戦を元に書かれたものです。


  第76次対戦報告
No. 1075
Name J Bird
Date : 2004/01/11(Sun) 19:16

まったく買ったことがないエトピリカ部隊はいつもと同じSKMと
BT7を中心とする部隊で前回惨敗させられた速馬英戦車部隊と対戦緒戦で2つ占領点を確保しあとからやってくる英軍部隊を迎撃する。まず敵のMKWを撃破し、SKMに接近してきたマチルダを撃破。今回パターンをいつもと大きく変えたので速馬指揮官は混乱したのだろうか?敵の混乱は我がほうに味方した。
何はともあれ敵のPC1両を除き撃破できたのは幸いだった。


  連絡将校報告その2 第69次作戦
No. 1074
Name 速馬
Date : 2004/01/11(Sun) 17:41

 おお 天に願ったドラキュラ公爵がハンガリ−を救ったのかあ。
 ハヤメッチ指揮のハンガリ-戦車大隊は恩将マツカゼノビッチ
指揮の赤軍戦車大隊を撃破す。いささか旧式になったマ−ク4
レンドリ−ス戦車を使用しなければならない赤軍は待ち伏せ攻撃を期待するも、やすやすと中欧の戦略拠点を確保させてしまう。
 スタ−リン閣下の督戦将校が視察にきた関係で現場の実情を
無視するいつものパタ−ンで攻撃突破をやむなくさせられた。
主力をたちまち撃破され、敵の戦況を回復させることはできなかった。敵の失敗わが喜びとはこのことだ。この方面の状況は
回復傾向にある。 敵の血の雨にわが公爵はさぞよろこばれたで
あろう......  ウヒヒ......  以上 


  第65次作戦 リエゾンオフィサ−の戦況報告
No. 1073
Name 速馬
Date : 2004/01/11(Sun) 17:26

 わが枢軸軍 在ハンガリ−軍リエゾンオフィサ−の報告によると、怒涛のごとく押し寄せたる赤軍戦車軍団の攻撃により、
我がハンガリ−軍 猛将サンケイジ−ン指揮下の戦車部隊は
中欧突破を図るも敵赤軍 レンドリ−スM2A1戦車による
挟撃をうけ、ことごとく撃破された。 もはやハンガリ−方面の
戦線は持ちこたえられないようだ。 東部戦線の崩壊もとめる
ことはできないのか。 ドラキュラ公爵の再来を待ってこの
窮地を救っていただきたい。 以上


  従軍記者報告 第66次作戦
No.1069
Nameパエッタ提督
Date: 2004/01/11(Sun) 16:30

第46次作戦に於いて、作戦成功こそしなかったものの車輌損失は僅かだった事が評価されたのか帝国陸軍残留が決定したパエッタ。
名誉挽回とばかりに前回と同一の編成をもって第66次作戦に望む。

対するは銀馬隊長率いる伊軍機甲部隊。パエッタにとって伊軍は初対戦でありいかなる戦術を持って作戦に望むか、思案の為所であった。

ホスト参戦の日本軍は南方配置。対する伊軍は北方配置。伊軍は自走砲タイプが主体、ならば機動戦よりは待ち伏せ主体を狙う筈。となると中央の小屋及び森に相当数の伏兵が配置されているのは必定。
しかしこちらは軽戦車主体、撃ち合いつつ徐々に距離を詰めていては早晩壊滅してしまうだろう。どうする・・・?


作戦開始直前まで下を向いたまま思いを巡らしていたパエッタは作戦開始の号令が掛かると同時に顔を上げ叫んだ。
「全軍全速前進!中央の小屋まで何も考えずに行け!」

マップを横断する道路上を数輌ずつの車列を作って疾走する日戦車隊。伊軍部隊はまだ発見できないが気配は感じる。彼らは間違いなく小屋周辺に潜んでいるとの確信があった。

少し遅れて敵発見との報が。やはり小屋の中に複数の戦車がいた。その砲口がゆっくりとこちらを向く。ここでチハ車が速度を緩め射撃を始めるが他の車輌は速度を緩めず突進を続けた。
中途半端に戦闘態勢をとった所でどうにもならない。がむしゃらな突撃はこちらの態勢も崩れるが相手はもっと混乱する筈だ。この半ば希望といってもいい予想に基づいて突入部隊は疾走を続けたのである。

中央の伊軍部隊はチハ車がそうだった様に他の日本戦車も散開して戦闘隊形を取るものと思ったようで道路側に砲口を向けるものは僅かだった。一瞬の勝機を見た突入部隊はそのまま全速で前進、小屋の右脇に滑り込む。
小屋に潜む伊軍部隊は全て南方に砲を向けており突入部隊を撃つ事は出来ない。が、森の中から砲弾が飛来し一輌の95式を吹き飛ばす。中央森の中及び前面には既に数輌のM11が戦闘態勢を整えていたのである。しかし他の車輌は急制動の後に間髪いれず射撃体勢をとった。

「全車自由射撃!吹き飛ばせ!」
号令一下、突入部隊は猛然と撃ちまくった。その全てが至近距離、中には数十メートルと離れていない距離で撃ち合う者もあった。
伊軍は予期せぬ突撃に混乱しつつも果敢に応戦してきたが、乱戦では自走砲は分が悪い。次々と側面に砲弾を撃ち込まれ撃破されていく。
小屋の中のいた伏兵も慌てて飛び出してくるが待ち受けていた突入部隊によって次々と討ち取られる。

さながら抜刀突撃にも似た攻撃によって中央部に位置した伊軍は壊滅した。無論日本側の被害も皆無ではなく、突入した95式以外にもチハ車が一輌撃破されていた。

一方の伊軍指揮官銀馬隊長は多大な損害にも冷静だった。
コストに優れるM11は損害を受けてなお日本部隊と同等の戦力を有していたのである。
銀馬隊長は中央に替わって居座った日部隊を包み込むように三方から進撃を開始、数輌ごとに横隊を作って着実に包囲の幅を縮めつつあった。
包囲陣の外にあった生き残りのチハと指揮戦車89式は何とか包囲網の一角を崩そうと攻撃を仕掛けるが伊軍はまるで意に介さない。その姿は遠くローマ重装歩兵の末裔としての自信に満ち溢れていた。

