阿部隆史 執筆記事H『世界の艦船』2015年12月号


ビッグ7の中で最初に竣工したのは1920年から1921年にかけて建造された長門型2隻で、最後に竣工したのは1927年に揃って竣工したネルソンNelson型2隻である。
だが最も早く初陣を迎えたのは艦齢の若いネルソン型であった。
これは大戦勃発時に日米が未参戦であったからで、両国の参戦を境にビッグ7は壮烈な戦火の応酬を繰り広げた。
本稿では大艦巨砲主義の精華と謳われたビッグ7の戦歴を各クラス毎にまとめる。


ネルソン型

ネルソン型戦艦

1939年9月1日の第二次世界大戦勃発時、ネルソン型2隻はフォーブス元帥が指揮する英本国艦隊(主力艦7、空母2基幹)の第2戦艦戦隊に所属しており、ネルソンNelsonは英本国艦隊旗艦でもあった。
スカパフローを根拠地とする英本国艦隊の主任務は北海の制海権保持である。
当時はまだ独Uボートの数が揃っておらず独の通商破壊艦が大きな脅威であったが、これを防ぐには哨戒と船団護衛が欠かせなかった。
大戦中、英主力艦は独海軍、伊海軍、日本海軍の主力艦を敵に回して戦い船団護衛や上陸支援でも活躍したが、この時点の敵では独海軍だけであった。
かくして艦隊旗艦のネルソンはロドネーRodney以下の諸艦と共に頻繁に出撃を繰り返した。
この間、英海軍は空母カレイジアスCourageous、戦艦ロイヤル・オークRoyal Oakを失い、本国艦隊の根拠地をスカパフローからクライドに変更せねばならなくなった。

 本国艦隊所属の戦艦および空母(1939年9月)
戦艦 ネルソン
戦艦 ロドネー
戦艦 ロイヤル・オーク
戦艦 ロイヤル・サブリン
戦艦 ラミリーズ
巡洋戦艦 フッド
巡洋戦艦 レパルス
空母 アークロイヤル
空母 フューリアス

大規模な出撃は9月26日、10月8日と続き10月30日にはU56の発射した魚雷3本がネルソンに命中する。
ただし不発で大きな損傷とはならなかった。
11月23日には独巡戦出撃の報に接し英本国艦隊はクライドから出撃するが翌日、ロドネーがノルウェー沖で舵機を破損し12月後半からのドック入りを余儀なくされる。
更に12月4日、今度はネルソンが入港を目前にしてU31が敷設した機雷に触雷する。
湾口の掃海を終え修理の為、ポーツマス工廠に向けネルソンが出港できたのは一ヶ月後であり、7ヶ月に渡って戦列を離れる事となった。
この間、旗艦は戦艦ウォースパイトWarspiteに移る。
一方、修理を終え戦列に復帰したロドネーは1940年4月9日にノルウェーでドイツ機の爆撃を受けたが、命中弾が不発で損傷を免れた。
1940年8月、ネルソンは英本国艦隊旗艦に戻り、アシカ作戦に備え英国南部に配置される。司令長官もトベイ大将に交代した。
9月13日にはロドネーもオークニー諸島から英国南部に移動する。
英本土航空戦に勝利しアシカ作戦の脅威から英本土が解放されると、ロドネーは再び大西洋での船団護衛に従事する。
翌年1月には独巡戦によるベルリン作戦の迎撃に両艦は揃って出撃するが捕捉に失敗、3月16日にもHX114船団護衛中のロドネーが北大西洋でベルリン作戦からの帰途のグナイゼナウGneisenauと遭遇するが、またもや捕捉に失敗した。
4月1日、トベイ大将は英本国艦隊旗艦の将旗を戦新造戦艦キング・ジョージ5世King Georg Vへ移す。

戦艦 キング・ジョージ5世


ついで5月24日、カナダへ向かう客船ブリタニックBritannicの護衛を命じられていたロドネー及び4隻の駆逐艦は急遽、ビスマルクBismarck追撃戦への参加を命じられ、便乗者500名を乗せたまま戦場に向かう。
ブリタニックの護衛には駆逐艦1隻が残され後にラミリーズRamilliesが代行として加わる。
そして26日、ロドネーと随伴駆逐艦2隻(1隻は燃料不足で帰投)はキング・ジョージ5世を旗艦とする本国艦隊主力と合流を果たした。
ただしロドネーの機関はかなり不調で、追随するのに困難を極めた。
27日朝、ロドネーはビスマルクと遭遇し午前8時47分、距離22000kmで砲撃戦が開始される。
9時頃、ロドネーの主砲弾が最初の命中弾となりビスマルクの前部主砲群が沈黙する。その後、英軍諸艦の砲弾が次々に命中し9時30分にはロドネーの命中弾によって最後の主砲塔も沈黙、最終的には射距離3000mの接近戦となる。
猛砲火に包まれビスマルクは火達磨となったがなかなか沈まず、最終的にはドーセッシャーDorsetshireの雷撃によって沈められた。
ちなみにロドネーも魚雷8発を発射しているが、命中弾(ロドネーの乗員は命中弾1を主張している)はない。

