空母戦の発生要因
空母は太平洋戦争に於ける海軍兵力の主要兵力として縦横無尽の活躍をした。
相互の主要兵力なのだから空母同士の交戦は大きな影響を及ぼす。
それでは「空母対空母の艦隊戦」(長いので空母戦と略)は如何なる時に発生したのか?
空母戦を「空母から発進した攻撃隊が空母を攻撃した海戦」と定義した場合、太平洋戦争で発生した空母戦は以下となる。

1. セイロン沖海戦
2. 珊瑚海海戦
3. ミッドウェー海戦
4. 第2次ソロモン海戦
5. 南太平洋海戦
6. マリアナ沖海戦
7. レイテ海戦
8. 日本本土空襲

上記のうち1のセイロン沖海戦と8の日本本土空襲は侵攻側の空母機動部隊が一方的に防御側の艦船と飛行場を攻撃しているので「空母戦じゃない。」と思われる方が多いであろう。
よって除外する。
3年9ヶ月に渡る戦争で2〜7のたった6回だ。
まずこれを覚えて置いて頂きたい。
少ないと思われるだろう。
しかも6回中の4回が1942年の半年間に集中している。
つまり3年9ヶ月に及ぶ太平洋戦争のうち、上記の半年を除くと3年3ヶ月で2回だ。
実の所、空母戦の本質を考えるなら6回でも多いと言えよう。
日本海軍が攻撃に徹底性を欠いたから6回も発生したのである。
珊瑚海海戦でヨークタウンを取り逃がさず撃沈していたらミッドウェー海戦は発生しなかったと考えられるし、第2次ソロモン海戦でエンタープライズを取り逃がさず撃沈していたら南太平洋海戦も発生しなかったであろう。
それでは次に「空母戦とは何か?」を考えて見よう。
広い洋上で空母機動部隊同士が雌雄を決する為に出くわし、優劣を競い合うのが空母戦か?
そんな事はない。
上記8件の全てが「侵攻側の空母機動部隊が防御側の飛行場を空襲する目的で接近したのが生起要因」であり、このうち6件(2〜7)が「侵攻側の空母機動部隊を迎撃する為に防御側も空母機動部隊を出撃させた為に発生した海戦」なのである。
つまり空母戦と「空母機動部隊による飛行場空襲」とは紙一重であり、防御側が空母機動部隊での迎撃に躊躇した場合、全ての空母戦は単なる「空母機動部隊による飛行場空襲」で終わってしまったであろう。
逆に幾つかの「空母機動部隊による飛行場空襲」は空母戦に変化しえた可能性がある。

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