反撃によりチハが全滅するに当たって包囲網外からの突入部隊救出は失敗が確定した。後は突入部隊自身がどうにかするしかない。
突入部隊は小屋と森に二分して潜んでいたが伊軍包囲網は硬く脱出の機会は見えない。不用意に近づいてきたM11を至近距離からの一撃によって葬るなどはしていたが、こちらも一輌、また一輌と倒されていく。
加えて南方には無防備なホハ車がいる。旧式の89式だけではとても守りきれない。そう思うまでもなく指揮戦車89式が4輌のM11に囲まれ撃破される。もはや猶予はなかった。


突入部隊は小屋の南西に位置した3輌のM11からなる小集団に目を付けた。残存の突入部隊全力で一斉に襲撃すればこれの覆滅も可能と考えたのである。しかし小屋からは兎も角、森から其処まではかなりの距離がある。間に合うのか?しかし躊躇する時間はなかった。
気合一閃、次々と飛び出す突入部隊。虚を疲れたのか包囲部隊の第一射はいずれも逸れる。その間隙を縫って再び突進する突入部隊。しかし態勢を立て直した包囲部隊によって次々とその数を減じていく。

どちらが力尽きるのが先か?これ以降はもはや戦術の介在する空間などなく、ただただ幸運と戦車兵の技量が全てだった。
そして作戦終了。三輌のM11は撃破され、四輌の突入隊が包囲網を突破、生還したのである。


停戦後、両軍指揮官は握手を交わしながらともに健闘を称え合い、両軍の戦死者に対し心よりの敬礼を捧げたという。



両軍参加兵力
日本軍:97式中戦車×3、95式軽戦車×9、97式軽装甲車×2.89式中戦車×1、ホハ車×2
イタリア軍:M11中戦車×20


両軍損害
日本軍:97式中戦車×3、95式軽戦車×6、89式中戦車×1、97式軽装甲車×1
イタリア軍:M11中戦車×13


  第64次作戦、東京大日新聞特派員報告
No.1068
Nameアルフレッド
Date: 2004/01/11(Sun) 15:46

一旦は落ち着きを見せたコヒマ方面だったが、スカイトレインから無限の物資投下を受ける英軍は日増しに強力になった。一方の我が軍は補給に難を来している上に「弓」「祭」などの有力部隊から弱小の「安」が主力となりつつあった。このことは英軍も十分に承知していた。このため、佐藤A作第31師団長より単独撤退の一方的な申し出があった。これに驚いた無駄口中将は再び33師団より戦車連隊を抽出し援助に向かわせた。

やはり、チハが主力である。事前の情報では相手は知将「サー・マツカゼ」ということである。ふつうの戦法では不利である。そこで、連合軍から恐れられている2人の人物を呼び寄せた。まず、「ミスター・モト」と弾が当たらないので高名な「測候所」である。

戦端は開かれた。当然相手は正面切って撃ちあってくれないだろうことは予測された。別働隊をどうとらえるか、また、この別働隊こそが本体ではないか。という疑問が脳裏を横切る。
そこで、新兵を一人呼び斥候「レポ船」の役割を演じるよう命令する。

やはり、別働隊はいた、それも主力のようである。チハを5両急遽呼び戻し占領点の藪に潜ませる。また、もう一両のホハで敵の占領点を探らせる。しかし、敵占領点のあたりに何もない。そこで藪の中に飛び込んだところ正面に敵敵敵・・・。ホハは無惨な残骸と化した。一方の必死で接敵している「レポ船」もとうとう敵主力の十字砲火を受け炎上してしまう。しかし、この犠牲は無駄にはならなかった。

最終ターン、ついに別働隊がホハに接近、藪に潜んでいたチハと激しい砲撃戦となる。僅差でチハが勝利するものの佐藤A作師団長は軍法会議で責任問題を追及するという強気の姿勢である。
現在のところ、無駄口司令官からは公式発表はない。
以下、続報。


  極秘情報入電 第63次作戦
No.1064
Name速馬
Date: 2004/01/11(Sun) 12:57

 枢軸軍ノルウエ−派遣 通信中隊より報告。
北部戦線ムルマンスク近郊で、もと白色軍指揮官で現在赤軍
戦車中隊指揮官 ハヤメトフスキ−大尉はレンドリ−ス戦車を
受取にいったその地で、叛旗を翻したようだ。
 指揮した反乱中隊のM2A1 戦車をすべて撃破され、
フィンランドに逃げた模様。 生死の情報は定かではない。
 以上傍受電報。


  諜報電報入手 第60次作戦
No.1063
Name速馬
Date: 2004/01/11(Sun) 12:48

我が枢軸軍通信傍受中隊はソ連の戦況報告電報を入手した。
 下記のとうりである。
 ソ連第22戦車軍団隷下のレンドリ−ス戦車マ−ク4中隊は、
戦場でなにかと悪い評判があるにもかかわらず、オデッサ近郊の
南部戦線において知将ウクルグント指揮官のハンガリ戦車中隊を
撃破したもよう。ソ連参謀本部は東部戦線派遣第三国軍は以外
ともろく、今後の作戦立案に大いに参考になるとの弁であった。
 以上
 
 後日スタ−リングラ−ド撃破に大きく貢献したということだ 


  従軍記者報告 第47次作戦
No.1062
Name速馬
Date: 2004/01/11(Sun) 12:33

 フランクフルト地方紙サ−ドライヒによれば、仏の反撃してきたドゴ−ル指揮下 ハ−ヤメン戦車中隊は我が枢軸軍の無名の
戦車指揮官にいとも簡単に料理されたということである。
 なかでもたった1発撃った88mがみごとにB1に命中。
なみなみならぬ錬度を感じた。わが枢軸軍の勝利は近い。
 フラ−!!