ビスマルク追撃戦後、ロドネーは米国のボストンで主機の修理を受ける。
その頃、フリータウンに在泊していたネルソンはビスマルクの地中海進出に備え、ジブラルタルへの進出を命ぜられた。
ついでネルソンはジブラルタルを根拠地とするH部隊に編入され、7月にはマルタへの増援を目的とするサブスタンス作戦に参加する。
以降、2番目の敵である伊海軍が主な相手となった。
7月29日、サマービル中将はH部隊旗艦の将旗をネルソンに移す。
マルタ増援は人員輸送を目的とした8月のスタイル作戦、戦闘機の増援を目的とした9月のステイタス作戦と続き、ネルソンはこれらの作戦にも参加する。

9月下旬のハルバード作戦ではロドネーもまたH部隊に編入され、両艦揃ってマルタに向かって出撃するがイタリア空軍機による27日の空襲でネルソンに魚雷1本が命中し損傷修理の為、本国に戻った。
ロドネーも11月には本国へ帰還し、1ヶ月間アイスランドに派遣されて北極海の警備任務に従事した後、1942年5月まで修理が行われた。
翌年8月、両艦はシフリット中将指揮下のF部隊(旗艦ネルソン)に配属され再びマルタへの増援(ペデスタル作戦)に参加、11月に両艦はH部隊に所属(旗艦ネルソン)してトーチ作戦にも参加する。
翌年6月、両艦は本国へ帰還し訓練に従事するが月末には地中海に戻り7月のハスキー作戦、9月のアバランシュ作戦に参加した。
なお9月29日のイタリア休戦調印式はネルソン艦上で行われた。

かくして地中海の戦いは終局を迎え両艦は10月末、本国へ帰投する。
ネルソンは11月からローサイスで修理と改装に従事しロドネーは北海での独戦艦出撃に備える。
1944年6月、両艦は再び戦列に復帰しオーバーロード作戦に参加したが、ネルソンは主砲弾224発を射撃後の6月18日、機雷2発に触雷した。
ネルソンは修理の為、米国のフィラデルフィア工廠に向かいロドネーは9月以降、JW60船団によるムルマンスク航路の護衛任務に従事する。
ロドネーは9月28日にロシアを離れ10月4日には本国へ帰投したが船体と機関の老朽化が激しく以降の実戦投入は危ぶまれた。
更に11月にティルピッツTirpitzが沈み北海に於ける戦艦の存在意義が著しく低下したので予備艦的存在になったロドネーの乗員は逐次、新造艦艇へ転属していった。
一方、1945年4月末に修理を終えたネルソンは地中海を抜けてスエズ運河からインド洋に入り東インド艦隊に配属された。3番目にして最後に残った敵の日本海軍と戦う為である。
ただし航海が長期間に及びセイロンに到着した時は既に7月7日となっていた。
7月19日、ネルソンを旗艦とするウォーカー中将指揮下の第63任務部隊はプーケットに対する空襲と強行掃海(リブリー作戦)の為にセイロンを出撃した。
英軍が掃海を実施したのは本格的なシンガポール奪回を企図していたからである。
だがその為にはセレター軍港に在泊する妙高と高雄が大きな脅威となっていた。
よって掃海部隊にネルソンが支援として随伴していたのだが両艦は現れず7月末、豆潜(XE艇)による攻撃が実施され高雄は大破した。
当時、英軍がシンガポールの日本重巡を重視していた証左と言えよう。
リブリー作戦(機雷掃海数24発、艦載機による攻撃150ソーティ)を終えた第63任務部隊は7月29日にセイロンへ帰投し、ネルソンは同地で終戦を迎えた。
条約明けの新造戦艦就役前に初陣を迎えた英国のビッグ7は英海軍の大黒柱として幾多の戦いに身を投じ、世代交代を迎えると静かに表舞台から姿を消したのである。


コロラド型

コロラド型戦艦(開戦時)


1941年12月8日の太平洋戦争勃発時、コロラドColorado型3隻の1番艦コロラドColoradoは米本土で改装中であり2番艦メリーランドMarylandと3番艦ウェスト・バージニアWest Virginiaは第4戦艦戦隊(アンダーソン少将、旗艦メリーランド)に所属し真珠湾に在泊していた。
繋留位置はメリーランドが戦艦列内側、ウェスト・バージニアは外側である。この配置がコロラド型3隻の命運を分けた。
米本土に戻っていたコロラドは空襲の惨禍を免れ戦艦列内側のメリーランドは爆弾2発の命中(戦死4名)で済んだが、外側のウェスト・バージニアには雷撃が集中し魚雷7本と爆弾2発を受け沈没(戦死105名)した。

 開戦時、真珠湾に在泊していた米戦艦(1941年12月)
戦艦 ネバダ
戦艦 オクラホマ
戦艦 ペンシルバニア
戦艦 アリゾナ
戦艦 テネシー
戦艦 カリフォルニア
戦艦 ウェストバージニア
戦艦 メリーランド

激減した戦艦陣を立て直す為、コロラドの工期短縮化が図られたが完了したのは翌年3月31日であった。
沈没したウェスト・バージニアはサルベージするだけでも1942年5月17日までかかり、同年6月9日から真珠湾のドックで船体修理が開始された。
1943年5月7日、どうにか航海可能になったウェスト・バージニアは米本土に帰投して本格修理と改装を始めたが、完成は1944年7月4日まで遅れた。
一方、メリーランドの損害は軽微だったので12月21日には応急修理が完了して米本土への帰投が可能となり、米本土での本格的修理及び対空火力強化も2月26日には完了した。

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