  従軍記者報告 第57次作戦
No.1061
Nameルーク
Date: 2004/01/11(Sun) 11:36

激戦が続くと報告も滞りがちであるが,第57次作戦について報告する。
相手は初戦で敗れた速馬氏である。ルークは雪辱を果たすべく戦いを申し込んだ。
敵は米国,こちらはソ連だ。もちろんBリーグ戦である。

敵の主力M2A1はBリーグにしては強固な装甲を持つ難敵であるが,強いて言えば側面が弱点であろう。
それにしてもでかい国のくせに1車種しかないとは情けない。
資本主義のブルジョワどもなど蹴散らして共産主義の素晴らしさを見せつけてやるのだ。

我がソビエト連邦の主力はBT7で,これにT35,T26が加わる構成だ。
BT7の機動力を生かして敵の側面を狙う目論見である。

道路を直進すると接近戦になる可能性があるので,やや西の平地にBT7を走らせた。
T35は1台がBT7を追走し,1台を建物の中に隠した。
T26は建物と森に隠し,敵に察知させないようにした。
恐らく台数でも敵が勝っているため,まともに行っては勝ち目はないと踏んだ。

やはり敵は中央に戦力を集中してきた。まともに行ったら5ターンぐらいで終わっていたかもしれない。
敵の砲は1200m以上離れていれば全く気にすることはない。キャタピラさえ撃ち抜けないチンケな砲だ。
それに引き替え我が軍の砲は1200m以上でも十分な威力を持つ。
つまり1200m〜1600mの間で敵の側面を狙うのがポイントである。

問題はどうやって側面を向けさせるかということであるが,ここは秘策があった。
名付けて「あっち向いてホイ」作戦である。
これは,遅れてくるT35にどうしても敵の目が向いてしまうであろうから,そこをついてBT7が徐々に回り込むというものである。
この作戦は地味ながらも効果を挙げ,2両ほどの敵を葬った。
しかし,敵もさるものである。数にものを言わせてゆっくり近づいてきた。
ここで1200m以内に入ってしまい,うまく回り込んでいた古参兵2名を失った。

これでは作戦の継続は不可能と判断し,次なる作戦を実行に移した。
名付けて「こいこい作戦」である。もちろん花札をやろうという訳ではない。
劣勢になったためいったん退却し,追撃してくるところを建物に忍ばせていたT26が側面を狙うというものである。
敵は優勢になったことで,さらなる獲物を求めてやってくるはずだ。人間とはそういうものである。
チャットでは,「もうだめだから退却する」などと心にもないことを言っているが,実際は「こいこい,こいこい,イッヒッヒ」と下品な笑いを浮かべていたのである。
しかし,敵は来なかった。バレないように退却したつもりだったが,過去に何回も対戦している相手なので読まれていたのである。

戦いも終盤に入り,このままでは負けてしまうので次なる作戦を実行に移した。
名付けて「スレスレ作戦」である。
これは,いったん退却した2台のBT7と1台のT35を再び前進させるものである。しかし,今度は側面を狙うことはできない。
うかつに近づけば集中砲火を浴びてしまうが,1200m以内に近づかないと敵を撃破することはできない。
そこで,敵が1台のみ1200m以内スレスレに入るように移動するのだ。測量を誤ると痛い目に遭うので,移動プロットに時間がかかるのが難点だ。
ターゲットは中央占領点に居座るやつだ。こいつをやっつければ車両ポイントと占領ポイントをダブルでいただきだ。
もう1台1200m以内に入ってしまったが仕方がない。集中砲火を浴びせるが新兵ばかりなので当たらない。それでもしつこく繰り返したところ撃破できた。ハラショー!
すかさず別の車両が占領に入るが,この車両も運良く最終ターンに撃破できたたため,なんとか引き分けに持ち込むことができた。

苦しい戦いであったが,最初からT26の代わりにT35とBT7をもっと入れておけば良かったと気づいたのは,つい先ほどのことである。


  外バイカル方面軍ポ−ランド将校より戦勝報告 第39次作戦
No.1060
Name速馬
Date: 2004/01/11(Sun) 10:01

 外バイカル方面軍 ポ−ランド人ハヤメ機甲大尉は対日参戦と
ともに怒涛の進撃を続け、満州新京郊外において阿部独立戦車中隊を撃破した。以上
 後日 戦場特派員によれば悲哀の民族ポ−ランド人ゆえか、従軍ピアニストがショパンの別れの曲を終わった戦場で弾き、亡くなった敵味方の将兵を弔ったという報道が流された。


  枢軸軍幕僚報告 第33作戦
No.1059 [返信]
Name速馬
Date: 2004/01/11(Sun) 09:42

 ポ-ランドの OJI義勇軍将軍より以下戦勝報告があった。
我が機甲部隊はフランスのアラス近郊にて、ぺらぺらマ−ク4
戦車部隊を完膚なまでに撃破した。 ポ−ランド龍騎兵の
伝統を誇る集中突撃を見せてやりました。スカ−トを履いた
スコットランド兵はほうほうのていでド−バ−に追い込んで
やりました。わが枢軸軍のパリ入城は近いと確信する。以上


  第53次対戦、特派員報告
No.1054
Nameアルフレッド
Date: 2004/01/11(Sun) 00:09

ポーランド、ハンガリーは国境問題でもめたあげくついに開戦となった。戦車の性能はハンガリーが優れている。しかし、ポーランドと日本は古参兵が多いため侮れない。
結果、ハンガリーの勝利となった。しかし、いずれ私もポーランドで戦わなくてはいけない日が来るであろう。そのための研究をしなくてはいけないことが課題となろう。

PS.ハンガリー軍の「マリー・テレサ」賞を「マザー・テレサ」と勘違いしていたのに気づきました。「確か、マザー・テレサはマケドニア出身じゃなかったかな?」と悩みなぜマザー・テレサとなったか不思議でしたが、「マリア・テレジア」オーストラリア女王かと今しがた気づきました。浅学のほど思い知らされました。


  従軍記者報告 第46次作戦
No.1053
Nameパエッタ提督
Date: 2004/01/11(Sun) 00:06

流れ流れて大日本帝国陸軍に拾われたパエッタ。今度の相手はまつかぜ隊長率いる英国王立戦車隊である。


パエッタは作戦開始と同時に軽戦車隊に突撃を命じた。軽戦車隊は全て古参兵からなる腕利き揃い。至近距離からの速射で勝負を決めようとの目論見である。
当然、残る中戦車隊は新兵ばかりなのであるが。

さて、道路を進めど進めど敵は現れない。南下を続ける軽戦車隊はいつしか南方占領点間近まで迫っていた。その時!


♪チャラララーン(謎の音楽)
藪の中からルノーFTが四体現れた!ルノーFT達はいきなり襲ってきた!
ルノーFT×4の攻撃!95式が一輌やられた!
軽戦車隊の反撃!近距離からの一撃だ。命中!しかしルノーFTには効かなかった!
パエッタは25Pの精神的ダメージを受けてしまった・・・・・・


などとよく分からない展開の戦闘により、トーチカよろしく占領点を守っていた骨董品のルノーによって軽戦車隊は都合二輌の損害を計上する羽目となった。当然ルノーは全滅したが正直等価とは思えない。パエッタは見事王立戦車隊指揮官まつかぜに裏をかかれたのである。

慌てて中央部に引き返すもあたり一面に敵影なし。北方の森に篭った97式も、北方占領点に陣取る指揮戦車89式も敵を発見していない。
何がなにやら判らないまでも、直感的に嫌な雰囲気を感じたパエッタは北方占領点に配置していたホハ車を北方占領点に配置転換、ようやく北上してきた軽戦車隊と合流の後、中央占領点を基点に全周防御陣を引いた。

恐らくまつかぜ隊長は作戦終了間際にどこか一箇所の占領点に対し集中攻撃を仕掛けてくるに違いない。しかしそれは何処だ?
南方に今さら英軍主力が展開するとは思えないので来るとすれば北か中央。中央は見晴らしも良く、奇襲を受けにくい。ある程度の戦力で守備すればおいそれと敵も近づけまい。
問題は北である。北方占領点は森に近く極めて守りづらい。それに今となっては守備部隊の展開が間に合うかどうかも妖しい。さりとて全兵力を引き上げた上で思い過ごしで有ったとすればいい笑いものである。

以上の考えによりパエッタは自らの駆る指揮戦車一輌のみを北方に残したのである。言うまでもなく賭けであった。


作戦も終盤に入った時、中央に向かうMkW一輌を発見した中央守備隊はこれを補足すべく一斉に行動に出た。ホハ車のガードを解くのは危険であったが、このまま接近を許すのも本末転倒と判断したのである。
しかし高速で走り回るMkWの捕捉は困難を極め、最終的には伏兵として温存していた97式まで持ち出して漸く仕留めた頃には既に作戦終了間際であった。

来る。全軍に緊張が走る。パエッタの読みはどう出るか?次回へ・・・・

続くまでもなかった。王立戦車隊が現れたのは北方。読みはどうあれ賭けには敗れたのである。
たった一輌の老兵89式対十輌以上のMkW.結果は分りきっていた。

加えて南方に於いても占領点に滑り込もうとしたホハ車がまつかぜ隊長が手抜かりなく配しておいた伏兵の狙撃により撃破される。続いて護衛の97式軽装甲車が占領点に滑り込むものの、ポイント的には大打撃であり、本来勝利のうちに終わる筈だった本作戦は見事ドローに持ち込まれてしまったのである。


今回もまた作戦を破綻させた上で乗車ごと吹き飛ぶパエッタ。夜明けはまだ遠そうである。



両軍参加兵力
日本軍:97式中戦車×3、95式軽戦車×9、97式軽装甲車×2.89式中戦車×1、ホハ車×2
英軍:MkW戦車×13、ルノーFT×4、BGキャリアー×1


両軍損害
日本軍:95式軽戦車×2、89式中戦車×1、ホハ車×1
英軍:MkW戦車×1、ルノーFT×4


  第32次作戦、東京大日新聞特派員報告
No.1047
Nameアルフレッド
Date: 2004/01/10(Sat) 18:03

1944年3月、第15軍司令部に衝撃が走った。なんと、第31師団より「これ以上増援が途絶えればコヒマ前面より単独撤退する」というのである。第31師団に撤退されれば、英軍の圧力が他師団におよびとうてい戦前を支えきれなくなる。
強気の司令部もここに来て大きなショックを受けた。
なぜ、第31師団は単独撤退を決意したのだろう。司令官の発狂か、あるいは33師団に97式改や一式砲戦車を持って行かれた恨みからだろうか。いずれにしても、増援を送るしか方法はない。
このために、独立戦車連隊が第31師団を援護するべく編成された。
独立戦車連隊を見たところすべて「チハ」である。いくら英軍がマチルダやバレンタイン投入していないからといって・・・
チハ「ブリキの棺桶」という笑えないあだ名がある。でも、この手のあだ名は何も日本軍だけではない。アメリカでもM3はソ連軍から「7人兄弟の棺桶」といわれたり、F2Aも味方から「空飛ぶ棺桶」といわれ恐れられている。最近ではDC-10にもこのあだ名が付いたらしい。
兵隊さんたちを見てみると、凄みをきかせた一般兵がいない。代わりに紳士風の古参兵が多い。命中率は高くなるだろうが、眼力が効かない分だけ確率変動で分が悪くなるのでは?という疑問もある。

さて、中央隊は真ん中の小屋にあたりに布陣した。また、左翼からくるであろう別働隊を警戒して左翼別働隊を編成。
戦端は開かれた。お互いに防御力が弱いせいか、近接戦闘になかなか踏み切れない。
左翼別働隊より、敵別働隊発見との連絡が入る。こちらも、別働隊を持って当たらせるがなかなか正面切って打ち合わず全速力でホハのいる占領点をねらっているようだ。このままでは、速度に劣るチハは不利である。中央隊よりチハ2両分離して占領点の藪に向かわせる。一方、別働隊もようやく追いつくも、新兵で編成されているため命中弾が得られない。「砲手、何をしている!」車長の怒号が鳴り響く。ようやく命中弾の手応えあり2両をしとめる。また、こちらの占領点に向かった残りの一両も中央隊より分離したチハが待ち伏せし仕留めた。
残りターンも少なく中央占領点の敵を排除すべく前進、その時藪の中から敵戦車主力飛び出してくる。「バンザイアタックは日本軍の専売特許ではないか!」と思うまもなく囲まれそうになる。
「てー!」の合図とともに両軍とも激しく砲火を交えた。
結局、占領点の敵を排除できなかったが、撃破数で上回ったためか、かろうじて勝利した。

勝つことにはかった、だが独立戦車連隊は再び33師団へ戻されてしまった。31師団の師団長はいつまでコヒマを支えられるのだろうか。以下、続報。


  従軍記者報告 第29次作戦
No.1046
Nameパエッタ提督
Date: 2004/01/10(Sat) 17:50

「アンタとはやっとれんわ」と、言われたのかどうかは知らないが、赤軍を放逐されたパエッタが流れ着いたのは新興国の米国であった。
そこでどういう手を使ったのかは分らないが戦車隊指揮官の職に付くことに成功する。


その初仕事は同じく列強としては新興国でありながら最近何かと衝突の多い大日本帝国、その機甲部隊が演習中との情報に基づき、これを奇襲、撃破せよというものであった。


早速現地に赴いたパエッタと相対したのは見習い戦車兵隊長率いる97式中戦車部隊であった。
第18次作戦で97式との戦闘経験を持つパエッタは至近距離以外ならM2中戦車は火力装甲共に97式を凌駕する事を知っていた。故に小細工は不要と判断し全部隊をまっすぐ北上させ堂々たる決戦を挑んだのである。
対する日本側は部隊を大きく三分し、それぞれ右翼、左翼、中央と進撃させパエッタ隊を包み込むような機動を取っていた。

中央の平原で会敵した両軍は直ちに砲戦に入った。ここで97式1輌が撃破されM2も一輌キャタピラを破壊され行動不能に陥いる。
が、ここから先は一方的な展開となった。97式の57o砲は悉く弾き返されるのに対し、M2の37o砲は1200m以下であれば、場合によっては97式の装甲を貫徹したのである。

砲力で劣る日本側は発砲しつつ距離を詰めつつあったが、その間にも落伍車が続出、至近距離での乱戦に持ち込んだ頃には残存戦力は半数以下となっていた。
しかも400m以下の至近距離であってもM2の装甲は強力な対弾性を発揮、97式の捨て身の攻撃を無常に弾き続けたとあっては日本側に為す術は無かった。

残り僅かとなった残存日本戦車は散りぢりとなって四方に逃げ去った。例によって調子に乗り追撃命令を下すパエッタ。が、それは見習い戦車長の策であった。

互いに連携もとらずに追撃戦を展開したM2隊は重要な攻撃目標であったAPCを全て見失い、逆に生き残りの97式に包囲陣を突破され自軍のM3装甲兵車を危うく撃破されそうになるという失態をしでかしたのである。


最終的に米側の損害はM2A1一輌で済んだものの、日本側APC全てを取り逃がすなど失策の目立つ作戦となった。

なお、飲兵衛パエッタにとって禁酒法の余熱冷めやらぬ米国は居心地が悪かったらしく、本作戦終了後早々に米陸軍から姿を消したそうである。


両軍参加兵力
米軍:M2A1中戦車×14、M3装甲兵車×2
日本軍:97式中戦車×11、95式軽戦車×1、ホハ車×4


両軍損害
米軍:M2A1中戦車×1
日本軍:97式中戦車×11、95式軽戦車×1


  敵情報入手、情報部員報告 第26次作戦
No.1044
Name速馬
Date: 2004/01/10(Sat) 16:06

 わが枢軸軍情報部は敵の電報を傍受した。
 ハリコフ方面において、敵ハヤメトフスキ−軍は我がニンジェンシャ軍を撃破した模様。我が軍は日本の忍者よろしく、秘匿の
2方面包囲作戦を敢行した。中央戦線は膠着状態であった。
 敵は我が88mmに恐れをなして消極的だ。しかし残念な
ことにロシアの農民イワンやナタ−シャの報告により、作戦意図がばれてしまった。不幸なことであった。最後に勇敢なる
中央突破を行うも効果は期待できなかった。 敵ソ連の
はじめての反撃であった。ひとつのつまずきでなければよいが。
 少し我が軍にも暗雲がたれこめてきたようだ。 傍受電による
報告を終わります。 以上


  第23次作戦 軍事特派員報告
No.1042
Name速馬
Date: 2004/01/10(Sat) 15:51

わが枢軸軍はいよいよキエフで敵ソ連の主力と戦闘した。敵は
SMK 1台、T35重 6台ほかの強力な部隊であった。
 敵サンケイジンロブスキ−将軍は、ここ連日の徹夜勤務の
激務の最中であった。しかし巧みな迂回戦術をおこなわれたが、その1部でわが軍の偵察部隊による情報によりくずされてしまった。その破綻がジワジワと戦線全体に影響を及ぼし、撤退をよぎ
なくされてしまった。これにより重要な戦略拠点のキエフを
包囲した。まもなく陥落することであろう。 以上報告終わり

 No1041報告の訂正 第21次作戦でありました。


  軍事特派員報告  第1次作戦
No.1041
Name速馬
Date: 2004/01/10(Sat) 15:34

開戦初頭にチェコよりクラカワに出撃した派遣ミラノ装甲師団は
ポ-ランド軍の追撃戦に参加することになった。
 自走砲タイプのM11中戦車であったが、部隊の定数が豊富な
ことにより、追撃とあいまって数の力で押していった。それが
すべての戦闘であった。ミラノの兵ゆえグリ-ンのベレ−帽を
傾けていきにかぶり、カ−キ色の軍服をはでに着こなし、
オオ ファンタステイコ!! かっこよかった。
 でも 負けると逃げ足の速い根性なしの国ぶりでした。 


  従軍記者報告 第20次作戦
No.1039
Name速馬
Date: 2004/01/10(Sat) 10:49

 わが枢軸軍の太平洋方面軍の報告をいたします。
マレ−半島のペナン島方面において、日本軍戦車隊と
英国王立戦車隊との戦闘がおこなわれた。
 春先のやや暖かい天候に海面温度が幾分低めのため、
移流霧が発生した。視界は1000-1400mであった。シンガポ−ルに
続く1本の舗装道路上に3つの戦略拠点があった。上下の拠点は
それぞれがおさえ、中央の拠点の争奪が死命を制した。
 敵は2個小隊が南下突進してきた。 わが指揮官は南が
手薄の戦力なので、視界の悪いことにつけこんだ敵の迂回
作戦を警戒して1個小隊を南にさしむけていた。ここは決断
を要した。古参の2台を急遽ひきもどした。 一方事前に
敵にはこちらの作戦を秘匿するため偽電を発信していた。
 幸いにもわが主力に敵を誘い込んだことになり、勝利する
ことができた。天が味方した戦いであった。
 この戦いによりシンガポ−ル陥落は時間の問題となった。


  ポーランド軍、奮戦す
No.1038
Nameルーク
Date: 2004/01/10(Sat) 10:47

初戦で大敗を喫したルーク指揮官であるが,彼は何故か上機嫌であった。
見ると彼の手にはグラスが握られており,そこにはズブロッカが注がれていた。
彼は「香りがいい」と,このポーランドの酒を愛飲しているが,本当の理由は安いからに他ならない。

さて,次なる戦いの相手はベテラン指揮官まつかぜ氏率いるハンガリーである。
ハンガリーの主力戦車トルディーは我がポーランド軍の7TPよりも装甲で勝るが,GS社の計らいでポーランド軍は練度が高い。
撃ち合いに持ち込めば勝機はある。

戦いはまず中央の占領点を巡って繰り広げられた。予定通り撃ち合いに持ち込み中央を制圧し,意気上がるポーランド軍。
しかし,防御線をくぐり抜けたトルディーは手薄な北部へ向かう。ならばと7TPは南を取りに行ったが,この作戦がまずかった。
意外にも南の守りは固くジリ貧となる一方,北は勇戦むなしく壊滅してしまった。結局確保できたのは中央だけで引き分けとなった。

ズブロッカをあおりながら,次の戦いへと進む。相手は英軍指揮官のマッケネン氏である。
英軍のMKWは7TPと大して変わらない性能であるが,スピードがあるので要注意だ。
やはり敵はスピードを生かした迂回作戦を取ったようで,中央が手薄になっていた。
ここぞとばかりに兵力を集中し撃ち合いに持ち込んだところ,うまく制圧することができ,最後まで優勢に進めることができた。
ついにポーランド軍に栄光が訪れた記念すべき初勝利であった。
勝利の美酒に酔うルーク指揮官であるが,かなり酔いが回っているようだ。ズブロッカは結構きついのだ。

勢いに乗ったルーク指揮官は,猛将神崎川氏に挑んだ。氏はポーランド軍に配慮し英軍を選択してくれた。
英軍なら先ほど勝っているので何とかなるかもと期待が高まる。
相手の体勢が整う前に撃ち合いに持ち込まねばと突撃するが,足の速いMKWは既に体勢を整えていた。
足を止めて中距離で激しく撃ち合う両軍であるが,中距離ではお互いの防御力と貫徹力が同じぐらいなので,貫徹補正値が頼りだ。
両者とも命中はするが,きわどいところで貫徹できず息詰まる撃ち合いが続いた。
MKWは砲塔装甲よりも車体装甲が弱く,面積も広い。ここで練度に勝るポーランド軍が徐々に優勢となり,見事に撃破し大勝利をおさめた。

データではMKWの前面装甲が14ミリ,7TPが17ミリとなっているので,傾斜の違いもあるがわずか3ミリの差が勝敗を分けたともいえよう。

ルーク指揮官はズブロッカを飲み干して言った。
「たかが3ミリ,されど3ミリ」
そして彼はポーランド軍を去った。


  従軍記者報告第17次作戦
No.1037
Name速馬
Date: 2004/01/10(Sat) 09:51

混乱したる戦場より報告いたします。叛旗をひるがしたるハンガリは思いとどまり枢軸軍にもどった。1部の部隊の反乱のようで
あった。 だが戦場とは闇とはこのことだ、なんたることか
伊とハンガリ−が同士討ちを演じてしまった。伊の救援に
むかったハンガリ−戦車は伊から1台撃破されてしまう。
ただ敵を確認せずの発砲は続いたが、戦果は戦禍なしと
いったところであった。お互いまたの健闘を誓い合った
戦いであった。


  従軍記者報告 第14次作戦
No.1036
Name速馬
Date: 2004/01/10(Sat) 09:28

何 ハンガリ−が枢軸より叛旗をひるがえしただと!
わが伊トリエステ装甲師団は急遽オ−ストリ−を抜け
ハンガリ−に急行した。 敵は騎馬将校から、機甲へ
転科したばかりの指揮官であったが、機動作戦に衆知され
ているらしく、果敢に作戦指揮をした。お互いに戦車2両
ずつを残すのみの惨憺たる戦闘におわった。負けたが
満足した戦いであった。


  従軍記者報告 第18次作戦
No.1035
Nameパエッタ提督
Date: 2004/01/10(Sat) 03:57

前回の大敗にも懲りず再び編成された陸上艦隊。
対するは洛陽不覚隊長率いる日本機甲部隊榊中隊である。


前回とは逆に北方から戦場に侵入したパエッタ隊は懲りもせずに道路伝いに陸上戦艦とT26を南下させる。異なるのはBT隊を前回のような迂回機動を取らせず、中央部の森に潜ませ伏激を狙った事である。
もっとも、これはBTの機動力を殺すと同義であり、砲力で同等かつ速度の劣るT26をその任に当たらしめれば良いのでは?という突っ込みがあるのは当然であろう。

さて、やはり強行偵察に赴いたM3偵察車の前に現れたのはタイプ97、日本陸軍の新型である。第九次作戦と全く同じ展開に内心冷や汗を流すパエッタ。
一方の日本側も巨体(だけ)を誇るT35の姿に驚愕し、かつ呆れていた。

そしてこれまた前回と同じく距離二千から砲戦開始。違ったのは四号と比べチハ車の砲が遥かに小さく装甲が若干薄いという点である。
この差は大きく、四輌の97式からなる榊中隊前衛小隊をたちまち駆逐して後退させる。対するソ連側の損害はゼロ。まさに日本帝国主義に我が祖国の共産主義の科学力が勝利した瞬間である。
対して余りの科学力の差にうめく極東ファシスト達。

「この戦車では奴らには勝てない!」(榊中隊第2小隊長、沖田中尉談)


調子に乗ったパエッタは降伏勧告(バカメと即答される)をしつつ二隻の陸上戦艦を前進させ、一挙に榊中隊の殲滅を図る。
しかしその側背に迫る影があった。榊中隊迂回部隊である。右翼から迂回するという、前回のパエッタBT部隊とほぼ同じ戦術であった。
が、だからこそパエッタはその作戦を予想し得た。迂回部隊が進む前方にはBT戦車隊の砲口が待ち受けていたのである。

十分に引き付けた上で放たれた45mm弾は迂回部隊の95式の装甲をボール紙のように貫いく。次々と炎上する95式。珍しく冴えた指揮を見せるパエッタはウォッカを飲みつついい気分であった。

しかし勝利の美酒に酔うのは早かった。絶望的な状況にも洛陽不覚隊長は怯まなかった。むしろその敢闘精神は燃え上がり、残存車輌全てに前進全速を命じたのである。目標はパエッタ隊旗艦「パ号」。

いい気になって前進していた御蔭で陸上戦艦二隻は護衛も伴わずに最前列にのほほんと構えていた。榊中隊の動きに気付き、慌てて急停止を命じた時には既に遅く、四方を取り囲まれていたのである。その距離いずれも1000m以下。

慌てて前進するT26及びBT。そして必死で撃ちまくる陸上戦艦とは対照的に榊中隊の兵士は冷静に一つの目標を捉えていた。

数刻後、静寂が訪れた戦場に残っていたのは燃え上がる榊中隊と側面を撃ち抜かれた「パ号」の骸であった。


絶対有利な状況にありながら慢心によりその身を滅ぼしたパエッタ。
絶体絶命の状況にありながら知略と胆力で一矢を報いた洛陽不覚。

余りにも対照的な両指揮官であった。


余談であるが、勝とうが負けようが沈むパエッタ旗艦は某宇宙戦艦第三艦橋並に兵士達に恐れられる部署として記憶される事となった。



両軍参加兵力
ソ連軍:ソ連軍:T35×2、T26×4、BT7×5、M3偵察車×3
日本軍:97式中戦車×9、95式軽戦車×4、ホハ車×3


両軍損害
ソ連軍:T35×1、M3偵察車×1
日本軍:全車玉砕


  従軍記者報告 第九次作戦
No.1032
Nameパエッタ提督
Date: 2004/01/10(Sat) 01:11

やばい。本作戦に参加した全てのソ連軍兵士がそう思っていた筈である。
それは何も相手が精強をもって鳴るドイツ機甲師団だった為だけではない。どうも自分たちの司令官が何か勘違いしているのが明らかだったからである。

そもそもHNからして「提督」のままのパエッタはインデペンデント重戦車の劣化コピーであるT35をひと目見て気に入り、倉庫で埃を被っていた二輌を拝み倒して自分の部隊に編入、陸上戦艦などと名づけて御満悦であった。そう、彼は多砲塔戦車が大好きなのである。
しかしSMK重戦車は彼の艦隊には配備されなかった。パエッタ曰く、「アレは美しくない」との実に駄目な理由によって。


さて、暗い表情の部下達とは対照的に意気揚揚と出撃を下令したパエッタ。
その作戦は道路沿いにT35とT26の混成部隊を北上させ、南下してくるであろう敵の突撃を受け止め、快速のBT戦車隊を右翼から森を迂回させその側面を突くというオーソドックスな、悪く言えば想像力の欠如した作戦であった。決戦地帯と定められたのは中央占領点と小屋を挟む平原である。

先行した強行偵察のM3偵察車は予想通り南下してくる四号戦車複数を発見。T35とT26は直ちに散開してこれに備える。
お互いの距離が二千を切った所でパエッタは砲撃開始を命じる。勿論この距離で装甲を貫徹するのは不可能。彼が狙っていたのはキャタピラである。優秀な砲手を乗せた多砲塔戦車は通常の戦車の数倍の命中弾を見込める。この一見して無理の有る計算は実戦でも無理を生じた。

まだ中戦車に毛の生えた程度の装甲があるT35はいい。しかし付き合わされたT26部隊はたまらなかった。いくら遠距離とはいえ相手は75o砲を撃ってくるのだ。所詮は軽戦車であるT26は次々と炎上した。
しかし自らの座する陸上戦艦の装甲を信頼するパエッタは動かなかった。事実遠距離砲戦においてはT35は4号の攻撃の悉くを跳ね返していた。二輌のT35は停止したまま射撃を続行、数輌の4号を行動不能に追い込む。

その時、戦場に轟音が轟いた。そしてそれがSdkfz9ASPの88o砲だとパエッタが気付く前に彼の体は四散していた。旗艦の前面装甲を易々と貫いた88o砲の炸裂によって。

凶報は続く。迂回部隊のBT達も敵に発見され攻撃を受けていた。5輌を有するBT隊に立ち向かったのは僅か2輌の四号戦車。にも拘らず撃ち合いで後れを取り損害が続出。
独軍指揮官アルフレッドの巧みな指揮により側面奇襲は物の見事に失敗し、BT部隊は中央の森に逃げ込むのが精一杯であった。そしてそれすらも読まれ更なる損害を出す体たらく。結局、生きて森に逃げ込めたのは僅か二輌のみであった。
中央部の生き残りT35とT26も為す術無く後退、兵士達の不安は現実のものとなったのである。


こうしてほぼ壊滅したパエッタ隊であったが、独軍の中央以南への進出が不活発だった為何とかその命脈を保っていた。
戦後の調査ではアルフレッド隊長はSMK重戦車が温存されていると考え、これへの備えを重要視した為に、これ以上の戦力抽出が出来なかったのである。

それでも作戦終了間際に二輌の四号戦車が南下、中央占領点の確保を目指すも、これは待ち受けていた残存部隊により相次いで撃破された。しかしこれを支援しようと中央の森から顔を出したBT隊生き残りはたちまち集中射撃を受けスクラップとなる。

ここで作戦終了。作戦でも指揮でも劣ったパエッタ隊の完敗であった。


両軍参加兵力
ソ連軍:T35×2、T26×4、BT7×5、M3偵察車×3
ドイツ軍:W号戦車D×9、Sdkfz9ASP×2

両軍損害
ソ連軍:T35×1、T26×3、BT7×5、M3偵察車×1
ドイツ軍:W号戦車D×4


  従軍記者報告 第6次対戦
No.1029
Name速馬
Date: 2004/01/09(Fri) 23:48

アメリカがはやばやと参戦してきた。
アラスカの米サケマス漁船が偶然にも日本機動艦隊を発見し、
ル−ズベルト大統領はこれをもって日本が戦線布告をしたと
みなし、開戦を発表した。米はすみやかにルア−ブル港に機甲師団を上陸させ、仏独国境でわが独機甲師団と戦闘が発生した。
 散会隊形で敵は来た。 ううう硬い なんて硬いのだ。
命中すれども、ドアノッカ−状態だ。 確立変動がわが軍に
味方したのか、すこしずつ撃破していき。かろうじて勝利をえた。天は味方した。


  Metros of United States中隊戦記(1)
No.1028
Name未婚の父
Date: 2004/01/09(Fri) 23:24

我がMetros of United States中隊は、コミュニストのバケモノ多宝塔ではない多放蕩でもない多砲塔戦車を退治すべき、出撃した。あのバケモノを倒さないと、世界はコミュニストに征服されてしまう!
 とはいえ、我がM2戦車の主砲は小さな37mm。肉薄して撃つしかない!しかい、肉薄を狙ったM2戦車は次々に破壊されてゆく。
全滅と引き換えの戦果は、バケモノ1台、BT7が二台というありさまであった。嗚呼、コミュニストの野望を止める方法はないのだろうか。


  従軍記者報告 第2次対戦
No.1027
Name速馬
Date: 2004/01/09(Fri) 23:20

ポ−ランドを制覇し、ソ連とそこを分割した。

しかしわが軍は主敵ソ連にいよいよ進撃した。
奇襲のはずであったが、偵察の報告により、敵はSMK,T35重
などの多砲塔戦車がふくまれてるとのことであった。
 わが軍は虎の子のSdkfz9をそれにあてることにした。
だが 天候は霧の狭視界になってしまった。発砲の機会を
逸し、わが軍撃破の憂き目にあう。天はわれに味方せず。 


  ポーランド軍、惨敗す(従軍記者報告)
No.1026
Nameルーク
Date: 2004/01/09(Fri) 22:57

いよいよ戦いの火蓋は切って落とされた。
相手は歴戦の強者,速馬氏だ。率いるのはファシスト,イタリア軍。
私は,やはり緒戦はポーランドでなくてはならないとの思いからポーランド軍を選んだ。

しかし,私はちょうどメシを食っていたところで,戦いに集中できていなかったのか慎重になっていた。
さらに食べていたのがカレーライスだったため,匂いが敵に伝わったらしく,見事に待ち伏せを食らってしまった。
メシなど食っている場合ではないが,時すでに遅くカレーを平らげた頃には勝敗は決していた。

見事な惨敗だった。
「腹が減っては戦ができぬ」とはよくいったものだが,やはりメシぐらい食ってから戦いに望むべきであった。

次々と炎に包まれる7TP戦車を見てヘボ指揮官は思った。
「歴史は繰り返される」と。


  従軍記者報告 第1次対戦
No.1025
Name速馬
Date: 2004/01/09(Fri) 21:17

開戦の火蓋が切られるとともに我が枢軸軍のイタリア部隊は
ポ−ランドに進軍した。わがムッツリ総統閣下にしては、友軍を
出し抜いた進撃であった。チェコで秘密の改良を加えた戦車を
使用し、いち早くポ−ランドに出たのであった。しかし敵猛将ル−ク指揮官が迂回戦術をとってくれたことが幸いし、どうしても
対応が遅れる国民性が戦力の集中を助け、幸いにも勝利することができた。次はいよいよ主敵のソ連打倒となるだろう。


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